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12月31日(土) 年末恒例の無駄話。

皆様には今年もお世話になりました。さて、ゴチャゴチャと書きますよ。中には真面目な方が眉を顰める文も有りましょうし、自分でも何処まで本気で書いてんだか?って内容も有りますので、ま、あんまり真剣に読みなさんな(笑)。

◆震災後、このサイトは『指導日記』(とタマーに『初心門下生』)しか更新しておらず、『雑談』の類いも『日記』の中に放り込んでおります。ほら、こんな風に(笑)。
で、悪い友達が「スッキリしない。ゴチャゴチャしてる。雑談は別に作るべきだ」などと言いやがってんです。
とりあえず、「うるせーってんだ。フンだってんだ」と正しい返事をしたのですが、そう言われると日々なんだかドンドンそんな気がして来るからフシギです。ツラいです。

◆「除夜の鐘が五月蝿い」との苦情で鐘を打つ寺院が減っているとのウワサ。確かに、小児がやっと寝付いたと思ったら梵鐘の音、では気が気でない家庭もありましょうね。
しかし、だ。何処か一箇所が苦情に負けて言い分を聞くから、あっちこっちでも調子付いて苦情を言う連中が発生するんだっつの。・・・と、梵鐘のない寺院の私が言ってみる。

◆↑なんか腹が立って来たので、今日はお蔵入りさせていたネタをぶち並べて、説教臭い話題を羅列する。纏まりに欠ける上、耳障りな筈だから余程の好き者以外は読むな。
それにしても梵鐘、土台から一通り建設したら1千万位はかかるんだろうな。ウウム。

◆死の恐怖を倍化させるものは執着であろうな。
「これは俺が稼いだ金」、「これは俺が苦労して建てた会社」という思いだとか、子供の事とか、人が執着を感じる対象は色々とある。
だが、これらの執着は“自分のモノだ”と実は錯覚しているだけであり、本当は“自分のモノ”なんかではない。
例を挙げるべか?
私の寺には立派な仏像がある。これを誰かに継がせなくては・・・との拭い去れない思いが、以前、私の心内の何処かにあった。
しかし、である。
それらの仏像は、私が死んで以後もそのまま有る。例え売却され持ち主が変わったとしても、何処かにある。つまり、私の物ではない。
寺院建物や仏具も、私が死んでもあの世に持って行けない。つまり、これも私の物ではない。
確かにそれらをお金を払って造ったのは私や父だが、これは今、“仮に”私が管理しているだけである。
私のものではない物を、私が悩み、考える事に意味はない。
私が死んで、身体から命が離れれば、身体は火葬場に持って行かれて灰となる。身体もあの世に持っては行けない。つまり身体も私の物ではない。
私が“私”だと思っている主体も、死んで身体を離れれば、自我は脳の働きであるのだから“私”との意識はなくなろう。つまり、自我も私の物ではない。
 ・・・もうね、自分の身体さえ自分のものではなく、思い通りにならないのだから。執着を捨てんのが幸せへの道なのよ(笑)。

◆理屈じゃなく感情で生きてる人は“生きるのが辛いだろうな”と思います。
“解ってるけど、でもイヤなんだもん”では自分が辛くなるだけだから。
自分の感情に振り回されるってのが、一番辛いんだって事が理解できたら良いのにね。と思います。

◆職業柄、色々な人に会いますが、ズルっこしてまで金を儲けようという気持ちが私には全く分かりません。まだ拝金教教徒だった若い頃なら、少しは解ったとは思いますが(笑)。
ズルして自由に使えるお金を多少持った所で、人間のする事なんて大差ありません。生活の贅沢さ、なんてのは知れてますからね。ええ、そんなもんなんですよ。実際。人の為に役立つような使い方が出来る人なら、持った方が良いでしょうが。
(一寸ハナシがずれますけど)お金を持ち、幾許かの権力を持つと次は女です。・・・だから若い議員さんは時々女性関係で失敗するんです。お金と権力を持てば、男も女も寄って来ますから。つい、手を出したりするもんです。女に興味がなくなるには、やはり年齢と経験が必要です。さあ、相変わらずの極論ですが(笑)、派手に着飾って見栄えのいい女も抱いてみたらつまらなかったって事は往々にしてありますし、庶民的だけど美人で気立ても良く、一晩過ごしてみたら忘れられないような女性もいます。・・・そんな“人生の機微”みたいなものも、年数を生きてみなくちゃ解らなかったりするもんですよ。うむ、これはホント(笑)。

◆私達僧侶が世間的に立派な人間だ(又はそう在ろうとしている人達だ)と思っている人も多いでしょうが、言っておきます。それは間違いです。極端な言い方をすれば、僧侶は秩序を壊すがわにいる人間です。もしも世の中が僧侶ばっかりになっちゃったら、国は破綻しますよ。お釈迦様の教えをそのまま現代日本に表わせば、きっとこうなっちゃうでしょう。「テレビを見るな。ネットや携帯を使うな。仕事に就かず収入を得ず税金を払うな。一切を所有するな。人里離れた所へ行け。それで飢えて死ぬなら死ね。死ぬその日まで努めよ」と。・・・私達僧侶は、現代社会という経済活動の中に(生まれた時から)組み込まれている一人として、そこをどう生きるか、折り合いをつけるかを夫々手探りで生きています。真剣な僧侶は、いつでもそういった世間に背を向けた人生を選ぶ事を考えている筈です。生き方の覚悟として。ただ、そこに暴力という手段を使わない、というだけです。な訳ですので、世間の方々は勘違いせぬよう(笑)。価値観の全く違う存在です。

◆見学希望者に稀にいるのが「生徒は何人位いますか?」という質問をする人だ。これが不思議でしょうがない。マンツーマンだろうが生徒が50人いようが、習う側には関係ないだろうに。人数なんかが気になるってのは、どーゆう理由なのだろうか。で、そういった質問をした人に限って入会しても長続きしないのが面白い所だ。

◆殴り合いの強さを求める(強さを一番の目的として考える)のであれば、一年でも早い方が、少しでも若い方が有利だが、武術の技術を追求し身につける、という事であれば、幾つになっても始めるのに遅いという事はない。
例えば45~50歳から始めたとしても、定年退職する頃の10年後に、趣味として“後継者を育てる(武術家を育てる)”という楽しみも出来る。
人生は一歩間違うと定年してからが長い(笑)。世の中の役に立たない、暇を持て余している高齢者になるのはツマランではないか。どんな活動でも世の役に立つ事は出来るが、その方法の一つとして武術や芸事を教える、というのは悪くないと思わないかい?
生活環境の変化で、日本では平均寿命も長くなっている。その長い時間を有意義に使う為にも、今、何かを始めようではないか。

ってなワケで今年もおしまい。また来年! よいお年をば。

 

 

【連絡です】

今週の金・土で今年の稽古(道場)は終わりになりました。来年は1月第2金曜(13日)から道場開始の予定です。
いや~今年も一年間、色々とお世話になりました。また来年も宜しくお付き合い下さい。

 

 

 

12月24日(土)  仙台教室・拳法(打撃)基礎クラス

イヴだってのに子持ちのT沢サンと高校生のI君が道場に来た。ま、「家に居たってど~せ飲んでるだけだから稽古に参加した方が良いね」と笑う。一回出れば一回分の上達、である。
①先ずは準備体操。体操中に為される今夜の雑談のお題は『現代のサンタクロース事情』。
②反応訓練少々。目慣らし。
③ストッピング類。皆さんご承知の通り、ストッピングには色々な種類があり、それらを練習。(ま、原理は一緒なんだけど)
④位置取り。“防禦して”“攻撃して”の位置取りを練習。因みに③④は前週の復習。
⑤これらの練習の合間にはスパー等で使い易い小技(変化技)も。
ここから後半。
⑥騰空腿の練習。『騰空腿』なんて字だとイカニモだが、なに、なんのコトはない、ジャンプして蹴る類いの技である。これらを先ず単式で、慣れたら組み合わせて(つまり跳躍蹴りのコンビネーションになる)練習。
⑦相手に読まれ難い(つまり当たり易い)蹴り方を一つ練習し、
10時10分頃、「今年も有難うございました。来年も宜しくお願いします。それでは良いオトシを」と挨拶をして、平成28年の仙台教室の稽古を全て終了。
皆さん、今年も一年、お疲れ様でした。

先週今週とこのクラスで練習した、試合やスパーで効果的な技術もは、身につけておいて損はありません。が、道場に来ている人と休みがちな人では習える機会が違います。それは仕方ありません。こう言うと気の毒ですが、道場に来ない人は勝手に来ないのですから(笑)。私の責任ではありません。

 

 

★折角イヴなので、それらしい話題(?)をば一つ。宗教の話題なので、お嫌な方はすっ飛ばすのよ(笑)。
キリスト教では供犠(神に供える犠牲の動物)は羊である、と決まっているようだ。
宗教にはこういう“供犠”というのが付き物だったりする(日本でもカミサマに魚を捧げたりする)。
古いインド教(バラモン教)でも供犠は行なわれており、これを「そんな事はやめろ」と禁止したのは、お釈迦さんだけであった。
“神に捧げる犠牲”が当然と考えられ、常識となっていた宗教の時代、その時代に「同じ命だ、殺すな」と言えたお釈迦さんは、まさに釈“尊”だと思うのだ。
迷信を離れていないと、これは言えない。現代の我々なら「他の命を犠牲にしたって願望は叶わない」と解っているが、それが常識だった時代・地域では難しいものだ。
人間とは習慣と迷信、思い込みからなかなか脱出できないものだ。自分を構成しているモノからも、全てから脱出する、それが悟りだ。
(前にも『ひねもす』で述べたが)こういう思考をする仏教が伝来して、日本人の考え方が構築されていった。だから日本では他の生き物に対しても優しい視点が持てる。“我と同じ命だ”と素直に感じる事が出来るのである。
そう、動物だけでなく、植物もそして山にも川にも命がある、と感じられるのだ。
こんな素晴らしい日本から離れて外国文化ばかりに目を向けると、いつかしっぺ返しが来るぞ。・・・って、もう来てるか。今の拝金教の日本は素晴らしい結果だしなぁ(笑)。
・・・しまった。イブだっつのに、一神教への批判的なハナシになってしまった。こりゃ失敗、失敗。賛美歌でも歌ってゴマカしてみるか。あ、尚更「しまった」。賛美歌はいいが、あたしゃ英語はサッパリだった。

 

 

 

 

12月23日(金)  仙台教室・套路(型)クラス

昨日の新潟の大火は大変な事ですね。年末にきて家を焼け出されるとは気の毒です。避難といっても大切なもの全てを持ち出せる訳ではないですし、火災保険といっても限度はあって生活が元に戻せる訳ではないですものね。それに火元の料理店の方の心労いかばかりか。
私も津波の翌日、自宅の場所に行ってみたら何もありませんでしたから、ショックがどんなものかは想像が出来ます。

 

比較的暖かかった今夜。Hさん、K池君、高校生I君が稽古に参加。
準備体操中、H君が下の娘さんを連れて一寸顔を出した。めんこいなぁ、小さい子(笑)。
九鬼神流棒術の型を復習。型の順序は皆、一通り憶えている様子。細部修正する必要のある人も。
攻防型2種類を練習。Hさんはナカナカ苦戦した様子(笑)。ま、大丈夫。練習すれば憶えるし身にもつきます。
推手を一種類、時間をかけて練習。推手は、やった方が良いんですよ。套路の上手下手も如実に表われるので、自分でも問題点に気付きやすいから。
套路を練習。
片手に凶器を持った相手に胸倉を掴まれた状態を設定し、技を一つ練習。刺されない・切られない位置に入るのが重要なのは皆同じだが、処理の仕方は異なる。例えば警察官や警備関係の仕事の人に教える場合は、出来るだけ相手を殴らずに排除する方法になるが、武術家が使う場合は打撃を入れて倒してしまえば良い、といった具合に(笑)。
最後に肩こり体操をし(笑)、10時過ぎ位に今夜の道場は終了。

 

★カジノ構想、何やらあっという間に決まりそうですね。
国民の半数以上が「反対」してるというのに、まるで聞こえないかの様にゴリ押しするんですねぇ。この国は一体、民主主義なのでしょうか?
ところで、
武術修行者が日常使ってる言葉って、気付くと変です。
「向こうの部屋で刀を抜いてるから、用事が有ったら呼んでくれ」。
・・・一般人が聞いたら、“大丈夫なのか?”、“危険人物じゃないのか?”と疑われますよね。気をつけて。むふ。

 

 

