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第百四十一講

≪爪は切ってね≫

 

スパーリングを行なうクラスに参加する人は、手足の爪は短く切るようにして下さい。

でないと練習相手の腕や足に傷をつけます。

時々腕や足から酷く出血している生徒を見る事がありますが、これは相手の爪で裂いているケースが殆どです。

楽器などをやっている都合で爪を短く出来ないという人は、稽古の前に爪をテーピング等で巻いて人にケガをさせぬ様にして下さい。

相手に思いやりを持って稽古に取り組んで下さい。

 

あれ? ・・・こんな話って、前にも何処かで書かなかった?(笑)

同じ話してたら、ごめん。

前回と言い、なんか『ひねもす』っぽいネタよねえ。

2010,2,23

 

第百四十ニ講

≪内家拳と外家拳≫

 

少林拳に代表される外家拳は、防禦用の動作と攻撃用の動作とが区別されています。

(勿論、例外もありますよ。)

 

それに対して、形意拳や八卦掌などの内家拳では、同じ一つの動作で、防禦にも攻撃にも対応します。

誤解を恐れず言えば、これは攻撃用の動作、これは防禦用の動作、というはっきりした区別がない、のです。
う~ん、誤解を与えるだろうなぁ(笑)。

攻撃と防禦が同じ動作で出来るのですが、細かく言うならば同じ或る一つの動作が時には防禦に、時には攻撃に使える、

というだけではなく、

一つの動作で防禦しつつ攻撃をする、という事も可能です。

 

これはキチンと内家拳を学んでいる人なら、誰でも知ってる通りで、今更説明の必要もないでしょう。

しかし、「さ、突いて来て下さい。この技はこう使います」という、

用法説明としてなら理論通りにやってみせる事が出来たとしても、“実際に”その通りに使うのは容易ではありませんよね。

これも真面目にやっている方なら経験済みでしょう。

 

攻撃には防禦をし、攻める時は攻める、というのが最も使いやすく、誰でもそういう風に出来ている(笑)からです。

だから少林拳的な技術から入るのが実用には早いのです。

 

このような内家拳の技法は、使えるようになってしまえば、非常に効果の高い技法です。

ですが、これを実用可能なまでにするには、修練が必要です。

身体(技)の変革だけでなく、意識の変革も必要になります。

套路(型)で身体を練り、

対錬で技の実際を練り、

スパーリング(自由攻防)で修練して行きます。

そうすれば、必ず身に付きます。

重要なのは正しい事を正しく教えてくれる師と、正しく手順を踏んだ稽古内容です。

 

私自身、今後も修練を重ね、目標とする所へ達したいと思っています。

2010,5,31

 

第百四十三講

≪昔からそう聞きますが≫

 

大きい者なら身体が大きいというだけで少々技術が粗くたって勝てる。

小さい者が、ある程度稽古している大きな者に勝とうと思ったら技の精度、良くコントロールされた動きが必要である。

これは実際にやっている者なら実感している事だろう。

何事にも工夫と努力って必要なんですよね。

…「努力」って言葉、聞いただけで具合悪くなりそうですが(笑)。

 

嘘か真か「名人は小さい人に多い」と言われますが、それが本当だとするならば、

小さい人が上手くなる為には一つ一つを丁寧に身に付けねばならない所に、その理由が有るのかも知れません。

 

でも私は、単に小さい人が名人だと

「あんな小さな人が!」

と目立つだけの事で、実は名人の比率(?)は大小そんなに違わないのでは?と思ったりもしてますが(笑)。

 

 

と、ここまで書いてて思い出した話が有ります。

随分前に読んだ話なので、正確な内容は憶えていないのですが、

(多分、お話しされていたのは大気拳の先生だった記憶がありますが・・・もし、間違ってたらごめんなさい。)

こんな感じの話でした。

「小さい人は大きい人と比べて、生まれながらに貧乏みたいなものだ。

小さいというのは、武術では貧乏なのと同じだ。

だからこそ、貧乏な人は金持ちになってやろうと工夫し、努力する。

しかし元々の金持ちは金持ちになろうという意気込みが薄い。

だから小さい人に名人が多いのだ。」

だそうです。

・・・う~む、言われてみれば分かるなあ。

何かの参考になればと思い、記憶をたどって紹介してみました(笑)。

2010,4,12

 

第百四十四講

≪故障しないためにも≫

 

やわら(古流柔術ね)で関節技の練習をする際には必要以上の力を込めずに行なって下さい。

力を入れずに稽古するのは、正しい手順と力の使い方を学ぶ為。

それと、故障(怪我)を防ぐ為です。

 

