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門下生投稿

当会の門下生に、武術について自由に語ってもらいました。文章には一切手を入れず掲載しています。

 

 

≪第一回 ・ 投稿者 G君≫

 

 ここでは八大武舘で稽古しているGが稽古で思った事などを初心者から見た視点で書いてみようと思います。レベルの高い人からの視点ではなく、初心者や未経験者が思うような事や、考えそうな事を初心者の私がやんわりとお気楽な気分で書いてみます。

 皆さんは黒帯(空手、柔道、他)についてどう思いますか?私は武術を始める前まで「黒帯ってたいした事ねーんだな」と思っていました。なぜかと言うとその理由は
1、中学1年から柔道部に入り、たいして真面目にやってるわけでもなくちょくちょくさぼっている友達が3年になったら黒帯になっていたので「3年生になったら誰でも黒帯になれんの?」って思ってました
2、高校の時、空手で黒帯だった奴が素人に喧嘩で負けた。特にこういう空手で黒帯の奴が素人に喧嘩で負けた事が良くあった
 以上のような事があったので「黒帯ってたいした事ねーんだな」と思っていました。しかし後から考えれば「黒帯だった」という人は負けたが、現役バリバリの黒帯というのはいなかったと思う。最近は黒帯というのはあくまでも道場内の黒帯であって道場のルールの内での黒帯なんだなーと思っています。その道場の館長の考え方や、経営方針とかあると思うので何も言えませんが、自分は黒帯とは素人に喧嘩で負けない事と思っています。

 以前にフルコンタクト系空手のオープントーナメントを見てきました。私は空手の大会を見るのは初めてだったのでルールがよく解らない!パンフレットを見るとやはり体の大きな人が有利なようです。しかしそのルールで小さい人が大男をどうやって倒すのか?そんな所を見ながらといっても初心者には解らないので、そんな事は考えずにとりあえず生の迫力を感じましょう!女性なら自分のタイプの選手をひたすら応援するのもいいかも。

 よく「武術は人と仲良くするため」とか「喧嘩を売られたら謝る」などと聞きますがそれは本当に強い人が言うものであって、自分なんかは納得できるはずも無く「武術は喧嘩に負けない為」と思いやってます。男として喧嘩を売られて謝ったら情けないし、悔しいし、悲しいし、そんな思いをするなら負けてもいいからやってしまえー!と思います。そして実際に喧嘩で負ける事でハングリー精神は付くし、あの独特のなんともいえない緊張感や空気を味わえば次は同じ失敗はしないだろう。
でもいつかは「武術は人と仲良くするため」と言えればいいなと思っています。50年後になるかそれとも喧嘩じじいになるかどっちかだな!

 

 

≪第ニ回 ・ 投稿者 丸腰billyさん≫

 

 ある日から経験も知識も全くない「武術」に素人の私が‘奥深さ’を感じるようになりました。その理由は大きく分けて二つあります。一つ目に、これまでアクション映画の“アクション”に興奮してる視聴者でしかなかった私が 友人の稽古で八大武舘について行った時に出会った このホ―ムペ―ジの管理人さんとの出会いです。
 二つ目は「武術」の世界に広がるものと、自分との間に思ってもみない共通点があった事からです。 

 遅れながら自身の紹介をさせていただくと、私は15年間 「ピアノ」という別な意味での格闘をしてきました。
その「ピアノ」と「武術」という これまた意外で、一見、対照的でもある二つの間に二つ目の理由であげた‘思ってもみない共通点’があるのを感じたのです。
 というのは、友人の稽古を見学していた時のお話しで、ふと管理人さんが出した一つの「突き」を見た時に、「腕力や握力だけではなく、全身のエネルギ―や全身の神経が瞬時に拳に集まってる!」とその迫力に驚き、直感的にそう思ったのです。・・実際に私が同じ様に「突き」を出したとしたら・・きっと腕力だけを使い、翌日には筋肉痛になるだけ(笑)・・そして、その突きを一つ出すために、使うだろう精神の統一や集中にも魅了されていくうちに、私にも どこか記憶のあるエネルギ―と精神の使い方を見た気がしたのです。・・そしてそれが「ピアノ」での記憶でした。
 ピアノを弾くためにも指先だけではなく全身のエネルギーを使い、精神の統一も必要とされてきたのを、管理人さんの「突き」を見て初めて実感したのです。
 それ故にそのエネルギーや精神を少しでも操れてきた自分に自信をくれたのも、同じ音楽という地帯でのギターリストやドラマーではなく、「武術家」だったのです。
 私が知り合えた武術家さんは激しいだけでもなく、単純な努力の積み重ねで こしらえられた強さだけでもないような気がしました。勿論、数知れぬ努力や練習量がそこにはあったのでしょうが、その努力の奥にある精神的な気高さと繊細さ、貫くだけの正義ではなく守りの様な優しさを その時 心に感じたのを覚えています。

