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★皆さん、今年は上達しましたか?

“今年は〇〇を憶えた”、“〇〇が出来る様になった”といった実感が毎年あると、楽しさも増すんじゃないでしょうか。

来年も(とりあえずの)目標を持って取り組むと、良いんじゃないかと思います。

 

年始は更新が遅れそうな予感がするので、未掲載ネタを以下にずらずら並べてみます。愚にもつかない話ですが、良ければどうぞ。

はい? すみません。手抜きです。よろしく。

 

 

 

★テレビも見なくはなりましたが・・・

『ブラタモリ』が好きでございます(笑)。

主に月曜昼間の再放送で見てますが。

去年の正月は『ブラタモリ』の連続放送があったので、仕事の合間合間に見ましたが、今年は再放送、あるのかしら?(^^)

 

 

 

★年賀状・・・

現在、道場に通ってくれている生徒さん達や、何度か住所が変更されている方には送りませんでした。

届けば追ってお送りしますので、宜しくお願いします。

ま、毎年ながら寺で使っている年賀葉書なので、貰っても嬉しくも何ともないと思いますけど(笑)。

 

 

 

★仙台道場の金・土のクラス・・・

金曜と土曜では稽古内容が全く違っています。

型(套路練習)と打撃(実戦練習)、これは車の両輪であり、可能なら両クラスへの参加をオススメしています。

両クラスに籍を置いたからといって、毎週2回必ず道場に出なきゃならない、と息張る必要はありません。

(強くなる事が目的の若人なら週2回以上出るのを薦めますし、2回出ても体力的な負担はないでしょうが)

両クラスに籍を置いておけば、

“今週は金曜に行けないから土曜に道場に行こう”とか、

“今週は時間・体力的にも大丈夫だから2夜参加しよう”とか、

自由な感じの取り組み方が出来る様になります。

大人の楽しみとしての習い事なら、そういう気楽な取り組みが出来るのも悪くないでしょうからね。

2クラス出たとして月謝もそう大きく違う訳でもないですし(笑)。

 

 

 

★説は変わって行くから・・・

 以前より言われていたBMI適切値が(20代の若者なら兎も角)間違っている、と言われ始めている由。

最近では「すこし太ってる方が長命だから、脂肪も摂りましょう」だってさ。

んだべ。言わせて貰うけど、昔から言われている事の方が、体験の積み重ねから当たってる場合が多いんだって。

(その理論根拠を科学的に検証するってのは重要だけども)

んだから、俺ぁ昔っから学者の言う事は眉唾で聞いてんだ。学者が研究室で何ぞやってる事なんか、試論に過ぎないって。

(下手すっと研究費を出してるスポンサーの意向だってあるらしいぞ)

そんなんに踊らされている連中はお気の毒さまだなぁ、と思ってさ。

年寄り達は、昔っから「小太りの方が丈夫なのっしゃ」って、言ってんだからよ。

信頼できるのは机上の理論より経験の言葉、ですからね。

・・・おっと、これは私が自分のデブを擁護してるってワケぢゃないのよ、決して。むぷぷ。

 

 

 

★市民運動・・・

「戦争反対!」 「戦争はイヤだ!」

って、シュプレヒコールを挙げてさえいれば戦争にならんのだったら、意味もあるんですけどなぁ(笑)。

 

 

 

★でなきゃ問題だ・・・

一昔前は中国武術といえば“発勁”が看板だった(今もそうなのかは知らない)が、

発勁なんかできなくったって戦える、というのが“武術”としては当然、出来が良い。

「発勁や化勁が出来なきゃ戦えない」というんでは、武術(戦いの術)としては大問題だべ?(笑)

強烈な発勁や完璧な化勁などを追求するのは正しいし必要だけど(楽しいしね)、“武術”なのだから、

それ以前に“戦う為の技術”が重要であるのは言うまでもないのです。

発勁力(平たく言えばパンチ力だな)が弱かろうと、化勁なんかが使えなかろうと充分戦える、

ってんでなかったら、どーしょうもないべした(笑)。

 

 

 

★先年、家族を亡くした友人の話より・・・

残された側には心をこめるしかないけど、“供養”という具体的な方法がなければ、どうやって良いのかも解らないかも知れないもんね。

そういう意味で、供養と言われるもの、例えば読経や焼香、墓参や花などを捧げる意味が解った方が良さそう。

うん。

供養も最後には心(真心)だから、意味が解った方がその真心を込めやすいだろうからね。

 

 

 

 

★褒めて伸ばす?

「褒めて伸ばす」という方法が最善だと言われて久しいのですが、私はそうは思わない。←おっとぶち壊し。

あくまで当人(教わる側)の性格と、芸事(競技?)の種類によりますよ、そんなもん。

褒められなきゃ努力できない、なんて奴はね、どんどん辞めれば良いのですよ。

・・・ま、学生や企業の部活動などで“結果”を求められているコーチであれば、褒めてでも伸ばす!

という必要性もあるだろうけども。結果出せなきゃクビになっちまうもんな(笑)。

 

まぁ、「何でもサジ加減だ」っていう意味でなら、「褒めて伸ばす」も解りますけどね。

・・・この「褒めて伸ばす」については、いずれ改めてネタにする。怒ってんじゃ、ワシャあ。

 

 

 

★今風の言葉・・・

フルボッコ(ボコる)、うざい、マジ? やばい。←既に古い言葉みたいね(笑)。

こんな言葉が世間を大股で闊歩しており、非常に嘆かわしいのであります。

私は大人でこの類いの言葉を使う人を信用しないのです。いい年をして、そんな言葉を使っている人を見ると、

「大丈夫なの?」「低脳なの?」「仕事ちゃんとできてんの?」と疑ってしまいます。

私みたいなおバカに“低脳ですか?”なんて言われたら、心外でしょ?(笑)

そりゃ私も『正しい日本語を使え』だなんて言われたら全く自信はないですよ。

丁寧語、とか謙譲語とか、尊敬語、とか難しいんですもの。←丁寧な言葉を使おうとすると噛んだりして(笑)。

何より「言葉は遥か昔より時代と共に変化している。正しい言葉なんてのはない」という意見にも、それなりに納得してますし。

けど、限度ってものがある、と思うのですよ、流石に。

例えばですけど、若者やそれに類する一部でしか通用しないスラングの様な言葉が、果たして言葉でしょうか?

意思疎通の役に立たない物は“言葉”じゃないでしょうに。

で、そんな若者の汚い言葉を、世間(マスコミか)が取り入れて真似する、だなんてのは私に言わせりゃ話の外としか言えないですよ(笑)。

テレビで、そういった言葉を使うタレントが出てる番組は見ません。公共の電波でそんな言葉を流すなんてのは、

意識の低さの表われですよ。でなきゃ、若者におもねってるか、だね。

例えばですが、

「メッチャ腹を空かせて食べる〇〇は、もうヤバイっす」

は、日本語じゃねーーーだろ(笑)。

 

使う言葉のキチンとした人は、美しく見えるものです。

とりあえず、「やばい」って言葉から使わないように一寸だけ気をつけてみては?

慣れれば使わないのは簡単ですから。

・・・とは言うものの、そういう言葉を使ってても嫌な気分にさせない人柄のヒトっているのね(笑)。得なキャラクターよねぇ。

 

 

 

 

★宗教法人でないからこそ・・・

当寺院の紹介文に「宗教法人には属さず云々」との一文があります。で、「それって何なの?」について。

その為、檀信徒の方々へ寄進等を強制する事なく、個人の力で運営しております。

ってこってすわ。

 

 

 

 

★古い武術は、型を中心とするその体系の中から何を引き出すか?は当人に任せられているものです。

これが現代の格闘技ですと、何に対してどう戦えばいいのか?を直裁に習います。

この差が、実際に試合をしてみると現代格闘技の人に古武術の人がナカナカ勝てない理由の一つです。

古い武術の中で現代格闘技の練習者と試合をして勝てる人は、武術の体系の中から現代格闘技との戦い方を

引き出した(引き出せた)人だと言えます

なので、古武術と格闘技を両立している人や格闘技出身の古武術家は、その引き出し方が早いかも知れません。

 

 

 

 

★狂牛病って何故起きたの?・・・

先日親族に牛乳のハナシをしたら、

「あれから牛乳を飲むのを止めた。豆乳に変えた」

と言うので、笑った。

 

 

 

 

★「本山で修行を終えても地方寺院では役立たずだった私は・・・」について。

本山で修行して来ても、ご祈祷と鑑定(姓名・方角・家相・相性・時節など)の活動が中心の祈願寺院ではやり方が違うので、結局は一から学び直さねばならないのです。

例えば地鎮祭でも、大本山は数名のサポートがついて行なう方法(最低でも2名とか)ですが、地方では「地鎮祭ぐれー一人でやれ!」なので、やり方が違う訳です。

一人で間に合うって事は、一つの寺に一人の坊主がいれば良い訳で、若僧なんか居なくても良いのです(笑)。

これが葬儀と供養、法要中心のお寺さんなら本山で修行して来た内容そのままで即実践の役に立つのでしょうけど。

 

と、本山と言えば年末、こんな事がありました。(以下↓)

 

 

★本山が言うには、私の住所が未だに本山内になっているとの事。

住所変更用紙が送られて来たので、住民票など添えて返送。

変更用紙には“師僧の署名捺印”の項があれど、本山まで行って捺印を頂くのは無理なので、そこは白紙で送った。

すると「師僧の署名捺印がないと受理できません」と送り返されて来た。

・・・だが、しかし、だ。

僧階を有する者が毎年強制的に払わされている“教師義納金”の請求は、ちゃんと現住所(石巻)に送られて来ている。

だのに、住所変更は課が違うから別に申請を、とはどーゆうこっちゃ。

被災から立ち直ったばかりで、まだヒーヒー言ってる俺に住所変更の為だけに和歌山まで来いってのかい?

流石に人のいいアタクシ(?)でも「バカなの?死ぬの?」とまで言いかけましたが、

電話応対の相手のセイではないので、飲み込んだ次第(笑)。

 

本山に住所が残っていて仕事上で困った事は一度もない。

だから、知らん振りする事にした。バカくせぇったらねぇ。

 

 

 

★「親の言う事は聞いておいて損はない」

と、昔から良く言われるのです。

我が子を不幸にしたいと思う親は(一部の例外を除いては)居らず、幸福を願っての事なのだから、当然でしょうな。

 

けれど気掛かりなのは、今のゲームと携帯で育った人が親になった場合には、どうなるか分からないって気がします。

事(問題事とか)に当たってどうしたら良いのか、どのようにすれば問題なく過ごせるのか等、子に教える事が出来る様になるのかしら。

 

 

 

★日本武道(古武道)と中国武術は、身体の使い方が大いに違っています。

“ええ~そんなの嘘だぁ”と思うヒトは、比べて見ると良いですよ。

例えば合気道や古流剣術と、中国の拳法や武器術の姿勢なんかを。

腰の入り方、胸の張り方、腕の伸び方、肩の位置まで全部違いますでしょ。

これを両立させる、つまり両方学ぶってのは至難ですよ。

 

私は心眼流までは何とか両立させたのですが、近年、Y先生に色々な日本武道、特に剣術を教えて頂くようになって酷く大変な思いをしました。

余りに違い過ぎて、結局、練習できなくなっちゃうんです。

で、教えて下さった先生や、その伝承の方々、そしてその流派自体に申し訳ないんですけども、もう、中国武術の身体遣いで日本の刀も抜く事にしました。鋭意、工夫中です(笑)。

という事なので、すみませんが、皆さんは私の動きを真似しないように。是非。(笑)

 

 

 

★例えば、どんなに良い先生と弟子、例えば技術の高い先生と覚えの良い弟子であっても、弟子が名人になるとは限らない。

これが師弟の“相性”なのっしゃ(笑)。

 

 

 

★クソバカヤロウの友人め・・・

以前述べましたが、「お前は女の歌手しか聴かない」などと悪い(ホントに悪い)友人にヤユされたので、その後の御札書きはミニー・リパートンはやめにしてエルビス・プレスリーにした。

『好きにならずにいられない』や『マイウェイ』はホント相変わらず痺れますわね。

・・・俺だって昔買ったCDを引っ張り出して聴いてんだから、「男が少ない」なんてバカにされたって困るんだよ。このクソバカ。

それに元々、女の歌声のほうが好きなんだからよ、男のCD数がすくねーんだっつうの。

↑あ、それをバカにしてんのか。チキショーめ。

 

 

 

★宗教テロ・・・

外国のアチコチでテロが盛んです。去年フランスでも無差別テロがありましたが、これもイスラム系の犯行が疑われているそうですね。

この事件の前に起きたテロでは日本人も犠牲になりました。それを受けて「私は日本人だとテロに言っても殺害された事にショックを覚える」と言ったコメンテーターがおられましたが、イスラム教徒から見たら無宗教だと言う日本人は“悪魔の手先”なんだと思いますよ(笑)。

今はイスラム教の敵であるキリスト教等が狙われている様ですが、今後はいずれ日本人がターゲットにされていく危険はあるでしょう。

「イスラム教はもっと穏健だ」との意見もありますが、「他の神を信じる者は殺せ、他の神は壊せ」というのが本来のイスラム教の教えだそうですから、実は“穏健派”という人々の側が現代に合わせて変化しているみたいですよ。

イスラム教は平等主義を謳っていて、それは真実らしいのですが、それはあくまで“イスラム教徒同士”だけに通用する平等らしいです。イスラム教徒になれば、その中では人種も職種も無関係に平等になれます。故に人種差別で苦労している黒人や有色人種の改宗者が増えているんだそうです。なるほど、ですね。

 

 

 

★インスタグラム・・・

当会の生徒さんがインスタグラムを始めてくれました。道場の写真もありますが、猫の写真なんかもあるのがイイ感じです。

でも、私が映っているのはどれも、“生徒より先に技が終わって「お前ら~出来てるかい~」と気を抜いて振り返った姿”とか、

“鼻を拭いてる姿”だとかばかりで、我ながら“ワシ、何をしとんねん”といった感じのモノばかりです(笑)。

ま、普段のワタクシ、ですわね。

 

 

 

★相変わらずご心配頂いてます、体調について・・・

食事などに気をつけて来たせいか、この頃、少し調子が良いような感じがしています。

随分酷い状態でしたが、病院にもかからず治せたとなれば、これは凄い事だと思っています。

・・・ま、まだ途中経過なので「治る」とも「治らない」とも言えないのですが(笑)。

とは言え、友人が「貧血みたいだよ」と調べてくれなければ、私自身は身体に出ている症状から

“心臓系かな?呼吸器系かな?”と思っていただけで、どこかで無理して倒れていた可能性もあります。

なので調べてくれた友人には本当に感謝です。

最近は道場での準備体操や基本功中に、途中で貧血が起こって場を離れるという事がなくなりました。

これは大きな回復だと思います。(ハードな動きの最中にはまだありますが)

しかし回復しつつあるとはいえ、不調だったこの1~2年の間で体力がすっかりなくなり、

今は貧血症状が出る前に体力不足で厳しくなります。土曜クラスでの動きは、特にまだ厳しいです。

貧血が落ち着いて来たら、先ずは体力を戻して行こうと考え、今、

“この俺がこんな事からやっているのか・・・”と思うほど、基礎的な体力作りから再挑戦しています。

身体の調子を見ながらゆっくり一つずつ、ですが。

体力が戻って来たら、次は目(反射神経など)や速い動きを取り戻して行く心算です。

今後2~3年を回復目標にして、努力している最中です。

まだ技は持っており、その点は自信があるので、体力と目が戻れば又“やれる!”と考えています。

最後まで武術家であろうとしています。

まだ、伝えていない事が沢山有りますしね。

病気をしたお陰で、一から洗い直す事もあるし、体力に頼れなくなった分工夫して取り組まなきゃなりません。

そういう意味では、向き合い方によって更なる上達に資すのではないか、と考えてもいます。

ええ、案外、プラス思考なんです、私(笑)。ちゅうか、そう思える位、武術に関しては自分に自信があるんでしょうな。

 

それにしても病気ってのは怖いもんですな。数十年も掛けて積み上げて来た物を一辺で奪うのですから(笑)。

 

 

 

・・・って、まだまだネタはあるんですが、こんなもんでもう充分ですよね。辟易したでしょう?(笑)

昔から、「申(猿)年は荒れる。酉(鶏)年は火事が多い」と言われるそうですが、ホント、火事が印象に残った一年でした。

来年は戌年。ワタクシ、年男でございます。さて、どんな一年になるでしょうや。

因みに、来年の仙台道場は12日(金)からです。又来年も楽しく稽古しましょう! それでは皆さま、よいオトシをば。

 

 

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前回、“脱力”の話をしたついでに。極論・Ⅱ(笑)

一時期、“ねじらない動き”というのが耳目を集めていました。

その後間もなく「ねじりが力を生む」などという特集が武術雑誌であったりもしました。

で、“どっちが正しいの!?”と戸惑う必要はありません。

そんなもんですよ。所詮は流行なんですね。

だから時々の話題を追いかけずに、どれか一つをしっかり身に付ければ良いのです。

あれこれ齧って上っ面だけになっちゃった。情報は沢山持ってるけど・・・という状態では、結局は一つの道を究めている人にはかなやしません。

「だから本物をやってる人間は踊らされねーんだっつの」というのが、専門家の言葉です(笑)。

 

私見では(例外はありますからね!)、日本の伝統武術はねじらない動きの流派が多く、

中国の伝統武術はねじる動きが多い様です。(これは服装等による文化の違いに思われます)

なので、「ねじらないのが良いんだってよ!」と、中国武術修業者が真似をした所で、

動きの原則が違うのですから、全く無意味、もっと言えば正しい動きの阻害にしかならん訳です。

こういう意味でも、前に述べた様に、自身の先生の技量が満足なものならば、矢鱈と他を追い掛けない方が良いという事になります。

 

結局は、どんなやり方にも一長一短があって、その優点をクローズアップすれば魅力的になるのです。

どっちかが良くて、どっちかが悪いなんて事じゃないんですよ。

理屈先行型だと、その辺に上手く乗せられちゃいやすいものです。

中国武術と日本武術のように、身体運用の異なるものを並習する時は、混雑しない様に

キチンと分けて練習する必要があるのです。・・・それだけに並習ってのは難しいのよ、って事になりますけど。

 

 

 

12月23日(土) 仙台教室・拳法(打撃)基礎クラス

★威力(パンチ力)が強い、と言われる八極拳や形意拳は、何故縦拳なのか?

を考えてみると良いですよ。

 

さて、今夜の道場にはS木君、高校生I藤君と金曜クラスのY田さんがお子さん連れで見学に。

①準備体操 ②基本各種 ③反応訓練・防禦練習 ④外家拳技術 ⑤歩法 ⑥約束組手 ⑦柔術(逆取) ⑧スパーリング

で2時間の稽古。

見学のY田さんには練習内容(技)の説明をしながら見て貰いました。如何な技にも広狭・深浅の数段階があり、上の段階を習うと動きが全く別物になったりもします。

というワケで、今年最後の稽古でした。また来年お会いしましょう!

Y田さん、お酒をご馳走様ですm(__)m

 

 

今日は暇な土曜・・・あ、仏滅かい。明日日曜は大安、どうりで明日は忙しい(笑)。

この数年、年末の“新宅祓い”や“仏壇・神棚の入魂”依頼が増えたのは、被災者の家屋建設完成が年末になるからで、

漸く去年位に区画割りも決まって再建に着手できましたって人も多いからの由。

そんな訳で忙しい明日・24日はクリスマス・イブ。クリスマスにお祓いや祈願をして歩く、ってのも気分としてはちょいとアレだが、

移動の車内でクリスマス・ソングなぞ流しつつ、皆さんの代わりに私が言ってみましょう。「メリー・クリスマス!」

↑同様のネタ、去年か一昨年にもやったぞ。いいのか?おい。

 

 

 

12月22日(金) 仙台教室・套路(型)クラス

今年最後の套路練習日。S島さん、S木君、H君、K池君が参加。

私が道場に入ると、S木君が業務用掃除機で清掃中。何でも「一年の最後なので道場を掃除しようと掃除機持って来た」と言う。ご苦労様でした。

さて、20時。

天の型と、八卦截脚の対錬を復習。対錬の型を憶えている人は力の運用も意識して練習。でないと実用にこぎ着けないっすよん。

正宗太極拳の套路。今夜は十字手~拗歩倒●(漢字出ない)候(正字はケモノヘン)までを復習。

K君が「ラン雀尾の用法を“気です”と言って説明した太極拳家を見た」と言うので、その技を指導し皆で練習して貰う。「気」などとは言わない私も簡単に出来ます。技術です。

棍(棒)の実用練習(モドキ)。2人組みで。楽しそう(笑)。←この辺は「取りあえず、習うより慣れろ」(笑)。

専作伝心眼流の組取を稽古。型を憶えている人は上伝まで。仙台版と東京版の型の違いも面白い。

整理体操をし、10時20分頃に今夜は稽古を終了。

 

 

 

 

極論しますが。

一時期、“脱力ブーム”がありましたね。猫も杓子も「脱力」を説いてました。

そんな頃(もう随分前ですけど)、確か『ひねもす』に、

「脱力、脱力ったって力を抜けばそれで何でも出来るって訳じゃないよ。脱力は全身を繋ぐ準備。それに昔の人は体力が今の我々とは段違いにあったんだよ。俺達の親世代を見たって解るじゃん、そんなの。体力のある人が無駄な力を抜くのと、スクワット10回も出来ない人が脱力するのと結果は違うに決まってんじゃん。脱力が筋力の弱い人の言い訳になったら危険ですよ」

といった話をしたのですが、この意見は今でも変わっておりません。

 

「太極拳ってのは他の拳法と比べてダントツに健康効果が低い」とも言いましたが、それは(一般的な套路は)運動量が低いからです。運動量が低ければ健康効果も低いのは当たり前です。太極拳(の套路)は元々基礎体力のある人達が全身を繋ぐ為の練習、だと言って差し支えありません。

(タントウだって同じです。全身を繋ぐ為の練習法の一つであって、触れずに飛ばせる“気”などと云った得体の知れないモノを追いかけているワケではありません)

 

ですので、自分の体重すら満足に支えられない人が、「太極拳を何年もやってるのに全然使える様にならなくって・・・」と首を捻っているのは滑稽でしかないのです。

そしてこれは古流も同じです。実際に“戦う”って事を考えたなら、第一番に必要なモノがあります。下手な夢を見ませんように。危険ですから(笑)。

 

という訳で、脱力は魔法ではないのよ。「何の為に脱力するのか」が重要です。

とはいえ、脱力できない人にとって中国武術は難しいですけども。その為に、基本功を始めとした様々な練習方法があるのですね。

練習は、一つ一つを大事に行なう事が肝要です。

 

・・・ってなコトをここで書いたら非難轟々でしょうか?(笑)

 

 

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12月18日(月) 石巻教室

これまでに教えた形意拳套路一通りの復習をし、12形拳中の竜形の別伝型も指導。

これだけでも結構な分量になっているので、稽古終わりにしようと考えていたが、

居合刀を持って来たとの事なので、抜刀も一通り復習。

簡単なマッサージ、タントウをし、八卦掌についての質問を一つ受けて今夜の稽古は終了。

7時20分~8時40分頃までの稽古時間。

 

 

 

太極拳は何故運痴でも出来るのか?ってなこと

身体を動かすという作業には総じて“才能”、持って生まれた能力、の差がある。スポーツなど、その”才能”が最も解るものである、という事は誰しも経験しているだろう(笑)。

身体の動きの滑らかさや身体のまとめ方など、特に速い動きの中で身体を上手く使うには才能(と訓練)が要る。

多少不器用でも、訓練すればある程度は上手くなる。だから皆、練習するのだが、才能を持ってる人が努力するのには敵わない。

身体を動かすのが苦手な人は、その動きをゆっくり反復するといい。これが上達のコツである。早く・力強い動きをしたいだろうが、それは一度置いておくといい。

身体を動かすのが苦手な(不器用な)人が「格闘技をやろう」と思い立ち、競技中心の空手やボクシング挫折しやすいのは、速い動きの中で練習をして行くからだ。

ゆっくり、無駄な力を抜いて、動作を確認しつつ練習して行くのが、不器用な人にとって上達の方法論である。

だから太極拳は“運痴も関係なく上手くなれる”というのである。

勿論、更なる上達を目指すのであれば、段階を追った練習内容の変化は必要であるが、それは身体の慣れに応じて展開して行けば問題はない。

 

ま、そんな訳で、練習の仕方次第で上達可能な訳ですから、

「球技はじめスポーツは全くダメだった」って人も結構武術強者になってたりする訳です(笑)。

 

 

 

今週読んだ

12月20日 シュテファン・ツワイク著『マリー・アントワネット㊦』

渦巻く策謀、失策・・・映画を見ている様でした。脱出のシーンはハラハラしましたし、

上巻後半の愛人との関係には感動しました。

前述の様に、私はマリー・アントワネットは全く知りませんでしたが、他の本ではなく、

一番最初にこの本を読んで良かったと思います。

・・・って、なんか小学生の読書感想文みたい(笑)。

 

 

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12月16日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス

石巻在住・I藤君とマンツーマン稽古になったので、今夜は仙台まで行かずに石巻にて。

仙台道場と比べて石巻の稽古場は暖かいし、何より移動距離がない!のが助かるか(笑)。

 

準備体操をし、反応訓練やスパーリングなどを中心に。

途中(半ば休憩も兼ねて)専作伝の復習や、変化する蹴りを上手く蹴る為のコツ、

崩し投げの変化なども練習。

 

 

 

★『ちっちゃい女神さま』シリーズの、マーラーが可愛すぎて好きです。

あ、全然無関係な話でしたね。しかも古いですか(笑)。

 

 

 

12月15日(金) 仙台・套路(型)クラス

S木君、S島さん、Y田さん、K池君が稽古に参加。

稽古開始前に形意拳の最も基本的な実用法を練習し、20時から準備体操。

今夜は、基本的な型は一通り憶えているS島さん・S木君組と、まだ憶えている最中のY田さん・K池君の2組に別れて練習した。

専作伝の型、一人型。

単攻防と連攻防の一人型と組型。ついでに単攻防の実戦法も簡単に説明。

・・・単・連攻防は一番最初に習う基礎的な型だが、この型で手の位置、重心移動や身体の動かし方、突きの身体使い、拳の作りや手首の良くない角度などを矯正し、正しく直す事が出来る。単純な型だといって大雑把に流して「これで良し!」としては、正しい動作が身につかない。しっかり掘り下げる事が大切である。