今週の雑談/『教える・学ぶ順序』

先日『初心門下生』で同じ事を述べたばかりですが、
当会では形意拳、太極拳、八卦掌の他に少林拳を中心とする外家拳や、柔術、柳生心眼流、武器術なども練習しています。
日本の武術に関しては埼玉のY田先生の教えを頂いてからは、以前の数倍もの内容になってしまいました。
中国武術専門道場としては、なかなか日本武術まで練習の手が回らないのも現実です。が、何処かで練習をしなければならない、との思いは学んだ者全員が持っているでしょう(笑)。

私が内家三拳を習いに行った時には、同じ道場で大和道や専作伝心眼流、外家拳や他の武器術なども同時に習いました。
私はそれらを何とか覚える事が出来たのですが(でも一通り覚えるには7年はかかっています)、当時でも矢張り同時進行で覚える事に苦戦した人達もいたようでした。

今、当会で全てを同時進行で取り組んでは、覚えられない人が出て来ます。皆が一通りの事を学べ、身につけられる方法としては、順序を組むしかないと考えています。
例えば、中国武術を中心に学びたい生徒の場合は、以下の様な順序になります。
①準備体操や各種基本功を覚える。これは道場で毎週の様に行なう内容なので、自然と覚えられる筈。道場に1年以上通うのに「準備体操や基本功を覚え切ってないのよ」なんてーのは論外ですぞ(笑)。
②形意拳、正宗太極拳、八卦掌、外家拳などの基本的な套路(型)や対錬套路を覚える。(陳式太極拳や特殊な外家拳を習いたい人は②~③の間で行ないます)
③基礎的な套路を覚え、それがある程度身につく(要点を満たせる迄)にはある程度時間がかかるので、套路を進まない時期が出て来ます。その間に柔術や心眼流(選択可)、武器術などを練習し始める。(中国武術の套路の細部点検は常に行ないます)
④先に進める段階に入ったら、中国武術の套路を先に進める。
⑤↓更に上へ・・・
といった具合です。
推手や、套路の用法例、実用法の練習などは②や③の間から少しずつ行なうので、それはキチンと復習して自分の技術としてしっかり身につけて下さい。
(これについては補足があるので、後日MLも確認して下さい)

 

 

 

12月17日(土)  仙台教室・拳法(打撃)基礎クラス
亘理のSさんがわざわざ年末の挨拶にお酒を持って来て下さり恐縮した。遠方からお出で頂きましたのに、丁度不在していた時間で申し訳ありませんでした。お気遣い頂き、誠に有難うございます。・・・連絡先が解らないので、この場で御礼申し上げます。ところで武術、楽しく練習しておられるでしょうか。疑問点など有りましたら、お気軽にお尋ね下さい。
・・・あ、そうそう。折角お出で下さっても今回のように一寸留守にしてた、なんて時がありますから、ご訪問の方は出来れば前日にご連絡下さると無難かと思います。

さて、今夜の稽古は高校生I藤君のみ。マンツーマンなので、短時間で集中して稽古。
8時までに各々準備体操は済ませ、
①基本の手技や蹴り技のチェック。正確な動作を目指して練習。
②基本技からのコンビネーション。
③防禦して、攻撃しての位置取りを練習。
④フェイントのかけ方。
⑤他
を練習。今夜の稽古内容を身につければ、これだけでも随分スパーや試合で役に立つ。是非練習して貰いたいもの。若い人はこういう試合で効果のあるテクニックも練習して損はない(え?「年寄りは?」・・・興味あるなら勿論教えますよ。笑)。
9時15分頃に今夜の稽古を終了。

 

★今夜はマンツーマンだったが、このクラスでは早く来た者同士で練習していたりする。
生徒同士で教え合って学ぶというのは効率的で良い。自分の知らない事や覚えきれていない物を学ぶ為にどんどんやって貰いたい。が、兄弟弟子の不正確なクセがうつってしまう危険性もある。なので先生に修正して貰う事は絶対に必要だ。
人には其々クセがある。多分私にもある。しかしそのクセが先生から見て許容範囲であれば直されないし、そりゃーマズイというモノなら直されるという事だ(笑)。 そこんトコ念頭に置いてドンドン学んで頂きたい。


 

12月16日(金)  仙台教室・套路(型)クラス
今年一番の寒さだった(?)今夜は、高校生I藤君、K池君、M子さんが道場に。
①準備体操
②套路。皆で揃って老八掌、単・連攻防、五行拳、少林連環拳、正宗太極拳を一通り。
③各自練習。I藤君は正宗太極拳、K池君は主に八卦掌、M子さんは形意拳を練習。
時々雑談や冗談など挟みつつ、10時10分過ぎに今夜の稽古を終了。
帰路、泉や利府は雪がチラついていた程度だが、松島辺りから視界不良な程の雪と路面の積雪。東松島市に入ると降る雪も大分減り、道路の積雪も少な目で安心。ちょっとの地域差で雪の量には大きな違いがあります。

 

★「ゆっくりで“強く”なるか?」と言われれば、「なりませんね」とお答えします。
ゆっくり動くのは正確な身体の動かし方を身につける為ですから。強くなる為の練習と、ゆっくりの套路練習と、どちらも必要です。
・・・ところで、一般的に『正宗太極拳』といえば、三才式(三体式=後ろに体重が乗った立ち方)で行なう人も多く、その姿勢をイメージする人も多いと思うのですが、私はしっかり体重移動をして行なう様に指導されました。その当時、“名人”と呼ばれる人達の写真を見ると三才式なので「?」を持ったものでしたが、言ってみると、はっきりしっかり異様に(笑)体重を移動させられた事で、重心の位置や身体の繋ぎなどが後になって理解できたのでした。
自分が多少は出来る様になってからの“目”で見てみると、三体式でやっている多くの方は外形を真似しているだけで、中味は空っぽだという事が解ります(出来てる人もいますから滅多なコトは言っちゃダメですよ)。中身空っぽ、あれでは打てる訳がありません。それなら余程体重をブチ浴びせて打った方が効きます(笑)。
今、私の正宗太極拳は習った時の様には体重移動をしなくなりました。が、これは形意拳や身体の使い方などの影響で自然とそうなって来たのであり、体重を移動する方法を否定してはいません。それどころか、体重移動をしっかりする練習を長くやったからこそ出来る・解る様になった事があります。
要するに、名人の形だけを真似しても、名人ではない一般人にはその(名人と同じ)中身も真似する(作る)のは難しく、そこ(その形)に至る“プロセス”(がどうだったのか)が重要だと思うのです。
そういった訳で、体重をしっかりと移動させる正宗太極拳を、先ずは生徒達にしっかり練習する様にと教えているのです。

 

 

12月13日 ありがたやありがたや。
昨夜は友人に「貧血に効くらしい」と或るジュースを貰った。「苦味が強くて飲みづらい」との感想も多いらしいが、私はそれ程苦にならず飲めた。・・・「代金は幾ら?」と訊ねると、「要らない」と言う。その上、「来月も届くから遠慮なく多目に飲むと良い」とまで言ってくれた。
私はなんと幸福者であることよ。本当に有難い人々が、周りに沢山いる。

銀杏をご馳走になった。銀杏は大好きなのだが、去年(かな?)知人の居酒屋でお代わりして食べた以来である(笑)。いや~ビールが美味い。銀杏、素敵! ・・・でもどーしてこんなに臭いんでしょうね、銀杏(笑)。

 

 

 

今週の雑談・『ちょっと待て、その用法は使えるか?』
一般的に護身術として行なわれている方法、解説されている方法の多くが、相手が本気で抵抗する事を想定していない様に見えます。
例えば、手で首を絞められたとして、締めている相手がその場に足を止めたままって状況はないですよね。
絞め殺そうとされたら誰だって抵抗して動き回ります。そしたら、こちらの動きに応じて相手も動きますよ。これが、「やってみたら実際には使えなかった!」という恐ろしい後悔(笑)になるのですね。
なので、本当に使える技としては、相手が変化するのに合わせて変化する方法まで身につけないと実用不可能だよ、って事になります。
“練習そのままで実用できる”との勘違いが怖いんですね。“相手が本気だったら?”と自分に引き比べて考えてみる必要があります。

太極拳の套路用法解説も、それと同じです。相手の反撃を全く想定していないでしょ? 教える方も教わる方も、軽いスパーリングすら経験した事がないので、「これで戦えちゃう!」なんて、真に受けてしまいがちなのですね。
あれはあくまでも「動きの参考にしてね」といったものです。真に受けたら殺されますよ(笑)。

古流武術も同じだったりするんですよ。相手が本気で抵抗する事を想定していない稽古が多く、単なる技の伝承に終わっている稽古が多いのです。
よほど良心的で、かつ稽古者の稽古時間が多い場合なら別でしょうが、どーしても技の伝承で精一杯という道場が多いから、それは仕方がない事です。
「現代の寝技中心の武道は本当の実戦では危ない」との意見もありますが、その様な意味では、現代の寝技柔術の方が動く相手に対しての技術がよほど稽古されている訳です。
(しかし、現代の寝技は相手が五寸釘を隠し持っていたら殺されてしまう技術体系なのも事実ではあります←これは武器の隠し持ち方にコツがあって、武術にはこの様な“武器の隠し方”などが、深い伝承の一部になっていたりするのでありますが、それは又別のオハナシ)
ですので本当に身を守ることを考えるのなら、“実際には”、“現実では”という事を常に考えて“護身術”も稽古をしておく必要があるのです。
少ないかもしれませんが、その辺りまで踏まえた指導の出来る先生も居られますから、良い先生をお探しすると良いでしょう。

そういえば昔、ある古流柔術の師範が『護身術教室』の講師をやりました。
何を教えたか?といえば基本的には“手解き”だったそうです。手解きは掴まれた腕を振り払う方法ですが、振り払えば当然殴られたり、更に掴まれたり、抱え込まれたり、押し倒されたりします。
なので、手解きのみを学んで「これで実際の時には掴まれた手を解いて逃げれるから大丈夫!」なんて思ったら、大間違いなワケです。
しかし、この先生の良かった所は、「隙を見せない」歩き方や立ち居振る舞いといった物にも言及したところでしょうか。

 

 

今週の雑談2・『いちにのさんぺいさん』
子供の頃、家に“絵描き歌を集めた本”がありました。
その中に『一・二の三ぺいさん』なる絵描き歌があって、歌を追って描くと『へのへのもへじ』のように人の顔になるのですが、
その顔がどーしても思い出せないのです。どなたか、もしもご存知でしたら教えて下さい。歌は次の通りです

♪いち、にの さんぺいさん
  し(四)ごともせずに
 ご(五)ばっかりうって
 ろく(六)なことせずに
 しち(七)やではじ(八)かいて
 くう(九)こたぁ
 じゅうにんまえ

・・・ひどい歌。

 

 

今週の読書
12月15日(木) 松原泰道著・『最後の般若心経講義』。
松原師のご本は何冊も読ませて頂いたが、どれも煩瑣な仏教哲学の解説に終始する物ではなく、人生について語られる。これが「説法名人」との所以でもあろう。
実は、“執着”に関連したネタを、この『日記』に掲載しようと1年ほど前に大まかな文章を作って掲載の機会を待っていたのだが、今回読んだこの本に似たような解説があるのを読んでしまい、なんとな~く掲載しにくくなっちゃった、のは哀しいが実話だ(笑)。・・・こういうコトって、結構有るんだよねー。

12月16日(金) ダライ・ラマ14世著、『思いやり』。講演会の内容を一冊に纏めた本。薄いし、文章が平易だから読みやすいんじゃないかな。
署名が表わすように“思いやり”、つまり人間関係について述べてある。後半は密教の教学や修行法にも簡単に触れてある。
ところで、私自身は元来“思いやり”に欠けた男であり、この本でいう所の“菩提心”なんて“ど~やっても俺には身につかないさ”、と思って来たのだが(笑)、最近ではその重要さに気付いたりしている。

 

 

 

12月10日(土)  仙台・拳法(打撃)基礎クラス

仙台・光のページェントも昨夜が点灯式だったらしいですね。毎年「費用が足りない」と言ってるんですし、本当に足りないんなら一回位「翌年に回します」っちゅう事で休んでみたら良いんじゃない? 一年休んだら「やっぱり電気が点いてないと寂しい」とか言う連中が現われて、翌年から個人の寄付も増えるんじゃないかしら?(笑)
一回休んだ方が、再開時に盛り上がったりして(笑)。

 