私が柔術を習った道場では、受けも取りも双方フルパワーで練習しました。

おかげで、力自慢に押さえられて外せない、抵抗されると技を掛けられない、等という、みっともない(?)事は有りませんでしたが、

その分、多くの修行者が早い段階で肘や手首などを痛めてしまっていました。

私の先生も、若い頃からの荒い稽古で随分痛めていた様で、

「顔には出さないけれど、腕が痛くて動かない時がある」

と言っていました。

 

私も時々、何でもない様な動作をきっかけに古傷が痛んでしまい、数日動かせない時があります。

 

これを避けるには、力を入れないで練習する事です。

「力を入れずに稽古しなさい」と言われたとしても、大体の手順を憶えると、どうしても次は力を入れたくなりますが、

ある程度しっかり力の使い方を覚えるまでの数年はムキになって筋力に頼らないようにしましょう。

こういう筋力(へったクソな力のいれ方)を“拙力”といいます(笑)。

ポイントや力の使い方を憶えてしまえば、相手の様子を見ながら最小の力でちゃんと効かせる事が出来るようになります。

 

こういうやり方をしていれば時間はかかります。が、どっちにしろそう簡単に身につく物でもありませんし、

どうせなら怪我のないように上達して行く方が良いではありませんか(笑)。

 

又、先輩が初心者に技を掛ける際には充分手加減しましょう。

技に怒気をこめるなど、とんでもありません(笑)。

初心者に関節をかけさせる場合は、効いていないからと言って長く一つの技を掛けさせない方が良いです。

気付くと酷く痛めていたりする事がありますから。

 

確かに武術、武道の稽古には身体の故障がつきものです。

でも、どこも痛めず上達できれば、それに越した事は有りません。

有事の時に“痛めていて動かせなかった”ではシャレになりませんし。

 

若い内は“なぁに、そんな事”と思うかも知れませんが、ホントにこたえますよ(笑)。

丈夫で長持ち!これが基本ですよ。

2010,6,18

第百四十五講

≪例えば、ですけれど。~枝葉のお話~≫

 

実戦では軽い打撃では通用しない事が多いので、

ワンツーのジャブであっても相手の頭を吹っ飛ばせるように訓練しなければならない。

(ボクシングの人に言わせると、そういうのは「ジャブとは言わない」そうですが。)

 

でもま、軽いジャブでもそれを目突きに変える事で、かなり効果は変わる。

相手は素人なら尚更、少々やっている人でもどうしても実際となると力むのでモーションが大きくなります。

解り易く言うと、先ず足が出、そして身体、それからパンチが飛んでくる事が多い訳で。

こちらは稽古してるから、相手のパンチより速く目を突いてしまう方法がある。そこからツーに繋いでもいい。

武術をちゃんとやっていると徐々にワンツーは必要なくなる。

けれど、こんな事からも、なんでも出来た方が良い。

 

目突きはファーストコンタクトに限る、と言う人もいますが、

それは恐らく“目を突く”という考え方に拘って、技の可能性を限定してしまっているのではないでしょうか。

ちゃんとした使い方さえ知れば、戦いの最中でも当てる事が出来ますし、むしろ最中でも狙って行くものです。

勿論、これにはちょっとしたコツがあるのです。

2010,7.11

 

第百四十六講

≪拳サポーターって、あれだべ?≫

 

スパーリングの時には拳サポータをつけますよね。

え? 何故かって?

相手に怪我をさせない為です。

 

拳サポをつけているのに、掌で打っては拳サポの意味がありません(笑)。

実戦では顔面を掌で打つのは正解の一つです。

与える衝撃の強さだけでなく、相手の歯で拳に裂傷を負う事も減る上、指で目も狙えますし、髪や耳を引いてくることもできます。

しかしスパーは互いに怪我をさせずに上達する事が目的です。

実戦ではなく、あくまで練習法の一環です。

さっかく拳サポを着けているのですから、サポーターの着いた拳で当てねば、なんの為のサポータでしょうや?(笑)

掌を使うのであれば、最初から拳サポータは要らないでしょ?