九鬼神流棒術。こちらも一人型と組型。

正宗太極拳。斜単鞭~十字手までの練習。

専作伝の組型。慣れている組は中伝や、他に天の型やチンナなども。

大和道。柔術の稽古。Y田さんは今夜から柔術も開始(逆取10本)。S島さんとS木君は当身の10本を。

そんなこなで今夜の稽古は10時20分頃に終了。

楽しく稽古しました。

 

 

★前にも同じ事を言って来ていますが、道場も出会いと別れの場であります。

性別、年齢、職業、様々な人が集まっています。

ほんの短期間で来なくなった人なら別として、皆で良い関係を築いて貰いたいと思います。

中には仕事や学業の事情で、去りたくなくても道場を去らねばならない人もいます。

道場で出会った人達と、長く良い人間関係を作り、

人生で協力し合える様な関係を築いて貰えたら素晴らしいと思うのです。

 

 

今週読んだ

12月13日 シュテファン・ツワイク著/『マリー・アントワネット㊤』

資料を基にした小説の上巻。マリー・アントワネットなんて、「贅沢して殺された人」程度の知識しかなく、

大して興味も持たずに読み始めた。

いやはや、世間知らずってのは、恐ろしいわ。

 

 

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12月(つまり今年)の稽古は23日で終了です。

来年(平成30年)の稽古は12日金曜から開始予定です。

 

 

★クソバカアホ太郎の友人に、「もっと更新できねぇのか?」などと言われ、

“こなチクショーめ!”と怒りに任せて週2回更新に増やした、当『指導日記』。

そんな事情でございますんで、全く指導していない時の更新、いや、

武術に全く関係すらない話題の更新が多々ございますが、ご容赦を。

私の本職が僧侶なので、ネタってーとどうしても仏教関係の物も増えますが、

お嫌いな方は読み飛ばしてくだっしゃい。

そんな『指導日記』。大体、日曜(か月曜)と水曜(か木曜)の更新となっております。

今年も残り半月。よろしくです。

 

 

 

12月11日(月) 年賀状宛名書きも始まりました(笑)

石巻個人指導の予定日だけれど、生徒の都合で急遽お休みに。

なので心身ともに不調だと言う友人の所へ、簡単なマッサージと調整をしに行った。

喜んで貰えて何より。

あ、お金は取ってませんよ。お世話になってる友人だもの、な(*'-^)-☆

 

随分前にも書いたけれど、私は子供の頃から父が整体を施すのを見て来た(昔の坊さんは何でもやったんですね)ので、

その真似事ぐらいは出来るのです。ま、それで食ってるプロと違うので、さっぱり腕は上達しませんが(笑)。

・・・つか、みんなが褒めてくれるから、整体で食っちゃうか。だわっはっは。

 

 

 

石巻教室の形意拳復習(洗い直し)が始まるので、形意ネタを一つ(笑)

以前より「形意拳は使いやすい拳法の一つだよ」、と述べて来ました。

今の私は、套路を一通り憶えてさえ貰えれば取りあえずの使い方を教えています。

使い方を学べば、“使い方は解った。しかし俺っちには威力が足りないな”とかいった、

自分の課題点も分かり、もっと練習するようになるもんです(普通は、ね・笑)。

 

で、研鑽を積めば、“教わっただけ・使い方を知っている・師匠の受け売り”というだけでなく、

自分にキチンと実力が着いてくるというワケですわ(笑)。

 

ちょいと脱線しますが、

10年前の私はまだ教え惜しみをしていました。自分がまだまだ強さを求めて居たからです。

又、教え方の順序等の完成度も、まだ今よりは低かった事も理由です。

そういった意味でも、今は教える段階(時期)に来たのだな、と感じていたりします。

 

でもま、ここを勘違いしちゃあいけないのですけど、

「使いやすい」と言った所で、「無敵」なんていう夢みたいなオハナシではない訳です。

習った技術を「無敵」(どんなスタイルの相手にも勝てる)にまで高める為には、各自の研鑽が必要な訳です。

ただ、その「使いやすい」と言われる形意拳の使い方を知らない形意拳学習者が多いという事に、

少し残念な気がするのです。

 

 

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≪ちょっと欲しい≫

サンタ様へ

最近、ハズキルーペがちょっと欲しいです。

 

 

 

12月9日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス

全国的に冷え込んだと言う今夜。石巻I藤君と高校生I藤君とが稽古に参加した。

準備体操を行ない、基本技を各種。若いI藤君に先週教えた形意拳の対錬を復習(復習して良かったな/笑)し、

防禦練習。

大和道(柔術)の当身10本を教え、これで高校生I君も柔術の初伝技は一通り憶えた事になった。

軽いスパーリングをし、最後に整理体操と気功をして10時丁度に今夜の稽古を終了した。

 

よく「突きは背中の力を使え」と言われるけれども、「その感覚が解らない。具体的にどうやれば良いの?」と

感じている方も少なくない様。

このクラスの基本で行なっている“突き”は、中国拳法の物を私なりに(ちょっと)アレンジしたもので、

以前、空手出身者がこの突きの千本突きを行なった時に、

「ここの突きで初めて背中が筋肉痛になった。空手の時は胸などが筋肉痛になった」

と言っていて、こういった力の使い方が初心者にも身体で(アタマで解るのは少し後ですわな)解るようにしてあります。

なので皆さん、後は良く練習して下さい(笑)。

 

 

 

 

12月8日(金) 仙台・套路(型)クラス

S島さん、S木君、K池君が稽古に参加。3名共、年数やってる人なので対錬等を多く練習した。

稽古開始前に形意拳の対錬套路(中・遠・近)

①準備体操、基本功

②専作伝心眼流・初伝の復習(一人型)

③八卦擒拿、64散手

④正宗太極拳の套路復習。細かい所まで注意をしながら、今夜は起勢~斜単鞭まで。

⑤大和道。初伝逆取10本を練習。

ここで10時、一度稽古終了し、S木君の希望で審査。10時半過ぎに今夜は終了した。

皆さん、寒い中お疲れ様でございました(笑)。

 

さて、今週から内家拳の基本的な套路を、毎週少しずつピックアップして丁寧に復習する事にした。

(例えば正宗太極拳であれば一年ほど掛けて全路復習できたら良いな、と考えています。そんな感じで)

憶えて数年経つと套路の細部が不正確になったり、何年も上手く出来ないままになっている人もいるので、

考えた末の、言わば苦肉の策である(笑)。

・・・え? 「毎週は道場稽古に行けない場合はどうしたら良いの?」ですか?

それは、翌週先輩に教えて貰っても良いんじゃないでしょうか。

・・・え? 「道場稽古に参加しない人はどうしたら良いんですか?」ですって?

それはもう私にもど~しようも無いなぁ(笑)。やる気の無い人には教えようがない。

 

 

 

 

≪雑談≫

事件やら事故やらあると、その“友人”ってのが出て来てなんぞ喋っとたりするけど、

あんなん、何処までホントの友人なんだろか。

 

震災後、数年間は(恥ずかしながら無自覚だったが)私も随分荒んでいた。

被災者でない者が震災の話をしたり(特に「上手い事やって寄付を受けた」とか)、

酒を飲んだりするとカッとなる事が多かった。

 

今から2年位前だろうか、友人の女の子がこんな風に言った。

 

「ヤタベさん、随分元に戻ったね。あたしも被災したけど、家も持ち物も残った。

 ヤタベさんの状況を聞くと、何一つ言えなかった。ただヤタベさんが絶望しない様だけ願った」

 

そう言われて振り返れば。震災後この子はずっと、私を庇ってくれていた。

何があっても、私の味方となり、庇ってくれていた。

そういう事だったのか。

私は、いい年をして、声を上げて泣いたのだった。

 

『気付けば応援されていた』

これが本当の友人なんじゃないのか。

 

 

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今日は昔話(笑)。

私事で恐縮ですが、私がどうして先生に教わった物以上までを、捉えられたか?

(その“捉え”は我田引水に陥らぬよう、その都度師に方向性を確かめて貰って来ました)

と言いますと、それは若い時分の稽古量が多かったから、だと思っています。

 

私は修行(僧侶の)から帰った若い頃・・・そうですね、帰郷後10~15年間位でございましょうか、

父親はじめ家族から「何にも出来ない、使えない、タダのゴクツブシ」と言いますか、

「要らない人間」として扱われておりまして

(それを「坊主にさせたのは親じゃないか!」などと反論してみても始まりません)、

武術ばっかりやってた頃がありました。

ええ、坊さんとして仕事がなく、武術と、それを教える事に自己存在の意義を見出していたのです。

そんなワケでして、その頃の稽古量といったらナカナカのもので、それが現在の技量に繋がっていると、

自分では思っておるのです。

 

今は父(ま、当寺院の住職ですな)が出来ないコトまで出来る様になりまして、

これから将来は私が居なければ寺は運営・維持出来ないという所まで来ておりますので、

本職的にも役割が多くなって、その分、道場の運営に関しては

“宣伝を工夫して、もっと生徒を集めよう!”

などという世俗成功的なガッツが無くなってる次第ではございます(笑)。

 

ま、私がその頃の事をこんな風にヒトサマに対して話せる(書ける)様になりましたのも、

そんな時期はとうに越え、自分に自信がついたからこそでございます。

無論、その坊さんとして価値がなかった時代は、その分勉強にも時間を避けましたし、

研究も出来たからだというのが、今の私の自信にも繋がってるのでございまして、

それもこれも、宗門大学を出してくれた親が居るからこそ、

何をどうやって勉強すればいいのか、を学べたからでございます。

ええ、雌伏の時代があったからこそ、今の私がある訳です。って、「雌伏の時代」とか、

ちょっとカッコツケ過ぎましたか?(笑)

なもんでございますから、決して“武術だけ”やっていたんじゃございませんよ。

使える坊主になるべく努力もしつつ、しかし実活動は武術が中心であった、という事でございます。

 

さて、武術に話を戻しましょう。

もう何年も前ですが、ある生徒さんが

「先生と同じ経験も積めない、稽古時間も然程捻出できない私達が、先生のレベルになるにはどうすれば良いのでしょう?」

と質問された事がございました。

「それはね、功を焦らない事だよ。その分、時間をかけるのさ」

とお答えしたのですが、実際、それしか無かろうと思っております。

 

一日3~4時間の稽古を1~2年続けるのは比較的容易です。

毎日15分の稽古を10年続けるのは、余程難しいものです。

ハードな稽古を1~2年続けて数年休み、を繰り返すよりは、

毎日少しずつでも10年継続した方が、結果的なレベルは高い筈です。

 

というワケでして、八大武舘は

がんばるアナタ、

を常に応援しておる次第でございます。

 

 

よし、オチついた。(笑)

 

 

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12月2日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス

今夜はメンバー全員が都合悪く、道場が休みになった。なので私も暖かい部屋で羽を伸ばしております(笑)。

NHKドラマの『精霊の守り人』を初めて見ました。アニメ版の印象が強過ぎ、ドラマ版は見た事がなかったのでした。

アニメ版は登場人物が重くて良かった。・・・アニメ、明日からでも又見ようっと!(笑)

 

石井達也氏とコソボで活躍している指揮者(ごめんなさい、名前失念しました)との対談番組も見ました。

素晴らしかったです。

もうね、私の悩んでるコトなんざ、小さい小さいって思いましたよ。ま、悩みが消える訳ではないですが。

・・・ええ、実はこの数年、新たに悩んでることがあるんです。

悩みの種類によっては、何年も悩みまくらないと吹っ切る事さえ出来なかったりしますしね。

はい? そりゃーアタシだって悩みは有りますわよ(笑)。

 

そんなこな、テレビなんか見てゆっくり過ごした土曜でした。本職も月初めで忙しいので、夜ゆっくり出来るのは有難いです(^^)

 

★ところで。

お相撲さんも、どこで人生が変わるか解らないもんですねぇ。

人生って、そういうもんなんでしょうな。

少年の頃に外国から来て、言葉も風習も違う国での弟子生活は本当にきつかっただろうに。

頑張って生きて来たんだろうになぁ。

少し前までなら、「よくあること」で済ませたし、済んだんだろうけどねぇ。

誰しも、気をつけなくちゃだね。足元を掬われるのは、ほんの一寸のことでだからね。

・・・と、流行の話題にアタシも乗ってみました(笑)。

 

 

 

12月1日(金) 仙台・套路(型)クラス

S島さんとM子さんの2人のみ。形意拳にこだわって稽古をする事にした。

準備運動を行ない、五行拳を様々な打ち方(つまり練習法)で打つ。

これらの練習法は身体の何処をどう使うかを実感する為、デフォルメした打ち方になっているのが特徴。

同じ動きを繰り返していると、どうしても雑になってしまい易いが、それでは練習にならない。

一つ一つ、1回1回をしっかり意識して練習する事が上達へと繋がる。

又、今夜は特別に(打てる様になった人にしか教えないので)変化と、即実用の練習法も行なった。

形意拳にじっくり時間をかけた前半。

後半は正宗太極拳(第一十字手迄)を足に注意して(蹴りの事ではない)練習し、

その後、各自稽古を30分行なって、10時丁度位に今夜の稽古は終了。

お2人とも、寒い中お疲れ様でした!

 

 

今日から12月です。寒い時期の3ヶ月間、体調に気をつけながら稽古を頑張りましょう!

 

 

 

今週読んだ

11月29日 アイザック・アシモフ著/『西暦3000年の人類(シュミレーション)』

紀元前8000年から現代までの人類の歴史と、西暦3000年までの今後1000年の予想を述べた面白い本。

でも、戦争の歴史にはウンザリした(苦笑)。

話のネタ、が一杯転がってるかもよー、な本(笑)。

 

12月2日 五木寛之著・『21世紀 仏教への旅~インド編㊦』

NHKで映像化もされたらしい内容。インドから中国、日本まで現地に行って、書いたシリーズらしい。

この巻は“ブッダ”について作家の感性で書いている。

本書中の“インドのカースト(身分差別)”の事を読んで、若い人は大いに怒った方が良い。

世の中の不条理に対して、全身全霊で怒る事が若い内には必要だ。

雑談/シメ

鍋が美味しい季節になりましたか(^^)

鍋のあとは、俗に言う“シメ”ですね。「シメ」なる言葉も、この数年で頻繁に耳にする様になりました。

・・・ん?「シメ」って云う言葉が膾炙する迄は、何て呼んでたっけかな?(笑)

そのシメ、

鍋にゴハンを投入して、おじや(関西で言う雑炊)にするのが宮城じゃ普通ですか。

電子レンジもなかった時代、残ったゴハンをおじやにして昔は食べたんですね。

野菜なんかも一杯入れて。

『おじや』(おやじぢゃないって)は宮城県人のソウル・フードだ!と言っても良いと思いますね(笑)。

ですが、10年位前(かな?)から、米どころ・宮城でもシメにうどんを入れる様にもなりました。

確かに、栄養豊富な鍋のツユを全部米に吸わせるよりは、麺の方が少しは太らないかな?とは思ったりします。

ま、米どころ宮城では、おじやだのお粥はフツーの食べ物だと思うのですが、

これが関西に行きますと、「ワシ、おかゆさん食われへんねん」と言う人もいらしたりし、

まぁ地域性を感じるんでございます。

関西に住んで間もなく、鍋の残りにうどんを入れるのを見て、“おお!”と感激しましたけどね。

それまで宮城では見た事がなかったもので、カルチャーショックを受けたものでした(笑)。

・・・って、おんなじハナシを前にもした気がしますね。アタシもボケましたか。

 

 

 

今週読んだ

10月16日 集英社・信じる心シリーズ⑧『福神信仰』・ひろさちや著

七福神や聖天さんなどの解説本ですが、そこはひろ氏。唯の来歴紹介では終わりません。

ちゃんと仏教思想を語る本にしています。こういう所がシビレます(笑)。

普通、この手の本は現世利益の説明で終わっちゃい易いものですけどね。

 

現世利益といえば、前回の≪暴露話≫に関連するんですが、

人間、努力を後回しにして、安易に現世利益を願うから、あのような自称・霊能者なんてーモノに簡単に騙されてしまうのです。

そういう日本人の性質は、全国どこでも似た様なものですが、殊に石巻という土地柄は顕著で、

本当の信心などというものは持ち合わせていないのに、迷信深い人は多いのであります。

本当の信心を持っておらず、それがどんな物かを知らないから、信仰と、本当の幸せと、本当の功徳という事が解らないのでありまして、

解らないから、迷信を語り・迷信を利用する自称・霊能者だの拝み屋だのに騙されてしまうのでありますね。

 

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今週のひと言

棒(やトンファーなど)が練習で傷がついてささくれ立った様な時は、

そのまま使ってると手を怪我するので、紙やすりで削って、ニスを塗ると良いですよ。

今はスプレー式の簡易なニスも売ってますし、自分で手を掛けると道具に愛着も沸きますしね(^^)

 

 

 

暴露

石巻に、少年時から“霊能者”として商売をしている者がいるのだが、

その元・信者が「霊能者の言動がどうも疑わしく疑問を持った」と、

知人の経営する料理店で、11日、私が詳しい話を聞く事に相成った。

 

実は私がその“自称・霊能者”の存在を知ったのは30歳位の時で、

噂話を聞いて、

「そういう男は幼少期が不幸に違いない」

と言うと、その男を知る人たちは皆一様に、「確かに不幸だ」

と相槌を打った。

又、彼の“霊能”にも、タネがあるようで、私は話を聞いた時に

“ニセモノだ”と判断した経緯がある。

 

私が初めてその自称霊能者の噂を聞いた30歳位の頃、彼はまだ高校生や

中学生位だった。学校にも行っていない、との事だった。

不幸な幼児は往々にして霊だとか、他界などを言い始める。それは、

彼が不幸な現実から目を背ける方法の一つだからだ。

だから、不幸な人間だという事は話を聞いただけでも解るものだ。

 

で、だ。

その自称霊能者が、

「私は高野山に行って、或る住職に

『君には6体の仏がついている。君を大阿闍梨(ダイアジャリ)にする』

と言われた」

とのことで、

高野山真言宗の大僧正・大阿闍梨を名乗っていると言う。

(ま、そこで高野山真言宗の僧籍を持つ私が、彼が本物か贋物かを判断する役に選ばれたという訳だ)

 

結論から言う。

嘘に決まっている。

僧正や僧都といった僧階を貰うのも、阿闍梨や大阿闍梨となるのも、

高野山内の一人の住職の意向で貰えはしない。

必要な手順、学ばねばならない事、というのがあり、それをクリアして初めて資格が貰えるのだ。

年齢、法齢も関係ある。

それより何より、同じ高野山真言宗の大僧正・大阿闍梨が石巻に居たら、

私の耳に入らない訳がないだろうが。こちとら平身低頭で挨拶に行かなならんわい!(笑)

 

他にも話を聞いただけで「ニセモノだ」と解る内容が有ったが、

それは相談者本人と当日の参加者達に伝えておいたので、ここでは述べない。

 

その元・信者は「自分の友人が騙されている。彼を助けたいのだ」と語る。

「助けたい」と言うからには、その友人がかなりの金銭を騙し取られているという事だろう。

大した被害でなければ、誰も「助けたい」とは言わないものだ。

戦う際の知恵と手段は与えた心算だ。

但し、その自称・霊能者を生活出来ない様に、生きて行けない様にするのは正しい事か解らない。

なので、軽々に動かないようにしよう、と皆で結論付けた。

な、俺って優しいだろう?

これが本物なんだよ!(笑)

 

その様な“高野山真言宗の大僧正で大阿闍梨”などという、嘘の看板を背負わなければならない、

という事は、彼の自信の無さを表わしている。

本物の霊能者なら、そんな偽りの看板は要らないものだ。

彼は霊能者としても、自分に自信がない事を露呈してしまっているのである。

 

因みに、その自称・霊能者だが、石巻だけでなく、全国に行って相談などを受けているらしいので、

他県の皆さんもよ~くお気をつけて。

その自称・霊能者がこんなサイトを見るとは思わないし、そんな事に興味を持つ人々が、

こんな武術のサイトを読むとは思えないので(笑)、誰も傷つけもしないだろう。

あくまで親しい人達に向けて、ここで述べたのだが、もし自称霊能者の君よ、君がこれを読んだとしたら、

私が君にキチンとした訓練をつけてあげよう。

もしも望むなら、背筋を伸ばして生きられるよう、堂々と看板を出せるよう、

もう一度真剣に霊能者・祈祷者として立つべく、自己を洗い直し鍛え直せ。

嘘はもう良いだろう。辛いだろう。

私が君を助けてやる。

 

以上だ。

 

 

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≪今週のひと言≫

タントラ系の本の記載なんですが、これって武術、いや何にでも通じる事だと思ったので、紹介です。

「充分な心の動きがなければ、どのような身体の動きも無意味であり、意味のある如何なる結果ももたらす事は出来ない。

この2つ(身と心)をかみ合わせて極限にまで働かせれば、一個の展望が開け、その結果どのような現象的問題も理解できるものとなる。」

武術(に限らず芸事の稽古)は散漫じゃ効果半減ってこってす。

OK?(笑)

 

 

10月14日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス

メンバー全員が不参加という中、数週振りに高校生I藤君が道場に来ると言うので、

マンツーマン稽古の用意をして仙台へ。

自主練習をし乍ら待ったが、9時になっても来ないので、“万一、遅れて来たら申し訳ないが・・・”

と思いつつ、不調もあるので石巻へ帰った。

帰宅後メールを見たら7時少し前に「急な体調不良で休みます」と連絡が入っていた。

とうに出てる時間だわな(笑)。

 

 

 

10月13日(金) 仙台・套路(型)クラス

Y田さん、H君、M子さんが今夜の稽古に参加。

①準備体操、基本功

②正宗太極拳、套路を全員で揃って一通り。

③套路、各自の練習。

④九鬼神流棒術(東京版)を復習。

で2時間一寸の稽古。

少し冷えましたが、皆さん真剣に練習してました。

 

ここずっと風邪なんてひいていませんでしたが、木曜から体調を崩してしまいました。

この頃食生活を変えたら少し体力が戻りつつあり、調子に乗って飲みに出る機会も増えたから、

何処かで風邪を貰って来たのかも知れません(笑)。

“ちょっと道場キツイかなー”と思っていたのですが、マジメに練習に取り組む皆さんを見ていると、

“うむ、道場に来て良かったわい”と思うものです。・・・とはいえ、どなたかに風邪うつしていたらスミマセンm(__)m

 

 

 

≪雑談≫武術(運動)と健康

私も何か一寸した切っ掛けで腰痛を起こす事があります。

こういった体の故障はハードな練習を積んだ者は仕方のない事です。

「痛みが酷い時は安静にして動かさない」というのが今の治療法らしいですが、

私は体操も含めてゆっくり動かします。

体が動きに慣れているというコトもあるのでしょうか、動かしていると2~3日で又、元通りに動かせる様になります。

あ、皆さんは無理せず医者の指示に従って下さいね。責任は取れませんよ(私は医者に掛からないので)。

 

話は少し変わるのですが、「痛いから」といって動かさないと動けなくなります。

特に年配の方はそうです。

痛みがあっても動かせば動く様になりますし、動かさないと動けなくなるのはアッという間です。怖いですね(笑)。

 

「あっこが痛ぇ」、「こっちが痛ぇ」

と「痛い痛い」と言っておられる人ほど、基本的に運動不足です。

人間もやはり、身体を動かしてこそ調整(全身のバランス)がとれるようになっています。

日常の中に、運動を取り入れるのが一番です。

朝晩ラジオ体操するとか(今はネットで体操を何時でも見られるそうですよ)、

それだけでも、継続すれば身体の調子は良くなる筈です。

道場に来て準備体操を一緒にやるだけでも、全然違うものです。

 

本来は自分で動かして修正するものを、あっちが痛いから、と病院にかかり、

こっちが痛いから、とマッサージや整体にかかっているのでは、

「お金がかかる」のは当たり前です。

自分でやるべき事を、他人にやって貰ったら、そらお金がかかりますわ(笑)。

 

病院に行ってみて、どっこも異常が見つからなければ、運動してみるこってすわ。

 

 

 

今週読んだ

10月13日 集英社・信じる心シリーズ⑦『山岳信仰』鎌田茂雄著

日本の修験道にスポットを当てた内容。

修験道とは古来よりの山岳信仰に外来の道教、仏教、密教などが混雑して出来た宗教。

それだけに教義は雑然としていて、“こじつけだわぁ”と感じる所は有るのだが、

山での修行を通じて験力(超能力ね)が得られる、として今でも興味を持つ人は多い。

 

・・・でも、何でもそうですが、“俺はこんだけの修行をしてるんだ!”と自負心(慢心)を抱いたら、

そこで停滞、いや、真っ逆さまですよ(笑)。

 

 

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≪今週のひと言≫

与えられた事を懸命にやる、修業とはこれしかない。

先生が教えてくれるか?は関係ない。極論すれば、先生が出来ているか?も関係がない。

ただ一心にやる。そうすれば解る。解って来る。習っていない事も解って来る。

真の上達はこれしかない。

「先生が教えてくれないから・・・」。そんな事は問題ではない。

修業は“自分”の事である。

 

 

 

 

10月9日 石巻教室

昨日・今日は本職が忙しくてクタクタ。月初めに連休があるなんて、忙し過ぎです(笑)。

①八卦掌套路(2種類)の復習。I君も個人稽古を始めた頃と比べれば、随分と上手くなった。が、太極拳の時とは違って手こずっている様に見える(笑)。直した箇所が上手く直っていなかったりする。後は時間かな・・・しっかり自主練習を重ねて行く内に、“そういやココはこうだった”と気付いて身につくかな。

②専作伝心眼流の復習。一人型を一通りと、中伝の組取。

③抜刀術の復習。技の一つは、互いに木刀を持って動作のチェック。木刀とはいえ失敗すれば直撃なので、緊張はする(笑)。

④推手。推手(平円・立円と四正推手)と、推手系練習。

⑤自分で行なうマッサージ。ま、整理体操として。

⑥タントウ。三才式と平歩と。力の流れ(使う筋肉)も気をつけながら大切に行なう。

 

 

 

 

≪雑談≫

他会で太極拳を学ばれた方が、当会に来ると(正宗、陳式共に)「細かいですね」と驚かれる。

太極拳は即戦套路ではなく、数年後に達人を作る為のモノだから、細かくて当然である。

 

これが「明日にも戦わねばならん」という即戦目的武道であれば、細かさはかえって邪魔になる。

なので早い段階で試合に出る事を目的とした現代の武道は細かくないのである。その場合、

鍛えるべきは反射と筋力だから。それ以上は各人の努力と工夫、才能に任せるのだ。

(※実は太極拳にも套路とは別に“即戦の為の練習”というのがある。どちらから始めるか、両方同時にやるか?