今夜はS木君のみ道場に来たので、彼と話をしながら心眼流や中国武術の解説を。
約束組手中の“崩して投げる”技への質問があったので、「練習としては一応崩して投げてはいるが、技術的にはあの位置を取る事が主目的」である事など解説した。
・・・それにしても昨夜とは打って変わった寒さに参ったわい(笑)。仙台へ向かう途中、利府では結構雪が降っており、遅い時間になれば路面凍結しそうな予感なので、今夜は9時頃に稽古を終わる事にした。ま、“稽古”といっても雑談中心でしたが。
お疲れ様でした。

 

★道具(武器とかね)はすぐに買うのではなく、それに近い物で工夫する時期があっても良いんじゃないかな?と思います。例えば居合刀が欲しくても買えなければ、木刀を何か鞘代わりの物を作って練習しておくとか、そういう“工夫”が素敵だと思うのです。私が子供の頃は木刀代わりに山で拾った枝を削ってそれっぽくしたり(忍者が流行ったのよ、当時)、小石を削ってナイフや手裏剣っぽくしたり、釘を金槌で叩いてナイフを作ったりしました。ヌンチャクが欲しくても小学生に買える物ではありませんでしたし、当時は親に頼んだって買って貰えるなんて物のほうが少なかった訳で、当然自分でこさえる訳です。新聞紙を固く巻いてロープを通したり(子供の力で作れる“お手製ヌンチャク”なんて強度が知れているので、見かねた大人が作ってくれる事もありました)したもので、それだけに高校生になってアルバイトをし、自分のお金で本物を買えた時には愛着もひとしおでした。だから練習にも熱が入ったものです(笑)。
これが簡単に買って貰えっちゃったりすると、有り難味が少ないもんです。今の人達の中には何でも飽きやすくてアレもコレも中途半端な人がいますが、もしかしてそれって何でも簡単に手に入れちゃうからかも、知れませんよ(笑)。ま、遊び物(誘惑)が多いってのが最大の理由なんでしょうけどね。
私は独楽回しも剣玉も山遊びも、未だに自分の父親に敵わないんです。遊び物がない、ってのは、それだけ一つの事で工夫して集中して遊ぶって事なのでしょうね。
・・・何でも簡単に手に入る世の中ってのは、それは素敵ですけど、良い事ばかりではありませんねぇ。ふふふ。

 

 

 

 

12月9日(金)  仙台・套路(型)クラス

昨日12月8日はお釈迦さんが悟りを開いた記念日、『成道会』っていうんですよ。なので「オラには何だかよくわかんねーけど、そういや祖父ちゃんがお寺に出かけてったわ」ってな人も居るかもしれませんね。
仏教開祖が悟りを開いたっちゅー“これが無かったら仏教も無かった日”なんですから、もー少し周知されても良い様な気もするんですけど、お寺によって行事をする所やしない所がありますね。禅宗(曹洞宗や臨済宗)は本尊がお釈迦様ですから、行事をする所が多いのではないでしょうか。・・・え? 私の寺ですか? ・・・毎月8日は本尊さんの縁日で祈願客が多いので、特別それらしき事はやっていませんね。「怠慢だ!」。ですね、せめて南蛮渡来のイベントには負けない程度に、少し周知徹底を頑張りませんと(笑)。

 

さて、相変わらず余談が長引きました。ええ、自覚はあります(笑)。
S島さんと高校生I君のみが今夜の道場に参加。「余り寒くない」と言うので、今夜はストーブを出さずに稽古したが、ホントにそれほど寒さが厳しくなかった(灯油は青のポリタンクです)。
①準備運動
②基本功。久し振りに基本功をしっかり行なった。
③套路。3人で揃って正宗太極拳を練習。体重の位置や身体の使い方などの細かい点に気をつけながら、套路を半分ほど。
④套路練習。S島さんは老八掌を、I君は正宗太極拳を復習。
⑤専作伝心眼流・棒術の型。10時までの残り30分で復習。
⑥簡単な整理マッサージ。
で10時頃に今夜の稽古を終了。

 

★カジノですか。経済効果はあるし、税収的にも良いんでしょうけど・・・
既にこの国には朝からパチンコ屋に行くようなパチンコ気違いが充分いるじゃないですか。これ以上、バクチ中毒者を増やすこたぁ無いんじゃないでしょうかねぇ。
「上手に遊べる」って人ばかりじゃありませんからねぇ、他人から金を借りてまでやる様になっちまったら病気ですよ。バクチでも、酒でもなんでもね。

 

 

 

今週の雑談/『ヘンザン』

仏式の葬儀では、亡くなった方のご遺体に白衣を着せます。キリスト教ではスーツでしょうか。
しかし、亡くなったのが坊さん(僧侶)である場合は、僧衣を着せます。宗派による違いが有るかは解りませんが、我が宗では褊衫(ヘンザン)を着せます。
ヘンザンは上下2ピースでなっており、その上に如法衣をまとうスタイルになります。つまり3枚着ます。
これはインド仏教での服装が3衣になっている名残だと言われます。(お釈迦さんが下衣、上衣で過ごしている夜に寒くなったのでもう1枚羽織ったというのが、3衣の始まりみたいです。インドではその枚数で充分なのでしょうが、日本は寒いのでその下に白衣や襦袢を重ね着します。)
亡くなった方に着物を着せる時は、通常と逆の襟合わせにしますね。これはご存知の方も多いでしょう。
ヘンザンは通常と逆の向きに着ます。そう、亡くなった方と同じ着方をするのです。(これは「我々僧侶は死者と同じという意味だ」と説明されましたが、もう少し突っ込んだ説明も出来ると思います)
普段の行などでヘンザンを着用し、それを、亡くなった時にも着るという感じになります。
ただ、私の祖母(尼僧)の時はヘンザンではなく改良服(坊さんが結婚式に参列したり、派によってはお盆の棚行時に着ています)だった記憶があります。
地方ですと、他の宗派の方法が混雑するというのは良く有りそうです。実際、別の宗派の方とも結構仲良くやっていますし。ま、本山と違って派を超えて寺院同士で仲良くしないと、僧侶の数が少ない(足りない!)という現実問題もあるかも知れません。大きなイベントの時に人数が少ないと困ったりする訳です(笑)。
さて、私が自分の時用に、と本山で買って来ていたヘンザンは津波で失っちゃった訳です。新しいのを求めようと思うのですが、これが結構値の張るモノなので躊躇したりしています。「値が張る」とは言っても10万円程なのですが、被災寺院ですとこれがナカナカ・・・という事情で、私が着るヘンザン、買って下さる方募集しています!
↑もし真に受けて寄進下さる方がいたら、その方のお名前を寄進者として記入させて頂きます。が、余り真に受けないよ~に。

 

 

 

今週の読書

12月6日。ウィリアム・ジェイムズ/『宗教的経験の諸相』㊦を読む。
名著と言われる一冊。切り口に“なるほど”と感じる箇所がちょくちょく。経験譚や引用が多く(必要があっての構成なのだろうが)、昔の本なので文章が幾分読みにくいのが個人的には難点。今ならもっとシンプルに書いても理解されるんじゃないかな。
ところで下巻を読んだのみで上巻は読んでない。だって古本屋に下巻しかなかったんですもの(笑)。

 12月8日。長谷川宏著・『新しいヘーゲル』を読む。「哲学は難しいから有難いのではない。元々は平易なのだ」と『止揚』だのといった訳語にもケチをつける所から始まる、素敵な本(笑)。
同時進行で読んでいた『宗教的経験の~』文中にもヘーゲルが取り上げられたりしていたので、私にとってはタイミングの良かった読書だった。
ヘーゲルの思想だけでなく、他の哲学者についても比較の為に解りやすく解説してあり、これってイイかも、な本ですよ。

 

 

 

12月3日(土)  Y田先生・大和道講習会

月初めだったので私の予定がつかず、今回は土曜の夕方から4時間・一日だけの稽古になってしまい、折角遠くからお出で下さったY田先生には申し訳ない限り。

当初の予定では神道流の剣術と杖術の復習だったが、Y先生の古傷である膝の具合が良くないとの事で、抜刀術に変更となった。これが生徒一同、如何にも楽しそう(笑)。

4時間の内に日本刀の扱いや知識、複雑な手順を持つ流派の抜き方(日本刀の複雑な手順はそれを守り身につけないと抜く側が怪我をするそうだ)や、刀で投げや関節を極める大和流の技の数々を教えて頂いた。Y田先生の動きは機能美に溢れていて「これが膝を痛めている動きなの?」と嘆息する程。

今回の参加者は(当会のみ)S島さん、T沢さん、大I藤君、Hさん、高校生I藤君であり、中には「全く日本刀を扱うのが初めて」という人もいたが、Y先生には基礎から丁寧に教えて頂いたので、夫々だいぶ馴染んだようである。←「刀に馴染んでどーすんだよ!?」と言うツッコミは無しの方向でお願い(笑)。

稽古後は警察官S君も参加して懇親会。遅い時間のスタートなので、Y先生の宿の近くのマルマツで。いやはや楽しい飲み会で、思わず時間を大いに越してしまった。

 

翌日午後は宮城県武道館で宮城県古武道協会の演武会開催されたので、これに当会の生徒達とY先生とも見学に行った(筈だ。私は参加できなかったので)。

Y先生、今回も遠くから日本武道ドシロウトの私共に教えに来て下さって有難うございました。あ、後程宮城のちょっと良い地酒を(せめて御礼として)お送りしますので、ご賞味下さい(笑)。

今回も楽しい稽古会でした。本当に有難うございました。

 

 

★弟子宅で「クリスマスツリーの飾りが少なくて寂しいから買い足そうと思って」と聞いたので、ヌンチャクをぶら下げたり、モール代わりに九節鞭などを飾るように提案してみると、大いに乗り気で意気投合した。が、弟子のネエサマに「アンタ達、バカぢゃないの?」と叱られ、一気に意気消沈したのは秘密だ。

 

 

12月2日(金)  仙台・套路(型)クラス

大阪のR枝さんからビールが届いた。R枝さんは仙台在住の時から、年下の、しかもロクデナシの道場主に気を遣って下さる。本当に有難く、感謝してもし切れないのである。先日のヌンチャク講習会にもワザワザ大阪からお越し頂いて、皆と再会には本当に喜びました。重ねて有難うございました。

 

今夜の道場にはT沢さん、高校生I藤君、K池君、H君、Hさんが参加。明日の講習会に備え、柔術や杖術、拉などを楽しみながら練習。

①先ずは手解きの類から。手解きは本気で握っても関節を痛めたりはしないので、今夜は出来る限り強く相手を掴んで練習して貰った。H君は柔術道場時代の(私と)同門なので、当時の“何でもフルパワーで”的な練習が「懐かしいですねー」と言って昔話にも花が咲いた(笑)。いや、あの頃はみんな若かった。

②明日の講習会は稽古内容が変更になり杖術は余りやらない事にはなったのだが、これも楽しいのでY先生に頂いた資料を見ながら(カンニング)練習。杖術にも「こんな技、知らないで掛けられたら怖くてしょーがねーよー」という技が多い(笑)。

③拉の練習。久々のヒシギ。痛くて楽しい(笑)。

10時で一度、稽古を終了。笑いの耐えない賑やかな稽古でした。

④10時からはH君の昇級審査(個別)。審査の結果、つまり修正箇所等はいつもMLに書き込んで参考にして貰うのですが、今日は1人だった事もあってその場でメモを取って貰った。

K池君とT沢さんも道場に残り、審査の間は対錬などを復習していた。自主的に練習するのは素晴らしい。

審査ついでに皆で形意兵器を振ったりし、11時過ぎに今夜は道場を閉めました。

 

ところで。

“実力者”を目指すのであれば、矢張り良く言われる様に10代後半~20代が一番大事な時期になると思われます。

ですが、街でからまれた時とか、一寸したケンカなどに強くなる事だとか、突然襲われた時など“身を守る事”が目的ならば、何歳から始めても実力はつきます。若い頃よりは月日はかかりますが、練習して行く内に戦い方も咄嗟の判断力も身につきます。年を取っている分だけ、やるべき時は躊躇なくやる、他の解決策がある時は無駄に暴れない、といった判断も的確でしょう。

しかし、現代格闘技など他流派と(例えば試合の場で)戦っても勝てるようになりたい、とか、そういう意味でのある程度の実力が欲しい(ま、子供のよく夢見る最強って奴です)というのであれば、遅くても高校生くらいから始めた方が良いでしょう。10代後半~20代は身体を動かす事については最も伸びる時期です。ここを逃すのは勿体ないです。

 

 

 