 それからというもの、‘戦う正義’という私の興奮材料になったもの(笑)に‘守りの正義’というものが加わり、アクション映画に「感動」もするようになった私です。

 もうメロメロなんですね・・えぇ!(*>3<)

“弱さから得る、人の本当の強さは、優しさのある強さなんじゃないか”と「武術」に教えられ「ピアノ」に活きています。
 そういった感覚的に得られるものとは、とても得がたいものであるように思いました。

 だから、何だか とても武術家の管理人さんには、感謝しているのです!\(^∀^)/

 

≪第三回・投稿者 G君≫

 

 今回は初心者というより「武術に興味があるけどやったことが無い」という人用に書いてみました。

 武術の経験の無い人でも「武術に興味がある」という人はけっこういるはず。今の格闘技ブームで、見ているだけで良いという人が多いようだが、やっぱり自分もやってみたいという人も結構多いはず。

 私の周りにも「どうゆうのやってるの?」とか「俺もやってみようかなー」と言う人がいる。興味がある人はけっこう多い。

 しかし皆思うだけで、なかなか行動には移さない。やはりふんぎりがつかないのだと思う。私も小さい時から空手に興味があり、近くの練習場に行き遠くのほうから見たりして今思えば軽いストーカー行為をしていた(笑)。

 その後、二十歳過ぎまで武術に興味があったがなにもしていなかったが、今の師匠に偶然にも武術以外のことでお会いすることができ、いろいろ話を聞き「一度見学に来たら。」と誘われ見学して習うようになった。見学して思ったことは「ここで習えば喧嘩に勝てるな!」って思った。

 このような考えはよくないそうだが、でもよく「喧嘩を売られたら謝れ」という人がいるが、それにはある程度の実力が必要だと思う。だって謝って済めばいいが、喧嘩売る方も熱くなっているので「謝ってすむか!」と逆に言われるはず、「走って逃げろ」と言われても足の遅い人は捕まるしなー。では武術をやってない人が喧嘩を売られたらどうすればいいか?うーん・・・・やっぱり喧嘩売られる前に武術やるしかないね!

 近くに必ず道場や練習場所(空手、合気道等)があるはず。まずはふんぎりをつけて見学に行ってみるべき!それで自分の思った感じと違ったら後は行かなきゃいいだけだし、もしすぐ入会しろって感じになったら「少し考えさせてください」と言えばいいし、もし入会を断ったかといってちょっとでも痛いめにあったら即警察へGO!

 今はその人の希望する練習がほとんどの道場でできるので軽い感じで見学に行ってもいいと思う。ただし、最低限のマナーは守りましょう!

 

≪第四回・投稿者 N君≫

 

 突然ですが私の趣味のフルートからお話ししたいと思います。
武術に門派や流派があるように、音楽の世界にも似たようなことがあります。
フルートでいえば、大きく分けてフランス派とドイツ派があります。
フランス派は華やかな音色で、音楽を彩っていきます。
一方ドイツ派は分厚い音色で、がっちりとした音楽を構成します。

 現在フルート界はフランス派が主流で、ドイツ人でもフランスの学校で勉強することが普通のことになってきました。私の先生もフランス系なので、自然と私もフランス系統の音色を志向するようになりました。そしてドイツ系の演奏を野暮ったいと思う節さえもありました。

 ところが最近古いフルートの録音を聴くことがあり、あるショックを受けました。
奏法は典型的なドイツスタイルで、ぱっと聴いた感じには不器用な感じさえもします。
ところがその音は私の心にドシンと響くものを伝えるのです。
以前はそんなことはなかったのに、いいようのない感動があるのです。
それは正にインパクト。伝える手段は何だっていいのだ!
要は相手に自分のエネルギーをぶつけることであり、表現手段によって優劣があるものではないのだ、ということに気づいたのです。

 翻って武術界を見渡してみると、現在様々な流派があり折からの格闘ブームも手伝って百花繚乱の様相を呈しています。
古武道あり、合気道あり、空手も伝統空手からフルコンタクトまで。そして中国拳法も無数の門派があります。

 武術の本懐は、やはり敵の攻撃から身をかわし、生き抜くこと。
そして敵を戦闘不能な状態におとしめることだと思います。
そのための手段である武術に優劣の差はないと思うのです。
音楽界でもあることなのですが、誰それの弟子だから上手いだの下手だの。
どこそれの大学を出たから、優秀だとかそうでないとか。
つまりは相手にインパクトを与えれば、それで十分なのではないかと思うのです。