の違いだけである。ただ、この練習法を殆どの人が知らないし、知っていても教えようとしない。が、これは又別のハナシ)

 

又、身体の内側の事までは言わないが、心眼流もそうとう動きの要求が細かい。

その細かさが将来、刀など対武器で必要になるのだ。

なので、「直ぐにも戦えるようになりたい」という人なら、先ずは即戦武道を学ぶか、でなくば、

(太極拳に拘るなら)先ずは太極拳の戦い方を指導してくれる先生の許に入門すると良い。

(※但し、最初に空手や柔道をやってしまうと、太極拳(内家拳)はかなり苦戦します。そういう方は心眼流の方が良いでしょう)

 

ある程度戦える様になってから、名人を目指す練習に入るのであれば、

若い人でも、気持ちに焦りも感じなくて済むだろうしね(笑)。

 

 

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伝達

伝達が遅れましたが、水曜夜も登米市南方で心眼流の稽古が行なわれているそうです。

当会からも興味のある方は是非参加して下さい。

※正式な稽古開始に当たっては南方心眼流への入会が必要です。

 

 

 

10月7日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス

石巻I藤君とのマンツーマン稽古。

打撃系の練習を行なう土曜日だが、

「2人共わざわざ石巻から来たんだから、広くないと練習出来ない物をやろう」

ってな事で、大幅にメニューを変えた2時間。

 

①準備体操。←これは何時もと同じ(笑)。

②形意四大兵器。形意拳の棍・刀・槍・剣の套路を復習。

③地ショウ拳。跳んだり伏せたり転がったりする拳法の套路。これは充分な広さがあって下が畳の仙台教室ならでは出来る事(笑)。←因みに、私は芝生の上で憶えました。

④抜刀術の復習。Y先生伝の物で憶えている物を復習。←う~ん、若い頃はもっと記憶出来たんだけどなぁ。

⑤ヌンチャクの復習。去年、講習会で教えた動作の復習。より使う為の動きにするべく指導。

⑥九鬼神流棒術(東京版)の型。一人型と、対刀との型を復習。

殆どが復習だったとはいえ、内容満載でした。消化不良は起こさないでしょうか?(笑)

では、また来週!

 

 

 

 

10月6日(金) 仙台・套路(型)クラス

今夜の稽古にはY田さんとK池君とが参加。うぅむ、最近少人数だなぁ・・・が、

少人数というのは習う側にはレベルアップのチャンスでもある。

少人数だと大変なのは、諸経費の掛かる運営者だけである。つまりオレだ(笑)。

 

準備体操、基本功を行ない、3人で揃って正宗太極拳と形意(五行)拳を通し、

その後、各自の稽古。Y田さんが八卦掌に入ったので、K池君も一緒に復習。

見た目は簡単な八卦掌だが、思ったより要求が細かく、一気に套路を進むのは難しいので(笑)、

最後に単攻防(一人型)もちょいと練習をし、10時10分頃に今夜は稽古を終了。

 

 

★「中学生にコンパニオンさせてた業者が逮捕」って事で・・・

あんなもん、需要と供給なんだから、これまでコンパニオンを使った事のあるヤツは、

誰一人批判出来ないぞ。・・・あ?「利用者には年齢なんか解らない」だと?そんな問題じゃねぇよ。

「女が居なきゃのめねぇ」ってんなら飲むな。同罪だ。

3000円や5000円なんて、中高生には大金だろう。それが貰えるってんだから、

子供達を責める訳には行くめぇ。・・・子供の内は欲しいものって山ほど有るからな。

悪いのは結局は需要側だ。

 

 

 

 

 

≪雑談≫

近い将来「機械に取って代わられる職種」というのが取り沙汰されてる様で(笑)。

 

(一般に「無くなる」と言われてる職種と違うけど)私は医者が機械でいいと思う。

今の医者は見て・聞いて・触って診断できるレベルの人は殆どいないよね。

血液から脈まで、全部を機械にかけて、その数値で診断をしているのだから、

診断までを機械に任せれば、かえって誤診はない筈ですよ。

人間の判断が加わるから、誤診するんだから。

だから診断・診察をする医者は不要さね。手術をする医者はまだ別だとしても。

 

僧侶も(職種として僧侶をやっている人)数は減りそうですね。

だけど、何時の時代になっても人の悩みは減らないから、

人の悩みを聞く職種としてのプロの僧侶は残るだろうな。

(↑いっておくが、僧侶の方がカウンセラーより金額が安い(笑))。

観光寺院の僧侶は多少は生き残れるだろうが、今ほどの人数は不要だろうね。

(観光寺院のガイドは機械でも良いよね!でも朱印を機械が書いたら有難味がないか)

徒食しているだけの僧侶は減るかな、やっぱり。

ただ、大きな寺院の中は、能力的に世間では働けないような者の居場所になっている、

という現実もあるんですよ、これが。

人それぞれの能力に合わせて仕事があるようにしなくてはならない訳で、

寺院というのはそういった役割もしている場所だったりもする。知らなかったでしょ?

 

おっと、話が反れた。

 

人間相手の仕事は機械では代われないと思うんだ。

例えば警察官を機械がやれるか? といえば、それは無理な筈。

役所の受付・銀行の受付は機械で良いのかな。機械の方が優秀な、というか正確な仕事をするかもね。

人件費の節約にもなるだろうし(笑)。

 

というワケで、ボクは「医者がなくなる」に一票!(笑)

 

 

 

今週読んだ

10月6日 ひろさちや著・『仏教の歴史⑨ ただ一筋の教え~禅と法華仏教』

芥川の『蜘蛛の糸』かた始まる巻。これも読み易く、面白かったですよ。

さて、このシリーズも残す所、1冊です(笑)。

 

↓毎度ですが、以下はお好きな方だけ(笑)

仏教にも宗派がある。

宗派とは結局のところ、人夫々の個性による向き不向きの違いだ。

 

例えば、禅宗にも“ただ座る”派と、“公案を考えながら座る”派とがあり、

又、他力と自力と言われる、全てを投げ捨てて(投げ入れて、か)“信仰する”宗派と、

“自助努力中心”の宗派分類がある。

 

密教は「様々な方法論や思考法を足して行き、ある時それらを一気に“金(悟り)”にひっくり返す方法であり」

(と説明する人がある)、

禅は余分なモノを削ぎ落として行って“残ったモノが光り輝きだす”といった方法だ。(と説明する人がある)

・・・とはいえ、これは手段の差が違いに現われているだけであって、到達してしまうと名僧達は皆、

一様に同じ事を言う。

 

で、修行をするとして、だ。

密教的な方法に向いている人が、全てを捨て去る方法で取り組んだとしたら、

苦しむ割にナカナカ成果が現われないだろうし、反対もまた然りである。

私は密教僧だが、(色々な意味で)私は密教で良かったと思っている。

「密教の修行で鬱症状になった」とか「異常性格者になった」人が、「信仰系宗派」に鞍替えしたら

気持ちが安定して症状がすっかり治った、という話もある。

これなぞ、向き不向きの最たるモデルだろう。

“信仰”が素直に出来ない性質の私は、やはり自行系が良いだろうし、

無心で座るスタイルよりは思索やイメージを伴う行の方がやり易い気がする。少なくともワタシは、だよ(笑)。

 

武道・武術も同じく、殴る事に才能のある者が組み技を学んでは、技が身にはつくが名人になるのは難しいだろう。

殴る事に向く者は打撃系を学べば、組技を学んだ時の半分の努力で良い腕になれるだろう。

「最終的に行き着く所は同じ。到達してしまえば“派”など無い」とは言うが、

やはり最初の取っ掛かりでは、向き・不向きは重要な点だと思われる。

 

一寸ズレるけど、

改めて見回してみると、一般の方々の中には“密教ファン”という人も多い。

密教の坊主として、それに気付いた時はびっくりした(笑)。

恐らく従来の仏教と違い、世俗の営みを肯定している所があるから、だろう。ある意味衝撃的なのだ。

「では何故、そう説くのか?」が大切なところであって、

欲望や世俗の営みをそのまま「なんでもOKよん」と言ってるのではないのである。

そこんとこ、誤解しちゃ、いやん。

 

というワケで、「どの宗派が優れているのか?」という様な問題ではないのです。

 

 

 

10月7日 ひろさちや著・『仏教の歴史⑩ 来世と現世への願い~室町から江戸へ~』

群雄割拠の時代から江戸期の仏教。

歴史の勉強としても、この本は教科書や教師の説明よりもよっぽど解りやすい。

“なるほど、そうだったのね”と思うこと、頻り。

私が現世利益祈願中心の現在寺院の僧として居て、ずっと感じて来た葛藤も

(これは何時か掲載しようと、既にネタは出来ているけど、実際に掲載するのは迷っている所)、

改めて考える術になったり、いやはや、ホント、このシリーズでは考えさせられた事、多々ありました(笑)。

 

 

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※友人からひさびさ電話があったと思ったら、

「週一辺じゃなく、もう少し更新できねーのか? 体力不足か?ジジイ」

などと言われて悔しいので、しばらく可能な限り、週二回更新する(怒)。

更新場所はここ『指導日記』上にする。指導をしていない時は、ただの雑談の更新になる、が、

文句あるめーな、それで! (`曲´#)

 

 

 

10月1日 ちょっと愚痴る。

葬儀屋さん経由で、急な葬儀の依頼。“葬儀”というか、葬儀社さん経由の“葬儀もどき”の依頼ですが(笑)。

「余りにも金額が安いから」との事で、供養的な読経と炉前読経のみでの依頼だったのでした。

確かに、イマドキ聞いた事がない位の金額でしたが、それはまぁ、ね(笑)。困ってる人がそこに居るのですから。

ま、亡くなった人には罪は無い訳です。なので、今回も

「葬儀は亡者を悪い世界に行かせない為の作法が重要ですので、読経のみの依頼ですが、最低限必要な作法は致します」

と、そこはサービスで行ないました。喉の調子が悪く、声がイマイチだったのが(個人的には)辛かったかな(笑)。

 

・・・身内が亡くなっても供養(葬儀)すらしたくない、という何とも言えない時代になったものです。

「出来ない」なら仕方ありません。「どうしたら良いのか解らない」なら仕方がありません。

でも、「金がかかる事はしたくない」というのは、亡くなった方や、その知人に対してどうなんだろう?と感じるケースがあります。

自分の本当に大切な人が亡くなった時に、初めて直面する事、解る事がありますよ。

その気持ちが解らないから、「金も出さないのに口は出す」って類いのヤツがいるんです(笑)。

 

あ、誤解無きよう。

アタシは皆が葬儀をした方が儲かるから、こんな風に言ってるんじゃないですよ! 一回の葬儀や供養で、

ウチが幾らぐらい頂いてるか知ったら驚きますよ。今回のは特に。

前にも言いましたけど、坊主なんかそんなに儲けてないもんです。葬儀費用の大半は葬儀社への支払いです。

 

・・・などと私が愚痴るのは、私の心中に、

“俺はたった〇円でちゃんとした葬儀をしている。遺族は俺に感謝して当然だ”

という、見返りを求める気持ち、が有るからです。勿論それは驕りです。

人のせいにする心算は有りませんよ、ただ冷静に考えてみると、近年、葬儀社さんからの依頼も増え、

「コレとコレなら幾らでやってくれますか?」といったやり取りも増える中で、私の中に損得勘定が巣食ったのだと思います。

もう一度、“布施とは何か”という原点を、

“三輪清浄”という事を、己に向き合わせる必要があると感じました。恥ずかしい限りです。

 

ま、私の未熟は未熟として、今は葬儀に限らず多くの事が過渡期(変換期)なのだと思います。

例えば、葬儀であれば、したりしなかったり、小さくしたり大きくしたり・・・

そういった“試し”を国民全体で行なってるのだと感じています。右ならえが好きな国民ですから(安心するもんね)、

いずれ、長い時間の後に、何かのやり方に落ち着くんじゃないかな?と思っています。

 

 

 

 
≪雑談≫マインドフルネス

近年、マインドフルネスという言葉を良く耳にするようになった。

これは仏教の坊さんが西洋で瞑想を普及する際に作った言葉(訳語)で、

日本にはいわば逆輸入ともいえる(笑)。

このマインドフルネスはじめ、瞑想という物が心身の安定に高い効果がある、

という事で流行っているようである。

ヨーガも本来の目的は瞑想であるのは、皆さんご存知の通り。

 

瞑想状態ではアイディアが浮かんだり、問題解決の方法が掴めたりもする。

雑念が抑えられ、思考がシンプルになるからだろう。

 

さて、太極拳を始めとする内家拳は激しくマインドフルネスである。

なので、套路をやっている最中にも同じ様な状況が起こる。

これが「太極拳は動禅である」と言われる所以である。

だから太極拳は心身の健康にも役立つのである。

 

精神的なストレスには身体を動かす事自体、とても効果的だしね。

という訳で、オススメ。

 

そういや(話は一寸変わりますが) 以下はクドイのでお好きな人だけ読んでね

漫画家など、創作する仕事をしている人が

「トイレ中や入浴中にアイディアが浮かぶ事が多い」のだ、と聞きます。

私自身、お風呂や稽古時にアイディアが浮かんだり、理解できなかった仏教理論が解ったり、

バラバラに存在していた物事が繋がったり、と、ひらめきがやって来る事が少なくありません。

そしてこれは、恐らく、多くの人が経験している事かと思います。

入浴時や稽古時はリラックスして、瞑想に近い状態になっているのでしょう。

雑念や迷いが消えると、整理されたり、眠っていた(と感じられる)アイディアが出て来たりするのかも知れません。

 

本職では人さまの悩みを聞く事も多いのですが、時々、

“これはどうしたら良いか、俺の手に余る” と感じる時(問題)もあります。

そんな時は困り果てて「物事が上手い方向へ進むよう、祈願してみましょう」と拝んでみたりしますが、

これがテキメン、拝んでいる間に良いアイディア(方法、解決策)が出て来たりします。

これも読経中に瞑想状態となり、精神が透明になるからだと感じています。

そして、拝んでいる間に出て来た考えと言うのは、大体真実を突いています。

人間は普段、雑な思考まみれで、“あーでもない、こーでもない、これではダメ、あれでもダメ”と、

グチャグチャ考えているのでしょうが、

その雑で無駄な思考が消える事で、物の本質が見えるのかも知れません。

そして、この能力は誰もが持っている筈です。

座禅や、意識的に行なう瞑想は、この状態を意図して作り出すもの(語弊があるな)ですが、

武術修業者であれば武術が、お茶やお花であればそれが、その人にとっての瞑想になり得るのだと思うのです。

ま、座って取り組むのが一番手っ取り早いから、普及しているのですが(笑)。

 

※マインドフルネス、禅定、瞑想、などは、「少しずつ違うのだ」と仰る向きもありますが、

そんな細かい事は一般の方は普通誰も気にしないので、ここでは一緒くたに使いました。

 

 

今週読んだ

10月2日 ひろさちや著『仏教の歴史⑧ 末法の世の救い~浄土信仰の形成~』

日本で浄土教が成立、発展し、一般に広まる所の話。なので主人公は源信、法然、親鸞など。

ひろ氏の法然論は感動的である。

そういや確か、国内の最大信徒を誇るのが浄土真宗でしたよね。

庶民でも日々の生活に安心を取り入れられ、解り易さ(思想体系)も優れているのだと思います。

 

正直な話、親鸞の思想(浄土真宗)は究極の到達点だと思いますよ、私も。

 

 

10月3日 かあいがもん著/『お父さんの日記』

門下のK池君が貸してくれた本。

「人気出るブログってこんなカンジなんですよー、先生も少し参考になさいー」

という気持ちで貸してくれたのかな・・・と思いつつ読みました(笑)。

文体なのか、内容なのか、最初はナカナカ馴染めなくって、少し読むと疲れるという

体たらくでしたが、100ページ目位からすんなり読めるようになりました。

アタマが固くなってるのね、実感したよ、ホント。

こういう押し付けがましくない文章、ってのが良いんだよね、うん。

べんきょになりました。有難う、K池君!

 

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転職・転居などで道場に通えなくなった人でも、会に籍を置いていれば、質問等をする資格が有ります。

なので日々の稽古で疑問などが沸けばMLを活用するなり、電話を利用するなりして、何でも質問して下さい。

因みに“道場に籍を置いておく”には、退会ではなく休会届の形で出して頂き、MLに入っておいて下されば結構です。

ま、状況によっても違いますので、詳しくはその際、質問して下さい。

年会費などがかかる訳ではありません。←いや、払いたければ自由ですけど(笑)。

 

 

9月30日(土) 道場は休みなのでテレビの話(笑)。

『ひよっこ』も終了しました。連続テレビ小説を見たのは『ちりとてちん』以来でした。

一日15分、朝か昼に見れば良い、とは言っても、毎日見るのって結構大変ですね(笑)。

でも、何とか一回も落とさず見ました。根性要りました(笑)。

これがこれからも続くのはキツイので、次のドラマは見ません。見ないと思います。

ドラマとか、すぐ感情移入してしまうので、泣いたり怒ったり朝から疲れます。

昔っから「アンタ位楽しんで観てるヒトもいないだろーね」などと言われますが、んなこたありません(笑)。

 

・・・にしても、『ひよっこ』、大きな展開もなく女性達の会話だけで終わる回があったりして、

すげ~ドラマだなぁ、と感心する事、多々ありました(笑)。

ま、それだけに穏やかな気持ちで見られて良かったでした。

 

 

 

9月29日(金) 仙台・套路(型)クラス

第5金曜日は“武器で遊ぼう”の日。

S木君、Y田さん、K池君が参加。最近参加者数が少ないが、その分各自のペースに合わせて練習。

埼玉のY先生から教わった九鬼神流と専作伝の棒術と剣術(日本刀)をしっかり復習。

その後、築館の老先生伝の棒術と剣術とを練習し、10時半頃に今夜は稽古を終了。

 

 

★時々、門下生に質問されるのが受け(防禦)についてである。

というのも、彼等は“接触して相手の力を削ぐ”防禦の仕方が上手く出来ない”と言うのである。

私の場合は武道を始めた頃に、「相手が攻撃して来た手や足に自分のそれを思い切りぶつけて受ける」

という、ある意味「相手の手足を壊して行く」様な力技の方法を習い、それをそのまま長年練習したら、

自然と“接触して力を削ぐ”事が出来る様になっていた、というだけなのだが(笑)、

そんな痛い練習が出来ない人もいるだろう、という事で、先週、その力感じを理解しやすい受け方を練習して貰った所だ。

憶えてるかな? 皆さんは(笑)。

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11月27日(月) 石巻教室

前半は八卦や専作伝、居合い等の復習をし、後半は審査。

 

★今夜はI藤君の審査も兼ねた稽古だった。最近、生徒の仕事の都合で審査日をバラバラに行なう事も増えた。

こういった柔軟な対応の出来る所が、個人道場の良い所でもありますね(笑)。

巨大流派で「審査会当日は仕事でして、別日にお願い出来ないでしょうか?」と言っても蹴られるのがオチだもの(笑)。

 

審査といえば、こないだ土曜、高校生I藤君とマンツーマンだったので、これまで教えた套路を一通り見て上げたのだが、

「どれも8~7級は出してあげられたなぁ」と言うと、「え!そうですか?」とビックリしていました(笑)が、

あのね、皆さん、審査受けたければ自分から「受けても良いか?」って申し出て下さいね!

 

多分、高校生I藤君は“今、套路クラスに出てないから内家拳で受検する訳には行かないだろーなぁ”と考えて、

遠慮していたのだと思うのですが、仕事や学校の事情でクラスに出られない、又は道場に来られないという人も、

普段練習しているのであれば、審査は受けてみるべきですよ。ダメだなんて言いませんから(笑)。

審査を受けてみればこそ、何処をどう直せばより上達するのか、自分は間違った方向に進んでいないのか、等が

解るものです。

なので、普段道場に参加できていない人ほど、本来は受検してみるべきなのです。

(ヒトサマに教えようと思うほど自信があるなら、尚更受検すべきです)

でもね、

まさか私から押し売りみたいに「審査受けろ」ってしつこく言う訳にはいかないので、

こういう時の遠慮は損よ。わっはっは。

 

 

 

 

キリスト教の言葉もいいですよ

私はバリバリの仏教徒でして(・・・って当たり前か)、キリスト教徒の方々が

「天国には、この身体を持ったまま(つまり個性と言いたいんだろうな)で行けるんです。素晴らしいと思いませんか?」

とおっしゃるのに対して、

「それが素晴らしいとは思えないですね。・・・所で、何故皆さんはそんなに“現世”に執着してるんですか?」

と疑問を呈したりして、話が平行線で終わってしまう事も多々あるのですが、

でも実際、キリスト教の人達の話を聞いていると、

“これはキリスト教の方が解りやすいなぁ”とか、“いやぁ良い言葉だなぁ”と感心する事も多いワケです。

 

例えば、

「神は乗り越えられる試練しか与えてよこさない」とは、なんと力になる言葉だろうか!

そうは思いません?(笑)

 

例えば、

“嫌いな人がいる”事に悩んだ時に、

「嫌いで良いのです。ただ、親切にしてあげなさい」とは、なんと解りやすい言葉だろうか!

感動しますよ、あたしゃ。

好きにはなれなくても、少し親切にする位なら俺にも出来るかも・・・と思わせる力があるですよ。

素晴らしいですよ。

 

仏教は開祖が悟っていたものだからして、「お釈迦さん、そら、あっしにはむりでっせ・・・(泣)」

と思わず泣き言を言いたくなったりする場合があったりもするのですわな(笑)。

 

例えば、「嫌いな人が居る」と言ったら、

「嫌いも好きも共に執着である。執着を捨てよ」

と言われるだろうし、その為の思考方法や修行法が仏教なのでありますから。

 

でもさ、そんな簡単には覚りなんて開けないんだし、「そら殺生なぁ」って言いたくなる時もあるよね(笑)。

 

 

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11月25日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス

今夜の稽古は高校生I藤君とマンツーマン。

折角マンツーマンなので、これまで教えた套路を復習する事にした。大学受験の準備で彼は今、套路クラスには参加していないのだ。

 

そんな訳で、準備体操と基本功を済ませ、少林拳の基礎套路から開始。

形意拳、八卦掌、専作伝、九鬼棒術などをチェックし、9時半頃に今夜は稽古を終了。

套路クラスに来られなくなってしばらく経つが、思ったよりは套路が崩れていなかったので一安心(笑)。

 

形意拳の対錬を「まだ習ってない」との事なので教えた。対錬は練習相手がいないと感覚が掴めないので、

土曜クラス参加している先輩達、時々相手してやって下さいね。

 

 

 

11月24日(金) 仙台・套路(型)クラス

そろそろ冬本番。稽古にはS島さん、S木君、Y田さん、K池君、M子さんが参加。この位の人数だと幾分賑やか(笑)。

①準備体操と基本功。

基本功は、自宅で鏡に映しながらもやってみて下さい。自分で思ってるより変な動きをしてるかも知れませんよ(笑)。

②対錬。柔術の基本や、八卦の擒拿、截脚、攻防型2種。

攻防型は久し振りだな(笑)。動作としては簡単なので、各自家でも練習して下さい。

③劈掛掌基本技の実用練習。

この劈掛掌の技は、初めての方は興味を持つ。同じ動作が攻撃にも防禦にもなり、右にも左にも関係なく対処するのが、中国武術の技法理解の良いモデルになるので、初学者の理解に適当である。熟達すればこれだけでもかなりの技になるのだが、日々の練習は各自に任せ、道場では稀に練習する(笑)。

・・・自分のモノにしたい技はね、自分で稽古を積むんだよ(^_-)-☆

④套路。それぞれ太極拳や八卦掌、少林拳など練習。

少林拳では徒手(素手)套路で棍(棒)を扱う動きも。←これは正統ではないかもしれないが、大変面白い。

⑤心眼流。専作伝の初伝7本を稽古。一人型と組取。

組取をしながら、実用の為に必要な要素を伝授。この“要素”が型に現われなきゃならない。・・・こういった“コツ”が抜けると使えない、ただの型になってしまう。そういう意味でも、それを教えてくれた、築館の老師匠には感謝。

私事だが、両心眼流の共通が理解出来てからというもの、専作伝も実に面白い。これも専作伝を教えて下さった埼玉のY先生のお陰である。

専作伝の看板だけでも充分!な道場になる(←いや、しませんが/笑)。

・・・思った以上に皆も稽古に食い付いて来て、気付くと10時45分。慌てて解散した次第。

 

★遠野出身のK池君が“暮坪かぶ(遠野かぶ)”を買って来てくれた。私は香味野菜が好きなので、とても嬉しい。

今年の遠野かぶは天候不順で「辛味がいま一つ」との評で、例年よりも出来が良くないらしく、

当初「暮坪かぶが採れたらパスタ屋さんでかぶパーティをしよう!」と立てていた計画は中止にしたのだが、

今年のかぶも、これはこれでとても美味しい。

遠野までご面倒お掛けしました。有難う、K池君!(^^)

 

 

 

≪雑談≫

仏教はじめ宗教(信仰という意味ではなく、その哲学という意味で)に触れ続けると、人って変わるものです。

素養のある人は一度触れただけ(読んだり聞いたり)でも大いに触発されますが、

普通はそうじゃなく、少しずつ長い時間をかけて変わって行く(影響を受ける)ものです。

 

当会の生徒が数年前、「苦しい事があって本屋で般若心経の解説を読んだらふっと軽くなりました」

と言っていましたが、まぁ、そういうコトも良くあるのです。

苦しんでいない人や悩んでいない人には、宗教も哲学も必要ありません。←と断言する人もいる位です。

ええ、私もそう思っています。苦悩のない所には、救いもありません。

 

人によっては、

仏教を学んで、その思考法を手に入れたら人生の見え方がすっかり変わるかも知れません。

 