今週の雑談/『霊障?』

昔、『ひねもす』でも似た内容を述べた事があるけれど、何かの参考になれば。(全体にやや説明不足なのは人を攻撃する事が目的ではないからです。又、文中の「宇宙との合一」的な内容は経験者なら解りますし、経験のない方に万語を尽くしても理解は難しいので説明は省略しています)

 

「霊にとり付かれた」と家族に連れて来られる人がいる。

ウチに連れて来る前に、殆どどの家族も1度や2度は精神科に連れて行っている。

それで治らないので、私共の所に来る。

で、治る。←(今の所は治らなかったケースはない)

しかし、だからといって「本物の霊障だったのだ!」と考えるのは少々早合点である。

 

「霊が見える!感じる」という人は、その人にとっては真実、見えたり感じていたりする。

当人には真実なのだから、当人にとっては事実だという事を前提にしてのアプローチが必要になる場合がある。

この辺りが、今の精神科医や心療内科医は下手くそなのだろう。

「そんなものは無い・気持ちが落ち着く薬を飲みましょう」と処方したところで、薬が切れれば又同じ状態になる。

結局、症状は落ち着かない。

 

困り切った家族が噂を聞いて私等の寺に来る。

大体、一度で落ち着く。が、家に戻ったり、数日すると微妙に変になって来たりするケースもある。

一回来てその後症状が出ないような一過性のものであれば、その後のケアはまぁ良いだろう、という事になるが、上記の如くに繰り返すようだと、

矢張り再来時、落ち着いた所を狙って本人と話し合い、考え方などを変化させて行く事が必要になる。

勿論、状態によっては医師の処方した薬の併用も絶対に必要である。

 

世の中には確かに少し不思議な事はある。恐らくそれらは、まだ科学が追い付いていないものなのだろう。いつかは“不思議”ではなくなるかも知れない。

しかし、私の経験上は「霊障だ」という症状の8割は“心の問題”である。

 

世間には「宇宙からインスピレーションを受ける」的な発言をする人も多い。これも冷静に考えねばならない問題だ。

それは分裂傾向の人が「電線」などから「電波(指令)」を送られているのと同じ症状の場合も多い。理屈で考えれば電線や電信柱から「命令」や「悪口」が自分に飛んで来る訳はない。

が、それが「理屈に合わない空想の産物」と考えられなくなっているのが、彼等の病状だ。

それら「宇宙からのメッセージ」だの「天使のささやき」だのは、全て自分の心の声、自分の思考でしかないのに。

 

ところで、「宇宙からのインスピレーション」等と表現されるもの、それを全否定する心算はない。我々仏教者の“悟り”の体験も、それだと言われれば否定は出来ない。

しかし、これは結局は受け取る側の問題であって、精神のバランスを欠いている人は宗教者(修行者)が受ける(感じる)ものとは全く異なる。

簡単な見分け方は、精神的トラブルが理由の人の場合“波がある”事だろう。鬱っぽい時と、神の声が聞こえ博愛的で前向きな時の差があるのだ。

 

まともな宗教(修行)者、本物の経験は、それ(体験)によって言動がおかしくなったり、世間の人達と普通の交流が出来なくなったりはしない。

ゆめ、お気をつけて。

 

一般的に「霊感が強い」っていうのは思い込みが強かったり、(特に見える時は)知的な働きが弱まってたりする人が多いんだけど、

その分、普段は「霊感なんか無い」って人が見たり聞いたりすると説得力がありますわね。

 

 

・・・あ、そうそう。話はズレますが、鬱病の快癒ってのも難しいみたいですね。鬱病もスッキリ治る、という訳ではナカナカないようですものね。

思考方法や考え方、感情のトラブルですしねー。

鬱も“付き合い方を覚える”という感じになるんでしょうね。

例えば卑近な例ですが、お腹が弱くて下痢しがちな人が、その自分の身体との付き合い方を覚えるみたいな。

きっと、それが上手に出来るようになった時を、「鬱病が治った」と言って良いのではないでしょうか?

普通の人だって、自分の感情や調子の波を様子見て調整しつつ生きているのだから(修行するとそうでもなくなりますよ。いつでも気持ち良いみたいな)、それが出来たら“治った”と言って悪くないと思いますよ。不快な症状や、低調の時は誰にでもあるんですから。

 

 

【告知】
12月3日(土)午後6時過ぎから、仙台・泉道場でY田先生の講習会が行なわれます。
今回は3~4時間程度の練習となりますので、神道流の剣術と杖術の復習の予定です。

年3回ほど開催されていたY先生の講習会ですが、来年からは年1度程度になると思われますので、貴重な1回となります。門下の方は奮って参加下さい。

参加費は人数によって変わります。お尋ね下さい。

 
又、翌4日(日)の午後から、宮城県古武道協会の演武会が開催されます。

Y田先生も演武会を観覧してから埼玉に戻られる予定ですので、是非ご一緒して先生から詳しい解説など頂くと良いでしょう。(残念ながら4日は仕事で私は不参加です)
 
私信です(笑)↓

明後日28日は友人の誕生日です。が、翌朝多賀城で地鎮祭執行があり、祝杯には参加できません。宜しく。
 

 
 

11月26日(土)  仙台・拳法(打撃)基礎クラス、並びに冬の昇級審査会
今年もアカギレの季節です。ちっちゃい傷なのに、どーしてこんなに痛いのでしょうかねぇ(笑)。だけど今は良い塗り薬があるから助かるですよね。

 

今夜は冬の昇級審査会兼土曜クラス。土曜クラスの稽古内容はI藤君に一任。後輩に良い稽古をつけてあげていた。

審査も問題なく終了。修正点、今後の上達の為に必要な事や練習法は後程ML掲示板に掲載しておきますので、参考にして下さい。

 

審査の途中(休憩時間)には約束組手で練習している“投げ崩し”を成功させるコツや、数種の約束組手中の動作を組み合わせるだけで効果的な護身術に早代わりする事など解説。

最後には皆で専作伝心眼流の練習もして10時10分頃に今夜の稽古を終了。

 

MLに述べましたが、審査を受けるとなると皆さん練習しますからね、目に見えて上達するんですよね。

心眼流や古武術教室の様に免状授与に当たってテストのない所は“演武会”がありますよね。これもテストを受けるのと同じ様な上達への効果がありますね。人前で演武するとか、テストされるってのは緊張しますからねぇ(笑)。

試合に出る事が主目的の流派であれば、試合出場そのものや大会に向けての稽古が上達を促しますよね。

どの流派も(否、あらゆる芸事に)この様な“上達の為のイベント”が有る訳です。先人の知恵ですよね、これも(笑)。

 

 
★子供のクラス、大人のクラス・・・と色々持っている、とある道場の先生は、ご自分の弟子の中でも最も出来の悪い(申し訳ない!)者を、指導のサポート役として他クラスの稽古に参加させているようです。しかし、この“出来の悪い”お弟子さんが、様々な指導に関わって行く内に、多くの大切な事に気がついて行ってる様です。

きっといつか、このお弟子さんは(自身の強さは別としても)良い指導者になるのではないでしょうか。

 
 

 

 

11月25日(金)  仙台・套路(型)クラス
今朝は、今年初めて風呂場の窓が凍っていた。いよいよ冬かぁ。

普通車のタイヤは先週スタッドレスに換えといたけど、銀玉号もそろそろ換えなきゃかな。

 
 
寒いので準備体操の後、“武術の基礎運動”で身体を温める事にした。“武術の基礎運動”なんて書くと大袈裟だが、マット運動的な事や多少アクロバチックな動きである。これを練習しておくと怪我も少ないし、前にも述べた様に投げられたり、転がされる事に慣れる。慣れれば“投げられたから負け”といった先入観が無くなる。

Hさんは流石20代だからか、初めての動作でも何度か挑戦する内にカッコがつくようになる。S島さんもなかなかしっかり身体が動く。「明日は筋肉痛そうです」とはS島さんの弁。思わず笑った。

後半は各々套路の練習。S島さんは八卦掌を練習。以前習っていた別の八卦掌と動作が混雑する傾向があるので、「一つずつ止まって、力を抜いて慌てずに」取り組んで頂く。Hさんは形意拳の復習なので、五行拳の前3拳を一つずつ、用法を交えて説明。使い方を知ると、手の位置などが決まって来るもの。形意拳も動きは地味だけれど説明されると(一寸ここでは書けない様な)“非道ぃ”技が多くあったりするので、正常な神経の持ち主はその野蛮さに嫌がったりする(笑)。今回も特に狸猫倒上樹の用法で「ヒドイ」と感想を頂きました(笑)。

最後に15分程、専作伝心眼流の棒術1本目を練習し、10時過ぎ位に今夜の稽古を終了しました。

今夜も楽しい稽古でした。お疲れ様でした!
 

 

 
★完全に趣味の話で恐縮です。23日は薬師丸ひろ子の新しいCD発売日でございました。ネットで調べてみるとDVDも売っておりまして、見ればアレコレ欲しくもなるもの(笑)。

大変迷ったのですが、今回は購入を見送りました。CD1枚とDVD2枚を買ったら優に1万円超えるのでございます。被災寺院を背中に背負ってる私が、全く以って個人的な趣味にそんな贅沢は出来んのでございます。
 

 

 
 
今週の雑談・『石巻やきそば』

被災地沿岸部で「レアなポケモンが捕まえられる」というイベントも23日で終わりました。

石巻にも多くの方々が来られましたが、さて、皆さん“石巻の美味しい物”や“お土産品”も試して頂けたでしょうか?←こんなコト書いてるけど、あたしゃ別に石巻からカネ貰ったりはしていないからね(笑)。

ところで。「石巻の名物ってなに?」と聞かれれば、多くの人が「魚介類」って答えるでしょう。
が、実は加工された物は(地元の人は)余り「名産」とは言いません。思っていません(笑)。

ま、海産物ってのは何処でも似たような物がありますし(海から獲れてもそれを食べるか否かは地域文化の違いですが)、他所の県では余り食べないらしいものを無理にあげますと、

ホヤ、ツブ(大きい物ではなく小さい巻き貝)、どんこ・・・かな? あ、一部ではサメやエイ、ウツボも食べますよ。マンボウも珍しいのかな?

お米は石巻でも採れますが、登米の方が有名ですし、実際、登米の米は美味いです。美味さの違いは「水が違うんだよね」と言う農家もいます。登米はまた石巻と違って内陸なので、沼海老を乗っけた“エビ餅”や、有名な所では“油麩”、料理では“はっと”等があって、また独特の美味しい物があります。

・・・あら、そう考えると、石巻って所は“名物”ってのが無いのかな?(笑)

あ、あれかな。少し前から「石巻やきそば」ってのが有名になりましたよね。

あれ、麺が茶色いのは「長持ちさせる為に2度蒸しした」または「傷んで来た麺を蒸して使った」との説が有力なようです。

麺が茶色の理由は、或る飲み屋のおねぃさんに教えて貰い、感心したのですが、「飲んでるから明日になったら忘れちゃうかな」と言ったところ、

「“麺の2度蒸し”って3回言ってから寝て下さい」、と言われて、実行したらちゃんと記憶に入ってました(笑)。

さて、今の石巻ヤキソバは豚肉が入って上に目玉焼きが乗ってますが、昔はネギ位しか入ってなかったそうですよ。だから、私よりぐっと年上の人達は今の石巻やきそばを、「昔食ったやきそばじゃねえ」って言います(笑)。という事は、今有名な「石巻ヤキソバ」は、“ニセ・石巻やきそば”って事ですかね。なの?(笑)

ってな訳で近頃“石巻名物”になっている石巻ヤキソバですが、でも、ま、あんまり勧めません。だって地元の人間が「石巻やきそばなんかより、フツーのヤキソバがうめぇ」って言ってますもん(笑)。

そういう意味で関西は面白いですよね。ま、それだけあっちの習慣が独特だって事なんでしょうけども。
関西(和歌山)に5年住んでましたけど、ついにお好みやタコヤキは好きになれなかったですね。どっちかっちゅうと嫌いです。

でも、ところてんは好きになって、今も時々買って食べてしまいます(笑)。最初、昼食のおかずにトコロテンが並んだ時はビックリしたもんですが。ええ、驚きました。デザートと思って食べれば問題ないです。

今は関西の文化(習俗?)も随分全国的になって来たけど、僕が関西に行った頃はまだそうでもなく、鍋の仕上げにうどんを入れるのには驚いたし(美味さにも納得したけど。東北は米だからシメは雑炊ね)、恵方巻きも驚いた。太刀魚は初めて見た。大真面目にヒイラギに鰯の頭を飾る家が多いのも驚いたものだ(笑)。