 八極拳の達人、劉雲焦は「どんなのでもバチーンと当たればそれでおしまいだ」と言っておりました。
文章家丸谷才一は「自分がいいと思ったものが名文であり、それを真似することで文章技術が向上するのだ。」と著書「文章読本」に書いています。しかしまた同時に「多くの文章に触れることで、自分の目が養われ未熟な自己の基準が改められるのだ」とも述べています。

 表現する手段は様々であっても良く、また多くのものを経験してみることが大切だと思います。
私自身は古流柔術がスタートであり、中国拳法を学びつつ、現在フルコンタクト空手を勉強しています。
どれも魅力的で、且つ武術の本懐を十分に満たすものであると思います。
八方美人だとの批判を受けるかもしれません。しかしそれが私にとっては性に合っているのでしょう。
様々な表現手段を持ちつつ、インパクトのある一撃を打てるよう、修行していきたいと思っています。

 

≪第五回・投稿者 G君≫

 

 発剄(はっけい)。武術の経験のない人にはなじみのない言葉だが、中国武術を稽古している人は必ず知っている言葉。発剄だけが一人歩きし、一部のマニアにはカリスマ的(?)な言葉になっています。

 初めに断っておきますが、私は発剄についてどうこう言うのが好きではありません。だって出来ないし(笑)、だいたい発剄ばかりを追い求めている人がいるようですが、そんなことできたって実戦じゃ勝てませんよ!相手の突き蹴りをかわせない人が発剄なんか打てるわけないでしょ!かわしたとしても、相手は止まってないし、発剄打つから止まっててと言う訳にもいかないし、ましてや突き蹴りをかわし相手が動かないよう崩しながら打つなんて事は出来ないでしょう。それができたら名人だよな(笑)。

 だから私は「いつかは出来ればいいなー」とは思いますが、今は出来なくてもいいです。発剄よりもまず相手の攻撃を捌き自分の攻撃を入れる事を考えています。発剄できる=実戦の強さ、ではないと思っています。

 ただ私の場合、師範に発剄を打ってもらい自分の体で感じる事ができたので、このような考え方になったのかもしれません。やはり打って貰ってない人には見ることも、感じる事も出来ないのでどんなものかとても興味があると思います。私は打てないけど感想だったら言えますので。

 私が打ってもらって感じた事は、普段自由組み手で感じるような痛みではありません。なんか体内に残る痛み、苦しくなるような、吐き気がしそうな感じです。衝撃も真後ろではなく斜め下に崩れ落ちる感じですね。あとは、なんと言うか、うまく表現できないんですけど、うーん・・・難しい!

 とにかく、そのときは軽く打ってもらったんですが、これが本気だったら自分はどうなるんだろう?と思いましたね。怖いです!

 あれが実戦で出来れば間違いなく一発KOですね!それどころか刑務所送りになります(笑)。

 それを考えると発剄が出来たら出来たで大変だと思います。普段はいいが酒に酔っている時の喧嘩では軽い突き蹴りだけでは済まず、つい熱くなりコントロールが効かず渾身の一撃を打ち相手に必要以上のダメージを与えるのでは?

 しかも近くに綺麗な女性が居たらとどめの一撃をおまけするのでは(笑)。

 武術をやる人はお酒の好きな人が多いんですよね!私の師範もかなりのお酒好きです(笑)。あっ、でも私の師範はこんな乱暴な人ではないですよ!楽しくお酒を飲んで酔ったときは少し口伝などを教えてもらいます。

 話が少しずれましたが、私が感じたのはそんな感じです。ただ以前打ってもらってから、大分経つので今打ってもらえばまた違う感想があるかもしれません。その時はまた書いてみようと思いますので!

 

≪第六回 ・ 投稿者 Kさん≫

 

 まず最初に…私は短気です。あまり表に出さずに怒っているタイプ(外から見たら怒っているように見えるかも・・・) なんです。武術を始めてから直ってきたかというと、そうでもありません。口も悪いですし。そのくせよく喋ります。1分と黙っては居られません。先日もあまりにうるさいので、友人に怒鳴られました。