※但し、ただしですよ(と私は全てぶち壊すような話を入れるからダメらしいですけど)、

あくまでバランスが大事です。

苦行をして限界まで追い詰められると、その反動で意識が逆方向に触れてしまったりして、

それを“覚りだ”と勘違いしてしまったりする事もあるそうですし、

毎日毎日そんな(例えばスピリチュアルな)事ばかり考えて、それにどっぷり浸かってしまうと、

冷静な思考が出来なくなったりします。

あくまで現実生活に立脚した上で、そこを離れる事が出来る、これが大事です。

いますよね、オカルト傾向が強くて、一般人と話が合わない人とか。

なんでも同じですけど、マトモな物を、先ずはマトモな人に習う事です。

最初にしっかり教わらないと、独学は“読んで良い本”と“ダメな本”の区別さえつき辛いものです。

失敗してる人が多いですよ、世の中(笑)。

“本物”はバランスが良いもんです。

 

 

 

今週読んだ

11月23日 集英社・信ずる心シリーズ⑩『仏教文学』/花岡大学著

『日本霊異記』から俳句、宮沢賢治や自身の著作を扱って“仏教文学とは何か”を語ろうとした本。

文学の事なんざ、さ~っぱり解らないアタクシにも親切な内容でした(笑)。

本書最初に基礎知識として、釈尊の一生とその教え(教義)を纏めてありますが、坊主が書く本と違い、

これはホント平易で、初めての方にもオススメできます。

 

 

11月25日 上シリーズ①『阿弥陀如来』/花山勝友著

この巻で私の手元にあった当シリーズは読了。全10巻との事だから、内8冊が有った事になります。

巻の番号については全く意識せず(本棚に並んでいた順番で)読みました(笑)。

で、この本は題名の通り、日本で最大宗派(らしいよね?)の浄土宗、浄土真宗の本尊である、阿弥陀如来について述べた本。

「なんまいだー」というのは、「ナミアミダブツ」が訛ったもので、訛るぐらい庶民に膾炙したというコトなんである(笑)。それって凄いよね。

 

ところで、“仏教ってどんなんか、勉強してみようかなぁ?”と思ったら、

まずは親鸞さん(浄土真宗開祖)の本から入るのが、思想として比較的解り易いと思います。

それも、上記の本や、ひろさちや氏の書いた解説書から入ると、きっとより平易に理解できます。

あんまり難しい本(専門書とか)から入ると挫折するかも知れませんし(笑)。

 

↓以下はくどいんで、お好きな方のみに

私は真言宗の僧侶で良かったなぁ、と自分で思うけれど、

俗に言う“宗派意識”というのはかなり低い(と言うか持っていない)方だと思っています。

 

日本は宗派仏教だと言われていますが、禅の瞑想と密教の瞑想は形式は違っても同じ物だし、

「真言宗は自行派だ」と言いながら阿弥陀念仏もする気持ちも解るし、

他宗他派の考え方や体験にも大いに共感を抱いたりします。

それは宗派に分かれてはいるけれど、結局は“仏教”という根っこが同じだから、

宗派に拘らない思索の仕方や修行の仕方が両立も出来るのだと思っています。

宗派の違いは「到達する為の方法論が違う」というだけです。

開祖や様々な修行者が自分に合う方法を模索した結果が“宗派”なのです。

なので宗派に拘ることは正しいとは思えませんし、拘る人がいるとすれば、それは経験・体験の不足に過ぎないと思うのです。

・・・異論あるのは承知ですけどね(笑)。

 

 

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今朝、着替え中に右腰に鋭い痛みが走り、ちょっとした動作で激しい痛みを感じる状態に。

“これはマズイんじゃないか?”と、痛みを見ながら調整をつける運動を幾つかし、落ち着いた。早目の対処も良かったかな。

まだ少し不安があるので、今日は様子を見ながら生きますよ。飲みに誘わないで下さい(笑)。

武術をやってて良かったですよ。やってたからこそ身体の動かし解るので、自分で治せる訳です。

・・・って、この所自主錬終了を増やしたのが、腰に負担が掛かってたのかも知れないな、っちゅう事は

武術やってなかったら、腰痛も起こさなかったのか!?(笑) 良いんだか、悪いんだか。

 

 

 

 

「食べちゃイカンぞよ!」(笑)

禅宗寺院の入り口に、『五葷(クン)酒肉を入れず』と書いてあるのを、ご覧になった方もあるでしょうか。

五葷(ごくん)とは、五辛(ごしん)ともいい、辛味があって臭いの強い五種類の野菜の事です。

何を5つに数えるのか?は多少、説に異動もあるようですが、

ニンニク、ニラ、ネギ、ラッキョウ、行者ニンニク(又はハジカミ)の五種類とされます。

 

で、以前、「どーして食べてはいけないの?拝んだり、信徒さんと話をするのに臭いから?」と質問された事がありました。

そういう理由も有るのかも知れませんが(笑)、

主に、五辛を食べると性欲が強くなる、強くなると修行に邪魔になる、という事が主な理由のようで、

「食べると情欲、憤怒を増進する」として禁止らしいですよ。

 

まぁ、実際、性欲についてだけ考えてみましても、

生命力が強いという事は性欲も強いという事だと思います。生命力が強いからこそ、多くの子孫を残そうとするのでしょうからね。

生命力=性欲が強いと、あらゆる物・事から執着を離れるべき坊さんの修行には邪魔になるという事なのでしょう。

 

でも、「ニンニクを食べると元気が出たり、性欲が高まると言われてはいるけど、本当にそうなのか?」が、

少し前までは、私には実感有りませんでした。

若い時期はニンニクを食おうが食うまいが、元気ですし(笑)、性欲も変わらないでしょうし、

なかなか「おお、昨日ニンニク食ったから今日は違うぞ!」といった実感ってないですよね。

 

ですが、近年、病気をして体力が無くなってから、“にんにくを食べた翌日って身体が元気だ!”という感じが出るようになりました。

夜更ししても、回復が違う感じがします。自主練習も頑張れます。

年を取って体力が弱まって、ニンニク力!の様なものが実感できるようになったのでしょうか(笑)。

 

「ニンニクって食べると効きますね。身体、元気になりますよ。この頃実感する様になりました」

とパスタ屋のお母さんに言ったところ、

「でも、あの臭いは公害だ」

と仰るので、大笑いしました。へえ、すんませんな、皆さん(笑)。

 

そういや昔、ある女性に、“坊さんが食べちゃいけない五辛”の話をした所、

「全部ヤタベさんの好きな物じゃないの」と、大笑いされましたが(笑)。

ええ、これからもニンニク臭くして生きていきます。ほっといて。

 

 

・・・とまぁ、ニンニクの事は置いといても、

“しっかし、年をとったんだっちゃなぁ” と感じる事も多くなりましたよ。

例えばですが、

・60代では“まだ若いっちゃ”、“まだまだこれからだっちゃ”と思うようになったこと。

実際、60代の人は若く見えますよ。自分が若い頃は「60代の人」ってと老人に見えましたけど。

それに比例するように、

・20代(特に前半)の女性は「女の子(子供)」位にしか見えなくなったこと。

“おお、いい女だなぁ”と感じるのが、30代からの女性になりましたですよ。

↑だから、いいオッサンになって、『女子高生と性的関係を持った』とか聞くと、アタマを疑ってしまうのが本音。

・本音言っちゃえばさ、俺はもう、「ジイにお出で」って、孫なんかあやして生きたいのよ(笑)。

 

若い頃は50代・60代の人は年寄りに見えたし、10代後半~20代が“女性”だったけど、なぁ。

さあ、これを読んでる君がもし同感できるならば、既にキミもオジサンだ(笑)。仲良くしよう。ふふふ。

 

 

 

今週読んだ

11月19日 集英社・信ずる心シリーズ⑥『不動尊』/村岡空

日本では人気があるが、他国では殆ど信仰されない(らしいよ)不動明王についての一冊。

教義の論などもあり、『信ずる心』シリーズの中では(私には)面白かったのですが、

という事は、仏教知識のない方には“そんなの興味ない”って感じかもですが(笑)。

 

 

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11月18日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス

今夜の稽古は石巻@I藤君とのマンツーマンという事で、石巻で行ないました。

折角のマンツーマン稽古なので、通常メニューではなく、更なる上達の為に基本技(主に突き)のチェック、

防禦(接触無効化)法のチェック、軽いスパーを行ないました。

又、Y先生伝の剣術(日本武術)の復習も行ないました。

マンツーマン稽古は時間は短めですが、稽古生に合わせた技術の掘り下げが中心になります。

・・・勿論、初心者の場合はマンツーマン稽古であっても集団練習通りのメニューで行ないますが。

 

今週位から石巻でも“雪虫”を見る様になりました。宮城の冬も愈愈(イヨイヨ)でございますねぇ(^^)

・・・あ、冬タイヤに交換もしなくちゃだわ。

 

 

 

11月17日(金) 仙台・套路(型)クラス

今シーズン初めてストーブを焚いた今夜。Y田さんとH君が稽古に参加した。

(動いていれば暖房は要らない感じでしたが、一応ね(^^))

 

準備運動と基本功から始め、対錬を幾つか。道場に来るのが久々のH君、対錬の手順や力の使い方が怪しい(笑)。

一人稽古でも(余程注意して行なえば)套路は上手くはなるが、矢張り対錬等、実際の力の使い方・技のかけ方は、相手があってこそのもの。

ま、一人で稽古している内に、自分はどんなに正確に行なっている心算でいても、狂ってくるものではあります。

 

後半は夫々、套路(型)を練習。Y田さんは八卦掌と専作伝、H君は専作伝と形意拳を。

10時15分頃、今夜の稽古は終了。お疲れ様でした。

 

 

★「最初は興味持てませんでしたが、何年か経つと良いなぁと思うのが正宗太極拳ですね」

と言う人が多いのですが、

何せ見た目が地味なので、最初から「正宗をやりたい」という人はほぼ皆無です(笑)。

 

正宗太極拳って良く出来ているなぁ、と思うけれど、それは身体の運用に対してであり、

套路の構成が良く出来ているか、は判断の難しい所だと思います(笑)。

 

 

 

 

学ぶ順番

一時期、当会の仙台教室では本人の希望に合わせた拳種選択を許可していましたが、

この数年は正宗太極拳、形意拳、八卦掌の内家三拳と少林拳基礎套路、専作初伝、大和道は、

初学の内に覚えて貰うよう(必修)にしています。

これは当人の好みで拳種を取捨選択した人と、全拳種練習した人とでは10年程経った時に、

レベルに差があると気付いたからです。

 

例えば内家三拳だけでも、基礎的な三拳全てを練習している者と、好き嫌いでどれかを抜いた者とでは、

後年、激しく上達度合いに差があります。なので個人の好き嫌い・興味の有無なんかにゃ関係ないのです(笑)。

(※但し各愛好会での稽古内容については自由にやって貰っています)

 

どんなに時間が掛かっても、ほんの2~3年真面目に通えば、上記の拳種一通りは

(上手くはなくとも少なくとも順序は)憶えられるものです。

なので当会の生徒の中で上記の拳法を一通り出来ない、という人はキチンと通った生徒ではありませんし、

取り組み方にも少し問題が有るという事になります。

・・・まぁ、長年習っていてある程度のレベルになっている人が、これら一通り学んだ事がない、

なんてー事は今までないので、ワザワザ言うほどでもないのですが(笑)。

 

あ、“愛好会”に触れたついでに一つだけ。

愛好会を立ち上げた時点では、まだ指導者として実力・技量不足の人は多くいます。

(恐らく私も指導許可を頂いた時は師から見て随分と未熟だった筈です)

ですが、その場合でも教えている内に、教えながら稽古に通っている内に、徐々に良い技術になって来ます。

そういう愛好会主催者は、そう遠くない内に正式な指導許可も得られるでしょうし、

希望であれば私の直接指導もいつでも受けられるので、愛好会でお習いの方は安心して習って下さい。

 

この様に、自身が愛好会などを持って指導活動を始めれば、自分が上達する為に

道場にも熱心に通うものですが、残念ながらそうでない人もいます。

これは“人に教える”事に対しての責任感の有無と言えます。

責任感の不足している者に習っては実際大変ですので(笑)、気をつけて頂きたいものです。

 

 

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殺生

生き物を好んで殺して食べる人種の言い訳は、

「彼等は人間と違い、心を持たない」というものだ。

が、動物を見ていれば分かる。

彼等は“処分”される前に震える、小便を漏らす。

それは死の恐怖を感じているからだ。

殺される事を恐れるのは、心があるからだ。

誤魔化すのは、やめたらいい。悲しみを背負って食べるべきですよ。

 

 

 

11月13日(月) 石巻教室

石巻I藤君が又もや転勤の可能性高し!との事で、今後しばらく大急ぎで套路をさらう事にした。

①専作伝。初~上伝の21本復習。良くない癖を直すべく、口酸っぱく言う(笑)。「直せ」っちゅんじゃ。

②八卦掌。龍形套路の復習。身についてないと言うか、やはり八卦は苦戦している感じである。「頑張れ」ってんじゃ。

③形意拳。先ずは五行拳、12形拳、五行連環拳などをおさらいし、套路の怪しい箇所を教え直した。「努めろ」ってこっちゃ。

でもま、套路は一部アヤフヤでも、動き自体はそう悪くない(笑)。八勢も一通り、まだ教えてなかったので大慌てで教えた(笑)。

④推手少々。

⑤自身で行なうマッサージ

で1時間半程の稽古。ま、こんなもんだべ(笑)。

 

 

 

 

おやくそく

道場では、相手の名前は〇〇さん、くん、ちゃん、などを付けて、

基本的に呼び捨てはいけませんよ。

一人で上達は出来ません、相手があってこそ上達出来るのです。

相手に対し、尊敬の念を持ち、表わしましょう。

 

道場玄関では、せめて靴は揃えましょう。

自分の足元すら見えない人が、どんなに立派なことを言ったって、ダメですよね。

これは油断しがちです。

 

門下生同士、お互いの愛好会や練習会に参加するのは自由です。

その際の費用負担などは自分達で決めて下さいね。

 

練習中でなければ、道場でお酒を飲んでも構いません。

ただし、飲酒運転はしないでね(笑)。

 

以上が『おやくそく』。(笑)

 

 

 

今週読んだ

11月15日 集英社・信ずる心シリーズ⑨『巡礼・遍路』/松原哲明著

西国33観音霊場と、四国88箇所について触れた本。

巡礼やお遍路についてなら、もっと優れた本が他にもあると思う。

著者の本には良く子供さんを亡くした話が書いてあり、それは読む度に涙する。

 

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11月11日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス

翌日の仕事準備(会場設置)等で遅くまでかかり、結局道場に行けず。

生徒達が中心になっていつも通りしっかり稽古をしてくれた様なので大助かりでした。

 

翌日曜は、門下生であり、信徒でもある石巻のN君に結婚式の司式(導師だね)を頼まれたので、

当院本堂に会場を設(シツラ)え、僭越ながら私が執行させて頂きました。

場所を移しての披露宴では、昔から知っている生徒の結婚だけに、何度も涙腺が壊れそうになりました(笑)。

N君、結婚式に私の寺と私を選んでくれて、有難う。

披露宴にも招待してくれ、私を“武術の先生”と呼んでくれて、有難う。

 

さ、この記事をアップしている今日は月曜、結婚式翌日です。

結婚式仕様になっている本堂を常態に戻すのが、今日のお仕事(笑)。

 

 

 

 

11月10日(金) 仙台・套路(型)クラス

Y田さんとM子さんが今夜の稽古に参加。

①準備体操

②基本功

③五行拳、正宗太極拳、老八掌、単攻防を一緒に一通り。

④各自套路練習。Y田さんは老八掌の続きを、M子さんは正宗の細部を。

⑤専作伝・初伝1本目

を練習し、10時25分頃に今夜は終了。

少し冷えてきましたね。風邪ひかれないように、皆さんお気をつけ下さい。

 

★誰か道場のインスタグラムっての、やってくれないか? 少しは賑やかしになりそうじゃん(笑)

アタシがやろうにも携帯もスマホも持ってないし、第一指導者が、教えてる最中に写真なんか

撮れるわきゃないじゃん! ってコトで。

・・・ところでさ、“インスタグラム”って、なに?(苦笑)

 

 

 

 

年齢相応の成長・変化

入会希望の方の最も多い質問の一つに、

「私は〇歳ですが、武術を始めるに遅すぎはしませんか?」

という物があります。

人間、幾つになっても成長するので、何歳だろうと遅いという事はありません。

それどころか、50歳を過ぎてから始めて、技量で若い人を超えた方すらいます。

何でも本人の向き合い方次第、つまる所は努力次第です。

 

ですが、“人と競う強さ”を求めるのであれば、始めるのが早いに越した事はないのは事実で、

その場合は遅くても高校生位には始めた方が良いですね。

身体を使った事は、若い方がそりゃ有利ですから(笑)。

理想は小学校高学年から、徹底的に基礎をやりこむべきです。これが後に名人レベルの者を作りますね。

ですが、イマドキは子供が(その親も)飽きちゃうので、少年部試合などをさせてモチベーションを保つのですが、

これだと一握りの才能ある子以外は限界が出て来ます。

少年時は徹底的な基礎練習が将来の実力を支えます。その意味で、私は今の競技結果中心の武道教育には反対です。

 

おっと、話が反れた(笑)。

10代後半から20代半ばは、最も動きの速い時で、“人と競う強さ”を求めるのであれば、

この時期を逃すのは勿体ないのです。

30歳位になると、反射やスピードが遅くなり、視界も狭くなりますが、若くからやっていれば、

この頃から“技”が身について来るので、それ迄の貯金とも相まって“強さ”に“深み”が増して来ます。

なので、30~50歳位の時期は(若い頃から稽古継続していれば)若者に負けないでしょう。

非常に“速度”や、“体力”を要求される一部のスポーツ(例えば短距離走)とは違って、

武道の選手生命が長いのは、ここにあります。そう、“技”があるからです。

 

50歳以後からの事は、私も未だ未知の世界ではありますが、師匠を見たり、自身の変化から想像して、

恐らくは、その人の“個性”、つまり“得意技”が突出して来るのではないかと思います。

なので、肉体が衰えた分、得意な技というのに特化していく時期ではないでしょうか。

得意な距離、角度、カタチになれば若者に負けないし、その“得意”に持ち込む操作も上手くなる、

というものではないでしょうか。そんな感じがしています。

 

「これを食べていれば」、「こういう生活をしていれば」、「この武術であれば」、

「年を取っても衰えない」、そんな耳障りの良い事を言う人もあるかも知れません。

しかし、そんな都合の良いハナシはありはしません。

年を取っても身体やその機能が衰えないのであれば、それはもう人間ではありません(笑)。

これは現実です。現実ですから、真剣に身体を動かして来た人であれば、解り切っています。

「年を取っても衰えません」と言っているのが、年寄りであれば、まだ理解はできます。

(自分への勘違い的な誤解もあるかも知れませんが)それが個人の実感なのでしょうから。

ただし、若い人が「この方法なら年を取っても衰えない」と言っているとしたなら、それは嘘です。

その人は、未だ年を取ったことがないのですから、解る訳もないのです。

ちょっと考えれば解る事です。騙されないように。

 

ま、「年を取っても衰えない身体作り」を目指すのは、良い事だと思います。

それは生活、つまり生き方から変える事に他なりませんから。

・・・ただね、「年取っても衰えない」って次元に矢鱈こだわってるとしたら、それはその人が

“武術”や“身体での表現”という物が何か?を解っていない、という事でもあるんですよ。

 

年を取れば肉体を使って行なうコトは衰える。

この現実を直視してこそ、真の成長が可能なのだと、あと数年で50歳の私は思うのです。

 

 

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『瞑想の目的?』

瞑想をしてどうなる、例えば、悟りを開く、

という事が目的なのではない。

瞑想をする、瞑想できる、という事が功徳であり、目的なのだ。

武術も同じである。

稽古する目的、などと言う内は本当に武術が解っているとは言えない。

“修行(業)”とは、全てそういう事だ。

 

 

 

久々、心眼流のオハナシ

三系統の心眼流を学ばせて貰ったお陰で、随分と共通が解るようになった。・・・昔は違いしか見えなかったものだが(笑)。

特に専作伝と築館伝との共通点が見えて来たのが、個人的には収穫が大きい。

以前簡単に述べた、素手=武器以外の要素でも(一部のみを大雑把に書きますよ)、

築館伝では表ヶ条で左右の転換を学ぶ。専作伝の初伝でも同じ動きが隠されているが、多くの人が大きく前に踏み出してしまうので、左右体の転換がぼやけて見えにくくなってしまっているだけの様だ。

築館の中極では前後の動きと入り身を学ぶ。これも専作伝では少し見えにくくなっているが、仙台で伝わっている初期の型では体当り(入り身)になっているのがミソだろう。東京版は多分意図的に変えている。

築館の落としでは箙足使いと左右手の変換を学び、剣術の両手使いなども学べる。専作伝では左右使い手は強調されていないだけで残っている。剣の使い方であるのは違いがない。

専作伝最後の一本は“教え”であるコトも含め、この22本で口伝さえ授かれば一通り網羅できるように構成されていると感じる。

本数が少なくなっているだけで教えようとするモノは同じだ。この“同じモノ”が“心眼流”なのだと言える。

因みに登米伝では落としの次は切7本だが、これは入り身である。入り身が心眼流らしさを作るのがこれまたミソなんである。

 

ま、結局は“型数の多少”が重要なのではなく、“口伝”をキチンと得ているかどうか、が問題だという事です。

それが身に染みて理解できました。

 

・・・余り具体的に書くと登米の兄弟からも、専作伝の先生からも叱られそうなので、これ以上はなし。

実際や、詳細は、皆さんの先生から直接習って下さい。

書いたのがコレくらいなら、まだ叱られない、多分(笑)。

 

老先生も亡くなって暫くになるし、その内、師兄弟で集まって記念撮影でも出来たら良いのかも。

淋しいことですよ、師匠が亡くなって。

 

あ、一寸思い出したので、余談。

昔、「東京で専作伝を習っていた人がナイフで刺して来た相手に対して初伝3本目を使ったら足を刺された」という話を聞いた事がある。

が、これは何の事はない(こう言っては気の毒だが)、その本人にセンスが無いというだけのハナシである。そんなヤツ、他の何をやったってダメに決まってる。

車の運転にセンスが無い人、料理のセンスが無い人、洋服選びのセンスが無い人、そういう人達が居るように、

ホント、戦う事にセンスのないヤツっているんだよ。

 

 

 

 

今週読んでみた

11月6日 集英社“信ずる心”シリーズ・『地蔵菩薩』紀野一義著

これまた私にはいま一つ面白味がなく、読むのに時間が掛かった掛かった(笑)。

ある地域のお地蔵さん霊験譚だとか、長々と項数を取ってあり、“そんなモノ、要らんじゃろ?”と、独り夜中にツッコンでみたりもした。

弥勒菩薩の本でも同様の感を持ったが、やはりそれだけ一つの仏・菩薩で一冊書く(所定のページ数を埋める)というのは、

大変な作業なんだろうな、と想像したりした(笑)。

・・・にしても、紀野先生のこの本、良くも悪くも情緒的に過ぎるのではないだろーか。

 

 

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今週のひと言

武術なんてーのは、楽しみながらやれば良いんですよ(笑)。あ、無論“楽しむ”のと“不真面目”なのは違いますよ。

芸事なんてーのは、必死こいてやったって、必ず壁にぶち当たるし、そこを乗り越えるのは“明るさ”ですよ。

どっか余裕なくて必死そうな人ほど、一寸した事でポコッと折れちゃったりするもんですしね。

 

 

 

11月4日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス

気温に落差があるせいか、随分寒いな・・・と感じた今日。宮城にもそろそろ冬の訪れでしょうか。

そろそろ道場に灯油も用意しなくちゃかしらね(笑)。

 

今夜の稽古にはS木君と高校生I君が参加。常のメニューでしっかり稽古。

①準備体操

②基本・各種

③反応訓練・防禦練習

④外家拳テクニック

⑤歩法

⑥約束組手

⑦柔術(大和流/初伝逆取10本)

⑧スパーリング

で2時間の稽古。

 

 

★昼間NHK『こころの時代』で再放送した『心はいかにして生まれるのか~脳科学者と仏教』は、

現代の人達にも理解しやすい、とても良い内容だと思う。

脳外科医・浅野氏の本は高いので買わなかったんだけど(笑)、こうして復習出来た(2回見た)から良いか(笑)。

 

 

 

11月3日(金) 仙台・套路(型)クラス

気温が上がって暖かかった(暑かった?)本日。

稽古にはS木君、Y田さん、石巻I藤君、K池君が参加した。

先ずは準備体操と基本功を行ない、基礎的な対錬を練習。

後半は套路の時間とし、各自套路や対錬を練習した。一同熱心で10時過ぎても終わる気配がないので、

10時20分頃に一度稽古を終了した。が、その後も残って練習して行った様子。とても良い事である(o^-')b

 

地ショウ拳の套路を(大雑把にだが)I藤君が憶えた。これから細部の修正をし、動きが身体に馴染んだら、

用法へと移って行きます。この類いの特殊拳法の用法は個人の工夫による所も大きくなりますが、何にせよ

身体に馴染まないとイカンわけです。

私ももう数年で50です。これからは若い人達の時代になりますから、学びたい人はドンドン学んで下さいよっと。

 

 

 

≪雑談≫

「平成生まれは・・・」といった言葉を聞くようになって久しく、

私自身も、今の若い人はナニか違うなぁ・・・と感じる事も多々ありますが、

これが“世代間ギャップ”というものなのだろうな、と一人納得している最近でございます。

 

ギャップがあって当然ですよ、そりゃそうでしょう、子供の頃に電子レンジもなく、

テレビもまだ全家庭に普及してなかった世代と、生まれた時からスマホだの、パソコンだのに

囲まれて、中学生から化粧品が手に入って、外食だって出来てます、って世代とでは

違っていないハズがないのです。

何よりさ、自分の子供位の世代の連中と話が噛み合う、理解し合えると思っているのが間違いですよ。

・・・ま、そうは思っていても、確かに“もう少しキチンとコミュニケーションが取れないものだろうか?”