ってな訳で、文化の違いが衝撃的で面白かったけれど、余程の事が無い限りは関西に住もうとは思わない。だって、蕎麦屋がない!んだもの。うどん中心だから蕎麦は置いても殆ど出ないと聞いた。例えあったとしても、蕎麦が美味くないんだよ(当時は。今は知らんよ)。

 

雑談ついでに。

韓国のマスコミの容赦のなさを、何かの番組で(自己反省も伴いつつ)取り上げていました。確かに、画面で見る限りでは凄いですよね。少々、常軌を逸しているというか。

マスコミの行動がどうか?は別として、あんな風に大勢で囲んで(ヒステリックに見える程に)ギャーギャー騒ぎ立てる、というのは韓国人だけでなく、(私の印象では)台湾人や中国人も似ている気がします。

そういや、金美齢さんが「関西人と中国人は似てる」と仰ってましたが、確かに、関西の人も同じ様な傾向がある感じがします。ま、関西では元々が朝鮮から入って来た人達と文化を作り上げて来たのでしょうから、似た所があっても当然の気もしますね。血が混じっているからでしょうか(そう言われますね)神戸とか、綺麗な人が多いですものね。おっと、これは余談。

それに比べると東北人の遠巻きに見てること(笑)。輪の中に入る時(つまり口を出すとき)は止めに入る時、仲裁に入る時だけですもんね。

勿論、人の性格によっても大分違うので一概に一括りには出来ませんが、地域の個性・傾向ってのは確かに有るような気がします。面白いものです。

(ここに述べた内容はあくまでも私の個人的印象によるモノです。大真面目に反論されても困りますよ)
 

 

 

11月19日(土)  仙台・拳法(打撃)基礎クラス

被災地(宮城県沿岸部)の『ポケモンGO』も23日までだそうですね。いや~大したものですよ、朝も昼も夜も車も人も一杯ですから。一部では経済効果も出てるんでしょうね。・・・私は静かに暮らしてるんだからジャマしないでね、お願いってのが本音だってだけで(笑)。だけど、街中でスマートフォン持ってる老若男女、皆さん良い笑顔をしてるのを見ると、なんかこっちも楽しい気分にはなりますが。
ま、イベントに来た芸能人のライブに行くのも、ポケモン捕まえに来るのも、どっちも興味のない私から見たら同じです。“楽しみ”としてはきっと同じでしょうから(^^)。

さて、今夜は30分ほど遅刻して道場へ。既にI藤君とS木君が稽古(八卦64散手)を始めてくれていたので、そのまま続けて貰った。
その後も太極拳や八卦掌、形意拳などの対錬套路を中心に練習し、柔術(やわら)も復習をし、最後にライトスパー。10時20分頃に今夜の稽古は終了。
今夜はいつもの土曜クラスメニューとは違ったけれど、しっかり復習が出来て良かったのではないかと思います。

家で套路や基本の練習(つまり自主練習ね)をしていると、運動が身体に良いとか、身体を動かす楽しさがあるとか、色々と効果はありますが、スパーリングに効果が顕れるのが面白いところです。

 

★先日の朝早く、急なお祓いの依頼者が来た。なんでも車を運転中、警察官に「助手席の人、シートベルトをしていない」と止められたが、車に乗っていたのは自分一人で、助手席には誰も乗っていなかったとの事。当人も警官も驚いて、怖くなってお祓いに来たそうな。・・・あれから何年も経つが、未だにこう云った話はある。
因みに、この運転者も大きな津波被害のあった地区に住居がある。

 

 

 

11月18日(金)  仙台・套路(型)クラス
S島さん、T沢さん、高校生I君、K池君が稽古に参加。

①先ずは準備体操から。ま、相変わらず雑談なんかしながら・・・雑談とかしながらの準備体操は効果半減です。よい子は真似をしないように。
②基本功代わりにヒ掛掌の基本動作2種類。ついでにその実用法も練習。ちょっとした角度等で効果が変わってしまいますから、よ~く説明を聞いて、よ~く観察して真似して下さい。身についてしまえば、後は委細構わず打つだけ、です(笑)。
③外家拳の初心套路、単・連攻防を1人型(1人で練習する型)、2人型(対人で向かい合って技を繰り出して練習する型)を一通り練習。
何度もしている話ですが、(私が習った時には)単攻防には対錬がありましたが、連攻防には「対錬はない」と言われたので、そちらは私が作りました。単攻防が一番最初に習う型、連攻防が2番目に習う型だったので、余り型の内容(程度)が違わないように気遣ったものです(笑)。単攻防は真っ直ぐ入って真っ直ぐ下がる動作、連攻防はサイドに回り込む動作なので、そこは活かしています。15分程で作った対錬型の割には悪くないでしょう?(笑) で、この型、初心者向けではありますが、ちょっとした防禦の仕方が少林拳や心眼流のある技に直結したり、高度な受け方(防禦)に繋がりますので、“やりにくいなぁ・・・これ”と思っても易きに流れずに練習して下さい。初心者向けの型にこういったちょっと高度なコツが入っているのが、先輩方の親切心だなぁ、と思ってしまいます(笑)。
④各自練習。各々套路や対錬を練習。最後まで残って太極拳対錬を練習していたK君とTさんに、力具合の参考になる様にと、ある推手の方法を指導。
ってな具合で、今夜は10時20分過ぎに稽古を終了。

★K池君の勤め先で“さすまた”6本を買ったが、誰も使い方を知らないと言う。で、彼が会社からさすまたを持って来て使用方法を教わって帰った(笑)。・・・そうか、一般の会社で防犯用具を購入しても、その効果的な使い方を知らないって事が、ままある訳だな(笑)。
人数や施設の広さ等の状況もあるが、6本買っても仕方がない。他の道具と組み合わせる方が効果が高いものだ。なので、せめて買う前に相談してくれれば、状況に適合したアドバイスもしてやれたんだけどねぇ。
ってな訳で、同じく「買ったけど使い方がわかんねーわ」とお困りの会社には、気が向けば教えに行って差し上げますよ。・・・お礼? んじゃ美味い日本酒一升で(笑)。
あ、因みにK君からは指導料兼お土産として、彼の地元の地ビールと暮坪かぶを頂戴しました。暮坪かぶ、最近じゃ人気で地元の人も手に入りにくいんだそうですよ(上海の上海蟹と同じか?)。貴重な物をどうも有難うm(__)m

 

 

11月15日
昼間、所用で石巻市内(立町)を通ると、手にスマホを持った男女が山ほど。その人達の車なのか、時間帯の割りに道路も混雑。・・・凄いな、ポケモンパワー^_^;
でも頼むから、前向いて歩いてくれ(苦笑)。

ところで話は全く変わるんだが、
街のケンカ、なんちゅうのは始まる前に殆ど勝負がついている。そんな事すら知らず(経験もせず)に、古武術の先生なんかやっている人もいる。隔世の感がある。・・・知らない事には黙っていりゃあ、マダ良いんだが、何かしら意見したがりやがるのは、病気か?(笑)

 

 

今週の雑談・『仏教聖典』
石巻門下のG君が仏教に興味を持って勉強を続けている。手許に余剰の『仏教聖典』があったので、あげる事にした。私の本棚で埃をかぶっているよりは遥かに役に立つだろう。
『仏教聖典』は仏教伝道協会が、キリスト教の聖書のような物を作ろうとして作成した本のようだが、仏教開祖のお釈迦さんの伝記から、初期仏教の教えから、大乗仏教の阿弥陀信仰まで一冊に入っているので、混乱しやすく初心者向きとは言えない。お世辞にも良く纏まっているとは言い難い。ただ、ある程度理解の進んだ人には悪い本ではない。何せ経典の意味ある言葉を集めた本である。ま、初心者は“ひろさちや”さんの本から薦める(笑)。
仏教の聖書にはもう一冊、東京大学が出版した物があり、これは旧来の『仏教聖典』を改善しようとの目論見で作られたようだが、これも成功しているとは言い難い(笑)。ならば本としての価格を考慮に入れれば、旧来の『仏教聖典』が良いだろう。という事で、この『仏教聖典』を(仏法を学びたいと言う信徒さんとの)テキストに使っていた時期もある。
仏教は釈尊の教えを元に大いに発展・変化したので、経典が沢山ある。その経のどれを自派の中心経典にするか?で宗派が分かれたのであり、それらを一冊に纏めるのは至難の業であろう。
どの派でも同じ仏教の基本といえば、四諦八正道と空と縁起の思想である。これが基本中の基本。これがなければ仏教とは言えない。
さて、今回G君に差し上げた『聖典』には、見開きに私が修行した寺院の押印があり「ここの備品です」と書いてあるが、これはちゃんと断わって頂戴して来た物なので、畏れる必要はない(笑)。

 

 

今週の読書
11月13日小島一志・大志著/『芦原英幸正伝』を読む。
貸してくれたN君、「(内容以前に)文章が下手」と言う。確かに、大した事を書いている訳ではないのに、文章を読み返さないと意味が通じない所がある。厚さの割りに内容が薄そうなので、読みさしの『宗教的経験の諸相』を中断し、とっとと読んじまう事にした。二日で読んだ。
この著者の本を昔、何冊か読んだ事がある。『新世紀格闘技論』1・2(書名間違ってたらゴメン)と『護身術』の本が記憶にある。どれも“自己顕示欲の異様に強いヒトだな”というのだけが印象に残った。今回も同じ。
近年、この人の本は「インタビューした相手がさも言ったかのようにして、己の意見を述べる」(つまり内容が嘘)と批判される様になり、“有りそうだなぁ”と思ったものだった(笑)。
『護身術』の本にも問題が多く、素人は全く使えない技術だったり(つまり現実的じゃない)、中には「女性が暴漢相手に寝技関節を掛ける」といった無理があり、この本を“悪い護身術本の代表”として紹介する為に購入しておいたものだ(笑)。←くどく説明をすれば、襲って来る相手は間違いなく襲われる側より屈強である。それに対してプロでもない女性が寝技だの関節だの(しかも路上で?)絶対無理があるっつの。こんな内容を真に受けたら本当に大変な事だ、大怪我する。こんな素人でも一寸考えれば解る程度の事に気付かないで護身の本なぞ書いてるとすれば、間違いなく素人以下だろう。
・・・にしても、『伝記』なのに、これほど執筆者の“人間”が出ている本って普通あるだろうか?

 

 

【連絡】

「冬季は大雪で道路が大渋滞し、車やバイク通いの者は道場へ行けない日があります。地下鉄利用の方は余り影響がないそうですが・・・

なので、大雪の日は道場に辿り着けた方々で(笑)稽古をして頂く事になります。皆で教え合いながら練習するのも楽しい物ですし。宜しくお願いします。」

 

 

 

11月13日(日)

七五三を前にした日曜で、御参りや御祈祷の方々も多く来ました。

昔はそれこそ幼少児が長く生きるのは大変な事だったでしょう。「3歳まで生きる事が出来ました」、「5歳まで生きる事が出来ました」、「7歳まで生きる事が出来ました。これからもどうか元気で育ちますように」との親の願いが、七五三の祝いなのだと思います。因みに、本来は数え年です。

『ペコロスの母に会いに行く』という本によれば(歯医者の待合室で読んだ)、九州の方には『つばなれ』という言葉があるそうです。1歳~9歳までは「ひとつ」、「ふたつ」~「ここのつ」と全ての年齢に「つ」が付きます。10歳になって初めて「とお」になり「つ」を離れるという訳です。1~9歳までは“神様”に近いから、いつ神様の元に帰ってもおかしくはないのだ、という説明で、きっとそれは小さな子供を亡くした親を救う考え方なのでしょう。

今の日本では、子供は生まれた瞬間から経済活動の中に取り込まれ、税金を払う存在となりますが、その分、この国では上下水道等の衛生やワクチン等の医療がしっかりしていて、子供達が伝染病でバタバタ死んで行くという事がないのです。(これはきっと一昔前の日本人達が子供の生命を大切に思ったからですよ。食物、衛生、医療など、頑張ったのですよ)

大した医療や薬も無かった頃、親は子供の病気に、祈る事しかなかったのだと思います。

昔も今も、親の気持ちに変わりはないでしょう。そんな気持ちを考えると、切なくなります。

そんな七五三は明後日、15日にやって来ます。

 

 

 

11月12日(土)  仙台・拳法(打撃)基礎クラス

昨日は寒く、本堂で長時間拝んでいると身体が震えた位だと云うのに、今日の暖かさは「なんじゃこりゃ」な程(笑)。

ところで、土曜の割りに仙台への道中が混雑した。昨夜、石巻への帰り道もいつもより車が多かった・・・もしや、本日石巻で開催されたという『ポケモンGO』関係で混雑したのか? も、もしかして、そのイベント、明日も有るのか? としたら、今夜の帰宅時も車量が多かったのは、ポ、ポケ・・・(笑)。

