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第四十一講

≪武術を生業とするなかれ≫

 

これはあくまで私見だし、状況にもよる事で一概には言えないが、

もし本当に武術が好きならば、武術でメシを食わない方が賢明だ。

つまり、道場経営を本業にしない方が良い、という事だ。

勿論、武術で収入を得る事に反対している訳ではない。

武術は趣味で教える事にして、本業は別に持った方が良いと思うのだ。

全収入を武術に頼ってしまうと、道場経営に生活が掛かってしまうから、

背に腹は替えられず、時に武術に対する姿勢を曲げざるを得なかったり、

酷い場合には、生徒に嘘をついたりする事すら有る。

好きな“武術”で、そうなってしまっては情けない。

道場経営にも当然波があり、生徒が多い時も少ない時もある。

生活の全収入を道場に頼っていると、生徒の増減に一喜一憂しなければならない。

道場からの収入なんて少なくても良いのであれば、例え生徒が減ってたとしても、

本当に好きな事を、本当に好きで付いて来る生徒と共に稽古して行けるのだから。

又、状況にもよるが、最初から道場を構えて生徒募集するのも考えた方が良い。

自分の腕が高くなってくれば、自然と教えて欲しいという者が集まって来るものだ。

そうなってから道場の形にしても遅くは無いのだ。

2004,5,3

 

 

第四十ニ講

≪憶えるコツ≫

 

「習った事をナカナカ憶えてられなくて・・・」という悩みを抱えている人は案外多い様だ。

教わった時点で全く憶えられなかったというのなら別だが、

ぼんやりとでも憶えたのに忘れてしまうというのは、復習の仕方に問題がある場合が多い。

勉強と同じなのだ。新しい事を習ったら家に帰って復習する事が大事だ。

寝る時間まで、納得の行くまでがっちり復習するのだ。

そして翌朝起きたらもう一度やってみると、これで何とか憶えるものだ。

 

もしも自宅から道場まで車や電車、バスなどで通っている人の場合なら、

道場からの帰宅途中でメモを取ると云うのも効果が高い。

箇条書きで良い。簡単な絵を付けても良い。自分だけが解れば良いのだから。

 

幾つかの動きが連続している動作(例えば型)などを習った時に、

習った動きの中ほどの動作を忘れてしまう(抜け落ちてしまう)と云う事もまま有る。

この様な時、諦めて復習する事自体を止めてしまう人も居るが、それは間違いである。

そのような場合、忘れてしまった箇所を飛ばして復習しておくと良い。

あやふやな所はあやふやなまま稽古しておけば良いのだ。

そうすれば、次に習いに行った時に、その抜けた所を集中して憶える事が出来るからだ。

 

口幅ったいのを覚悟で言えば、才能や素質だけで憶え、上達するのではない。

誰しも努力で上達するのだ。頑張って欲しい。

2004,6,30

 

 

第四十三講

≪スパーリングはどんどんやろう ・ 補足≫

 

スパーリングは、やれば良いと云うものではない。

滅茶苦茶にやると、スパーから得られる効果が半減する場合も有るのだ。

目的を設定し、その目的に応じてスパーを導入すべきだ。

例えば、古流柔術の技を、実際に動く相手に対して使う事を目指してスパーをやるのなら、

相手の突き蹴りに対して、柔術を使うようにしていかねばならない。

投げ・関節技を稽古している者が、スパーになるとキックボクシングになるようでは、

(初心者なら兎も角)折角の普段の稽古が勿体無いだろう。

故に夫々の流儀に沿って磨いて行く訓練をせねばならない。

初心者は、先ずは基本的な突きや蹴りに慣れる所から始めねばならぬのは、自明の事だ。

一定の規則から順を追って難度を上げて行くべきである。

又、相手と潰し合いをするようなスパーばかりをやっていては、才能と根性の有る者しか上達出来ない。

互いに上達する為のパートナーとして稽古するのだ。

上の者は下の者の攻めを受けてやる、付き合ってやる位の気持ちが欲しい。

スパーリングは上達の為の手段である。試合でなければ、喧嘩でもない。

実は私も十代の頃は潰し合う組手ばかりやって来たが、そういう稽古では、

気の弱い人や優しいタイプの人は打ち合いに対する恐怖心が増すばかりで、

強くなる所か、挫折してしまう事が良くあった。

自分の弱さと決別したい人が強くなりたくて武術を始めたのに、そういう人が残れず、

元々強い者だけが強くなれるというのでは、武術として失格であろう。

(尤も、使えない物をさも使えるが如く教え、強くなった様に錯覚させるのは、論外だと思うが。)