 そんな私が唯一黙って集中できるもの・・・それが武術です。

 とか言って、始めた当初は稽古(部活)の最中も落ち着きが無く、よく注意されていました(あれは本当に反省しています)。ところが、最近驚くべきことに気付きました。喋らないんです。武術をやっている時だけ。喋ることに重きを置いている人間が(ただの馬鹿ですか?)黙って集中なんて、まず有り得ない事です。なのに集中して、それが持続するんです。
 …自分に合っているということなんだと思います。ここまで自分を変えたものはありませんでした。中学生の時にバスケットボール部に所属していましたが、その時に変わったものといえば、脚の太さぐらい。中腰で踵を浮かせて15分…なんてものを毎日やらせられたせいかと思われますが、異様に筋肉がつきました。泣きたいくらいです。ある程度の体力もついたので、悪いことばかりは言えませんけど。武術も低い姿勢になるものが多く、またしても追い討ちをかけるかのように脚が太くなってきて、頭を悩ませております。(←余計な悩み) でも楽しい!時々、苦戦することも楽しみのうちだと考えるようになりました。これも今まででは考えられない、気持ちの変化です。イライラしてばかりだったのに、全く苦にならない(良いのか悪いのか…)。これを思うと、短気も少しずつ直ってきたのかも知れません。武術の中身に関しては、語れるほどの経験を積んでいませんので、もう何年か経ったら語らせて頂きたいと思います。頑張れ自分!!

 余談ですが、大学で少林寺拳法部に入りたいと、ある先生に話したところ、
 「やめてくれよ…お前そんなに強くなってどうすんの…?」
 と返されました(笑)

 強くなってどうしたいということもありませんが…好きなことは一生懸命やりたいんです。

 …これからも喘息の狂犬は走り続けます。(全力疾走は避けながら)

 

 

≪第七回 ・ 投稿者 G君≫   *公表したくない箇所を伏せ字にしたり削除させて頂きました。

 

 発剄の続きです。先日の稽古で実際に発剄で人を打ってみる稽古をしました。(私の場合は発剄ではなく、発剄を撃てるようになる為の準備段階ですので、発剄もどきですが。)

 相手と向かい合い、形意拳のヘキ拳を交互に打ち合いました。実際に人を打ち、打たれることによって新しく感じたことが多々ありました。

 私が打つ場合、掌を●く使う時と、●く使う2種類あります。●く使う時は「体の内部に衝撃を与える」とか余計なことは考えず、自分の突進力と手を合わせ外部から壊す!という感じです。これは発剄とは言わないのでしょうが、これでもかなり痛いです。打たれれば分かりますけど、こっちの方が「おー痛ー!」と打たれても清清しい気持ちになるんですが、●く使い内部に浸透させる方は打たれると後味の悪ーい嫌ーな感じがします。なんでなんだろ?不思議です。はじめの内は掌を●く使う打ち方でいいとのことなので、これをさらに磨きたいと思います。

 ●く使う時の方が難しいです。自分では意識して内部に浸透するように打ってるんですが、これがなかなか上手くいかないものです。余計なことを考えるからでしょうか?手と足が合わないような感じがします。この時は(一部削除)やることがコツだそうです。

 まあこれが出来るようになれば発剄へまた一歩近づくのだろうと思います。簡単に出来たらつまらないし!ながーく付き合って行こうと思います。

 それからもっといろいろ感じたのですが、なんだっけかな・・・忘れました(笑)!

 まぁまた次回と言うことで!また打ってもらわねば(笑)!

 

≪第八回 ・ 投稿者 広報部長 K池≫  

 八大武館に入門したのは平成17年末のことでした。 介護職の自分は酷い腰痛に悩まされていて、足にはいつもしびれがありました。病院で手術を勧められていましたが、完治しないこともあると聞いて躊躇していました。 なんとか手術をせずに改善する方法がないかと探していたところたどりついたのが武術でした。 

 「もしかしたら」と思い見学を申し込みました。 見学当日まで「怖いところだったらどうしよう・・・・」等色々と心配していましたがいざ行ってみると稽古はただひたすらに楽しく、興味深く、そして師範の話がやたらとおもしろかったことを覚えています(笑) その場で入門を決めました。

 酷かった腰痛は最初の一ヶ月目でかなり改善され、足のしびれもなくなりました。 時々痛むことはありますが、今も介護の現場で働けているのは武術のおかげなんだと思います。

​ まだまだ未熟で学ぶべきことはたくさんあり、自分がどのくらいのレベルまで到れるかわかりませんがこれからもずっと続けて行きたいと思います。

 

 

≪G君≫  八大武舘門下生。武術に対し非常に真摯。一見穏やかそうな外見を持つが、実は武闘派(笑)。

≪丸腰billyさん≫  「動物愛好家。白米派のマヌケ」(本人談) と紹介して欲しい、というのでそうしました(笑)。

≪N君≫  八大武舘門下生。転勤を機に幾つかの流儀を学びつつ当館で修行している。専らハンサムと噂が高い(笑)。

≪Kさん≫  八大武舘門下生。高校で剣道部に入って徒手武術に遭遇する(笑)。今春から大学生。

≪広報部長 K池≫八大武舘門下生。当HP管理・編集。

 

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