 

さて、そんな今夜の道場はT沢さんとマンツーマンになった。折角マンツーマンなので、彼の苦手な技や動作の修正に多く時間を使う心算で稽古スタート。

12月のY田先生の講習会で使用する“杖”を用意し始めている人達も居るので、私がY田先生から頂戴した2種類の杖を皆に見て貰っている。参考になれば、と。

 

準備体操をしつつ、昔発売された中国武術ビデオの話を。中には不正確な事柄や嘘があったりするので、割り引いて見るようにね、のオハナシ(笑)。同系のものだから正しいとは限らない。

基本で行なう素手の動作を、武器術との関連、内家拳との共通を解説(「解説」「説明」という言葉には、言葉での説明だけでなく必ず実際にやって見せています)。

外家拳技術で練習する“或る技”の、練習の効用、実用性、内家拳や他派拳法との共通項、そして違いを説明。“参考にする”のであれば、その違いを意識して行なう必要がある。

基本的蹴りの練習について、並歩と移動で行なう際の違いと、移動で行なう際の工夫を解説。防禦からの連携に必要な動きも説明。

五行拳の段階的練習の種類と、その目的の違い。教わった事はドンドン練習して身につけて頂きたい。そこから更に上の内容に繋がる。ついでに色々な打ち方(発ケイ)の仕方。

正しい形で威力を出す、少林拳と形意拳の違いと、共通。

太極拳の或る技の一般的用法説明と、一般的ではない用法(実際用法)群。形意や八卦との連携も説明。そしてこれらは套路を練習する事で身につくという事。

等々。

これら今夜の解説内容は夫々バラバラの物ではなく、全て繋がっているのでAがBの説明ともなり、DがBの説明ともなっている、繋がっている物である。

書けば簡単そうだが、多分、見た事のない人が文章で読んで想像する技術とは全く違っている(例えば私が他道場での練習内容を読んだとして、想像する物と実際は違っている筈)。あくまで同門は解る。・・・この『指導日記』は何を習ったか・教えたかの備忘録が最大の目的なので。・・・いや~トシ取るとさ、誰に何を教えたのか忘れちゃう時があるよね。若い頃は、そんな勘違いは無かったんだけどなぁ(笑)。

 

今夜の稽古は10時40分頃まで。T沢さんも「お腹一杯」な筈(笑)。

もしも習い始めたばかりでこれらを教えられても出来はしないし、何故出来ないのか理解も出来ない。2~3年それなりに真面目に練習してくれた人には、こういった少し奥深い内容を教えられるのがマンツーマンの日の良い所。他の皆さんも休まず道場に来ていると、こんなマンツーマンに当たるかも知れませんよ(笑)。

因みにT沢さんは私の道場に来る前にも既に結構長期間、他の太極拳を学んで来ています。

 

はぁ、これだけの記録を一気につけたら疲れたわ。・・・“稽古の感想”を弟子が書いてくれたら、あたしゃーそれをここに貼るだけで済むから助かるんだけどなぁ。誰かやってくれ、交代制で構わないから(笑)。

 

 

 

 

11月11日(金)  仙台・套路(型)クラス

震災5年8ヶ月、月命日でした。寒い一日でしたね、月命日に合わせ海岸などで遺品を探す警察関係の方々には(仕事とはいえ)頭が下がります。

ところで、チラとテレビ見たのですが、“トランプ騒ぎ”が済んだら韓国の大統領周囲の話ですか。ワイドショーってどーなってるのでしょうか(笑)。国内でもっと何かありませんかね。先日、東松島市の震災後工事で「一度工事を落札した会社があったのに、大きな会社にその仕事が回った。大手の会社になったら、落札時よりも金額が高くなっている」と告発の署名を貰いに各家庭を回っている人達がいたそうですよ。探せば、そういう“な~んかアヤシー”、“インチキくせー”事って有ると思いますがね。外国のスキャンダルより、こっちの方に是非メスを入れて欲しいものです。希望(笑)。

 

阿呆なハナシはさて置き(笑)、今夜道場に来たのはS島さん、高校生I君、K池君、Hさん、N君、M子さん。気温が低い割に参加者が多く、賑やかで楽しい時間となりました。・・・皆さんが「大丈夫だ」と言うのでストーブを点けませんでしたけど、ホントに大丈夫でした?(笑)

①先ずは準備体操と基本功類を、「明日石巻でポケモンGOの集まりがあるらしい。混雑で石巻から出動出来なかったらいやだなぁ(>_<)」などといったオバカなハナシをしつつ。K君の知人が明朝石巻へ行くらしいと聞き、ビックリする(笑)。

②対錬。シンプルで基礎的な物を数種類練習。

③皆で揃って正宗太極拳、陳氏太極拳、専作伝心眼流などを練習。太極拳2種類は特に細部(身体の使い方)を注意説明しながら。・・・正宗と陳式は(少なくとも私が学んだ系統は)全く身体の使い方が異なります。重心の位置さえ違います。両方を学ぶのであれば、違いを完全に理解して明確に練習する必要があります。

④各自練習。徒手(素手)套路や兵器(武器)套路、対錬を夫々練習。

10時20分過ぎに今夜は稽古を終了。

N君が或る空手系の本を貸してくれた。「こ、これは、悪名高いあの作家(?)の本ではないですか!」。どんなんだか、近々読んでみます。少し貸しといて下さい(笑)。

 

 

★もう一つ雑話。流行の話題に僕も乗らせてください(笑)。ええ、相も変わらず「言いっぱなし」にしますけど。

“トランプ大統領”が決定したんですな(笑)。

彼が宣言していた通りの外政を本当にし、日本がもっと防衛費を払うようにもなれば、ここは考える時が来たという事でいい事ではないか。そういう時期がやって来たのだ、と考えるべきぢゃありませんか。その上で、利害関係で協力、という感じが強国でしょう。

我が国はビビリなのでしょうか? 軍事も食料もわが国内で出来る様に“努力”すれば良いじゃありませんか。自国の事は自国でまかなう、これが本来だと思うのですよ。

「自分の国は自分達で守ろう」という意識が、今の庶民の間には出て来ている気配もします(印象だが)。それが小林よしのり氏の影響かは僕は知らないですけども(笑)。

 

 

 

今週の雑談・『布教ってのは難しいのよ・・・』

仏教ファン(?)みたいな人の中には、全く興味のない相手を捉まえて仏教ばなしを聞かせる人がいます。

自分が良いと思っているものを他人にも教えたいのは解るのですが、興味のない相手にしつこく話を聞かせては、結局その相手を仏教嫌いにしてしまいます。

日本でキリスト教、殊に訪問をする新宗教系が疎まれているのは、興味のない人に話を聞く事を強要するからです。

・・・この国で説法の仕方というのには、私も随分悩んだものです。

私の所はただの占い師などではなく、寺院ですので、相談や祈願に来る人達は少なからず仏教に興味がありそうなものですが、現実は違います。

その殆どの人は、自分の願望が(思い通りに)なれば良いだけですし、自分が不幸でなければそれ以外の事はまるでどーでも良い訳です。

そういう人々に「執着を離れる事が幸福ですよ」などと説いた所で、聞く耳を持ちませんし、「セッキョークセー坊主だ」と言って次回から来ません。現代日本人はお金にしか救いを求めません。私のよく言う“拝金教”が主流です。

この類いの人々には、長い時間をかけて少しずつ影響を与えて行くのが良いのではないか?と考えています。

その“人同士の付き合い”の中で、仏縁のある人は仏教の思想、どうすれば救われるのか、といった事にも興味を持つようになります。

私の周囲の人々(信徒ではない)にも、私は質問されない限りは仏教や哲学的な話はしないようにしています。恐らく、多くの坊さんはそうだと思います。

それでも5年、10年と長く付き合う内に、何か影響を受けるのかは解りませんが、興味を持つようになって質問もして来る人も出て来るようになったりするものです。

・・・押し付けて煩がられるのではなく、その人の持つ雰囲気や人間の匂いで少~しずつ自分の周りに広がって行く、そんな感じが現代的な気がするのです。ま、私は駄坊主ですけどね(笑)。

 

 

 

 

11月5日(土)  仙台・拳法(打撃)基礎クラス

昨日より大分暖かい一日。稽古をすれば一同汗だく。明日は又寒くなるそうな。道着1枚になる土曜日に暖かくなるのは(冬は)有難いですよ。

今夜は大I藤君、T沢さん、S木君が稽古に参加。先日のヌンチャク講習会等について時折雑談も挿みつつの2時間。

①準備運動

②基本・各種。幾つかの技について、正確に打つ為の練習法も説明。

③防禦練習・反応訓練

④外家拳テクニック。左右逆も行なうと、やけに混乱する技があるのも楽しい(笑)。

⑤約束組手。時間の都合もあって今夜は3種類程を練習。

⑥スパーリング

⑦気功。私がこの気功法を習った時の話をネタにし、最後に一同大笑いして10時過ぎに今夜は終了。

 

突き(パンチ)の原理は一つではありません。流派や人によっても異なります。

だから自分の納得・感動(笑)できる方法でやれば良いのです。

ある程度身に付くと、別のやり方を見たり聞けば大体試してみる事が出来る様にもなりますから、自分の身体で比較する事も可能です。

先ずはひとつのやり方をしっかりと身につけてみましょう。

 

 

 

11月4日(金)  仙台・套路(型)クラス

灯油を買って道場へ。

今夜はHさんとマンツーマンの稽古となった。

稽古の最初に、九鬼神流棒術(Y田先生伝)を教えてみた所、思ったよりすんなりと手順(型)を覚えてくれた。

入会当時は「覚える事に自信がない」という感じだったHさんだが、流石!若いだけあって数回道場に来ただけで“運動を記憶する回路”が繋がって来たかのようだ。

次に形意拳の1~3本目までを復習し、4本目を教えた。これも(細かい修正点はまだこれからだが)大まかに手順は覚えられたので、私も楽しくなって来て、少しずつだが色々な套路を突っ込んでみる事にした(笑)。

八卦掌の歩き方を、先ず直線で、慣れたら円形で、と練習。手の形もつけて。(達人伝説で「走圏だけ3年やらされた」とか「劈拳のみ3年やった」といった逸話があるが、それについては個人的に思っている事がある。大した事じゃないんだが、その内どっかで書こうか)

時々、棒術や形意拳の復習も入れながら、どんどん進む(笑)。

正宗太極拳の導入部数動作。上歩打擠まで。

単攻防の右方も覚えたので、最後に今夜学んだ套路を一通り復習し、いつもより10分程早く、今夜は9時50分頃に稽古を終了。

稽古後、「もしヌンチャクを買いたい時は相談してね」と声をかけると、「もう買ってしまいました」との返事。やる気充分!みたいで素晴らしい(笑)。

 

 

★11月になりました。気温が低い日はストーブを使いますので、今シーズン分の暖房費の納入の程、皆さん宜しくお願いしますね! アタシのポケットマネーで買うんじゃ、毎月大変なんですから(笑)。

 

 

 

今週の雑談/制服について

(極論を語ると喜ばれるので、そうしてみた)

制服は組織への帰属を表わす標章であろう。

警察官も自衛官も、修行中の僧侶も(笑)、制服を着る。

制服は【私に自我はありません。組織の人間です】との表現であろう。自分の意思は全く持たず、組織の指令で動く立場という事だ。

こんなコトを言うと非難轟々なんだろうが、敢えて言う。

学生にも制服がある。

学生にも、自己主張や自意識など必要ない。学校という組織の中で嫌な事だろうと好きな事だろうと皆と一緒に行なう。それが社会に出る為の訓練である。

今は「子供の頃から自主性を」等と言っているが、私に言わせればそれは単に我慢の利かない、自分勝手な人間を増やすだけだ。人間、そんなに賢くはない。特に子供を好きな様にさせたら、どーしようもない。それは“自主性”なんて物ではない。テメエ勝手、というモノにしかならん。

若い人で、「上司と折り合いが悪くて・・・いびられて」と言って相談に来る人もいる。そういう人は(多くが)先ず、服装からなってない。シーンに応じた言動も出来ない。“これじゃ上司に嫌がられるわ”と変に納得させられてしまう場合がある。恐らく、自分では何が良くないのかすら気付いていないのだろう。

で、簡単に鬱になったりする。困ったものである。

 

私の親世代は、「皆が貧しかった時代、制服って本当に有難いと思った」と言う。そりゃあそうだろう。一寸考えればその理由は分かる(若い人、解るかな?)。

イマドキは「制服反対」だとか、「制服のない自由な校風」とか言ってる所もあるが、私に言わせりゃ苦労知らずのバカ丸出しである。

就職して、すぐ脱落しないように、お気をつけあそぁせ(笑)。

 

 

 

今週の読書

11月3日/山折哲雄著・『ブッダは、なぜ子を捨てたか』を読む。半分は「それ、想像でしょ?」といった内容だけれど、やはり仏教書として読むべき所はある。「日本の祖先崇拝は仏教の本質を忘れた民俗仏教の一環であるとの低い評価を与えられがちだが、これがむしろ日本の仏教を生き長らえさせた不可避の特質だと見ねばならない」というのは確かに成程と思う。

インドで発祥した仏教は長い長い移動期間を経て日本に伝わったのだから、元の形をそのまま保存している方が難しいだろう(しかし根本思想はきっちりそのまま残ってもいる。奇跡だ)。それが日本化して行く内に更に変化したとしても、なんら不思議はない。変化した形であっても残っているからこそ、未だに仏教の思想で救われる人達が居るのだから。

 

11月5日/西尾幹二著・『ニーチェとの対話』ってのを読んでみた。

「この本はニーチェの解説ではない」と『まえがき』『あとがき』にある通りの本。若い人が読むと尚更良いかな。問題提起が多く、それらは身につまされる様で面白いけども。

・・・しかして、このニーチェという人は45歳位で発狂し廃人になっちゃったんだろ? ならこの人の思考の仕方や方向性は役に立たない、ダメなモノだって事だよ。反面教師としてその思考を学ぶなら兎も角として、真似(真似?)しちゃーロクな事がないってこった(笑)。え?「極論だ」ですか?