寸止めが良いか、当てるのが良いか、に関しては相手の慣れ次第と云う事も有るので一概には言えないが、

個人的には矢張り顔面だろうが金的だろうが、当てた方が良いと考えている。

2004,7,5

 

 

第四十四講

≪必要最低限≫

 

私の道場で、突き蹴り等の基本稽古を現代武道の道場と比べると

比較的ゆっくり、一つ一つやっているのは、正確さを身に付ける為です。

ですがそれは、連続して速く突き、速く蹴る練習が必要ないという事では有りません。

初心者のうちに速い突き蹴りをやり過ぎると、フォームが崩れたりする事が有るので、

正確さを期す稽古をしているまでです。

連続して早く突き、蹴る稽古からはスタミナのみならず、大切な事が身に付きます。

慣れたら日々の稽古に取り込みましょう。

 

筋トレも同様です。

道場の限られた稽古時間内では、筋トレにまで割く時間がないからやらないのであって、

必要ない訳では有りません。

そういうのは個人で稽古すべきだと思っているからです。

道場では、一人では出来ない稽古に多くの時間を割くべきだと私は考えます。

稀に「筋トレは不要」という話を聞きますが、矢張りスタミナ同様、最低限の筋力というものは必要です。

確かにステップ・アップの為に、一時期筋トレから離れた方が良いと思われる状況はあります。

が、例えば腕立て伏せなど、使うポイントを押さえてから稽古に取り込めば、大変高い効果を発揮します。

 

型稽古ばかりの世界ですと、この“必要最低限”を余り感じないかも知れませんが、

矢張り必要なものは必要なのです。

2004,8,14

 

 

第四十五講

≪八大武舘の由来≫

 

以前より時折流名の由来に就いて質問されて来ましたが、

とうとう明かします(って、そんな大仰な事でもないっちゅうの)。

“八大武舘”という名は、私の先輩に当たる或る坊さんが付けてくれました。

“八大”の八には、力の方向など、幾つかの武術的な意味も有りますが、

それを流名に冠した最大の理由は“八大明王”からです。

明王とは、不動明王を始めとする怖い顔をした仏の事です。憤怒尊とも呼ばれます。

八大明王とは、それら憤怒尊の中でもメインとなる八人の明王を指します。

 

何故、この仏達が怖い顔をしているのかと云うと、諸悪を断刃する為の怒りの表現なのです。

武術というのは悪を断刃する為に力を発揮させねばならないものです。

この“悪”とは他人の悪だけでは有りません。己の悪も指しているのです。

武術を学ぶ事で、己の悪を断刃する力を持つ。これこそが武術の大きな目的です。

 

仏教の開祖、釈尊には次の様な言葉が有ります。

「たとえ千軍の兵に勝つとも勇者とは言わず。唯一人、己に勝つ者をこそ勇者と呼ぶ」

強者とは、まさにそういう事を言うのです。

2004,9,18

 

 

第四十六講

≪恋人や妻と遊びながら武術の稽古をする法≫

 

世の男性は辛い。久し振りの休みに稽古でもしようとすると、

「え~。休みの日まで武術なのぉ?」 などと文句を言われたりする(涙)。

最終的には、「あたしと武術、どっちが大事なの!?」

なんて言われるような状況にも陥りがちである。

そんな時に、

「お前の代わりは世の中に一杯いるが、武術の代わりはないんだぞ!」

なんて事は口が裂けても言ってはならない。修羅場へ一直線だ(笑)。

 

そこで、どうせなら彼女と一緒に練習する事を考えよう。

ただし、彼女の側にテクニックの必要なものや、気合いが必要なもの、痛みを伴う練習は適切でない。

一緒にバトミントンをする程度の気楽さで“遊べる”事でなければならない。

 

ではどんなものが適当だろうか?