と思う事は度々ありますが(笑)。

 

そんなワケで、

「平成生まれは・・・」とか、「最近の若い人は・・・」

と言われる様になって久しいのですが、これは我々ジジイ世代限定の感想でもないようで、

昭和60年代生まれの人(経営者)でも、「平成生まれは何か違いますよ」

とおっしゃる。昭和60年とか62年生まれって言ったら、私達から見て平成生まれと同世代ですけどね。

そんな彼らも“違う”って感じてるって事なのでしょうね。

 

そんなこんなありまして、確かに、何か違う気はするのですよね。そう、違う人種のような。

で、若い人達を何年か観察してみたのです。その結果、

“総じて想像力に欠けるのではないか”という結論に辿り着きました。

例えば、「ここで早目に連絡入れないと相手がたが迷惑するだろうな」

という気が回らないのです。だから、上の世代からは“自分勝手”に見えてしまう。

これは人が迷惑するだろう、迷惑するかも知れない、という想像が働かない感じがします。

その調子なので、総じて不注意でもあるのです。

電話で話しても、用件をキチンと伝えられないのです。

自己完結しているのかな? 相手に伝わらない言い方しか出来ないので、

こちらから、「なに?〇〇ってコトなのか?」と聞き返さないと、危ない。

これらはきっと、今の人達は幼少期から親や、先生、大人達が彼らに気を回し、先手を打って

困らない様にやって来たから違いない。だから困った経験がないのよ、工夫や伝達が出来ないよね、そりゃ。

なので、彼等は“非常識に見える”のではないでしょうか。

ま、我々大人の責任ではありますかね(笑)。

 

そんな結論を出しつつある、この頃なのです(笑)。

 

 

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30日夜に予定していた石巻教室は中止になりました。申し訳ない。

秋田の仏壇屋さん経由で葬儀を依頼されまして、早朝(4時半)出発で横手市まで出かけてきました。

前日の日曜も「今日は縁日でしたか?」って程に忙しく、翌31日も外回りのお祓いがあったので、

ちょっとばかし疲れています(笑)。

本日1日も、月初めは忙しいですしね。

 

ところで。

今回葬儀を依頼された葬儀社さんのすぐ近くに、良い感じの造り酒屋があるぢゃないですか!

これは是非、買って帰らねば!と、葬儀社の社長さんにその酒屋さんの話を伺いますと、

「もう閉鎖しちゃってるんですよ。でも、この数軒隣に地酒屋があります」

と教えられ、空き時間に寄ろう!と思っていたのですが、結局バタバタで酒屋さんには寄れず。

ま、遊びに行ってるんじゃぁないので、当然といや当然なんですけど(笑)。

最後に社長さんから「お酒は買いました?」と聞かれ、

「いやぁ結局寄れませんでした。ま、又いつか機会を楽しみにします」と答えますと、

社長の奥様が、「あれ、あのお酒が有ったさ!差し上げたら」と、なんとご好意で2本頂戴してしまいました。

いや~言ってみるものですね。←「言ってみるもんですね」じゃねーよ、全く。

初めてお邪魔した土地で、アレもコレもとご親切を頂きまして、関係の皆様、誠に有難うございましたm(__)m

 

・・・とまぁ、今週はまだ“指導”はしてませんので、こんな余談でお茶を濁してみました(笑)。

因みに11月の石巻教室は、13・27日の予定です。

 

 

 

 

 

≪雑談≫

オリンピックなどでテコンドーの試合を見て、「実戦的だ」と感じる人は居ないでしょう。

完全に競技(スポーツ)ですよね。“ああゆうルール”の。

試合形式のテコンドーとは別に、武術的なテコンドーが存在しないのでしょうか。

きっと有るんじゃないかな?

 

剣道もそうですよね。「ああゆうルールで行なわれるスポーツ」。

そこに実戦性だの、剣術の本義だのという物は期待する方がどうかしてるのです。

尤も、剣道をやっている方々は「スポーツではない、武道である」との矜持をお持ちの様ですが。

勘違いですよね、それって。

 

ところで、竹刀と真剣では扱い方が違うワケですよ。竹刀は叩く武器であって、刀は斬る武器です。

剣道のやるチャカチャカした手先の速い扱いは竹刀だから出来るのであって、

木刀に持ち替えただけでも全く同じ扱いをするのは難しくなりますよね。鉄で出来ていて、薄い真剣なら尚更の事です。

バランスの在り処も違ってますからね。

だから(ここからです)、古流の対真剣の技が剣道専門家から見れば「あれは使えないですよ」ってコトになるのです。

例えば古流に「相手の刀を空かして上から押さえる」って技があるとしますと、

それを剣道家は「出来ませんよ。実現不能です」って言うんですが、

これも全て、竹刀と剣の扱いの差から出て来る意見の違いなのですよ。

竹刀同士には竹刀用の、真剣にはそれ用の戦い方がある、というワケなのです。

扱い方が違うのですから、剣道の高段者が模造刀をちょっと使ってみたら刃を曲げてしまった、

なんて恥ずかしいコトが、普通にあったりしちゃう訳です。

だから、竹刀を使う剣道家が「竹刀を真剣と扱え」と言うのは、気持ちとしては理解できるけれど、

内容としては、これっぽちも正しくないワケです。

 

さて、我々拳法家が彼等を相手にする場合です。

真剣相手ではそれ用の戦い方が伝承されてますから(これは古流に充分ありますから勉強して下さい。怖いけど)、

ここでは述べないとして、

竹刀(現代剣道)相手の時です。彼等の動きは速い訳です。

でも、竹刀なんかよりは我々の拳足の方が遥かに威力が高いのですから、そこを前提にして戦法を組み立てれば良いのです。

 

 

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≪今週のひと言≫

この国では、坊さんが

「僕は肉は食べないんです」と言うと、なんか矢鱈と尊敬されるけど、

「僕はお酒を飲まないんです」と言うと、

「つまんねー坊さんだ」と陰口を叩かれるの。

面白いですよ、日本って(笑)。

 

 

 

10月28日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス

今夜はS木君とマンツーマンになったので、彼の希望を入れた稽古にした。

①準備体操

②防禦練習。これは目慣らしに毎回やりたいもの。

③形意兵器の復習。途中で柔術(大和道初伝)の練習も入れながら、棍、刀、槍の套路を復習。

時間の都合で復習出来たのは槍の途中まで。

 

昨日の『指導日記』でも書いたが、最初にキチンと教えた筈だというのに、年数が経つと型が変形している人がいる。

これは多分、真剣さが足りないからである。そうとしか考えられない。

“また習えばいいやぁ”と考えているから、何度直しても憶えないのだろう。“一度しか習えないかも”との緊張感があれば、

そんなに何度も型が崩れないし、一度は正確に覚えたのに、時間が経つと変形してしまうという事もなかろうに。

真剣であればしっかり復習する。復習していれば上達する。上達すれば更に上の内容を習える。というものなのだが。

何度となく忘れ、型が変形してしまうのでは、何年経っても憶え直しばっかりに終始し、上達なんか有り得ないだろうに、

勿体ないなぁ。

・・・きっと、学校でも習い事でも、何度でも同じ事を教えてくれる親切な先生達に教わって来たんだろうな。

今って、そういう“やさしい”時代なんだろうな。

良いんだか、悪いんだか。

 

 

 

★月曜(30日)早朝より秋田へ行く事になりました。帰宅が遅くなるので、当日予定されていた石巻教室は中止致します。

急な連絡でご迷惑をお掛けしますが、宜しくお願いします。

 

 

 

10月27日(金) 仙台・套路(型)クラス

事情で出発が一寸遅くなり、道場に着いたのは8時過ぎだったが、まだS君のみだったので少し安心(笑)。

套路を見てやっている内にHさんやK池君も道場に来たので、今夜はそのまま套路練習に突入。

套路を直したり、新たに進んだりしながら、K池君にパソコンの相談をしてみたり、他の雑談も色々(本当に雑談満載)。

 

套路も最初にちゃんと教えている筈なのだけど、時間が経つと変わっていたりする(笑)。

そう、オリジナルが入っちゃって、動きが違って来たりするのだ。

違いにも許容範囲と(“俺が習った動きとは違うけど、ま、こういうのも有りか”と思えるものと)、

“そりゃーねーだろー”と思ってしまう違い(つまり間違い)とがあるものです(笑)。

 

 

 

★昔買って、どうしても再生できず打っちゃってあった少林拳と棍のDVDとVCD(中国製)、

ふと“そういやK池君にPCを新しくして貰ったんだっけな”と思いつき、

PCに突っ込んでみたら、お蔭様で無事に見られました(笑)。

拳は武術教師の表演で、棍は映画俳優の表演。どちらもシンプルで簡単に覚えられそうですが、

もう稽古の中心が内家拳にシフトしている私には、これらを覚えるガッツが沸かないのでした。

・・・何かモチベーションでもあれば、一気に憶えちゃうんだろうけどなぁ。

 

 

 

≪雑談≫

「教える事は学ぶ事です」とは、良く言われます。

実際、教える立場になると、イイカゲンなコトを教える訳には行きませんから、

自分も真剣になるし、改めて勉強しなおすし、生徒を見て考えたりと、

気付きや発見も多くあるものです。

 

人様に教えられる位になるのには、数年は掛かりますし、

それだけの期間を生徒として教室に通い続ける事が出来る、というのは

その道が好きだからですが、

教える立場になると、もっとその道が好きになるものです。

 

教える為に努力をするので、レベルが上がりますから、尚の事面白くなります。

ま、中には教える立場になった瞬間から、努力をしなくなっちゃって、ふんぞり返っちゃう人も

いるかも知れないのですが、そういう人はホント、稀です。

普通は、“教える立場になる”のは、良い方向へ働くものです。

 

だからこそ、先生は「教えられるようになれ」と言うのですし、

「君はもう何年もやっているのだから教えなさい」と言うのです。

実際、“この人は教える様になればもっと上達するだろうな”とか思う人(生徒)もいますし。

あ、中には“こいつは教える立場になったら悪くなるだろうな”と思う人もいますが(笑)。

 

なので、「教える事は学ぶ事」と先生が言うのは、

“支部が増えればオレサマもっと偉くなるし、上納金も入ってガッポガッポ。うひひひひ~”

とか、ろくでもないコトを考えて言っているものではないのです(笑)。

ま、その証拠に私は愛好会の主催者から上納金などは貰っていませんよ。ふふふ。

 

 

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※23日に予定されていた石巻教室は台風の影響で延期になりました。

夕方になっても、まだあちこち冠水していましたからね。

石巻の河川近辺の冠水は塩分を含んでいるので車を傷めます。皆さんもご注意を(^^)

30日(月)が次回の稽古予定です。

 

 

 

≪雑談≫

生徒達と一緒に準備体操や基本功をやっていると、その生徒が“どの位観察しているか?”がはっきり解る。

体操をしていても、体重の位置が違っていたり、身体の向きや、酷い時は手の左右が間違っていたりする。

何ヶ月も、何年もやっているのに、こういう間違いをしている人は決定的に観察眼が足りないのです。

間違っていれば、最初の何度かは「そこはこうだよ」と直します。ですが、2~3度言っても治らなければ、

私はそれ以上繰り返して言う事はありません。

何故なら、その生徒が“こっちの方が良いだろう”と、自分の意思でそうやっている可能性もあるからです。

 

なので、「自分の意思で変えている訳ぢゃないです」という人は、よ~く観察して、自身の動きと比べて下さい。

“あ!何年も間違ってた!!”って気付く所もあるかも知れませんよ。

かく言う私も、昔、

“うお!長い事間違ってた!準備体操だからって思い込みでやってた!不覚っ!”

と焦ったコトがあったもんですから(笑)。

 

 

 

今週読んだ

10月25日 集英社『信じる心シリーズ③弥勒菩薩』石上善応著

弥勒信仰にスポットを当てた一冊だが、ワタシにはイマイチ面白味が足りなかったせいか(笑)、

読書にスピードが乗らなかった。

韓国では(少なくともこの本が出版された1987年以前は)弥勒信仰が盛んだったんですね!

知らなかったなぁ。

 

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≪今週のひと言≫

個性というモノは人格から滲み出るモノであって、実に内面的なモノである。

服飾を以って「個性」だと言うのは、没個性である事の証左以外の何物でもない。

・・・そんな解り切ったことを、わざわざ述べてみる(笑)。

 

 

 

10月21日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス

本日も雨。S木君、高校生I藤君、石巻@伊藤君が稽古に参加した。

やっぱり最低でもこの位人数がいると稽古も楽しい。

 

①準備体操

②基本・各種

③防禦練習、反応訓練

④外家拳技術

⑤歩法

⑥約束組手

⑦柔術・大和道、今夜は初伝合気10本。

⑧スパーリング

で10時15分頃に終了したが、その後、S木君が纏めた稽古内容の備忘録をチェックし、10時半頃に道場を出た。

 

勘違いや思い込みの多かったS木君が、最近は習った内容を直ぐノートに取る様になったのが成長か(笑)。

 

 

 

 

10月20日(金) 仙台・套路(型)クラス

S木君、Y田さん、Hさん、K池君が稽古に参加。

仕事が忙しく休みが続いていたHさんが久々に道場に来たが、バイクの彼女には雨で気の毒した。雨天でもバイクで来る熱意が凄い。

①正宗太極拳の基本体動

②五行拳、正宗太極拳、穿掌などを皆で揃って練習

③対錬を数種類

④各自、套路の練習

⑤推手を数種類練習

⑥整理運動

で10時過ぎに終了し、私は帰ったがK君やS君はその後も練習して帰った模様。熱心で良いね。

 

②は套路の細かい所も(レベルに応じて)解説を付けながら。穿についてはここで解説しない。

③長い套路になっている対錬ではなく、シンプルな物を数種類。シンプルな物なので初心者から練習するのだが、侮ってはいけない。手順を憶えるだけなら簡単だが、実用に耐えるレベルにするには、多くのコツが身につかなければならない。そしてそれらのコツは、他の技術にも直結する。

⑤推手は力を入れて行なっては無意味な物になる。力は何時でも入れられる、無駄な力を抜いて練習するのである。そこから初めて解る事がある。力んでやる位ならやらない方がマシである。「力を入れてくる相手に対してはどうするのか?」は、次の段階のハナシである。

という事で、また次回!(^_-)-☆


≪雑談≫

仏教の特徴のひとつが、死を嫌わない、ことです。

神社さんですと死を嫌いますよね。死穢、とも言って、

身内の死者が出たら〇日間は神社に入ってはならない、とか決まりがありますね。

“死の穢れ”は日本の感覚であって、インド発祥の仏教では持ち合わせないのです。何せインドじゃ

火葬した骨をガンジス川に掃き捨てますからね。その直ぐ傍で沐浴をしてる位ですから。

(日本の死穢感情は、遺体が腐敗して行く中で伝染病を避ける為だとの説も有ります)

だから神社さんに遺体を入れたら大騒ぎになりますが、仏教はお寺の本堂でお葬式をしますし、

本堂に遺骨が普通に置いてあったりしますよね。

これは仏教創始のお釈迦さんが悟っていたからです。悟れば、生も死も同じ自然な流れ、という事が解りますから、

死は特別なコトじゃなくなる訳です。だから仏教では死を嫌わないし、“穢れ”などという事も言わないのです。

 

実際ね、死穢とか、産の穢れとか言って、神棚閉めなきゃならんだとか、塩を撒かなきゃいけないとか、

身内に死者が出たら正月の他家を訪問したらイカンとか言いますけどね、

そんなもな、無視したって全然悪い事なんか起きやしませんよ。

気分の問題です。

塩を撒こうが、神棚閉めようが、悪いことが起きる時は起きますし、良い事が起きる時は起きます。

正直、大真面目に「不幸」とか「穢れ」とか言ってるのを見るとですね、

“バッカぢゃねーの?”

と思いますね。ま、言えませんけど(笑)。

 

あ。言っちゃった。

 

 

 
今週読んだ

9月28日 『仏教の歴史⑦ 普遍への目覚め~聖徳太子・最澄・空海』

インドで興り中国・朝鮮経由で日本に入って来た仏教が、どう国内に根を下ろしていくか?の巻。

日本の仏教については基礎知識が充分なので、ほぼ半日で読めた。

 
9月28日 『仏教の歴史⑥ 禅の道・念仏の道~仏教の中国化』

中国での発展から、骨抜き政策で仏教がダメになるまで。歴史的記述が多く、何だか「お勉強してる」感じ(笑)。

これを読んで、“そっか、中国の仏教は無くなった様なものなのか”と認識した。

・・・とはいえ、『宗教』といえば“エゴな願いを叶える(満足させる)モノ”だと思っている我々日本人の仏教も、

そうとう終わっているだろうから(笑)。

といった所で、次巻からは“日本仏教”へと舞台は移る。

 
9月24日 ひろさちや著『仏教の歴史⑤ 東漸する仏教~シルクロードから中国へ』

インドの風土・思想をベースに生まれた仏教が、異国の中国でどの様に消化されて行ったか?の試論。

前4冊と比べても説明箇所が多いので、一般向きではないかも。

 

所で、

ひろさちや氏が中国皇帝が作らせた兵馬俑などを見て、「これは仏教(的思想)が無いからだ」と思ったと言うが、

実は私も中国であの兵馬俑を見た時には似た感慨を抱いた。

「この人(皇帝)は何をそんなに恐れていたんだろう。何をそんなに執着していたんだろう」

と思ったものだ。

平たく言えば、「アホちゃうか?」 と思ったってコトだな(笑)。

 

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9月23日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス

S木君は仕事、高校生I藤君は試験期間で今夜の道場をお休み。

石巻I藤君のみ参加希望との事なので、「石巻在住の2人が仙台まで行って稽古する必要もあんめぇ」

と、石巻で稽古をしました(笑)。

ML掲示板に書いた通り、土曜クラスの出席者が増えると嬉しいのですが・・・^^;

 

稽古内容は基本的に仙台・土曜クラスの流れで。

但し、折角のマンツーマンなので、I君が大体出来ている物(技)の練習は省いて稽古。変化や基本以外を多目に。

①準備体操、基本功

②基本。但し普段の道場では教えていない物。3種ばかり。今後はこれらを実際に当てる練習もしてやらねば(笑)。

③防禦練習。

④外家拳技術

⑤居合。折角彼が日本刀を持って来たのでちょいと(笑)。

⑥ライトスパー。彼に課題を与え、目的を持って貰ったスパーを。

⑦タントウ

で、1時間半ほどの稽古。

・・・あ、彼はヌンチャクも持って来てた様なのに見てやるのを忘れた!チェックしてやれば良かった。

 

★稽古が終わってメールを見たらS島さんから稽古の感想と、若い人の就職へのアドバイスが届いていた。

昨日の②について楽しんで貰えたら何より。又、

若人の仕事については“こんなに親身になれる人って居るんだな”と感激した。

有難うございますm(__)m

 

※次週30日は道場お休みとなります。

 

 

 

9月22日(金) 仙台・套路(型)クラス

S島さん、Yさん、K池君、M子さんが稽古に参加。

①準備体操、基本功

②ショウ泥歩(八卦掌の歩き方)。「正しく歩けば技になる」所の基礎を実伝。

③或る基本功の用法練習。

④正宗太極拳を全員で。

⑤夫々套路の練習。用法も交えて。

⑥推手と、推手の技化。

等で10時半に稽古を終了。

 

8時前にS島さんが来ていたので、形意拳の練習方法を解説。

「昔某道場で形意拳を習っていた時はこれで打てるという気がしなかったが、ここで習う様になってから打てそうな感じがしてきた」

と仰って頂き、私自身、大変嬉しく思った。

 

※次週29日は武器術で遊びます。道具、持参可能な方は宜しく。

 

 

≪雑談≫ イチゴのシェイク

小学5年生の頃、東京の友人宅に泊まりに行って食べた『シェイク』というもの。

あの時、“世の中にこんな美味しい物があるのか!”と衝撃を受けたものでした。

今もハッキリ覚えてる程、衝撃的だったんですね(笑)。

 

その後、何年も経ってから仙台でイチゴシェイクを食べたのですが、

小学生の時に感動した程、美味く感じなかった。ガーン。

期待が大き過ぎたからか、店が違っていたからか、舌が肥えたからか、それは解らない。

 

私の中学時代、『ブルーベリー味のガム』が出た。友人に貰って食べたら、

“こりゃー美味しいもんだ”と思ったが、

今の子供は「ブルーベリー味、きらい」と言ったりする。

・・・時代が変わって、小さい頃から美味しい物を口にしてるんだろうなァ、と思ってみたりするこの頃であります。

 

 

 

今週読んだ

9月22日 『仏教の歴史④ 民衆仏教の軌跡~大乗から密教へ』

大乗仏教→密教への発展、そしてインドから仏教が消えるまでを扱った巻。

仏教は、ヒンドゥー教(民衆宗教)へと吸い込まれて行った、というお話し。

色々考えさせられますよ、ホント(笑)。

 

あ、そういや長老派仏教(小乗仏教)の修行者の中には、

「インドの仏教は消滅したと言うがそれはスリランカやタイ等に移動しており、決して消えていない」

と力説する人もいるが、それは詭弁でありますよ。

 

 

9月20日 『仏教の歴史③ 大いなる教え興る~大乗仏教の成立』

ひろさちや氏のシリーズ第3巻。

2・3巻は1巻と比べると少し話が専門的な感じもするので、一般の方には面白味が少ないかも知れない。

でも、他の専門書を読むよりは、随分解りやすいと思います。

にしても(狙ってやってるんでしょうが)ひろ氏の小乗批判はナカナカ凄く、流石の私も“度胸があるなぁ”と思ってしまいます(笑)。

ま、批判されているように小乗(部派)仏教がエリート用の煩瑣な教学主義に陥ったからこそ、

その批判として大乗思想運動が興ったのではありましょうが。

 

↓以下は興味のある人にだけ。

実を言えば、私も細かい教学は“遊び”としか思えない時期がありまして、

大学で仏教学を学んで抱いたのが、“この煩瑣な理論が悟り(救い)に役立つのか?”という、

ある意味、批判的な思いでありました。(生意気覚悟で言うのですが・・・)

殊に私の場合は卒論で部派仏教(説一切有部)を利用したので、尚更その思いを強くしたんでしょうね。

勿論、そういった瑣末にこだわる研究が無意味な訳ではありません。

だけど、生きて、この場で苦悩している人間を救いはしません。

その学問が、幼少時に死の恐怖に直面した私の解決にはならなかったし、

“祈祷師”として、生きている人達の苦悩の解決に当たって来た父を見て来た私には、

学究的研究は些事としか映らなかったのは事実だったですね。

そういう意味でも、ひろさちや氏の“部派仏教批判”は同意見ではあるのです。

・・・けれどもやっぱり、『宗論はどちらが勝っても釈迦の恥』でありますからね、怖い怖い(笑)。

 

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9月18日(月) 石巻教室

①八卦掌(竜形)の復習。細部修正。

②専作伝・心眼流。初伝の組取も練習。組取ると最も稽古した築館伝と混雑して手こずった様子(笑)。ま、そりゃそうだよな。解る解る。

③居合(抜刀)。Y先生伝の物を一つずつ復習する事にした。

④推手も少々。

⑤タントウ。今夜は三体式での練習。使う筋肉について良い質問が飛び出す。

⑥自己マッサージ、整理体操。

で1時間半の稽古。

※10月は9日・23日(共に月曜)に稽古予定。

 

 

 

≪雑談≫ 私は密教の坊主なのでして・・・

密教とは、つまるところ

自分が神である、と実感・自覚するところにあります。

(神と言おうと仏と言おうと表現しようとする所は同じなので、恐らく一般の方に解り易いであろう“神”という言葉を使いました)

密教の“密”とは、その事実が気付かれていない、隠されている、という意味で“秘密”の密なのです。

そういう意味ではキリスト教にも密教的(秘教)派があった(ある?)と言われています。

 

蛇足ですが、

“自分が神である”という事は、つまりは、

この世界に存在している全ての人が、動植物が、もっといえば無生物も神である、と実感する事です。

 

これ以上の解説は不必要でしょう。この“密教的”思想・気付きが、人にどんな影響を与えるか。

こんな思想を持つ人達が増えたなら、きっと色々な問題が解決しますよ。世界平和も目前だよ、

と、言ってみます(^^)

 

 

 

読んでみた

9月17日/ひろさちや著 『仏教の歴史② 仏陀なき仏教~小乗仏教の世界』

シリーズの第1巻が面白くて、思わず半日で2巻も読んでしまった(笑)。

この巻では釈尊が亡くなった後の仏教教団(釈尊滅後~部派時代)について述べている。

ひろさちや氏は仏教学者ではないので、自由な発想が魅力的である。説明も上手い。

又、ひろ氏のデーヴァダッタ(手塚の『ブッダ』ではダイバダッタ)像は興味深い。

 

 

9月17日/ひろさちや著 『仏教の歴史① はじめに釈尊あり』

流石ひろさちや氏の本。大変解りやすく、一般の方にも読み易かろう。

ひろさちや氏の本は基本的にどれも初心者にオススメですが、これも良いですよ。

所で。文中の

「釈尊は苦行を無意味として斥けられたのに、水行などの苦行をする坊さんはお疲れさんである(趣意)」

を読んで、思わず笑ってしまったが、頭をガツンとやられたのも事実だ(笑)。

実は高野山には水行がない。(今、奥の院手前の川にある『水行場』の看板は近年作られた物だ)

同じ真言宗でも後世派生した醍醐派や智山派では修験道の影響も強く、水行をやる様だ。

大師が水行を導入しなかったのだとしたら、その意図は釈尊と同じく“中道”の修行法にあったのではないか?