 

それとね、スパーでは軽く拳サポ部で当てるようにします。強く殴ってはダメです。

サポーターが着いていると効かない、などと考えて強く殴ってしまっては、これまた着けていないのと大差ありません(笑)。

余裕がない内は拳サポでゴン!と殴ってしまいますが、慣れて来たらふわりと当ててやる、充分な手加減が出来る筈です。

手加減の下手な者に上級者はいませんからね。

よくよく考えてね(笑)。

2010、9、19

 

 

第百四十七講

≪武道・武術と、段。≫

 

戦後の日本では芸事のレベルを段位であらわす事も多いです。

この制度はレベルや年数が解りやすく、私も賛成です。

 

さて、初段になると武道の世界では黒帯を締めます。

これは、「元々白かった帯が長年の内に汚れて黒くなる」事を表現した、と聞いた事があります。

 

黒帯を締めていれば、素人目にも「この人は一定以上のレベルなんだろうな」 と解りやすいこの制度。

しかし、流派や先生によっても、初段を与える規準は夫々であり、全国統一(笑)はされていないのが現実です。

週三回の稽古に二年出れば初段を貰える流儀もあるそうですし、そうかと思えば、5年やっても貰えない流儀もあるそうです。

これら全て、先生(会派トップ)の考え方です。

 

或る空手の先生は初段の条件を、

「料理を作るのに、良い材料を集めれば初段。

その食材を和食にするか中華にするか、洋食に作り上げるかは、そこから先の各自の工夫」

と言ったのを聞いて、なるほど、と思いました。

 

私の弟子(茶帯)は、初段を「素人には負けないレベル」が相応しい、と言った事があります。

これも良い意見です。

「素人に負けないレベル」というと、「そんなの当たり前じゃん」と思う方も居るかと思いますが、素人もピンきりです。

中には武道なんかやってなくても凄いのもいますからね、

武道やってる者より遥かにポテンシャルの高い素人も居ます。

なので、この条件をクリアするというのもそう簡単じゃないって事なのです。

 

さて、私の考えです。

ある一定以上の腕力の強さは必須です。武道ですからね。へちょへちょじゃ初段なんてやれません(笑)。

お習字だって何年やってようが、字が下手じゃ初段なんて貰えないでしょう。

それと同じ様に武術・武道ですからね、余りに弱くちゃ話になりません。

んじゃ、強けりゃ良いのか?といえば、それだけではダメです。当然です。

強くなればこそ、思いやりも欲しい。

例えば(ホントーに卑近な例えですけど)スパーリングの時に、初心者に対して先輩として充分な加減が出来なきゃダメです。
その位の余裕がないと。

後輩を上達させてやろう、という位の気持ちが持てない奴はダメです。

自分の強さを頼んで弱き者を潰すような、そんな者に武術をやる資格はないのです。

又、どのような形であれ、その者にとって武術・武道が良い意味での生活の糧になる、そうなればもう黒帯の資格は充分あります。

 

「初段とは、一番最初に戻る事。初心に還る事」。

という言葉は良く聞かれます。

 

弱くては到底、初段の実力はありません。

強いだけでも、初段の資格はありません。

武術・武道を学ぶ事、それが人生にどう活きるか。これが初段の資格です。

 

私は、そう思っています。

同じ黒帯を締める者として。

2010,10,17

 

第百四十八講

≪武術が本当に役立った事とは≫

 

「武術が実際に役に立った事がありますか?」 と聞かれる時がある。

この手の質問をする人は、恐らく、武勇伝が聞きたいのだろう。

 

20年以上、武術をやって来て、本当の意味で役に立ったと思った事が一度だけある。

もう、随分昔の話だ。

 

