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第百三十一講

≪部位鍛錬≫

 

ご存知ない方の為に説明すると、部位鍛錬というのは、

打突に使う部分(拳、脚、腕、脛など)を硬い物にぶつけて、硬化させて行く鍛錬です。

まあ、拳を鍛えるって考えて貰えば解り易いですかね。

 

私の教えている拳法のスタイルでは、本来部位鍛錬は必要とされていません。

しかし、私は自分の経験上、やって無駄にならない事だと知っているので、
それ程熱心にではないけれども、部位鍛錬を続けています。

 

私の部位鍛錬は、武術を始めて間もなく頃から。

小学生(多分6年生)の時に、父親がマキワラを立ててくれたので、叩き始めました。

後年、これは年少者は控えた方が良いのではないか?と考えたので、子供さんには拳立て伏せ程度を勧めてます。

 

拳足を鍛えるというと、空手の専売特許的な印象を持たれる方も居られるでしょうが、

中国武術にも手足を鍛える鍛錬法はあります。

鉄沙掌などが有名でしょうか。

鍛えた後は、薬液に手を入れてマッサージをしますが、この漢方薬が結構高いのです(笑)。

それで断念する人もいるようですね。

漢方薬の代用品も幾つかあるのですが、酢でも良いですよ。

火に掛けて熱くした酢に手を入れて洗って下さい。

傷にも良いし、水虫も治っちゃう事があるらしいです。

でも、臭いんだ、これ(笑)。

なので、臭いの気にならない方のみにオススメです。

 

拳は硬い物をコンコン叩いて、表面にタコを作っただけではダメなんです。

支える骨や筋肉も鍛えないと、骨折してしまいます。

ある程度動きのある、はね返りのある物を強めに叩く方が効果的です。

初心者は尚更、そういった物を叩く事から始めて下さい。

 

 

最近の僕は、家にあるコンクリートの壁を叩いています。

この壁、表面がザラザラしていてそれだけでも痛い(笑)。

叩いて、壁を振動させられる様になるまでには半月は掛かったかな。

 

部位鍛錬は筋トレと同じく、やれば効果が実感できるので、楽しい鍛錬の一つではあります。

2009.5.10

 

第百三十ニ講

≪伸び切ってガチガチは、ダメ≫

 

殆どの初心者は、膝が伸び切って、股関節が突っ張って、肩も、肘も、あらゆる関節が硬直しています。

全身ガチガチに固まってる人が案外多いんです。

 

こういう状態では、例えパンチを繰り出しても腕だけの力になります。

腕の筋力だけで打ち出すパンチなんてのは、威力が知れてます。

 

パンチというのは腕の運動のように思われていますが、威力の源は腕の伸縮ではないのです。

腕(パンチ)を打ち出すにしても、腕の力だけでなく

足の力も、腰の力も、背中の力も・・・つまり全身の力を腕に集めます。

(ま、要は腕の力だけでなく、全身の力も、重心移動なども総てを連動して使うって事です。)

 

例えばですけど、腕の細い女の子が腕の筋力だけで男性を殴ったって、大して効かせられないでしょ?

だけど、全身の力をパンチに集めて打てば、女の子にだって効かせる事が出来ますよ。

 

んじゃ、そうするにはどうしたら良いのか?

それにはね、先ずは無駄な力を抜くのが必要なんです。

膝を柔らかく弛めて、股関節も、肩も、肘も、柔らかく弛めます。

これが基本姿勢。まずはそこから。

(詳しい方法は良い先生に習って下さい。独習では一寸無理だから。)

 

 

 

これって威力の多寡だけじゃなく、構えにも繋がるんですよ。

ガチガチに固まって構えてちゃ動きにくいでしょ?

例えばスポーツね、思い出してみて。

バレーボールも、バスケットも、テニスも、みんな腰を落として構えるでしょ?