太極拳などで良く行われる“推手”はとても良いのだが、

彼女が推手を知らない場合は彼女に一から教えなければならないし、余りに稽古臭がする(笑)。

彼女にパンチング・ミットを持って貰って打つとなると、軽く打っても彼女は衝撃に耐えられない。

すぐに「イヤ!」と言われてしまうだろう。

ミットは持つ側にも結構慣れが必要なので、

彼女がミット持ちに慣れるまで練習に付き合って呉れると云う保証は先ずないだろう(笑)。

 

そこで私がオススメするのは、

彼女に棒を持って貰い自由に攻撃させ、こちらはそれをひたすら防禦する練習だ。

ゲーム感覚でやるのが楽しい。

彼女に棒を持ってもらい、打ったり突いたりを織り交ぜて、自由に攻撃して貰うのである。

やってみると、思った以上に良い練習になる筈だ。

ただし、棒がこちらの腕や足に当る時の音を大抵の女性は「痛そう」と嫌がるので、

出来ればゴムやスポンジが巻いてある棒が望ましい。

防禦する我々は全く痛くなくても、女性からみれば痛そうに見えるらしいのだ(笑)。

又、彼女が慣れるまでは、捌いて彼女の懐に入ったりするとかなり怖がられるので、

相手が慣れるまでは充分注意しなければならない(笑)。

彼女が持っている棒を奪ったりするのも止めた方が良い。びっくりされる。

相手は普通の人だと云う事を忘れちゃいけないのだ(笑)。

 

ま、こうして二人で遊んでいる内に、段々と彼女も棒の使い方を覚えるから、

若しかすると何かの時に役立つかも知れないし、自分の稽古にもなる。

一石二鳥である(笑)。

2005,7,2

 

 

第四十七講

≪万歳! 独身貴族(笑)≫

 

中国武術家なら是非とも揃えておきたい物に、

棍(上製の白蝋が望ましい)・刀(鉄製が望ましい)・槍(勿論鉄製)・剣(くどい様だが鉄製)の四つがある。

これを一般に四大兵器と呼ぶ。

他にも三節棍、大梢子棍、日月孤形剣、節鞭、縄標・・・と欲しい物にはキリが無い。

そうそう、心眼流修行者なら甲冑も一揃え欲しい所だ。30万円の足軽甲冑じゃなく、当然100万円の将軍甲冑だ。

そしてこれらは是非とも独身のうちに手に入れておく事を勧める。そりゃーもう、勧める。

結婚してからこんな物を買おうものなら、嫁の嫌味位は覚悟しておかねばならない。

 

「いやー、良い刀見付けたよ。買わなきゃ」

「刀、持ってるじゃない。何本も」

「いや、サイズ、材質共に同じ物は一つも無いのだよ。それにこいつは鉄製だ。

ジュラルミンなんてちゃんちゃらおかしーぜ。男ならやっぱり鉄だよ、鉄」

「何が違うのよ」

「かぁ~~、これだから女ってのは解ってねえなぁ。

ジュラルミンってのは研いでも切れねんだぞ。勿論それでも大根位は落とせるけど。

鉄ってのはグラインダーでビュンってやりゃあ刃がつくんだぞ。本物って事だ。

本物を持つ、これぞ男のロマンじゃないか。言うなれば“本物志向”ってヤツだ」

「切れるからってどうするの? どこで使うのよ?」

「有事の時に役にたつだろーが」

「で、その“有事”ってのは一体どんな時で、いつ来るの」

 

とまぁ、万事この調子である。

嗚呼、羨ましい独身貴族・・・。

そこの君、そんな訳で、欲しい物は結婚前に買っとけよ(笑)。

2005,10,14

 

 

第四十八講

≪このHPで私の言いたい事≫

 

私のHPは地味である(笑)。ひたすら文章だけである。

世にはもっと画像や背景に凝っていて読み易いHPも山ほどある。これは一寸羨ましい(涙)。

どなたか私のHPが見た目に美しくなるスキルとセンスを持っている方は居られませんか?(笑) 手助け希望!

 

さて、世には武術関係のHPも山程ある。

中には今流行りの身体操作・身体感覚について、とても詳しく説明しているHPもあるようだ。

だけど、私はそういうHPにはしたくないのだ。

もっと普遍的な、誰でも経験さえ積めば解り得る事について書きたいのだ。

武術の解説である以上、矢張り“実際にどうするか”という論点は欠かせない。

その部分に“身体感覚”は答えにならないと思うのだ。

戦うってのはどういう事か、戦う事を考えたらどのような稽古をしたら良いのか。

この部分こそ、私が自信を持って発表出来る部分だ。

身体感覚というものは自分以外の第三者には実証できない。

だが、現在はそのような情報が多過ぎて、ともすれば頭デッカチになってしまう。

私は実証出来るものだけ解説したいと思っている。

“どこかで読めるような二番煎じの内容ではなく、自分の読みたい内容のHPを作りたい”。

これが私のHP作りの基本である。

しかし、残念なのは、矢張り“秘密”がある為に細かい事まで説明できないことかな(笑)。

強くなりたい人や、限界を感じている人は当会の門を叩いてみて下さい。

夫々の目的に応じて、必要な事を少しずつ教えて上げますから。

・・・あら、最後は宣伝になっちゃった(汗)。

アルコールが入ってるので、かなり説明不足の感があるなぁ(笑)。誤解されそうな表現があるかな。ごめん。

2005,10,16

 