それは、娘が小学校入学間もなくの事。

共働きの我が家は、学童保育(学校終了後、夕方まで子供を預かってくれる)に預けることにした。

ある日、私が迎えに行くと、気の荒そうな男児に娘が追い回されていた。

娘は迎えに来た私に気付くと、飛び付いてきた。

追い回されていた時は、気丈にも楽しそうな素振りを見せていたが、精一杯だったのだろう。

私に飛び付いた娘は、涙を一筋こぼした。

私に抱かれている娘をなおも打とうとする男児には、

「男が女の子にその様な事をすべきではない!」 と一喝した。

後日、その件については保育責任者に詫びられたが、

「まぁ、生きていればそういう事も経験するものなので」と返事をした。

穏やかな性質の娘には、キツイ居場所だろう。

「学校は楽しいよ。でも、学童が大変」 と漏らしていたと云う。

娘には、「何か困ったことがあれば言いなさい。何とかしてやれるからね」

と言っても、口を開かない。

また別の日、同様の状況に遭遇したので、

“これはもう、私が子供達に影響を与えるしかないな”と考え、

ある日仕事が早く終わった日に、学童保育の教室に行き、

「みんなに今から色んなキックを見せてあげよう!」 と、

「前に蹴るから前蹴り。横に蹴るから横蹴り。回して蹴るのが回し蹴り。後ろに蹴るのが後ろ蹴り。そしてこいつが旋風脚だ!」

とやって見せたら、子供達の目の輝きといったらない。

あっという間に子供達に囲まれて人気者のオジサンとなった。

その後も時々顔を出しては、心眼流のムクリで全員を回してやったり、

両腕に掴まらせてメリーゴーランドをやってあげたり

(これは片腕2人、計4人が一度に回せる限界。私の筋力の限界ではなく、人数が多いと上手くしがみつけず、子供達の手が離れてしまうのだ)、

キックミットを持参して叩かせたりした。

ある時は友人に頼んで心眼流の演武もしたりと、一年間は遊んでやった。

初回のキック以来、娘は一目置かれる存在になり、学童の中でも無事立場が確立したようだ。

更にその一年後、娘を追って入学した息子は、“その弟”という事ですんなり馴染んだようだ。

もう私の出番はなかった。

 

これが、私にとって最も武術が役に立った出来事である。

戦って身を守れたあの日のことも、確かに役立ったと言えるかも知れない。

しかし、それは人に傷を負わせたり、誰かにイヤな思いをさせる事でもある。

 

誰をも傷付る事無く、しかも皆が楽しくなる。

これこそ真に武術が役に立った、と言える事だろう。

 

私は殆ど家には居らず、普段全く父親らしい事もしていないが、この程度の役には立てた。

武術が役に立つ、というのはこういう事である。

 

何が言いたいか、きっと解って貰えたと信じる。(笑)

2010,10,31

 

第百四十九講

 ≪誰の話というのでもなく≫

 

その人は拳法を学んでいた。

もう長い期間、稽古を積んでいた。

ある時、見知らぬ体格の良い男にからまれた。

若い拳法家は引く事を嫌い、一触即発。

体格の良い男が殴ろうと一歩踏み込んだ。

若い拳法家も踏み込んで殴った。

拳法家のパンチが綺麗に決まり、体格の良い男は後ろへひっくり返った。

ひっくり返った男の手元に、小さめのナイフがあったのを見て、

若い拳法家は急にぞっとした。

 

 

今これを読んでいる貴方は、

“彼は拳法をやっていたから助かった”と思うだろうか。

否、そうではない。

拳法をやっているからこそ、腕力に自信があるからこそ、わざわざ危険を冒したのだ。

彼は拳法をやっていなければ戦わなかっただろう。

普通の人がする様に、謝ってその場を収めただろう。

上手く逃げたかも知れない。

そもそもチンピラに絡まれるような雰囲気を滲ませていることもなかっただろう。

 

これは決して武術が役に立った、とは言わない。

 

 

今回の話が前回の話と対を成しているのは、読者は既にご存知の通り。

2010、11、7

 

第百五十講

≪まずは手近な目標設定≫

 

“いつも三日坊主で・・・折角始めた事も続かない”とお嘆きの方は結構多いらしいですね。

今日はそんなアナタにお話しです(笑)。

 

私は武術道場主宰ですから、武術の事を例に話を進めますね。

 

時々思うのですが、見学に来て体験稽古をしてせっかく入会したのに、1ヶ月や2ヶ月で辞めてしまう人もいるけれど、

それって余りにもお金が勿体無くはないでしょうか?(笑)

仕事の時間が急に変わった、とか、転勤になったとかいう予測できなかった事情であれば別ですが、

“その時はその気になってやってはみたけど、週一通うのしんどくなった”

的な理由なら、最初に良~く考えてみれば、自分に続けられるか解るんじゃないかな?(笑)

 

武術に限らず、習い事を始めるに当たって、先ずは自分なりの目標を決めると良いですよ。

“帯に色がつくまではやる”とか、

“相手の攻撃をかわせる様になるまではやる”とか、

“発ケイが出来るようになるまでやる”とか、

“興味のある拳種を一通り覚えるまではやる”とか、

“風邪をひかなくなるまでやる”とか、

“自分に自信がつくまでやる”とか。

その人それぞれで様々な目標が設定できると思います。

 

最初っから、“ずっと続けるぞ!”なんて思うと息切れします(笑)。

最初からそう思えるのはよっぽど好きな人だけです。

だから先ずは手に届きそうな目標から設定し、それをクリアしてみましょう。

決めた目標を一つ・或いは二つとクリアして行く内に、自分に自信もついてくる筈ですから。

 

 

武術を始めるに当たって、漠然としたイメージを持っているよりは、小さくても具体的な目標を持っているほうが続く様です。

2010.12.8

 

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