あれが動きやすいからですよね。武術も同じ。

武術の場合は、飛んで来るのがボール1つじゃなくて、手足4本だし、股も蹴られるし、足も掛けられたりするから、

球技よりはスタンスを狭めなくちゃなりません。

それと手の位置も、普通は顔面を殴ってくるから、顔を守れる位置にしなくちゃなりません。

関節ガチガチに硬直して立ってたら、引っくり返されちゃいます。

(足の位置、体重配分、手の位置などの細かい部分は流派や各自の好みで差異があるのですけどね。)

 

初心者の方には、この弛めるってのが難しいんですが、

大事な事なので、まずは気をつけて取り組んでみて下さい。

2009,7,3

 

第百三十三講

≪武術に限らず、何事も≫

 

武術を始める目的というものは、人それぞれ異なるでしょう。

目的の如何を問わず、せっかく始めたのであれば、ある程度目的を果たせたな、と思える所までやってみて下さい。

 

例えばもし、強くなりたくて武術を始めるのなら、自分は強くなったと思えるまで続けてご覧なさい。

途中でやめたくなる事もあるでしょう、イヤになる時もあるでしょう。

そんな中で、目的が達成できるまで継続する中から、気付く事や見付かる事が必ずあります。

 

 

道楽、という言葉があります。

今は「道楽者!」と言われれば、良くない言葉ですが、本来は悪い意味では無かったようです。

それはさて置き、

道楽、というのは、道を楽しむと書きます。

芸事をやっていれば、イヤになる事もあります。

出来なくって苦しい思いをすることなんか沢山あります。

上手く出来ることだけでなく、自分が上手く出来ない事をも楽しめる、そんな風になれたら必ず上達します。

 

 

今の世の中、何かを始める人は少ない。

始めたとしても、続く人はもっと少ない。

その始めた事で収入を得られるようになる人はもっと少ない。

その中で名人と称され、名の残る人は更に少ない。

 

一芸に秀でた人の言葉に重みがあるのは、その人がそれを続けて来た中で、気付いた事や得た物が有るからです。

道は平坦ではないからこそ。

 

 

武術でなくても良いのです。

皆さんも何か一つ、追求する物を見付けて下さい。

 

 

大丈夫。私もこれまで、幾度となく武術を捨てようと思ってきたのです。

幾度も捨てようと思いながら、今、ここに立っています。

 

 

これは何かに取り組み、時に泣いている貴方への応援であります。

2009,7,10

 

第百三十四講

≪昇級・昇段審査≫

 

段や級というのは、手頃な目標になりますよね。

特に初心者には、級が上がる事によって帯の色が変わるというのは励みになるものです。

なので、多くの武道流派では段級制度を導入しています。

 

私の主催する八大武館は中国武術の道場なので、本来は級・段という制度はありません。

(これに関しては柳生心眼流も同じです。)

しかし、より解り易いようにと級・段制を導入しています。

 

級や段と云うものは、それを貰う事によってその級・段に相応しい実力が付いて来るものです。

自覚が出来て、“それに相応しくなろう!”と努力するんですよね。

民主党の鳩山さんが、“こりゃホントに政権取れそうだ”となったら、面構えが変わったのと同じかな。(笑)

 

全国に支部が有るような大きな流儀であれば、師範が全ての生徒を直接指導している訳ではないので

昇級審査というものが、各人の実力を計る為の重要な役割を果たします。

多少の支部長推薦もありましょうが、級や段に相応しい技量を持っているかを計るのは審査になる訳です。

ですが私の所は個人道場なので、生徒全員の顔を直接知っていますし、一緒に稽古しているのでその技量も普段から見ています。

例え支部が出来たとしても、私が直接教えに行ける範囲ですし。なので、昇級審査では各自の実力を見ている訳ではありませんが、

免許を授与するに当たっては、昇級審査というものは行なっています。

何故なら審査という特殊な状況を経験すると、技量の上がる人が結構多いからです。

試される、という緊張感。審査に向けて、普段の稽古も増える筈です。

これが上達の一因になったりもするのですね。

人って試されないとダメなんですよね。(笑)

仕事もそう。趣味もそう。

自分でも気付かぬ内にダラダラしているもんです。

慣れちゅーのは怖い。

たまにはピリッと締めませんとね!