と考えてみた。(暖房のない昔、冬の高野山で水行なんかしたら凍死するだろうけど。当時は山上で生きてるのが苦行か)

ま、苦行というのは当人にも“俺はやってるぜ”との自負が出来る上、それを見た一般人にも“凄いっすね”と

簡単に説得力を持たせられるモノではある。でも、“苦行をしている”という所に自負や自慢を抱くようになったら、

それは仏教が最も嫌う“執着”であり、釈尊の真意から遠い遠い(笑)。なるほど、だな。

 

この本を読む前にクラウゼビッツの『戦争論』を読み始めたのだが、文章がややこしく、

けれど理解してみれば大した事も言ってない様な本なので、45ページ程読んで放り投げ(笑)、

『仏教の歴史』シリーズを読み出したのである。

 

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9月16日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス

今夜は(勘違いもあったのだが)誰も道場に来られないとの事で、石巻の門下生と飲みに行った。

I藤君に「連れて行くよ」と言っていた店に漸く連れて行けて、約束を果たせた(笑)。

 

 

★良く言われる様に、収入も、持ち物も、肩書きも、裸になったらクソの役にも立たない。

人間、最後に頼りになるのは、己の精神と身体だけである。

だから、精神も鋭くしておかねばならないし、動ける身体も作っておかねばならん。

リストラを契機に身体を使った仕事をするにしろ、身体が動かないんじゃどうしようもない。

だから武術をやっておけ。

と、とんでもなく我田引水な話をしてみる(笑)。

 

 

 

9月15日(金) 仙台・套路(型)クラス

ここで余りこう類いの事に触れない方が良いと思うのだけど、老先生が良く仰っていた様に、

「国内の事は国内で出来る様にしなきゃいかん」のだと、私も思うのです。エネルギーも飲食物も、軍備も。

それが大前提・基本だと思います。・・・ここ以外では何度も言って来た事ですが。

 

5~6歳にもなれば解るようで、私の周りだけでも小さな子が「てんとう(戦争)でち(死)にたくない」と言うのを聞いています。

小さい子供が「戦争やミサイルで死にたくない」と言う状態は、既に平和(平時)ではないと思います。

 

さて、今夜の道場。

参加者は2名。YさんとHさん。準備体操をし、先ずは一緒に正宗太極拳を。

その後、太極拳の套路を練習。

途中、南方心眼流のT哉君が遊びに来てくれ、心眼流絡みの雑談などを(必要事はMLで流します)。

最後に整理体操をして、10時に今夜の稽古は終了。

2時間しっかり正宗太極拳に時間を使ったので、2人共だいぶ套路の順序を憶えた感じ(笑)。

 

 

★先日S島さんから頂いた“横浜ビール”。3種類が入っていたのだけれど、これがどれも色も香りも濃く、味も深みがあって甲乙付けがたい。

いやはや、世間にはまだまだ面白いビールがありますね。

S島さん、ご馳走様でした。有難うございましたm(__)m

 

 

 

 

≪雑談≫

前々回更新の『雑談』で、“教わり方”について語ったので、その続きを。

 

同じ流派であっても、先生(系統)が異なれば手の形、歩き方、重心の位置など、色々と異なるものだ。

違う先生に習う時に、「(前に習ったやり方と違うから)出来ません」と言ったら、それでオシマイである。

もうちゃんと習えなくなる。教えてくれなくなる。

違いは違いとして、出来るように努力するべきだ。例え時間はかかったとしてもだ。

そして、A派の動き(套路や用法等)をする時と、B派の動きをする時とでは混雑させてはならない。

区別して行なうべきである。その区別から、大きな事が解る時もある。

何より、動きの混雑は教えてくれる先生に失礼である。

 

私の中国武術の師匠はまだ全員(日本人は)生きておられ、名前を出さない方が良さそうなので(笑)、

心眼流で話をする。

 

私が心眼流本場の登米市に習いに行った35歳。中国武術の身体使いと心眼流のそれとでは随分と違っていて、

本当に苦戦したものだ。“これまでの経験が邪魔になってる”とまで感じた位だ。

その南方の心眼流が何とか型くらいは憶えられた頃、今度は、

築館の老先生が教えに来るようになり、型も動きも更に変わったが、

これも両方を毎日区別して練習するようにして乗り切るようにした。すると、最初は

「君の様に色々やっている者には教えない」

と私を指差した老先生が、古くからの弟子と区別をせずに教えてくれるようになったものだ。

 

こういうものだ。最初から「ボクは出来ません」などと言ったら、

「んじゃオメーなにしに来たんだよ」って事になる。

「出来ねーだと? やる気がねぇんなら、ハナッから前の流派だけやってろよ」

って事になるのは当然だ。

 

こんな当たり前の事なんだが、出来ない人が思ったよりも居る。

私も改めて、己を見つめてみようと思う。

 

 

 

 

今週読んだ

9月14日 アルボムッレ・スマナサーラ著/『やさしいって、どういうこと?』

“エゴを捨てれば真のやさしさに辿り着く”という内容。その考え方と瞑想の仕方の本。

著者は日本在住の長老派仏教の坊さんなので、ご存知の方もおられるでしょう。

歴史的に大乗仏教中心だった日本に、こういう小乗(長老派)仏教の指導者が参入してくるのは大賛成、

実に良い時代になったものよねぇ、と思いまさぁね。

色々な思想の存在が許され、個人個人が選択出来る。こんな世の中は素晴らしいですよ。

・・・しかし、この長老の本(つまり意見)は、大乗仏教やキリスト教など、他宗他派に対して常に否定的です。

これを“エゴ(執着)”と言わずして何としましょう(笑)。

かように否定的な所が、大乗側からその昔、「小乗」と軽んじられた理由の一つなのでは?と思うに至りました。

 

 

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9月11日(月) 石巻教室

①専作伝・心眼流の型、復習。少しずつ良くなって来ている。

②老八掌の復習。3箇所程を修正。

③竜形八卦掌の復習開始。今夜は1~6掌までを。

④仙台・土曜クラスの基本を二つ確認。或る者が“便法の練習”を“本当の動き”だと勘違いしていたので、もしやI藤君もか?と確認してみた。キチンと理解していたので一安心(笑)。

⑤ショウ泥歩について。説明と再練習。正しく歩けば、それが“技”になる。

⑥自己マッサージ

⑦タントウ

で90分の稽古。バイクで来たI藤君、帰りも雨で気の毒した。

「最低限、この位は出来て欲しい」という私なりの水準があるが、I藤君がそこに近づいて来た。嬉しい限り。

 

稽古が終わってメールチェックしたら、S島さんから楽しいメールが届いていて思わず笑った。面白いなぁ(^-^)

 

★中国の武術(拳法)には「蹴りや突きに見えるけれど、そうではない」技があります。

ところがこれ、キックボクシングや空手を見慣れた我々現代の日本人にはキックやパンチとしか見えないのです。

“これ、使いづれーなぁ”と思っていた技が、実は使い方が全然違ってた、という事もあったりして、

それに気がつく(教わる)と、“そりゃー使い難かったさなぁ、だって使い方が違ってたんだもんなぁ”

と自分で笑っちゃうコトがあったりするものです。こういうのも面白いもんですけどね(笑)。

 

 

 

≪雑談≫

一日の仕事が終わり、暮れて来た頃、街を走るとパチンコ屋の客が多い事に気付く。

聞いたところ、仕事帰りに一寸パチンコを・・・という人も多いそうだ。

好きな人には申し訳ないが、パチンコは勿体ない時間と金の使い方だと思う。

あの時間に、本を読めば知識が一つ増えるだろう。

運動をすれば、心身の健康に一つ近づくだろう。

人と話をすれば、知らない事を一つ知るかもしれない。

習い事をすれば、技術が一つ身につくだろう。

家庭持ちなら、早く帰って伴侶や子供と会話をすれば家族の抱える問題が少し小さくなるだろう。

 

私は賭け事が趣味に生まれつかず、本当に良かった。

もし別の生を賜ったとしても、バクチとは縁がありませんようにー(笑)。

 

 

 

読んでみた

9月10日 鄭飛石/『小説・孫子の兵法(上下)』

歴史小説。

国家への一言が入ってるのが中国人小説家っぽい感じがする。←国家に言いたい事が沢山あるんだべ。

いちいち説教臭いのも、それっぽい。

小説として好きかは、人それぞれなんでしょうね。ボクは多分、読み返さない。

 

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9月9日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス

昨夜秋田で震度5強の地震があったんだね。宮城は殆ど揺れなかったみたいだし、丁度運転中で全く解らなかったなぁ。

それにしても、大きな被害がなかった様で何よりだ。

 

今夜はS木君と高校生I藤君とが稽古に参加。標準メニューで稽古。

①準備体操 ②基本各種 ③反応訓練・防禦練習 ④外家拳テクニック ⑤歩法 ⑥約束組手 ⑦柔術(合気10本) ⑧スパーリング

で2時間一寸の稽古。

 

★身体の調子が悪い時や、気分が乗らない時、は誰にでもあります。

そんな時に日々の稽古を休むのか、それなりにでもやるのか、で大きな違いが出て来ます。

調子イマイチ、やる気の出ない時は、軽~くやります。

そう、手足のタイミングや、動作のチェックなど、そんなコトをやるのです。

普段、力一杯・スピード最大!で稽古をしている人なら、又違った気付きがあるかも知れませんよ。

※日々の自主練習の事であって(伝染する病気の場合は)道場に出るのは控えた方が良いかもですよ(笑)。

 

 

 

9月8日(金) 仙台・套路(型)クラス

数年前に一度だけ話をした人が訪ねて来てビックリ。「3年間沖縄に移住していた」と聞いて2度ビックリ(笑)。

聞けば親族間の事情で沖縄に移住したが、食生活はじめ気候風土に馴染めず、その上、年少の子供が

「帰りたい」と夜に泣くようにもなり、ある程度事情が片付いたので先月、帰って来たとの事。

私の周りで沖縄に遊びに行った若い人は殆ど全員が「いつか沖縄に住みたい」と言うのだが、いざ実際に住んでみると

大変な事もあるのだろうな、と思わされた。特に子供が居れば尚更なんだろう。大人が自分独りなら良いのだろうけども。

無論、事情で移ったのと、本人の希望で移ったのとでも大分違うだろうね。

(そういや私も若い頃に行ったアジアの或る国が気に入り、“ここに住みたい”と思った事があったっけなぁ・・・)

それにしても、やはり楽園はない、という事か。自分の周囲を楽園にして生きねばならんのだなぁ、とかね、

再確認したよ、あたしゃ(笑)。

 

余談が長くなった(笑)。

今夜の道場にはS島さんとK池君が参加した。

準備体操と基本功を行ない、先ずは一緒に正宗太極拳を一通り。正宗太極拳の力の使い方を理解して貰う為に、2人組みで技をかける練習も少々。

同じ“太極拳”でも身体の使い方が全く違う事を知るのも上達に繋がったりするので、陳式も基本から練習。

ここまで前半1時間。

後半は太極拳対錬(套路)や、九鬼神流棒術(東京版)を復習し、八卦掌の実用法練習も。

雑談で『オノオレカンバの木刀』なんかにも触れ、今夜は10時過ぎに稽古を終了。

S島さん、横浜のビールを有難うございます。ご馳走になりますm(__)m

 

 

 

★今、S木君に九鬼神流棒術の仙台バージョンの型を教えています。

仙台版の型は、東京版と比べて長いといった特徴があります。

埼玉のY先生に教えて頂いた九鬼神流棒術は、棒の独り型だけでなく、

棒対刀、棒対棒でも練習出来る様に型が出来ており、

そちらの方が内容的に深みがあるので現在、当会では東京版を教えていますが、

比較の為に両方学びたいと言う人があれば、仙台版も教えますので、申し出て下さい。

ま、型が長いだけで面白味は少ないんですけども(笑)。

 

 

 

今週も雑談

長年多くの人に教えて来て、近頃とみに感じるのが、

“自分は出来る人間だ”と思っている(自分に自信を持っている)者ほど、出来ていないって事だ。

そういう勘違いの自信が、基本的な事(とその練習)を疎かにさせるようだし、又、

その手の者は、皆で揃って同じ技を練習する時にも、勝手に変化させたりしている。

基本が出来ていなければ上っ面の技になるし、妙な動きになったりもするんだが・・・。

酷い場合だと、套路(型)迄が変わってしまったりする。ウウムム。←基本の練習を疎かにするからだ。

反対に、“自分は出来ていない”と思っていて、妙な自信を持っていない人は、

習った事を習った様に愚直に練習するし、それが最終的に“良い動き”をする様になる、感じがする。

 

私が一生徒だった時に良く言われた。「素直が上達の秘訣」と。実にその通りであるな、と感じるのだ。

とはいえ、誰だって“素直であろう”としているのだが、こればかりはもって生まれた性格もあるので、

どーしようもないのだ。

“お前は素直じゃない”と言われたって、本人にもどーしようもないのだ。多分。

それは解るのだが・・・(苦笑)。

 

やはり習いに来た弟子は上手くなって欲しいし、

長年やっている弟子には武術で少し位の収入は得られる様になって欲しい。

心からそう思うのだけども。

 

あ、そうそう。それで思い出したネタがあった。以下。

題して『不幸な武術修業者』

“学ぶという事”“教わるという事”に関連ある話なので、ここで紹介してみる。

 

或る武道練習者と話す機会があった。

色々やって来ているようだが、突きの理論と動作が大変可哀想な感じだった。

“この人は本当に強烈なパンチを打つ事は出来ずに武道家生命を終わるんだろうな”と感じた。

当人は“マダマダこれから!”と発展途上の気持ちなのだと思うが、多分、これで終わりで、

今のままだと、後は幾分か伸び幅が有るだけだろう。

その流派の“突き”というのがどういう身体の使い方をするのかが解っていないのである。

解っていないというコトが、当人の一寸した動きを見れば解る。

話を聞いていると、良い先生にも巡り合って来たようだ。

恐らく、自身の経験を絶対視し過ぎて、折角良い物を学んでも身に着かなかったものと思われる。

私が話を聞いていても、自身の理論の正しさを確認しようとしているだけで、

知らない事をまっさらになって取り入れようという気持ちが感じられないのだ。

“世には良い物があり、それを自分がまだ出来ない”のであれば、少しでも出来る人に真摯に学べば変われるだろう。

しかし、その為には自分がこれまで学んだ物や、身につけた理論(理解)とは全く違う取り組み方をさせられる事が殆どだ。

これまで自分が学んで来たにも関わらず出来ない、という物(技術)は、それ迄の自分のやり方では身に着かないという事だからだ。

・・・けれど、この人はそれは出来ないだろう。

(いや、「なら私に教わりなさい」等と言ってるワケではない。第一、この類いの人に教えるのはお断りだ)

≪掲載時一部割愛≫

気の毒ではある。

けれど、こういった不幸や気の毒さも、結局は自身で作り出しているのである。

 

 

 

今週の本

9月3日 中曽根康弘著・『自省録~歴史法廷の被告として~』を読んだ。

政治家の自伝なんてーモノは、自己正当化と“オレっち、スゲ~んだぜ”という自慢だろうが、

(それも自分で書いているかは解らないし) 一流の場所で仕事をした老人の話を聞くのは

間違いなく学ぶトコロがあるものです。

 

 

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9月2日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス

石巻I藤君と高校生I藤君とが稽古に参加した。

①準備体操

②基本・各種。事情で何時もより種類を減らした。

③防禦練習・反応訓練

④サイドに回り込む練習

⑤外家拳テクニック。

⑥柔術。今夜は初伝逆投10本をガッチリ掴んで練習。高校生I藤君がなんか楽しそう(笑)。

⑦約束組手

⑧スパーリング。石巻I藤君が高校生I藤君の動きを上手く引っ張り出していたのが、流石。

⑨整理体操

で2時間の稽古。

 

★そういや最近、「横綱が張り手を使うのは如何なものか。品位に欠けるのではないか」

といった議論(?)が有ったと聞きました。

横綱の品位がどうとかは私にはサッパリ解りませんが、もしも相撲が張り手を多用する様になったら、

相撲は打撃系の人間に勝てなくなりますよ。

スタイルを変えなくちゃならなくなる。

そういう意味で、相撲で張り手の多用を許すべきではない、と思います。

ま、あくまで相撲を良く知らない私の、個人的な意見ですけどもね。

 

 

 

9月1日(金) 仙台・套路(型)クラス

毎日涼しい宮城県。運動のし易い季節になって来ました(^^)

今夜道場に来たのはS島さん、Hさん、H君、M子さん。

先ずは準備体操と基本功をし、

皆で揃って形意(五行)拳をゆっくり行ない、五行拳の実用法を数種類練習。

 

後半は正宗太極拳の第1雲手辺りまでを皆で揃って通し、その後は各自の練習へ。

夫々套路をやったり、対錬や、柔術を練習したりし、10時過ぎに今夜の稽古を終了。

人数は少なかったけれど、武術本の話をしたりもしつつ楽しく稽古しました。

 

★正宗太極拳を扱った本は結構出版されているのですが、現在その殆どが絶版だそうです。

私の記憶だけでも正宗を扱った本は、

笠尾恭二先生の物が2冊、

佐藤金兵衛先生がガリ版刷りを入れて2冊、

柔拳連盟(地曳先生)のが1冊、

河野義勝先生のが1冊といった感じです。

古書で探すのであれば、どの先生のが参考にし易い(憶え易い)か?といった話もしましたが、

詳細は改めてMLで流したので、参考にして下さい。

↑ってな本の話をした所、H君からの返信内に、

『もっとも、今この時代に「実戦」で「点穴」する人はいないでしょうけど(笑) とはいえ、石巻あたりで使う人がいると聞いたことがあります。』

とあって笑った。それって一体ダレのこっちゃ!(笑)

 

 

 

雑談 『口幅ったいですが・・・踊らされるたぁ、自分の人生もったいない(笑)』

他人の噂や評価に踊らされている人がいる。

それで生きづらくなっていたりすると、気の毒になぁと思う。

 

6年前の震災後も、昔と変わらない噂が飛び交った。

いわく、「関東でも大地震が起こる」、「〇〇人が殺人を起こしている」などなど。

今は、ネットが有るから、そんなバカみたいな噂も簡単に流布してしまう。

いや、私ら完全に避難民はそんな噂すら聞こえて来なかったけれど。

だって噂の入手ネタがないんだもの(笑)。

でもね、同じ場所に避難している一部の人間から、変な噂が出だすのは見たよ。

だから、どんな噂でもよ~く自分の脳で判断して行動しなくちゃダメだよね。

実際、聞いただけの噂を言いふらしたりして、後で恥をかいた人もいたでしょ?(笑)

 

さて。

他人の評価、特に悪口に踊らされる人も思った以上に多い。

悪口を言ってる人間を見ればいい。

クセみたいにしょっちゅう他人の悪口を言っている人間が、誰かの悪口を言ったってさ、

真に受ける必要はないじゃないの。例え悪口を言われているのが自分だったとしても。

反対に、常には他人を悪く言わない人がさ、もし自分の事を悪く言ってるとしたなら、

それは考えなきゃならないよね。

 

悪口も噂も、余程の事がない限りは実害なんかないよ。

悪口や噂を矢鱈と立てる人って、実は殆ど影響力がない。

例え、大きな事は言っても、本当にその相手の生活や人生を崩したりする力はない。

(ま、アタマがおかしくて、その“余程の事”が有る場合は裁判になったり、警察沙汰になったりして結局は落ち着いて行くさ?

世間もそれで両者の事を改めて良く分かるんだから)

 

多分、自分に自信がない人は噂や評価に振り回される。

他人が自分をどう思ってるか、とかをとても気にする。他人なんざ、自分の人生に責任持ってくれないのにね(笑)。

そして、多分、自分に自信のない人が、他人の悪口をよく言う。それによって自分の立派さ?でも証明するかのように。

 

そんなもんに振り回されてアタマを痛める、なんて人生の無駄。

悩まない事よ。ほっといて普通にしてれば、必ず已むのよ。

他人なんかに振り回されてないで、自分の人生を生きよう。

 

というワケで、すぐ他人のハナシを真に受けちゃう、とか、他人の評価が気になる~

なんて、気持ちの弱いヒトは、

武術か仏教を学べ。

オレが教えてやるから。あ、でも、教授料はちゃんと払ってね、お願い。

↑これがオチ!? 酷過ぎる。

 

 

 

今週読んでみた

8月31日 フジテレビ編/『アインシュタインTV・そして人間は神になれるか』

このシリーズは2冊ほど読んだが、この巻が(私には)最も面白かった。

例によって種々沢山の話題が入っており、病気、物理、宇宙、昆虫、心、恐竜の事まで、オモシロ読書である(笑)。

先日友人が「もし生まれ変わるなら心(感情)のない生き物になりたい」と言った事を切っ掛けに、

諸々突っ込んだ話をしたばかりだったので、『動物に心はあるのか(5章)』はイイ感じで読んだし(改めて考えを纏めた)、

『量子論(10章)』に触れるといつも仏教との共通や解決などにウキウキするのである(笑)。

 

同日 アーサー・C・クラーク著 『幼年期の終り』

傑作と名高いSF小説。初めて読んでみた。

なるほど、確かに興味深い(笑)。

小説について細かく語るのはこれから読む人にとって余計なコトでしかないので、詳細はなし(笑)。

 

 

 

 

8月28日(月) 石巻教室

夜7時半から稽古開始。

①専作伝・心眼流の復習

②老八掌套路の細部修正。どうも太極拳の時より苦戦している様子だが、一応今日で八掌全て洗い直した。

③正宗太極拳について質問されたので、回答。ナカナカ良い質問だったが、3つの方法を答えた内2つはレベルが高過ぎて解らなかったようだ。が、最も技巧の要らない物はすっきり伝わった様なので、“現段階のやり方として”そこから。今は解らなくても、聞いてさえおけば何時か解る。

④形意(12形)拳の実戦法(伝授)

⑤推手。単推手(平円・立円)、四正推手

⑥自身でするマッサージ

⑦タントウ。定歩練習との関連についても。タントウをちゃんと稽古にするには説明が必要な筈だ。“やってりゃ解る”のは一部の才能豊かな人だけである。

で約1時間半の稽古。

※9月は11日、18日に稽古予定。

 

 

★「形意拳は難しい」と言われます。確かにシンプルな分、誤魔化しがきかない難しさがあります。

でも、「難しい」「難しい」と言う人は、出来ない事の言い訳に使っている感じもします。

そんなに難しい拳法(武術)ならば、名人を輩出できて来た訳がありません(笑)。

形意拳といえば、古来名人を多数輩出した流派として有名なのは皆さんご存知の通り。

 

昔、まだ私が石巻支部の責任者だった頃、仙台の先生と本部の若先生との会話で

若先生が「コン歩を入れると難しいから初心者にはコン歩は入れさせず教えている」と言うと、

仙台の先生が

「形意拳はどうせ難しいのだから、最初からコン歩を入れさせる」

と話をした、と聞きました。

その時は“そうですかぁ”という程度に聞いただけですが、今の私なら、若先生に軍配を上げるかも知れません。

 

コン歩をすると、初心者の多くは浮いてしまいがちです。

もっと言えば、浮いてしまうという事は後ろ足が利いていない(使えていない)、という事です。

で、浮いてしまう人は自分が“浮いている”という事にも気が付けません。

教えても、指摘しても、理解できません。

そこで、最初はじっくりとコン歩なしで練習する、という方法が出て来る余地があるとも思うのです。

(因みに私の道場では最初は型通りに教え、コン歩なしは“段階練習”として取り組んで貰います)

 

ただ、仙台の先生が全く解っていなかったと言う心算はありません。

良く「足首の柔らかさ」を言っていましたから。

 

ま、どちらの教え方にせよ、指導者がそこんトコ解っていなければダメ(伝えようがない)ですし、

習う方も(微妙な感覚を・・・って、解ってしまえば微妙ドコロじゃなく、はっきりした違いですが)

理解できなきゃ、結局は仕方ないのですが。

 

でもま、それ以前の問題として、全く脱力(無駄な力みを捨てる)が出来ない、という人が大半かな(笑)。

 

 

 

≪雑談≫

今の親御さんを見ていると、子供と一緒に居る時間でもスマホをやっているが、

あれを見ていて違和感を覚えるのは私だけではあるまい。

 

子供と一緒に居られる時間は短い。子供の幼少期ともなれば、もっと短い。

そんな大切な時間を、スマホに取られて、我が子と正面から向き合う時間が減るのは余りに勿体ない。

子供が何かを話しかけても、親はそちらを見るでもなく、生返事をしている。

子供が疎外感を覚える可能性も高く、いずれは親が無視されるような、親の言う事を全く聞かないような、

そんな形で(子ども自身もそうとは思わずに)復讐される日が来るだろう。

いや、大きくなった子供もスマホを見ていて、老いた親が何を言っても目もくれずに、生返事するだろうか。

 

スマホやらゲームに夢中になって、子供を無視するといずれ自分に還って来るだろう。

・・・ってか、質問なんだが、一日中、スマホに向かって一体何をやってるの?楽しいのか?(笑)

 

それで、だ。

前にも述べたけど、子供を虐待してしまう位なら、そして預ける所が何処にもないのだったら、

協力してくれる人が誰も見つけられないのだったら、殺してしまう前に、私の寺に置いて行け。

責任を持ってキチンと育てるから。

※置いて行った理由によっては意地でも返さんからな(怒)。

 

虐待してしまう、というのはイマドキは「子供がゲーム(遊び)の邪魔をした」などという、とんでもない理由を

語る親もあるが、“連鎖”という大きな問題を抱えている人ももある。

自分が連鎖からどうしても逃れられない、と感じたら、誰かに預けた方が親子共に絶対幸福だ。

連鎖はある意味止むを得ないかも知れないが、連鎖をする・どうしても虐待してしまう、と自分で気付いていながら

その子供を手放そうとしないのは、やまい(病)だ。

 

 

 

今週読んだッス

8月29日 エリザベス・ロス著/『死ぬ瞬間の対話』

質問・回答が、一問一答形式で書いてある本。

『死ぬ瞬間』を読んでからの一読がオススメ。基礎知識があった方が理解はカンタン。

・・・この本(毎度の)古書店での購入だが、文中に赤で傍線が引いてあり、“誰かが参考にしたんだな”って感じさせる(笑)。

想像だが、赤線の主は看護系の人。もしかすると学生さんだろう。そう感じさせる箇所に線がひっぱってある(笑)。

というのは、私も死に苦悩する人と直面する職業だが、坊さんの私なら、赤線の主とは少し違う箇所に線を引くだろうと思うから。

参考になる部分が職業で変わるものね。

 

ロス氏の本は、死と死に逝くことに少しでも真剣な人は読むべき本だと、私は思う。

 

 

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8月26日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス

天気予報で「気温が高くなります。体調に注意」と言うので緊張しましたが(笑)、陽射しのない屋内では

窓からの風が良い感じで、“もう秋の風かしら?”って一日でした。・・・今年の宮城は夏らしい暑さが少なかったのに、

もう秋の気配だとしたら、ちょっと拍子抜けしますが、今年はいつまでも暑かったりしてね。

さてと、どうなる事やら(笑)。

 

今夜は高校生I藤君だけが稽古参加の予定だったが、部活動で遅くなると連絡を貰い、

急遽稽古が休みなった。

では又来週。

 

★今、このクラス(土曜)は参加人数が少なく、1人休むと直ぐマンツーマンになってしまったりするので、

1人か2人、誰か入ってくれないだろうか。(練習もいつも同じ相手とより、色々なタイプとやる方が良い)

マジメでやる気があり、性格も少しマトモなら大歓迎(笑)。

 

 

 

8月25日(金) 仙台・套路(型)クラス

先週の『読んだ本』中で、「CDが付いてなかった。誰か貸して下さいな」と書いたら、

なんと門下のK君が持ってるとの事で、入手できました。

いやはや、書いてみるものですねぇ(笑)。K池君、ご好意に感謝しますm(__)m

 