学者先生の書いた本よね。アタマで考えてるのかな。

ところで、“思想”というと日本では西洋のそれだが、日本独自の思想といえば鎌倉時代に終わっているのではなかろうか。当時は僧侶(仏教者)が哲学者でもあったから。

唐で仏教を学んだ空海や最澄が日本でそれを大成させ、鎌倉時代の法然、道元、日蓮、親鸞達が日本独自の思想として完成させた。そこで日本思想は終わっている気がする。その後は彼等が打ち立てた思想で生きて来ただけだろう。江戸期や明治期の思想はそれらを批判したもので、到底“思想”とまで言えない気がする。

その後、現代では“金が一番力を持つ”という思想に勝つものはなさそうだしね(笑)。因みに「金が最大の力」というのは結構当たっているのですが、私は個人的にそうではない素晴らしい人達とも出会って来ているので、その思想(言ってみりゃ拝金教)は一面でしかないという信念をもっておるのです。

すみません、ワタクシ、大変ナマイキなことを言いました(笑)。

 

 

 【お報せ】10~12月の予定

決定したもののみ紹介します。

 

10月末/仙台でヌンチャク講習会

11月26日/南方心眼流・師匠還暦祝賀会(1泊2日)。同日/八大武舘審査会

11月未定日/師匠・一周忌墓参

12月3日/仙台教室・Y田先生大和道講習会

12月4日/県古武道協会演武会(南方出場)

 

※当初11月26・27開催の予定もあったY田先生の講習会が12月3日(土)に決まりましたので、11月26日(土)は当初の予定通り冬の昇級審査会を行ないます。当日は力先生の還暦祝い(気仙沼・ホテルカンヨウにて)が一泊二日で行なわれますので、審査を受けない方はそちらに参加して貰うのも宜しいかと思います。

ただし、力先生のお祝いに参加する方は宿の予約があるので、早目に南方のタカヤ君に連絡して下さいね。
 

 
 

10月30日(日)  ヌンチャク講習会

午後1~5時でみんな大好きヌンチャク(笑)の練習会。

参加者はK池君、大I藤君、T沢さん、M子さん、Hさん、そしてワザワザ大阪から参加のR枝さん。指導は私の7名で練習開始。

会場の広さで“8名が限界だろうな”と考えていたので、丁度良い人数だった。初心者は大きなストロークで練習するので、ヌンチャクといえど思ったよりもスペースを使うのである。

【告知】で既に伝えていた様に、今回は基礎中の基礎から教え、学んで貰いました。

本日の練習内容を箇条書きすれば大体以下の通り。

①ヌンチャクの種類について。自分に合った物の選び方。又、国によって異なる棍部や鎖部の寸法の違いと、それによる使い方の違い。これは解説。

②ヌンチャクの持ち方。構え方。

③ヌンチャクの様々な攻撃法。

④ヌンチャクの振り方の基礎的なコンビネーション。

⑤ヌンチャクの防禦法。

⑥ヌンチャクの攻防。対棒や対ヌンチャクなどで練習。

⑦ダブル・ヌンチャク。扱い方の基本。

⑧ヌンチャクの暗殺術。参考としてナイフを使用する暗殺法も。又、車や電気を使う方法も参考までに解説。

組み練習用にスポンジ巻きのヌンチャクも持って行こうと思ったが、どこを探しても見つからず諦めた。恐らく、津波で流されてしまった方の用具入れに入っていたのだろう。残念。それを使って“相手のヌンチャクに自分のヌンチャクを絡めて奪い取る”練習もさせたかったのだが・・・万が一ヌンチャクが吹っ飛んだりすると、壁やガラスに傷つけるので今回は断念。

 

さて、くどくはなりますが、一つ説明しておきます。

“暗殺法”というのは、油断している相手(『ターゲット』と呼ぶと余りに生々しいので止める)を気付かれない内に殺す、という技術であって、「相手が気付いてヌンチャクで戦う事になった」というのは(結果的には相手を殺害できたとしても)暗殺としては失敗な訳です(笑)。

なので以前も述べた様に、「正々堂々向かい合って戦って殺害する」というのは暗殺でもなんでもなく、単に「決闘をした」という事です。

暗殺の方法と言うのは世に沢山あるようです。そういった意味で、今回一寸経験して貰った暗殺法は『相手をそっと殺す為に“ヌンチャクを利用した”だけ』というものです。『相手に気付かれぬよう接近して静かに殺す』というのはナイフを利用する場合でも同じ方法論が必要な訳です。これが銃器ですとか、電気、ガス、車などを利用するという方法ですと、また相手への接近(アプローチ)の仕方が違って来る訳です。ですから、あくまで方法の一つであって「暗殺法だ!」などと大騒ぎするような大袈裟なものではありません。

何度も言うように、この様な技術を学ぶのは「暗殺されない為」です。知っていれば注意するコトが出来ますから。決して「憎い奴」をターゲットにする方法を教えている訳ではありませんし、そんな推奨もしておりません。あしからず。で、こういう“暗殺法”とか教えると、皆さん嬉しそうな顔をするので教える私も楽しかったりするのです。ま、お遊びですね。

いやぁ、今日参加した人は全員、心のバランスが取れている人で良かった。一寸でも危なそうな参加者がいたら、今回、暗殺法迄は練習しない心算でした。

ま、「暗殺」なんて書いてるだけで余りに物騒過ぎますから、良識ある世間の皆様からは、尚更に当武舘が避けられるのは困っちゃいますかな(笑)。

大丈夫!良識ある人が大半のわが道場ですから!私以外は(笑)。

 

 

そんな訳で、今回参加出来なかった方々は残念でした。

私もそろそろ色々な事を弟子に教えて行く年齢に入っていますので、今後も一寸した講習会は開催すると思います。

練習会の内容(種目)によっては興味を覚えない物もあろうかと思いますが、参加してみれば今日のヌンチャク同様、面白い筈です。

 

 

ところで、前回の形意4大兵器の稽古会でも、参加者の皆さん無事に4種類の武器套路を憶えられたみたいで何よりでした。参加出来なかった方は、覚えた人(先輩)から習って下さい。

・・・私は決まった休みのある職種ではない上に、土日祝日は(例え前日までには予約が入ってなくても)当日に仕事依頼が入って忙しくなる事が少なくないのです。

なんせサービス業みたいなモノですからね(笑)。ま、寺院は何処もそうでしょう。

なので練習会などで、土日祝日に仙台など遠方へ出て寺を空けるというのは(商売的に言うならば)、急に入って来る仕事依頼を断らざるを得ず、損失が出ている可能性も高いのであります。

なので私が土日の昼間に“手放しで喜んで”教えに行ってたりする訳ではない、って事を是非皆さんにはよ~~く念頭に置いて頂きまして、キッチリと学び・覚えて頂きたいのであります!

仕事で損を出しながら、足代をかけてワザワザ教えに行って、特別指導料を貰うでもなく、懇親会費も割り勘で支払っていたりすれば、冷静に考えると“何が悲しゅうてそんなコトやってんの?アタシャ”と思うでしょ?(ですから先日の練習会では皆さんに道路代や飲み代を、今回は飲食代を出して貰って有難かったですよ。どうも有難う)

仕事休んで来てるんですからね、だからせめてシッカリ学んで下さいよっ!(笑)←これがオチだ。

 

 

 

10月29日(土)  仙台・拳法(打撃)基礎クラス

事情で生徒さんに稽古をお願いした。

参加したのは大I藤君、T沢さん、高校生I藤君の3名だったらしく、いつものメニュー、特に約束組手を重点的に練習したとの報告を受けた。

私が道場に行けなくても、その分生徒達が自主的にしっかり練習してくれるので本当に有難い。

今夜参加した皆さん、どうも有難う!

 

 

 

10月28日(金)  仙台・套路(型)クラス

雨。本日はS島さん、高校生I君、N君、Hさん、K池君が道場に来た。

①簡単な準備運動をし、幾つかの基本功。推手も少々(推手には流派によりやり方の違いがあります。それは流派によって戦闘法が違うから、推手系の練習でも目的が違う訳です。他のやり方と混雑させず、よく注意を聞いて練習して下さい。これはその内『雑談』のネタにする心算でいました)

②外家拳の連環手法を数手、相手を立てて練習。ついでに基本功中の動作も2人組で練習(これで原理を学ぶ)。

③套路。各自、套路を練習。久々道場に来たN君は形意兵器をおさらい・・・な、練習してないと忘れるだろ?(笑)練習する場所のない人は、道場に来なくちゃダメなもんなのよ。

④八卦掌や形意拳の実用練習を6種類程(詳細は述べない)。←この程度の練習もしていない内家拳教室が多いという。基本中の基本ですよ。

等の練習で、10時過ぎに今夜は稽古を終了。

 

※推手にしろ、用法にしろ、套路にしろ、“ちゃんと説明(やり方)を聞いて、良く見て真似する”所から練習して下さい(これはあらゆる芸事に共通の筈です)。極端に言えば、説明しても、丁寧にやって見せても他流・自己流になってしまう人には直しようがありません。もっと言うと、指導側としては直してあげる必要もありません。教えてはいるのですから。どの先生もそこまで親切ではない筈です(笑)。

又、現代は携帯電話にも録画機が付いていて、何でも簡単に録画出来てしまいますので、録画したいとの気持ちは私自身よ~く解るのですが(笑)、録画に頼ると『見て記憶する』という人間の大事な機能が開発されません。これは武術やってる者には一寸まずい能力劣化なので、皆さん良く見て覚えるという事を重視して下さい。(こういう能力は年齢と共に衰えますので、若い内に努力しておくと良いですよ)

 

 

 

★そういや先日、家族で商売をしている知人から、「地主さんの都合で来年中に商売が続けられなくなりそうだ」と聞き、かなり驚いた。

そういった事がないように、今は借主の権利も保護されている筈なので、そんな前時代的な事がいまだにあるとは・・・

一家族全員、一気に無職になる。これは人生を狂わしかねない大事だ。大変だなぁ・・・これから。う~~むむ。

 

 

 

10月23日(日)

「今日は日曜です。
日曜なのに私の寺は暇な予感です。
という訳で、暇な人は遊びに来ますか?
秋晴れの風邪に吹かれながらビールってのも悪くないぢゃありませんか。
午後3時頃になれば、私もすっかり手が空きますし。
石巻で行きたいお店とかあればご案内しますよ。」

といった内容をMLで流したら、石巻の生徒が手を挙げた。

とはいえ、石巻在住の生徒に石巻を案内しても仕方がない(っていうか、アタシより石巻に詳しいかも知れないし)。

ので、私の家で久々に飲む事にした。お金の掛からないように我が家で、と気を使ったつもりなのだが、お酒やビール、つまみ類などで随分使わせてしまった上、「泊まっていきな」と言ったのだが代行で帰って行って、いやはや、散在をかけた。かえって気の毒した感じ(笑)。