2009,8,30

・・・う~ん、どうも『ひねもす』っぽいネタだなぁ

 

第百三十五講

≪ショートレンジ・ロングレンジ≫

 

一口に中国拳法といっても、流派によって得意とする距離(間合)というのが有る、とされる。

確かにそれはある。

しかしそれは、

“その得意な距離でなければ力を発揮できない・上手く戦えない”という事ではない。

例えば接近戦を得意とする形意拳内にも、ロングレンジでの戦いを得意とする者もいる。

反対に、ロングレンジでの戦いを得意とする少林拳は近接した間合で効果が発揮できないかとなると、これまたそんな事はない。

方法はちゃんと伝わっている。

後は各人の個性(好み)や錬度の問題である。

形意拳ならば、得意のショートレンジの戦い方だけでなく、ロングレンジでの戦い方、その間合を詰めて得意の距離に持って行く方法など、

言ってみれば遠距離での戦い方もちゃんと有る。

それを知ってはいても(多くの修行者は知らないようだが)、実際に使えるレベルまで錬度を上げているかは人による。

まあ、ちゃんと伝えてさえおけば何時かは使える後継者が輩出するので良い。

問題は失伝してしまう事である。

 

私はこれらの方法も具体的に教えてはいるのだが、生徒達にはそう簡単には出来ないようだ。まだ身について居ないのだろう。

これも、基礎は套路で作る。

2009,9,10

 

第百三十六講

≪楽しめなきゃ!≫

 

以前も述べたことの繰り返しになりますが、武術への取り組み方と云うものは人それぞれです。

趣味・楽しみとしてやっている人。

武術を何か別の事に役立てたい人。

健康への手掛かりとする人。

武術で強さを求める人。

楽しみであれ、強さを求める事であれ、それぞれのやり方で武術を人生の約に立てたいと思ってやっているのでしょう。

そのどれかが優れていて、どれかが劣っているという事はないのです。

どれもが同等の価値を持っています。

 

当サイト内で私が時に述べる、「本気でやるなら稽古休むな」的な意見は、強くなりたい人向きのものであり、

全ての人が守らなくてはならないものではありません。

他の事に活かそう、とか、楽しみでやりたい、という 目的であるのに、泣くほど思い詰めて武術に取り組む必要はないのです。

身体を動かすのは楽しい事です。

知らない技術を知るのは楽しい事です。

出来なかった事が出来るようになるのは楽しい事です。

そう、先ずは楽しんで取り組む事が基本です。

自分の目的に合わせ、自分のペースを大切にして取り組む。

趣味なんですから。仕事じゃないんですから。

もっと気軽に。楽しむ事を目的として。

テニスをやる人が皆、ウィンブルドンを目指す訳ではないでしょう?(笑)

 

武術なんか、趣味の一環に過ぎないですよ。

武術というものを冷静に考えた場合に、普通の人の人生から見て役に立つような物でもないし、それほどの価値がある物でもないのです。

それに至高の価値なんぞ見出しているのは、一部の人間です。

教える側が武術に人生をかけているからといって、他の目的で武術に取り組んでいる人にまでその取り組み方を強要するのは、先生の未熟さです。

私はそう考えています。

2009、10、2

 

第百三十七講

≪詳細は省きますが≫

 

私の背が低いのは、私を見知っている人ならご存知の通り。

この世界はデカいほうが有利です。だから階級性があるのです。

背の小さい人の中には、

「デカイのなんて大した事ないっすよ。こっちは速さでカバーしますから」

と言う人もいますけど、でかくて速い人、テクニックの凄い人もいるので、そう簡単な話でもありません。

 

私はこの小ささを克服する為、工夫をして来ました。

若い頃はやはりスピードで戦いました。

これは非常に効果的ですが、先にも述べたように大きくて動きの素早い相手にはちょっとキツイ(笑)。

色々な方法を模索して来ましたが、最終的に、その答えを中国拳法の中に見付けました。

それで私は中国拳法を選んだのです。

2009,10,16

 

第百三十八講

≪最後に勝つ!≫

 

弱者、特に女性が護身として、つまり身を護る術(スベ)として武術を学ぶのであれば、

離れての殴り合いも、組んでの対処も、寝技に持ち込まれた対応も・・・と全ての技術で勝てるようにと学ぶ必要はありません。

それよりも、“この形になったら相手が誰であろうと絶対に負けない”という得意手を一つ作るのです。

あれもこれもやったって、簡単に身につきはしません。

それに、相手と正面から攻防を繰り広げては、かえって警戒させてしまい、

必要以上の大怪我をする可能性すらあります。

劣勢だって良いのです。抵抗しないそぶりをしてるほうが、相手の油断を誘う事も出来るのです。

最後に勝てば良いのです。

そういう“得意手”を作り上げましょう。

 

武術は、そういう技の宝庫です。

2009,12,17

 

第百三十九講

≪中国武術と柳生心眼流の並習≫

 