今日は石巻でも気温が上がったので、夜の暑さも覚悟したけれど、道場はそれ程でもなかった(笑)。

参加者はK池君、S木君、Hさん、Yさん。

稽古は①準備体操、基本功 ②外家拳・連環手法を数種類 ③対錬。八卦掌のチンナを。

④套路。皆で正宗太極拳 ⑤推手 ⑥タントウ で2時間一寸の稽古。

②は内家拳と共通の技もあり、参考になるのでタマに練習。ついでに架式も基礎的な物を練習した。

⑤はど~しても無駄な力の入る人も居るので、説明ついでに、相手の打ちや動作を読む練習も。

少しは推手という練習方法が何を学ばせたいのか?を知る切っ掛けになれば・・・

力で行なうとしたら、推手という練習法は甚だ無駄な練習でしかないので(笑)。

 

★実に久し振りでA子さんが道場に顔を出してくれた。ジュースやらビールやらお土産に持って。

取りあえずは元気そうで一安心。また皆で遊びましょう(^_-)-☆

ご馳走様です。有難うございました。

 

 

 

 

今週の雑談/『アタシの苗字』

震災後はあちこちから新たに人が入って来たので解らなくなりましたが、

元々石巻の“谷田部”は私の親族だけでした。

私の祖父が茨城は谷田部村から石巻に移住したのが、石巻の谷田部一族のスタートであり、

私で三世代目になります。

二世代目は谷田部を名乗っている家族も結構あるのだけれど、我々三世代目は女が多く、

谷田部を名乗る男は2人しかいないのである。なんと。

その下・四世代目となれば、これはもう絶望的状況なんであります。

 

茨城の谷田部村も今は合併で、つくば市の一部に地名が残るだけになってしまった様子。

昔からド田舎だったらしい我が谷田部村は、

「あすこに城下町だってぇ??」と笑われたり、

優秀な人物が出ると

「谷田部に過ぎたるもの3つあり」なんて馬鹿にされたそうだ。

幾ら田舎だからってよ、チッキショー馬鹿にし過ぎだべ、それ。

 

今春から始まった、NHKドラマの『ひよっこ』の主人公が、茨城の谷田部さんだから、

「よし!これから谷田部一族の反撃が始まるぞ!」

と意気をあげてみたのだが、これもぜんっぜんダメ。

反撃どころか、ますます先細って行くのが見えてる石巻・谷田部なのであります。

 

・・・っつか、アタシ独りで意気上げてたって、どーーしょうもないよね(笑)。

 

 

 

今週読んだ

8月24日 岩波文庫版・『芥川龍之介/地獄変・邪宗門・好色・藪の中他7篇』

ちょっと不思議なお話しや、こわーいお話しなど、てんこ盛りです。

大人の、夏休み読書に(笑)。

 

 

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8月19日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス

S木君、高校生I藤君が稽古に参加した。標準的なメニューで稽古。

①準備体操 ②基本各種 ③防禦・攻防練習 ④外家拳技術

⑤歩法 ⑥約束組手 ⑦柔術 ⑧スパーリング ⑨タントウ 等で2時間の稽古。

⑦は初伝逆取の10本をかなり力を入れて。

今夜も楽しく稽古が出来ました。

 

 

★跳躍しつつクルクル回りながら蹴りを連続で繰り出すとか、そういった事は“技”ではなく、身体能力を高める為の練習です。

私も若い頃は練習しましたけど、若い皆さんも練習して損はないですよ。

ま、出来たからと言って「得する事は?」と聞かれると、皆さんが想像できる程度の範囲内ですが(笑)。

 

 

 

 

8月18日(金) 仙台・套路(型)クラス

お盆も終わり、昨日・今日はゆったりした日(ヒマとも言う)を過ごしました。

前夜は知人の店でお酒もしっかり飲みましたが、昼間身体を休める事が出来たので、元気一杯道場に行きました(笑)。

 

K池君、Hさん、M子さんが稽古に参加。

早目に来たのがK池君だけで、稽古開始時間前に既に正宗太極拳の套路復習を始めていたので、

準備体操はせず、そのまま套路練習に突入(笑)。今夜はじっくり修正出来たので、後は身につける事。

少し遅れて来たHさんとM子さんも套路を練習し、後半はK池君とM子さんには柔術(初伝逆取)を4本程練習して貰った。

その後、推手(単推手。平円と立円)を行ない、形意拳の初級技撃訓練をし、10時10分頃に稽古を終了。

(技撃訓練中、参考までに太極拳の物も)

道場の片付けをしながら、ウ・ジョーティカの本の話や手塚治虫の『ブッダ』の登場人物の事などマニアックな話をし、

「さよならーまた来週~」と道場を出ると今夜も外は雨。

 

★柔術に興味の持てない人も居られるとは思いますが(って、その昔は私もそうでしたし)、

初伝の逆取・逆投・合気の30本を真面目に4~5年やれば、どんっなに才能のない人でも

力いっぱい掴まれた胸倉や腕や肩、絞められた首を、返せる(外せる)様になります。

そしてそれは、拳法をやる上でも大いに参考になりこそすれ、邪魔になる技術ではありません。

その上、現在当会では皆伝者Y先生の技術も入って来ていますから、より内容深い物となっています。

騙されたと思って、一通り拳法の基本を憶え終わった人は取り組んでみましょう(^_-)-☆

 

 

 

今週も雑談/『施餓鬼』って?

前週(前々週か?)ここに書いた“施餓鬼”について、友人から、

「読み方も意味も解らない」

とメールを貰い、“そりゃそうだよな、説明不足でごめりんこ”って事で、

改めて簡単に説明してみます。いわば“仏教用語の基礎知識”ってトコね(笑)。

 

施餓鬼、「せがき」と読みます。

人間の目には見えないけれど餓鬼(ガキ)という存在(幽霊みたいなもの)が居ると言われまして、

餓鬼は飲食が出来ないので飢えている、のだそうです。

その餓鬼に飲食をあげる(施す・布施する)のが“施餓鬼”です。

全ての生き物は死ぬと生まれ変わりをするとされているのですが、

生きている時に食べ物やお金などを独り占めにしたり、貪ったりした人は餓鬼になると言います。

因みに、子供を「ガキ」と呼ぶのは、

子供が飲み物や食べ物にガツガツしている様を、昔の大人が「まるで餓鬼みたいだな」と笑ったのが始まりみたいです。

 

餓鬼は怖がりでビクビクしてるらしいので、施餓鬼は夜暗くなってからこっそりと行ないます(笑)。

ま、『徳を積む行為は人に知られずこっそりやれ』という意味かな・・・とも考えたりします。

その様に考えてみると「私は施餓鬼をやっている」と自己宣伝する坊さんは一寸カッコ悪いか(笑)。

「坊主はやってて当然なんだからワザワザ言わんで宜しい」ってコトになりますかね?(笑)

・・・いやはや、夜の外で行なう供養は蚊に食われて大変です(笑)。

 

 

 

 

読んでみたっちゃ(笑)

8月17日 アレクサンダー・ロックハート著『自分を磨く方法』

世に数多ある“成功する為の自己啓発”の本。「出来ないと思うから出来ないのだ」的な。

どんな本でも勉強になる、と言われる通り、“なるへそね”と感じる箇所は勿論ある。

しかし“成功”を社会的(世俗的)成功、と読んだ場合、私には全く以って興味がない。

私にとって世俗的な成功なんてーのは一片の価値も見出せないからであり、そんな立ち位置から

ヒネクレて読んでみると、押し付けがましさが印象に残ってしまうぞな(笑)。

・・・と、“自分を磨く”だなんてーコトに全く無関係なワタシが読んでみた。ハハン。

 

8月18日 河合隼雄・加賀乙彦・山折哲雄・合庭惇共著『宗教を知る 人間を知る』

宗教の専門家からの視点ではなく、一般の人々の視点から宗教を書いた本。これはオススメ。

・・・私は坊さんの割には“取りあえず信じる”とか“妄信”という事が出来ず、理論的な、でなくば経験的な裏づけがないと

信じる事が出来ない・意味を見出せないという、どちらかと言えば信心深くない坊さんである。が、

やはり宗教畑の人間として世間を見てしまうのは否めない。

そこで、こういった“一般人の視点で見た宗教”には、新たに気付かされた事も、考えさせられた事もある。

良い読書になった。

ただ「人の死の理解に宗教は必要である」というのは、「宗教」が現今の宗教(の教え)を指すとしたら、一寸違う気もする。

死は人にとって一大問題であり、確かに何の手懸りもなくては、それをただ恐れるのみで解決・意味づけは出来ないだろう。

しかし、それが現今の宗教そのものである必要はなく、そこでの宗教の意義は“思索のたたき台になる”事だと思っている。

第一、「これが〇〇教で説く死の意味です」と与えられても、信じられないだろう(笑)。

少なくとも私は信じられないし、今、自分なりの答えも持っているのも、仏教はじめ様々な宗教を参考にし、

己の経験と思索を合わせて見つけたものである。

そういった事を“考えてみる”良い切っ掛けになるのも、この本の良い所ではなかろうか。

“宗教オンチ”と言われる現代・日本人。本当の宗教の考え方を知らないから、簡単に騙されてもしまう訳で、

基礎知識として、興味のない人こそ是非一読を。

 

8月19日 ブライアン・L・ワイス著 『ワイス博士の瞑想法』

『前世療法』シリーズの精神科医が、自身の治療で使っている誘導瞑想の方法を書いた本。

CDも付いているようなのだが、古書店で買った僕の本にはCDはなかった(笑)。

どなたか、このCDをお持ちの方、貸して頂けませんか? 一度聞いてみたいので。

 

 

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8月14日(月) 石巻教室

I藤君の仕事が休みというので、今夜はいつもより早い時間にスタート。

①専作伝心眼流の復習

②八卦掌(老八)の細部練習

③推手

④12形拳の実用法練習(伝授)

⑤鍛錬法(伝授)

⑥タントウ

⑦自分でするマッサージ

で1時間半ほどの稽古。

稽古が終わると外は丁度良い暗さになっていたので、最後に一つ供養をして私の一日も終了(笑)。

※次回は28(月)の予定。

ここで言うところの「伝授」とは、口伝・秘伝・工夫訣の類いの場合も勿論ありますが、“道場での指導メニューには無い方法”を教えた、という意味の場合もあります。

 

★道場では“自分で行なうマッサージ”をしているのですが、

これは運動後のクールダウンを目的とするだけでなく、ツボ(穴所)を覚えるという目的があり、

武術的にはどちらかと言えば後者の方が主目的だったりします。

 

 

 

今週の雑談・『お盆ですからねぇ』

日本の“夏の祭り”というのは供養と関係している物が多いですね。

花火も“盆の迎え火・送り火”の大きくなったもの、とする所が多いです。

日本人は昔から、供養という事を重視してきたようです。死や死者を畏れる気持ちが強い民族なのでしょうね。

(↑詳しく知りたい方は調べてみて下さい)

 

さて。

「商売繁盛も家内安全も、先ずは先祖供養をする事が大事だ。先祖、即ち自分のルーツに感謝せずして今が良くなる訳もない。だから私は先ずは先祖供養を薦める」

と言う坊さんや祈祷師、宗教家もいます。

でも、そう言われると「先祖供養」とか「水子供養」を薦める、というと新興宗教を想像して警戒しますよね。

・・・え、しませんか?(笑)

これまで問題を起こして来た新宗教の多くが、先祖供養を核に据えてますからね。その教義の中から、信徒への強制だとか、

目に見えない霊などを引っ張り出した脅しなんかが出て来たってのは、皆が知ってる事ですからね。

「この壷を買えばナオル!」というのも、その類いですよ(笑)。

 

で、実際、供養したら少しはうまい方向へいくか?といえば、私が見た限りはそうも行かないようです(笑)。

もし効果があるとすれば、先祖や自分を取り巻く縁に感謝する、という気持ちが生活や考え方を良い方向へは向けるので、

そういった“真っ直ぐな心”から“良い方法論”が生まれる・気付くって効果があるかも知れません。

だからそれは、先祖供養して拝んだ=効験がある、って事ではないと思います。

 

でも、先祖を大切にする気持ちについて、こう考えてみてはどうでしょうか。

家の仏壇に祖父さんや祖母さんと一緒に手を合わせる事を幼少時からしている子がいたら、

その家はきっと家族の絆

(震災後“絆”って言葉が使い難くなりました。ここで言うのはそんなオタメゴカシの絆ではありません)が強いのではないでしょうか?

子供の思春期の難しい時期も、親や祖父母と絆の強い子は立ち直りも早い気がします。

そういった効能が有るような気はしませんか? 祖先供養で商売がうまくいくか?はどうかとして(笑)。“家族”という単位で。

家族(家庭内)が良ければ、色々な出来事にも力強く立ち向かう事が出来ますよ、きっとね。

 

ま、上に述べた通りで、基本的には矢鱈と供養を薦める処はちょっと怪しいですが。何故なら、

その坊さん(宗教家)には“具体的なプラン”や“方法論”がないから、

「先祖供養をすればなんとかなる」

と言うしかないのかも知れませんからね。

 

毎度ちょっと舌足らずですが、言いたい事は伝わってくれるかと。多分(笑)。

↑「多分」とか・・・読み手頼みじゃなくて、ちゃんと推敲しろ。

 

 

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8月12日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス

この所、毎日涼しい。石巻より1~2℃ほど気温の高い仙台でも、8月に入ってからずっと夏日が無いんだそうだ。

過ごし易くて大助かりだけど、農作物は少し心配ですかね? 『梅雨明け』宣言有ってから毎日雨ぢゃんか(笑)。

 

さて、先週は休みになって身体が楽したが、今夜はそうも行かず道場へ。←って月謝貰ってる分際でなんちゅう言いぢゃ(¬_¬)

今夜の稽古参加者はS木君一名の予定だったが、H君も数年振りに参加した。

怪我をした靱帯も大分安定したようで、今夜は調子を見る感じで稽古に取り組んだ。

①準備体操

②基本・各種

③外家拳技術類

④柔術

⑤初歩・攻防練習

⑥ライトスパー

⑦タントウ

で10時に稽古を終了。

 

★さぁ明日からはお盆の供養や行だ(笑)。頑張るべぇか。

・・・そうそう。この時期には『お施餓鬼』という行事を行なう地域やお寺があると思います。

“餓鬼”というのは生前の行ないにより、飢えている存在に生まれ変わった存在の事です。

そういった存在に飲食を供えるというのが『施餓鬼』です。

で、「餓鬼ってホントにいるのかよ?」って話になると思いますが、これはですね、幽霊と同じで結局は

その存在も非存在も証明は出来ないので、「オレは居ないと信じる」、「オレは居ると信じる」というだけの

無意味な論に落ち着いてしまいますね。

でも、この『施餓鬼』が長年月寺院で行なわれて来ているのは、単に伝統だという事だけではなく、

行なって来た坊さん達が“これはやると効果がある”と感じて来たからだと思います。

何らかの“効果”がなかったら、廃れちゃいますよ。でしょ?(笑)

で、一般の方はこう考えてみてはどうでしょうか、

目に見える存在にも見えない存在にも感謝をするのだ、と。

昔の人は旅行中の家族が飢えない様にとの願いを込めて“陰膳”というのを据えました。

その気持ちをもっと広範囲に拡大した行事、と考えてみてはどうでしょう。

精神的に豊かになりますよ、きっと(^^)

 

 

 

8月11日(金) 仙台・套路(型)クラス

雨の今夜、道場に来たのはS木君、Yさん、Hさん、K池君。

稽古は幾つかの対錬から。3種ほどの基本的な物を丁寧に行なった。毎々言う様に“基礎を侮るなかれ”。

後半は套路。各々型を練習して貰う。拳法をやる者、武器術をやる者、夫々進度に応じて取り組む。

推手を行なう組も。

最後に形意拳の初級技撃訓練を行ない、10時過ぎに稽古を終了した。

 

※今夜の技撃訓練も“練習法”の一つである。

初級の技撃訓練などはスパーリングをやっている者には必要ないので、これまで教えなかったが、

スパーをやっていない人もいるし、武術に“強さ”を求めていない人もいるが、経験しておいて無駄はなかろう。

まだまだ多くの練法がある。相手と行なう物、道具を使う物など、様々である。中には“良く出来てるなぁ”と感心する物もある。

私も年齢的にそろそろ色々な練習法や鍛錬法を伝授する段階に入っている実感があるが、

それら全てを教えるかは自分でも決めていない。教えても練習しない人では、教えてもその方法を忘れてしまうし(笑)、

習った練法を“自分がやり易い様に”簡単に変えてしまう者に教えても無意味である。

中には性格的に教えたいと思えない者も居るかも知れないからだ。

 

バイクで通っているHさん。帰宅時までに雨が止むと良いなぁ、と思っていたのだが止まず。

バイク乗りは雨に慣れているとはいえ、夏風邪ひきませんように。

 

 

★場所を変えて開店した知人のパスタ店。先月の開店から声をかけられていたのに、

先日(6日)の晩にようやくご祝儀を持って訪ねる事が出来た。

忙しい日に当たってしまったみたいで、厨房はてんてこ舞い。娘さんは

「忠経さんがお客を呼んだ」と言ってはくれたけど、いやはや、気の毒な程の忙しさでした。

これを読んでる娘さん、お世話様でしたm(__)m

 

 

 

ベジタリアンと健康について・思いつくままに(笑)

私は、健康というものには全く無関心である。それだけ頑健だったのだろう。

身体が弱ければ、どうしても健康に神経質になるだろうし、

私なんぞは頑健だからこそ、自分の健康を後回しにして、重い貧血になってしまったと言える(笑)。

 

身体には「菜食主義が良い」とか「肉・魚も食べなきゃダメだ」と色んな説があって、

どれを信じて良いのか普通の人なら戸惑ってしまう。

「完全菜食にしたら体調が良い」と言う人もあれば、真逆の発言をする人もある。

 

結論を言えば肉・魚を食べないのであれば、他の物で栄養を補うしかない。

でないと、身体がダメになる。

その摂取は勘ではなく、研究して(調べて)行なわないと厳しい。

 

で。

以下は私の経験である。

私の家では父の主義で、肉は鶏以外は禁止である。

(当時、我々が子供でなければ、鶏肉も禁止したかったようだ)

そのせいか、私は学生時代、献血をしようとすると何時も比重が足りないと言われた。

今思えば、慢性的な貧血だったのだろう。

成人してからは、自分の意思で肉も気にせず食べるようになった。外食では特に。

その頃から、献血時に「立派な血液です」と言われる様にもなった。

 

数年前、当然、肉が気持ち悪くなって食べられなくなった。魚も余り食べなくなった。

ラーメンも口にしなくなった。

それから10ヶ月もすると、爪が反り、動くと胸が痛んで息が切れ、耳鳴りと立ち眩み起こる様になった。

二階に上がっただけで息切れして苦しく、少し休まないと動けない様な、かなり酷い状態で、

友人が色々と調べてくれた所、「貧血みたいだよ」との事になった。

 

だが、肉を食べなくても全く身体に影響の無い人もいる。私の父がそうだ。

結局は、どんな方法も(健康の為に菜食主義者になるとしたら)、個人個人の身体の資質に合わせて

結果が異なるとしか言いようがない。

ある人には良くても、ある人にはかえって健康を害する場合がある、という事だ。

 

薬や医療が、万人に効果が出るとは限らないように。

同じ治療を受けても、ある人には効かないのと同様に。

「絶対に良い」という方法なんかないのだ。

 

昔の日本人は玄米を食べていた。

聞いた所によれば、江戸時代頃に白米を食べるように変わり、栄養失調者が続出したそうだ(笑)。

↑これは聞いた話だ。本当かどうかは知らない。

 

私は玄米が好きなので、もし1人暮らしなら玄米食にするだろう。

普通に炊くとよっぽど噛まないと消化できないので(経験済みだ)、粥のようにして食べる。

でも、これは“健康を考えて”玄米なのではなく、単に“好きだから”である(笑)。

 

元々、仏教者は肉も魚も食べていた。一般家庭を回って残り物を鉢に恵んで貰っていたのだから当然だ。

今だに部派仏教(小乗仏教とも言われる)のミャンマーやタイの僧侶達は肉を食べる。

大乗仏教になってから、(中国で)肉食の禁止という戒が出来たようだ。

因みに、私の大好きな酒は、どの仏教でも禁止されている(笑)。

 

魚・肉を食べないのであれば、その分、豆製品を多く採る必要が出て来る。

でないと身体は維持出来ない。

本気で菜食するのなら、蕎麦やうどんも麺つゆを使えない。大根おろしや醤油で食べる徹底さが必要だ。

当然、外食は実に不自由になる。

そこまでの事は出来ないのであれば、何でも普通に食べる食生活が望ましいだろう。

 

戒律の保持に厳しい、と言われる中国仏教でも、少林寺などの武術をやる僧侶達は肉食をすると聞いた。

身体を動かす為には肉も必要だという経験が有るとしか思えない。

 

他の生命をせめて自分は食べないように、とする心は尊い。

食べるのであれば、自分の代わりに殺生を引き受けてくれている人達に感謝せねばならないし、

殺された命の為にも合掌をして有難く頂き、残してはならないだろう。

 

ダライ・ラマが言う。

「商店のない場所で『肉を食べたい』と言ったら、その為に誰かが生き物を殺すだろう。

 だから、そういった場所で言ってはならない」。

自分が食べる為に殺すな、殺させるな、というのが思想としての肉食禁止の基本なのである。

 

ま、それは兎も角。最近、豆腐を意識的に食べる様にし始めたら、貧血の症状が少し軽い感じがする。

で、肉や魚は食べる量をまた、減らし始めている。

あ、お魚は好きではあるけどね。特にお刺身や鍋は(笑)。

 

 

今週読んでみた

8月8日 河原郁夫著・『星空のはなし~天文学への招待』

天文の本、というのはどーにも難しい物も多いのだが、これは読みやすく、解りやすい。

宇宙の本を読む度に、その規模の大きさに震えると共に、

(今の科学や研究道具でなら比較的容易な発見や理解でも)昔の人々がそれを知っていたという事に感激する。

 

8月11日 ちくま日本文学全集・『泉鏡花』を読む。

泉鏡花は『高野聖』しか読んだ事がなかったので、今回初めての話が殆どだった。

独特の雰囲気と文体。コアなファンが居るのも頷ける(笑)。

 

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※盆中(その前後)も稽古は行ないますので、ご安心下さい。

「忙しいんじゃないですか?」と気を遣って下さる方も多いのですが、夜は大丈夫です(笑)。

昔は“棚経”といって、寺は(半ば強制的に)檀家回りをしましたが、

私の所では頼まれたお宅にしか伺いませんから、それほど「忙殺される」って事もないのです。

今は昔と違って核家族・且つ共働き世帯が多く、お盆だからといって家で坊主を待ってられる家庭も少ないですからね、

頼んでもいないのに坊主に来られるってのも、迷惑なハナシですよ(笑)。

 

 

8月5日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス

今夜は道場参加者(通常参加メンバー)達が揃って来られないので、稽古を休みにしました。

とはいえ、一応皆には

「誰も来ないの~?誰も来ないんなら、もう5時になるから俺、飲んじゃうよ~。Oさんから貰ったお酒、冷やしてたんだー」

と最終確認?はしましたけど(笑)。

・・・いや~実は、今朝は早くから夕方までガッチリ忙しかった上に、明朝はやや遠方のお祓いがあるので正直、

今夜の道場が休みになったのは助かりました。もうトシですからね、夜遅いのは疲れが残るんですよ(苦笑)。

 

★先週の三節棍練習会の集合写真をI藤君のブログに載せてくれた。

当サイトに載せている心眼流の集合写真から10年程経つが、あの頃の写真と比べて

私も大分坊さんらしくなったようだ(笑)。勿論、痩せて道着が大きくなったから、そう見えるのかも知れないが。

・・・いや、っつか、トシ取ったんだな、俺(笑)。

 

 

8月4日(金) 仙台・套路(型)クラス

S島さん、Yさん、S木君が稽古に参加。稽古開始前にS島さんに形意拳の練習法を指導。

準備体操と基本功をし、皆で揃って正宗太極拳(第一十字手迄)と八卦掌(老八掌)を練習してから、

各自套路や対錬を練習。

後半の20分程は単推手でちょいと遊んで、10時過ぎに今夜の稽古は終了。

 

 

★Y田先生による当会門下生3名に対しての評が送られて来た。

余りに的確なので、“一流は何度か会っただけで見抜けるのだなぁ”と大変感銘を受けながら読んだ。

当人達にY先生からの言葉を伝えたのだが、さて、良い所は伸ばし、弱点が解決出来るかは本人次第である。

 

 

 

相変わらず雑談/『雑念にまみれてるぅ~(>_<)』

人というのは、いつも現われては消える雑念まみれなワケです。

その湧いて来る中から一つか二つだけがはっきり意識に上っているのです。

そのような“サルのような心(と表現されます)”を先ず意識し、

心をシンプルにしていく、のが瞑想や禅と呼ばれる訳です。

禅の影響を多く受けている日本の芸事、茶道、華道、書道、剣術など、

すべて“雑念の多い無駄な心の働き”を、一つにしていく行為(行)になるわけです。

その行為を通じて、それと身も心も一つになる、“それと一体になる”のですね。

太極拳を始めとする武術も、そうなるのです。

 

雑念や、考えても仕方のない事、そのような思考や考え事に捕まってしまう人、

そういう人が鬱病にもなりやすい印象があります。

無駄を捨ててシンプルに生きるには、先ず動き回っている自心に気がつく事が必要です。

 

文化の進んだ欧米で禅や仏教への取り組みが増え続けているのは、

現代人のそういった心の迷いに、効果があるからです。

 

 

今週読んだ

8月4日 池田弥三郎著・『日本故事物語㊤』。

買った覚えがないので、この本も纏めて頂いた一つだろう(笑)。

現代も使われている諺や言葉を解説した本。良くある“ことの本”。

この手の本の知識は実生活ではウンチク話にしか使えないんだけどね。でもま、読んで面白いかもね(笑)。

 

 

 

 

★私の寺で出している残暑見舞い(お盆供養のお勧めを兼ねている)葉書が少し残ったので、

どなたか欲しい方がいればお送りしますよ! 早い者勝ちで。

あ、でも、あくまで「盆供養のオススメ葉書だ」っちゅう事が分かってる人だけ、申し込んで下さい。

届いてビックリしない様に(笑)。

・・・かもめーるで何か当たると良いですね(^_-)-☆

 

 

 