 

第四十九講

≪だからやめられん≫

 

私は野球にもサッカーにも余り興味がない。と、言うと「野球は面白いのにねぇ」と言う人も結構いる。

いや、野球やサッカーが面白くないと言うのではないよ。

 

ところでその野球、バッターがボールを打つのは、多分ピッチャーのモーションを読んで、

“打つ動作”に入るのだろうと思うのだが、如何だろうか?

ピッチャーの手からボールが離れてから動作を起こしていては、間に合わないんじゃないかと思う。

もしもモーションの無いもの、例えば大砲の筒みたいな物から、予備動作も無くいきなりボールが発射されたら、

ボールの速度が速いだけに、多分それを打つのはぐっと難しくなるのじゃなかろうか。

それも距離が近ければ近いほど。

 

さて、訓練された者のパンチは速い。そりゃもう速い。

それを防禦し反撃出来るのは、或る意味相手のモーション(意・体)を読むからだ。

野球ならば飛んで来るのはボール一つだが(ボールだと思ったらグローブが飛んで来たという話は余り聞かない)、

武術の場合は両手両足、何が飛んで来るのか解らないのだ。

例えば右パンチだとしても、それが顔面へ来るのか、胴へ来るのか。

狙われたのが顔面だとしたら、真っ直ぐ来るのか、フックで来るのか、アッパーで来るのか、

上から来るのか、反対横から来るのか。

フックだとしたら、水平に来るのか、上から来るのか、下からか・・・等々。

 

そして、上手い人は打つ時のモーションが小さい。中にはモーションの無い人もいる。

時にはモーションがフェイントだという事もある。

強烈に速い突きや蹴りが、

遠くて1.5メートル、近ければ20~30センチの距離から、自分の顔面目掛けて飛んで来るのだ。

そこで使われる判断と、そのスリルたるや如何なものか(笑)。

 

モータースポーツで必要とされる判断もスリリングであろうが、

武術で必要とされる判断も、それに勝るとも劣らない。

殊に自分と対等以上の相手と手を合わす時の緊張感、そのスリルといったらない。

 

「こんなに面白いもんは、他にはねぇ」

と、私は思うのである(笑)。

(実はパンチと突きは違うとされており、私もその違いには頷くのですが、ここでは拘らずに言葉を使いました。)

2005,11,7

 

 

第五十講

≪どうせなら明るく≫

 

楽観的でないと、一つの事を続けるのは難しい。

長く続けられねば、何かでいっぱしになるのは難しい。

一寸した困難があった時、一々悲観的になったり後ろ向きになったりしていては、

一生それを出来るようにはなれない。

(中には、一つの物事で困難にぶつかると、

「自分には○○がある。だから、これが出来なくたって良いんだ」

と考えるタイプの人もいるが、この考え方は単なる逃げであり、

こういう人が出来ると思っている事なんて、残念乍ら大したレベルではないものだ。)

仕事でも、人間関係でも、趣味でも、凡そ物事に取り組むには明るさが必要だ。

ストイックというのは評価され易いが、実はそんなに強くない。何かあると折れやすい。

第一、余裕の無さとストイックを混同してはならないだろう。

実は私にだって、出来なくて泣きたくなる事が未だにある。

だが、そんな時に落ち込んだってしょうがない。

そんな時は笑い飛ばすのだ。「難しいっす!」と。(笑)

上手く出来ないからといって、俺には向かないとか、俺には出来ないなどと考えたら、一生出来ない。

最初は上手く出来なくても、2~3ヶ月やれば何とか格好位つくようになるものだ。

出来なくて当り前、だから習うのだ。

昔私が師事したある先生は、

「今は出来なくても、それを教えている先生と同じ年になる頃には、それが出来るようになってるだろう。

先生に出来るのだから俺に出来ない訳がない、って考えるんだ」

と、教えてくれた。こういう前向きな姿勢が大切なんだと思う。

 

明るさが強さなのだなぁ、と感じるこの頃。

2006,2,8

 

 

 

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