本日は『指導日記』予告通りのお話し(笑)。

これまで何度か述べて来たけれど、中国武術と心眼流の両立は両方に本気で取り組んだら、これがなかなか難しい。

その最大の理由は、身体の使い方が異なるから。

同じ“柳生心眼流”でも、多くの派があるから、夫々の流儀によっても身体の使い方に違いはあるだろうし、

一口に“中国武術”と言ったって種々の流派があり、中には心眼流の身体の使い方と似ている流儀もあるので、一概には言えないのではありますけど(笑)。

しかしま、基本的には両者は大きく異なっており、中国武術、特に内家拳は心眼流の逆。 当然力の使い方も変わる。

並習している人はこの両立で悩むのでは?

私自身、一時期は両方の動きが邪魔しあって苦しんだから(笑)。

 

あたしゃ、この二つを両立させる為のキーを持ってます。

それは良く有るような、

“身体の使い方を混雑させ、オリジナルな動きに変える”

という方法ではなく、

違う二つを違うままに上達させる為の“切り替え”のキーポイントです。

 

それは、或る●●を幾つかの点に注意して行う事にあります。

この鍵を見つけるまで4年程かかったかな。

でもこの“切り替えの鍵”は、「習えばすぐに鍵となる」という便利な物ではないですけどね。

これを開錠の為の鍵とする為には、やはりそれなりの努力は必要です。当然の事。

 

この“キー”となる●●だけは、(詳しい事は置いといたとしても)

内家拳の套路を一通り憶え終わった生徒には取り合えず教えておかなくちゃな。←教えるの忘れてた。

心眼流みたいな太極拳、なんて見たくないからな(笑)。

 

自賛する心算は全くないけれど、この鍵はどんな名人であれど、心眼流だけやっている人や、中国武術だけやっている人には解らないんじゃないかと思います。

私は決して名人なんかじゃないけれど、両立に苦しむ中でそれを見つけた訳ですから。

これは私がエライという事ではなく、←いや、それなら嬉しいんだけどね

“私なら教えてやれる”、という自負を持てるのも、今まで良い先生方との縁があったからですよ。

こりゃー何とも有難い事であります。

 

 

身体の使い方の違いを話したついでですが、先ほど述べたように、心眼流にも色々あり、それぞれ力の使い方も異なります。

私が学んだ心眼流は3系統ですが、やはり全部異なってます。

専作伝は一寸毛色が違うので、ひとまず外しますが(笑)、同じ柳心館の支部である、南方と築館の心眼流を比較しても

両者は力の使い方も動きもかなり異なっています。

で、ですね。今迄も事あるごとに言って来たように(笑)、一般的な女性や、筋力の弱い男性には南方の型は厳しいかと思います。

並み程度の筋力と瞬発力では、キレと速度が半端じゃないあの独特の動きは難しいでしょう。

いえ、「無理だ」って言うんじゃないですよ。ただ、よっぽど努力しないと本質まではたどり着けない筈ですよ。

お気楽な取り組み方じゃ、絶対無理。

身体の使い方、角度、技の流れ・・・女性は築館の型の方が無理なく本質を掴める様に思われます。

これは、両方やった私が言うんだから間違いないよ(笑)。

一応、一応断らせてもらうけれども、これは優劣を語ってるんじゃないですよ。

共に個性が有り、違いがあるんだよ、って事を言いたいだけで。

学ぶ方は自分の個性や目的に合わせて選択すれば問題無し!です(笑)

自分のタイプに合った物を学べば、上達は早い筈ですから。

 

ま、武術をやる目的というのも人さまざまで、

「武術をネタにして遊びたい」って程度の目的でやってる方であれば、

動きが混雑してようと本質なんか掴めなかろうとどうだっていい話に違いないので、

そういう方は上の話は気にせず、読み飛ばして下されば。(*'-^)-☆

 

これはあくまで“少しでも上手になりたい”、と思ってる方向きのオハナシです。

 

・・・はい? ええ、プラス思考で読んで下さい(笑)。

2010,2,4

第百四十講

≪鍛えたいのですが・・・≫

 

「身体を鍛えたいのですが、どうすれば良いでしょうか?」

的な質問をされる事も結構あります。

 