7月29日(土) 三節棍・講習会

K池君、M子さん、Hさん、高校生I藤君、S木君、石巻I藤君、大阪O澤さんが今夜の練習会に参加。

基礎中の基礎から実用練習まで、3時間一寸の賑やかな稽古となりました。

久し振りに集合写真を撮った。

 

稽古後は懇親会。こちらも大変賑やかに。

楽しい練習会でした。参加された皆さん、どうも有難うございました。

O澤さん、遠くから有難うございました。お会い出来て嬉しかったです。

 

 

 

 

7月24日(月) 石巻(套路)教室

終日降った雨も夜にはほぼ上がった。

7時半から稽古開始。

先ずは専作伝・心眼流の初・中・上の復習。彼もようやく頭に入って来た様だ(笑)。

日本刀の寸法を一緒に測る。←購入の参考に。って、まだ練習刀持ってなかったのか(笑)。

老八掌、1~3掌の復習。手足などのタイミングや、身体(力)の使い方などをしっかりと。

推手。単推手と双推手を。徐々に自由に崩しを入れたりする様になるので、今夜はその予習も(笑)。

自分で行なうマッサージをしつつ雑談をし、

9時頃に今夜の稽古は終了した。

 

※8月の石巻教室の開催日は未定です。

 

 

 

 

今週の雑談・『休会について』

道場へは毎週通うのが理想ではあるけれど、ナカナカそうは行かないのが現代日本(笑)。

でも、月に1回でも来ていれば、少しは家でも練習するものです。例え細々でも続けてさえいれば、

5年やれば5年分、6年やれば6年分の力は着くものです。

すっかり辞めてしまうと、自主練習もしなくなって行くものです。

芸事は何でもそう。通えるなら月イチでも、遅刻しても、教室に籍を置いて、続ける事です。

 

さて。月に一回すら通えなくなり、やむなく休会する場合もあります。

仕事や家庭の事情で教室に通えなくなる、これは誰にでも起こり得る事で、仕方のない事であります。

そして、教室に復帰出来る環境が整った時には既に、数ヶ月・数年の時間が経っていたりします。

 

数ヶ月・数年の長期間休むと、そのまま来なくなる(教室に戻って来ない)人も多いのですが、これも仕方ありません。

教室主催者がどうこう言う事でもありません。

しかし中には戻って来て、芸事を再開する人もいます。戻って来ると、

“この人はこれから上手くなるな。いよいよこれから本番だな”

という感じがするものです。

そういう人は実際、それから目覚しく上達するもんです。

 

あ、そうそう。以下は私からのオススメですが、

長期間、教室に通えなくなる時は、指導者にその旨相談した方が得策です。

何にも断わらずに来なくなると、いつか“再開したい”と思う時が来ても、戻りにくいですし、

指導者から断わられる事すらあります。

なので、通う事が叶わなくなった場合は一度、休会届を出すのが吉です。

それにさ、ちゃんと届け出しとかないと、毎月月謝の滞納が増え続けるばかりになります。こわい(笑)。

 

 

 

今週の読書

7月30日 近藤正二著・『日本の長寿村・短命村』という本を読んでみる。

著者が自分で各村を訪問し、調べた本。長寿には肉・魚・白米は少なく、緑黄野菜、海草、大豆が良いとの研究結果本。

正直、私は長生きを望む者ではないが、貧血になってから食べ物に関して興味を持ち、是非一読してみようと思ったのだが、

これが既に絶版で入手出来ず、図書館員のM子さんの手を煩わせた。有難う、M子さんm(__)m

実は最近、豆腐などを積極的に食べる様になってから、少し調子が良い。でも、緑黄色野菜が圧倒的に不足している事にも気付いた。

・・・取りあえず、青汁飲む様にしてみる(笑)。

 

 

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7月22日(土) 夏の審査会

休会中のT村君がお酒を持って寺に来てくれたのに、丁度私が不在の時だった。顔を見たかったのに至極残念。

・・・ってな事が稀にあるので、訪問の際は皆さん事前にメールくれるか、朝の内に電話下さいな。

遠くから来てくれるのに「丁度不在でした」じゃあ余りに気の毒だし、申し訳ないから。宜しくです。

取り合えずT村君、有難う! 都合よければ29(土)の練習会に遊びにございわ。三節棍は貸すから(^^)

それにしても、

「会社で旅行に行って来ましたので、お酒を買ってみました。先生にお酒を買わないと、どうも旅行に行った気がしないので」

と言ってくれる生徒がいて、私は実に幸せ者である。私なんかには勿体ない限りだ。

↑T村君にメール返信したけれど戻って来たので、ここで書きました(笑)。

 

 

本日の審査会、合格した人も、そうでない人もいたが、更なる上達に向けての糧にして頂きたい。

免状(テスト)は単なる目標ではなく、自身の出来ている所、不足の所を自覚する為のものでもあるから。

 

 

★ふと思い出したのですが、

若い頃は兄妹とや、友人と酒なんか飲みながらトランプで遊びました。

セブンブリッヂやアメリカン・ページワンは随分盛り上がったものです。

酔いが回って来ると、簡単なポカをして負けるのも楽しいものです(笑)。

でも、今はそんな機会もめっきり減りましたよね。

今のお子さん達は携帯(手持ちの小さな)ゲームで遊ぶのでしょうから、なかなか

“顔を突き合わせてトランプに興じる”なんて経験も少ないのではないでしょうか?

ゲーム世代の子供達にすれば「余計なお世話。ゲーム楽しいぜ」なのでしょうが、

昔からの遊びがないというのも、ちょっと淋しいような気もしますね。

・・・という訳で、誰か週に一夜くらい、俺とやろうぜ、トランプ!

あ、勿論、負けたほうが一杯おごる、っちゅうルールで(笑)。

ジェ、ジェンガ? ・・・あれは酔ってる方が負けるからなぁ。ダメだ、こりゃ。わはは。

 

 

 

7月21日(金) 仙台・套路(型)クラス

仙台は暑い日が続いていたそうですが、石巻では昨日まで3~4日間は涼しくて過ごしやすかった。

今日は久し振りに朝から汗ばむ気温になりました。

 

さて、そんな夏真っ盛りの道場に来たのは、S木君、高校生I藤君、Y田さん。

先ず準備体操と基本功を行ない、その後は夫々の練習をして貰った。

套路をしたり、対錬をしたり。

全員で同じ稽古はせず、その時々で各々練習して貰う事を変えた2時間。

 

 

★私が30歳前後の頃に、套路の使い方(型の動きを実用させる方法)を知った時には、

“套路って凄いなぁ、技と、その応用、力の使い方が一辺に練られる様になってんだなぁ”

と感心したもんだが、年数を経る毎に、その深みに気付かされており、

あの頃よりも今の方が、間違いなく、套路の重要性を理解出来ている。

套路(型)には、そこから引き出せる多くの内容がある。だからこそ、正確に学ばねばならないし、

教えなければならない。間違った套路から引き出せるモノは少ないだろうし、場合によっては

間違ったモノを引き出してしまう危険性だってあるのだから。

・・・って思いで、

正確に教えてる心算なんだけども、人によってはどーして違ってんのかしら? ウ~ム(>_<)

 

 

 

 

今週の雑談/『ガングリオン』

震災後位から、右手首にガングリオンが出来ていました。

ある時、温泉からの帰りの運転中に、自分の手首を見て発見しました。

神経を圧迫しているのか、触る角度によって痛みがあるのでした。

で、今年に入ってから、そのガングリオンが大きくなっていたのですが、

先日、ちょっとした事でその部分を強くぶつけました。

痛みを感じたのは一瞬でしたが、手首を見るとガングリオンが無くなっているではありませんか。

触ってみると、まだ小さく丸いもの(枝豆で言えば莢みたいな物か?)はありますが、

目で見た限りでは、「何処に有ったの?」って、もう分からない感じです。

“お、という事はガングリオンって中味は水分なのか?”と考えました。

水分であれば、恐らくまた溜まってくるのでしょう。

でも、今度また大きくなって来たら、その部分を柱にでも強くぶつければ潰れる筈です。

部位鍛錬のついでにぶつけてみようと考えています。

大きくなったガングリオンを見て、知人達は「不自由になる前に病院に行って取ったら?」

と言ってましたけど(って、取れるのか?)、病院なんて必要ありませんな。

思いっ切り、ぶつけてやれば良いんです。

・・・え? 「野蛮な」?

そ、そう言われちゃうと、オススメ出来ないんですけど・・・(>_<)

 

 

 

今週読んだ

7月17日 ジッド著(山内義雄訳)『狭き門』。

紹介文によれば、「早く父を失った主人公は少年時代から夏を叔父のもとで過ごすが、そこで従姉のアリサを知り愛を覚える。しかし、母の不倫等の不幸な環境の為に天上への愛を求めて生きるアリサは、彼への思慕を断ち切れず愛しながらも、地上的な愛を拒み死んで行く」

ってな内容。メンドクセーなぁと思いながら読んだ(笑)。

“でも、分かるけどな”って思わせる所が、流石、上手いって事なんだろうな。

著者の略歴を読んで思ったんだが、幼少から神経質過ぎて、変わり者だったんじゃなかろうか。

メンドクサイ小説を書いてなければ、ただの変人だったんじゃないかしらね(笑)。

 

7月22日 吉野裕子著/『易と日本の祭祀』。

吉野氏は在野の学者として有名で、中国の五行思想に研究の中心がある。

日本の様々な風習を五行思想から読み解く、というスタイルの本が多く、中には「こじつけ過ぎ」と評される所はあるが、

実際に(私の様な職種の者には)良い勉強になる。

殆どの著作に“陰陽五行の解説”が載っているので、そこは中国武術修業者にも大いに参考になる筈で、

吉野氏の本は実に解り易いから、一読を薦めている次第である。

 

 

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7月16日(日)

忙しかったのは午前中のみ。午後は参詣(お参り)の方のみなので、夕方にかけて登米市南方町の大嶽山興福寺さんに行ってみた。

というのも15~17日まで11面観音さんのご開帳をしていると朝刊で読んだからである。

33年に一度のご開帳らしいので、今回を逃すと私に次はない(笑)。という事で元気一杯お参りして来た。

荒廃を乗り越えたというが、立派な規模のご寺院である。

・・・他のお寺さんを見学すると、殆どいつも“学び”や“気付き”がある。私の場合は震災で失った物も多いし、土地も削られてしまったが、

それでも“やれる事はある”と(金はないが希望だけは)膨らむのである(笑)。

 

殆ど自坊(自分の寺)を出ない、“ひきこもり”の私が出かけるのも仏像に誘われての事である(笑)。

私のヒキコモリは酷いもので、殆ど出歩かない(笑)。

近所にビールを引っ掛けに行ったりはする、その程度。

んだって出かける時間なんか勿体ないのよ、って、時間の使い方が下手なのかしら?(笑)

行をして(日々中断しながらだけど)、

仕事をして(「仕事をして」を一番最初に書けよ)、

稽古をして、

本を読んで、

これで大体一日が終わっちゃうんだもの。

・・・ってなペースで静かに生きてるんだから、賑やかなのは苦手だったりします(笑)。

 

 

 

7月15日(土)  仙台・拳法(打撃)基礎クラス

高校生I君とマンツーマンになった稽古。

準備体操、防禦練習、約束組手、柔術(初伝30本)、単・連攻防対錬、スパーリング

で1時間半の稽古。

約束組手では一つ一つの技に“学んで欲しい要素”がある。つまり、ある技は完全に相手のバックを取る動きに主眼があったり、

ある技は相手より先に制したり、といった具合に。昨夜の対ナイフ練習の解説も含め、「約束組手は基礎通りに行なう事が先ずは重要」

である旨、理解して貰った心算だ。

 

 

★色々な人に聞かれる毎、「葬儀は読経だけしてる訳じゃないんだ。読経はサポート的役割なんだよ」

と説明すると、その都度、大変驚かれまして、余りの驚かれように私も驚きました(笑)。

 

読経だけなら素人だって出来るでしょう? 一寸した経を読める素人は沢山いますよね。

読経だけならわざわざ、修行したプロに頼まんでも良いでしょう?(笑)

そこら歩いてるオッちゃんに頼んで拝んで貰ったって良いんじゃない?

・・・という訳でして、葬式ってのは“読経してるだけ”ではないのです。専門的訓練(修行)を受けた者でないと

やれない(行なえない)部分がある、という事なのです。でなきゃ誰にでも出来るべ?効果や有り難味は別にしてもさ(笑)。

※読経のみの宗派もあります。

 

 

 

 

7月14日(金)  仙台・套路(型)クラス

午前中、知人のパソコンの件でK池君が石巻まで来てくれた。毎々、本当にご足労かけます。すみませんm(__)m

 

日に日に気温が上がるが、今夜も元気に道場に来たのはS島さん、高校生I藤君、K池君、Y田さん、S木君。

先ずは正宗太極拳を全員で揃って、細かい点に注意しながら套路を半分ほど練習。もう汗だく(笑)。

真剣に練習したらきついですよ、太極拳。

少々休憩を挟んで、

太極拳の套路を一通り憶えている人は太極対錬を、未だの人は套路を練習。

 

昼間、石巻に来たK池君から「対ナイフ」(こちらは素手)の対処法を訊かれたので、9時半頃からそのテクニックも皆で練習した。

とはいえ、相手がナイフの扱いに長けている場合は、こちらも訓練を積んでいないと素手での対処なんざ無理であり、

訓練の足りない人に出来る事ではない。“先生はこの方法で出来たから”、“ある名人がそうやってたから”

=“自分も出来る”と思うのは誤解である。

生兵法は怪我の元であるのは間違いなく、持ってる物をぶつけて距離をとって逃げる方がマシである。

それが出来ない状況なら、後は自分の被害を最小限に減らす事である。

嘘だと思うなら、最初はナイフ代わりにスラッパーででも練習してみると良い。余程拳法の訓練を積んでいない人には無理なのが解るから。

ってな“現実”が分かるのも、練習・体験すればこそ。そこからがスタート。

で、もう一つ、ハナシついでに。

或る先生は「これは危険です。連攻で必ず切られます」と、対ナイフでの悪い例として、空手の上段受けや内受けで受け止める動作を引き合いに出します。

確かに、受け止めるのは最悪の対処です。

が、空手の上手い人は受けると同時に金的へ前蹴りを入れて連攻をものともしないし、又、

受けが強くて相手が持ってる刃物を吹っ飛ばしてしまう人もいます。なので、厳密には「どれが対処として間違っている」というのではなく、

その人の得意や、培った動きにもよる、という事なのです。それを単に真似しようとしても上手く行かないのは理解が簡単ですよね?(笑)

 

って感じでナイフ練習も盛り上がり、10時半過ぎに今夜の道場は終了。

遅くまでお疲れ様でした。

 

 

★仙台市博物館(?)に『高野山の秘宝展』が来ているから、と、知人に「一緒に行かない?」と誘われたり、

ならば、と当会のK池君にも「一緒に行くかい?」と声をかけたりしたのだけれど、

CMで見た限りでは出品物はどれも飽きるほど見た事のある物ばかりだった。

・・・そりゃそうだよな、あそこに5年も住んでたんだからな(苦笑)。

 

 

 

 

7月10日(月)  石巻教室

前回で太極拳套路は一通り復習終了!という事にし、注意点のみ改めて説明しておいて、

(これからの自主練習で深めて行って貰うのを楽しみにしてます。力の出し方含め、套路も又チェックはします)

専作伝・心眼流の初伝型7本と中伝型の1本目の復習からスタート。

 

今夜から老八掌の復習を開始し、先ずは一掌の力の使い方。

新しい動きを始めた時は(それが復習でも)多くの事を練習すると、結局どれも残らないので(笑)、

推手と太極対錬を行なって、自分で出来るマッサージをし、

最後に柔術系の技を一つ練習して、1時間ほどで今夜の稽古は終了。

 

一掌が満足できる動きになっていれば、次回は二掌の洗い直し予定。

 

 

★オフロスキーの相棒の“ダツイージョ”。

ひねりが効いてて最高だ。

↑って、分かる人だけ通じてくれれば。

・・・ところで、“脱衣婆”というモノは、若い人は聞いた事もあるめぇ(哀)。

 

 

 

今週の雑談・『たまにはフツーの人にも解りやすく?』

“天気”というのは様々な要素で起こります(変わります)ね。

様々な要因の重なり合いで、雨になったり、雪が降ったり、曇ったり、

風が吹いたり、晴れ渡ったりする訳です。

そういう様々の要因で変わって行くのですから、

雨ばかりの日はありませんし、晴ればかりの日もないのです。

雨も雪も晴れも曇りも、起こって当然の訳です。

人生も同じです。色々な要因が重なって色々な出来事が起こるのです。

期待してないような悪事が起こる事もありますし、

嬉しい出来事が起こる事もあります。

お天気と同じで、嬉しい出来事ばかりを求める事は無理なのです。

反対に、辛い事ばかりがずっと続くという事もないのです。

セットみたいなものだ、と思えば(笑)。

勿論、考え方や行動といった現時点の自分自身によって、

嬉しい事を出来るだけ増やす事も可能です。無論、

人生の趨勢からすれば、僅かな影響ではありましょうけれど(笑)。

また、同じ出来事が起こっても人によって捉え方が違っているので、

ある人は人生に絶望する事でも、ある人にはさほどではなかったりもします。

ここが一番大きいのではないかな、と思ったりするのです。

「因と縁とで出来ている」のは、どれもこれもぜ~んぶ一緒だってコトよね(笑)。

 

 

今週の読書

7月9日(日)

「暑い夏には悠久の中国」と思って読んだ訳ではないが(笑)、『NHK大黄河・第4巻・仏陀への道』。

シルクロードを経由して中国を東漸した仏教の道筋を辿ったテレビ放送を纏めた本。

チベットにも取材はおよび、写真も豊富で、“こんな本を105円で買える時代は幸せねぇ”なんて思ったり(笑)。

この本の内容でウチの弟子達にも興味があろうのは、嵩山少林寺の記事ですかね。

・・・少林寺、私が行った時には大観光地でしたが、まぁ水が不足でトイレは流れないわ、売ってる水は汚れてるわ、

武器の押し売り(?)は有るわで、なかなか楽しい山でした(笑)。

 

 

7月15日 高階秀爾著/『続・名画を見る眼』

モネ、セザンヌ、ゴッホ、スーラ、ムンクなど、誰もが名前を知っている様な、14名の画家とその作品を取り上げている。

その絵の見方だけでなく、画家がどの様な模索からそういった表現にたどり着いたのか、や、

画家の簡単な人生などにも触れた、とても面白い本。

私はこの本、好きだな。“おおーそうだったのか!?”とか興奮しながら読んだ(笑)。

 

この手の本は白黒である。近年のネット時代になって有難い事は、書庫から画集を引っ張り出したり、

高額な画集を買わなくても、絵がネットで見られるところである。

 

 

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7月8日(土)  仙台・拳法(打撃)基礎クラス

今日は本尊さんの縁日で忙しく、稽古する前から少々グッタリの態で道場へ行きました(笑)。

(大日如来の縁日は古来より28日説があるが、当寺院はじめ8日の所も多い)

8時になっても誰も来ないので“9時頃まで自主練習して帰ろう”と決めて剣なぞ振り回していると、

9時少し前にS木君が到着。「帰ってしまわなくて良かったわい」と笑いました。

 

稽古内容は手技・足技などの洗い直しや、審査に必要な動作のチェックなどを行ない、

10時少し前に今夜は終了しました。

暑い中、お疲れ様でした。

 

 

★「套路に限界を感じたら出てみ』

金曜クラスで何年も套路や対錬、用法を学んだ人は、年齢・性別・目的に関わらず、

(1~2年の短い年数で構わないので)土曜のクラスにも出てみる事をオススメします。

土曜は打撃練習が中心なので、慣れないと少し怖いかも知れませんが、

やってみれば大きな怪我もしませんし、打撃にもじきに慣れるものです。

そして練習に参加すれば、実際に武術を使う時に“必要なコト”も解る筈です。

10年一日の如くに套路を練習しているだけでは、大切なコトが解りません。

「長年やってるのに、レベルが上がらないなぁ」と嘆息している人は、他の練習が必要な段階になっているのだ、

という事でもあるのです。

それに、土曜の稽古に出れば痩せるコトは絶対請け合い!だし(笑)

 

 

 

 

7月7日(金)  「アレ?今日って七夕かぁ?」な仙台・套路クラス

7月7日は“浴衣の日”でもあるんですってね。暑くて着てられんけども(笑)。

「浴衣着る為に冷房つける」んぢゃ本末転倒ですもんね。

 

今夜の稽古にはY田さん、S木君、K池君が参加。

準備体操や基本功から始め、套路などを中心に稽古した。

套路用法や、現代格闘技と古い武術の戦い方の違い、他派拳法の技、柔術と拳法の相違点、

不正確な拳法本や、格闘ゲームの話など(笑)、武術に役立つ内容なのか只の雑談なのかビミョーなモノまで

炸裂の2時間半。

というワケで、10時40分頃まで稽古をしました。

 

 

 

 

 

今週の雑談

格闘技や武道をかなり本格的にやってる者が暴行して大怪我させた、

なんてー事件は忘れた頃にある。

だが、格闘技・武道人口から見たら、そういった事件は圧倒的に少ない。

あ。何も私はその世界の1人として、擁護する心算はないぞ(笑)。

 

正直、今の時代、

「格闘家だっつったって、素人に暴行したら障害で逮捕されっから、暴力は振るえないんだぜ~」

といった観点から、素人が舐めてかかるケースが増えていると聞く程だ。

中には、「所詮オメーラはルールがあってこそだ」なんて、格闘家に向かって言う奴もいるそうだ。

 

なので、たまに格闘家にぶん殴られて重傷を負う奴が出て来るのも仕方ないと思ってはいる。

遊んで生きてる奴が、努力してる人間に対して何かを言える筈もない。万死に値する(笑)。

多分、未だに私も、挑発されれば目に指を突っ込む位は平気でする。

え?「坊さんだろう?」って? そんな時はスイッチが切り替わってるに決まってるだろう。

だから、格闘技や武道のプロが暴力事件を起こすのは本音なら「ダメだ」とは言わない。

弟子達にも言った事はない。

喧嘩一つ出来ない様な奴が、良い格闘家・武道家、指導者になれる訳がない。

 

・・・だが、事件の理由を聞くと、「女がらみだった」とか、そんなのはもう、ホントに情けない。

そんな女、とっととくれてやれよ。一緒に居たって、どーせロクな事がない。

 

と、この俺が言うんだから間違いない(笑)。

 

 

 

今週読んだのよ

7月2日/山田法胤著・『ブッダに学ぶ とらわれない生き方』を読む。

震災に関連させて、内容(本題)に入って行く。文中も折りある度に震災の話が出る本。

 

言ってる事は良く分かる。私も仏教者の端くれだ。しかし、この坊さんの寺や自宅、家族や財産が失なわれたなら、

自身が言ったように(書いてる様に)出来るだろうか? との疑問が沸いたのが本音。

所詮は関西と東北という離れた場所での出来事だ。何とでも言えるんじゃなかろうか。

言いたい事も良く分かるが、“ムッ”とする部分も多いので、怒りをぶち吐かせて貰う事に決めた(笑)。

 

「震災後に沿岸部を供養して回った」それが何になるというのか? 家族を亡くした被災者に“有り難がる事”を強要しただけではないのか?

それも3日間という短期間。

「再起に市や国は手を貸してはならない。自分で復興すべきだ」と言うのも分かる。そんな事は他所の人に言われなくても、

私がハナっから言っていた事だ。かさ上げや堤防は止むを得ない、が、再起には区画整理だの、市の肝いりの施設だの、

そんな物は妨害であり邪魔でしかない。実際、区画整理でのトラブルは多い。

その場所(地元)に住んでいた各自に任せ、もし必要なら幾許か援助を出すのが一番早いし、無駄も、談合もない。

「物品を貰い過ぎは良くない」のも分かる。

私も言われた事が有るぞ。被災者でもない奴に「カネは貰ってるんだろう?」と。

確かに災害規定の200万だか300万は貰ったようだ。だが、そんな額がナンボの役に立つか? はした金貰って「喜べ」ってか?

で、それを被災もしていない奴が言うか?(怒)

「良い思いをしたのは一部の者だけだ。そんなんを真に受けて街中で言うなよ。袋叩きにされたって、俺は助けねぇぞ」

と言ってやった事がある。

つまり、よそ者がニュースだの又聞きだので判断した内容だとしか思えない発言だ。この本も同じだ。

被災者でもない連中が、震災をダシに本なんざ書いて欲しくねぇな。分かったか。

 

でも、この本。寺の歴史やご自身の経緯に触れた最後の章は面白かった。

坊さんは丁稚奉公とかで常人には経験出来ない様な体験をしてるんだから、そういった話の方が、

ナンボも面白い。

 

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三節棍・講習会への補足

一度練習会に参加すると、当然、三節棍に傷が付きます。モノによっては壊れる場合も有ります。

なので去年のヌンチャク講習会同様、コレクションで三節棍をお持ちの方は参加ご遠慮下さい。

傷だらけになった三節棍を、

“これぞ稽古の証だぜ”

と思える、ちょっと、その、アタマがヘン、いや、楽しめる人だけ参加して下さい(笑)。

 

 

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7月1日(土)  仙台・拳法(打撃)基礎クラス

今日から7月。今年も後半に入りましたね。7月に入った今日は途端に夏の気温でした。

この前までは空梅雨な宮城でしたが、月曜位からは雨が続くようです。

 

さて、気温の上がった道場に来たのは高校生I藤君1人。

準備体操と各種の基本を終え、外家拳の基礎型や柔術の稽古も織り交ぜながら、

反応訓練、外家拳テクニック、軽いスパーリングなど2時間の稽古をした。

※今夜のようなスパーの仕方だと怪我も少ないし、老若男女誰でも無理なく練習出来る。

 

ちょこちょこと休憩を入れながらの稽古で、全てのメニューを・全種こなした訳ではないが、

一つずつは丁寧に練習してみたので、今夜も良い稽古になったと思う。

特に攻防練習やスパーで彼の弱点を指摘してやれたのが、今後に資すだろう(筈。そうなって欲しい)。

 

 

 

 

今週の雑談・『山ごもり』

武道・武術をやってる者ならみんな一度は憧れる“山篭り”。

 

山に篭ってはみたけれど、夜になるとオバケが出て、怖くって怖くって山を降りた、

って人がいたら、そんな人は好きだ。

 

絶対、憎めない。

 

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