套路や基本功で練り上げれば、武術的な身体は出来るのですが、こういう質問の場合はそういう意味ではなく、「筋力を鍛えたい」、との意味が多いようです。

そういう事であれば、筋トレの方が早いですよね(笑)。

筋トレというものも色々な取り組み方があるようですが、ジムに通うような、纏まった時間やお金が捻出できなければ、日常の中に鍛錬を含ませて行く事が大切になるでしょうね。

例えばですけど、

車を運転する人なら、信号待ちの時にハンドグリップで握力を鍛える事も出来るでしょうし、

昔から良く言われている様に、TVのCM時間を利用して筋トレするのも手でしょうね。

見ている番組のCMの時に腕立て伏せや、腹筋、スクワットなんかをやっている人は結構います。

テレビ見ながらタントウやってる人も知ってますしね。

↑タントウは“ながら稽古”での効果の程は知りませんけど(笑)。

 

因みに中国武術では鉄牛耕地という鍛錬法があります。

鉄牛耕地=腕立て伏せ、と説明される事が多いのですが、私は「鉄牛耕地と一般的な腕立て伏せは別物である」と教わりましたね。

私の教わった鉄牛耕地は一般的な腕立て伏せと違い、全身の筋肉を連動させて鍛える事が出来るので、

全身一致の打法を専とする打撃力向上にも、とても適しています。

 

それは兎も角、三日坊主にならん事が大切ですよね。

それが何より大事(笑)。

つい飽きちゃいますからね、日常の生活の中に習慣みたいに入れてしまう事です。

1~3ヶ月も継続すると、力の入り方が変わって来るのが実感出来ると思いますよ。

 

私が思うに、武術に限らず何かを上手くなろうとすれば、鍛錬を日常に含ませて行くというのは、とても大切な事です。

上で話した信号待ちや、電車の時間などを有効に利用するのも一つの方法です。

仏教徒なら信号待ちで呼吸を利用して心を整えるでしょうし(笑)、武術家なら同じ時間を使って武術的な鍛錬をするでしょう。

そうすると、信号待ちで苛立たなくもなりますよ。

“信号が黄色になったからそれ突っ込め!”ではなくて、“信号待ち時間に訓練しよう”と思えるからです(笑)。

・・・まあ、時間に遅れそうな時は誰だって焦るでしょうけども。

おっと脱線し過ぎたかな。

 

私の経験で恐縮ですが、

ある先生に「これが出来るように日常努めなさい」と“手の形”を指示された事がありました。

一見するとちょっとバカバカしいような、“これが武術に役に立つの? それにこんな手型じゃ実戦の時はやばいじゃん”

と思っちゃうようなモノなのですが、私は車の信号待ちや電車に乗っている時間を利用してそれを練習しました。

半年もやればその“手の形”自体は簡単に身につくのですが、同じ事を教えられた同門の師兄弟達はその練習をしていないのがすぐに解りました。

・・・といって、“手の形”が出来たからと云って、直ぐに技が上達する、などの効果は出ないのです(笑)。

“先生は重要だって言うけど、やらなくたって大差ないなあ”って思ってしまう感じです。

が、これが身についているか否かで5年後・10年後に差が出てくるのです。

私と一緒に武術を始めた同期は何人も居ましたが、今では殆ど全員が脱落しています。

その時は効果が感じられずとも、その時は自分の方が下手であっても、必要な事が身についているかで、後の結果が変わって来るのです。

そこを誤魔化している人は最初は何とかなっていても、年数が経つと基礎の出来ている者にかなわなくなるのです。

 

先生が「こうしなさい」と言う事って重要な事が多いのです。

先生もその道を愛しているのだから、生徒に嘘を教える訳がないのです。

(本当の事を教えない事が有ったとしても、わざわざ嘘を教えるなんて事はありえない)

必要な事は“必要だから”出来るようになりなさい、と教えているのですね。

 

まあ、電車の中や駅のホームで余りに本格的に練習すると日本ではいかにも変人なので(笑)、

やれる稽古ってのは限られて来ますけどね。

今はどこへ行くにも車利用で、公共機関を利用しなくなった私ですが、最初の頃は仙台へはいつも電車でした。

稽古の行き帰りに街中をうろうろするのも楽しいですよね。

ラーメン店を三軒ハシゴしたのも良い思い出です。

ラーメン三軒ハシゴって・・・我ながら良く食べられたなぁ(笑)。

 

 

あれ?

なんか最後には一寸話が変わっちゃいましたけど(笑)、合わせて参考になれば幸いです。

2010、2,19

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