 

 

 

今週の雑談/『自分でしか守れないんだからさ』

唐突ですが(笑)、命と財産は、最終的には自分でしか守れません。

誰かが、例えば国や組織が守ってくれると思うのは幻想です。

だから財産を守るには知識を、命を守る為には健康と注意を誰しも使っている筈です。

しかし、現代日本では突然の暴力から命を守る、という点については疎かにされています。

油断しているのです。国内がそれだけ落ち着いているという証拠でもありますから、油断しても生きていられるというのは良い事ではあります。

周囲を見渡して下さい。昔より目に見える形での凶暴な人は、周囲から少なくなりました。が、凶悪化しています。

時代のせいか、精神に異常をきたして他人に害を加える危険の高い人も増えています。

道ですれ違いざまに、電車で後ろから、刺される危険がないとは言えないのです。

その時に自分を守れるのは自分だけです。他人は全くアテになりませんし、警察も刺された後です。医療も役に立たない場合も多いのです。

熊に襲われた時に、何故逃げますか。向かった方が確実に助かります。(←と言ったら「無理だって、逃げるよ」と友人に言われたけどね)

狂人が襲って来た時に、何らかの反撃をした方が相手を止められる可能性が高いのです。

どちらの場合も逃げ切れる距離と時間があれば逃げるのは良いのですが、戦った方が生き延びる場合もあります。

その判断は、そして戦う技術も、イザという時に前に出られる(体が勝手に動きます)心身も、これらは武術で作る事が出来ます。

という訳で、

だからやれ、武術。

やってる奴はもっと真剣にやれ、武術。(笑)

 

 

今週の読書

10月24日/河野義著・『体解・般若心経』

完全に宗教(仏教)畑から出た人でなく、実業界にいる人が仏教に興味を持って追求すると、本書に述べてある様な“悟り”の内容になりそうである。←勿論、悪い意味で言ってるのではない(笑)。

一昔前の年寄りが書いている本なので、上段に構えてあって偉そうなのが面白い。時代を感じるなぁ。

「色(物質)は空(からっぽであって実体と呼べるモノはない)よ」というのが、心経の空思想なのだが、「心経は色→空の側面ばかり強調してあって、空→色の側面が説明不足である」というのは、言われてみれば確かに成程ではある。それに理由はあるんだけども。

又、「身体を正す事で、心も調整できる」(禅を勧めているくだり)というのは、確かにそういう面があると思う。

この本の中心となっているのは“寝禅”なのだが、「寝ながら行なう禅(瞑想)」というのは、実は私も(一般の方に)以前から勧めている方法であり、ある女生徒さんにも勧めた事がある(私の場合は寝る前中心だが、本書の場合は寝起き中心である)。“座禅だ”なんて構えるのではなく、それ位が丁度良いのだ。そのまま寝ちゃっても全然OKである。

で、ゆったりと呼吸をしながら(人によって)、呼吸に意識を集中して湧いて来る雑念を流す方法でも良いし、ティックナット・ハン氏の様に“息を吸いながら私は静まる(心の波が静まるイメージをすると良い)・息を吐きながら私は微笑む(実際に口角を上げる)”やり方でも良いし、密教の観法の様に月輪を描いても良い。自分のやり易い方法でやる事が大切で、やってみれば思ったより心地良いものだと解る。禅(瞑想)はやり方が自分に合っていれば、人生が変わる。

 

10月26日/高城知子著・『広瀬家の人々』

当時の“いいところのお嬢様”が書いた本。ある一家の戦前・戦中・戦後を描いた回想録。読む前は“個人的な内容だろうに、出版されるんだなぁ”とあまり期待もせずに読み始めたのだが、いやはや、やっぱり時代を生きた人の話は凄いものですよ。

私の寺の信徒さんで先年亡くなられたおばあちゃんが、実はこの著者の親族。そんな繋がりで私に回ってきた本。『謹呈 知子』と立派な字で書いてあるのが、もうクラクラする(笑)。

私は勿論、この筆者とは面識がないが、その親族のおばあさんとは親しくさせて頂いて、何度かお酒もご馳走になった事がある。上品な落ち着きのある方で、何でも出来るんじゃなかろうか?というほど手が利いた人でした。もうね、アタシなんかたぁ育ちが違うってなもんですよ、ええ、育ちが。育ちの違いってね、間違いなくごぜーやすよ、ホント。

な、本(笑)。

 

 

 

【告知】ヌンチャク講習会・基礎編

10月末にヌンチャク(両節棍、日本の一部では双節棍とも)の練習会を開催致します。

今回は特定流派のヌンチャク套路を学ぶのではなく、どの派にも通じる基礎中の基礎、扱いに慣れる為の練習を行ないます。

費用等も未定ですが、いつもと同じく門下生は無料(経費を割る形での費用負担はあります)。準門下生・休会中・門下生外は数千円程度の指導料を頂く予定です。

稽古後の懇親会については未定です。8月にやったばかりなので、今回は酒席は無くても良いんじゃないか?とは思います(笑)。(どーしてもやりたいってんならビールがアサヒじゃない店で/笑)

 

※参加者は各自ヌンチャクを(可能なら2本)お持ち頂きますが、所有していない方には貸し出しも出来ます。但し本数に限りがありますので、貸し出しをお断りする場合もあります。

会場の広さにより人数制限を設けますので、ご容赦下さい。

練習ではヌンチャクに傷がつきます。コレクションとしてヌンチャクを集めている方は参加をお控え下さい。

扱いには危険がつき物ですので、自己責任でお願いします。自爆して「怪我した」のなんのと、グダグダ言わんといて下さい(笑)。又、組み練習で加減の出来ない方は退場を申し付けます。

↑と、こんだけ書いときゃ不真面目な奴は来ねぇだろ(笑)。

 

 

 

 
10月22日(土)  仙台・拳法(打撃)基礎クラス

私が道場に着いた時には大I藤君とT沢さんが太極対錬の練習中。

T沢さんの体調がイマイチという事もあり(他の生徒は今夜の稽古に来ない様なので)、メニューを大きく変更して、そのまま太極対錬の練習とヌンチャクの予習にした。

半月ほど前からヌンチャクをいじり始めたT沢さんは随分と扱いに慣れて来た感じだし、先週から触り始めたI藤君も少しずつコツを掴んで来ている様である。

太極拳の対錬套路も一通り覚えたようだし、今夜は「これでヨシ」として9時半に稽古を終了。

その後、I藤君の地ショウ拳の套路を一動作進み、9時40分頃に道場の明かりを消した。

・・・ところで、I君の転職と引越し話を聞き、「なんでワザワザ給料の安くなる地域に越すのか?」とびっくりしたのは秘密だ(笑)。考え直すコトを勧めるけどなぁ、“そこ”に住んでる俺としては。

 

 

★第5土曜の道場は休みにする事も多いですが、次週29日は稽古を行ないます。

12月3日(土)はY田先生の講習会で通常の土曜クラスは休みになりますので、その回数分と云うコトで。(3日は希望者のみ別料金で参加です)

尚、今年の最終稽古は12月24日(土)になります。←クリスマス・イブか・・・誰も来なければ自動的に休みにはなっちゃいますけど(苦笑)。

 

 

 

 

10月21日(金)  仙台・套路(型)クラス

第3金曜は套路・推手・実用法練習の日だが、参加者に合わせて変更。そろそろ参加者全員揃って同じ練習をしなくても、各々必要な練習をしても大丈夫そうである。

今夜はK池君とHさんが道場に参加。先週見学に来たHさんが今夜から一緒に稽古する事になりましたので、皆さん宜しくお願いしますね。

①準備体操。基本的な体操の他に、身体の可動域を広げる為にはどうすると効果的なのか?を説明も。

②穿掌対錬の復習。先週見学の折に体験して貰った対錬を一つ復習。これは一人でも繰り返し練習できる動きであり、むしろ一人練習で腕の位置、侵入の角度、体重の在り処など正確に身につけると良い。鏡を見て練習できれば尚良し。

③套路。拳法の型を練習。K池君は形意と八卦を。Hさんは希望で形意拳からスタート。ゆっくり時間を掛けて練習した。

④受身の練習。柔道などの回転受身や、マット運動の前・後転などを行なうと、身体の歪みが矯正される上、身体の悪いクセなども自覚できたりする。打撃系では受身練習やマット運動をやらない所も多いが、そういう意味でも日々の稽古に取り入れた方が良い練習である。

⑤手解き。柔術の基礎である“手解き”の中から3種類練習。

⑥今夜学んだ套路を復習し、簡単な気功や整理体操をして、10時過ぎに今夜の稽古は終了。

 

 

 

★I藤君が先週、「或る武道具店から購入した」というヌンチャクを持って来た。それが紐の結び方もなっていない。

先日、T沢さんが購入したヌンチャクも紐の結び方も結び目の位置もメチャクチャだった。

・・・今の武道具屋ってヌンチャクの紐もキチンと結べないのだろうか? それとも「紐は各自長さを調節して結び直して下さいな」って方針なのだろうか。

・・・どちらにしろ、そのままでは使えないので紐の処理を教えたのだが、皆さんも、もし購入したら練習会の前に一度道場に持って来て見せて下さい。練習会当日だと修正が間に合わないと困るので(尤も、ヌンチャク紐の結び方はネットでも解るみたいですよ)。

ところで、武器術の練習場所に困っている人は、道場でドンドンやって下さい。当会の稽古は夜8時からですが、金曜土曜共に道場は夕方6時過ぎから使えるので、早目に来て武器術の復習など積極的にやって下さい。・・・と、しょっちゅう言ってるのに、相変わらず「武器術の復習が出来ない」なんて言ってる人達は、熱心さが足りないだけですからね(笑)。

そんなヌンチャク練習会も近づいて参りました。当日はヌンチャクだけでなく(用意できる方は)棒や木刀なども持参して下さい。練習で使用します。

 

 

本日の御守り札書きのお伴はジャネット・ケイ。彼女の『イマジン』と『ラビンユー』にはもう、ビリビリ(笑)。

ところで、「JK」といったら私には“ジャネット・ケイ”なので、ミョウチキリンな女子高生は黙っていて頂きたい。←え?もう古い言葉なの?JK。(笑)

 

 

 

 

今週の雑談/『上位の技は至ってシンプル』

普通はどんな武術・格闘技でも、先ずは簡単(シンプル)な基礎が出来てから、複雑なものを学んで、その流儀へと深く入って行く。

太極拳の套路(型)だって初心者が憶えるのには一苦労だし、心眼流の基本21ヶ条だって“基本”と言う割には複雑である。

最初はそのような複雑な物から修業に入るが、実は上の技に行けば行くほど、手数が少なくシンプルな技になる。

例えば、私の心眼流の師匠は常に「上の技は一手」と言う。“上の技”という表現が解り難ければ、「奥の技」と言い換えても良い。

形意拳が難しいと言われるのは、言ってみればこの“上の技”から学び始めるからだとも言える。

上の技というものは、どんなに単純に見えても、それを成功させる(上手く決める)為の数多くの条件(満たさねばならない要点)がある。

普通の拳法流派ならば、単純→複雑な物→を経て、改めて単純な技へと進む事によって、その要点を徐々に学び身に付けて行くのだが、形意拳の場合は一番最初から上級者の扱う技から入る(学び始める)のだ。だから難しい。

もっと解り易く言えば、名人(上級者)が単純なパンチ一発で相手を倒したとしても、その単純な一発のパンチを成功させる為には傍目には解らない技術の蓄積があるって事なのだ。

形意拳は、この“上級者のパンチ”から練習するから、初心者にとって難しくて当然なのだ(笑)。

 

しかしまぁ、難から入るのも、易から入るのも、完成までには結局は同じ位の時間が掛かるのは間違いないと思う。

後は好みの問題である。

 
同じ話を、近々またするぞぃ(笑)。

 

 

 

10月15日(土)  仙台・拳法(打撃)基礎クラス

今夜は大・I藤君と若・I藤君とが稽古に参加した。

今夜は準備体操から大・I藤君に前に出て音頭を取って貰う事にした。こういうのも慣れであって、“もっと声を大きく出さなきゃならんな”とか“この動作はカウントが必要だな”といった事に気付くのも経験が必要である。

①準備体操

②基本・各種

③攻防練習・防禦練習

④外家拳テクニック

⑤歩法・数種

⑥約束組手(後半部)

⑦スパーリング

等、いつも通りのメニューで2時間の稽古。人数は少なかったが、楽しそうに練習した。

若いI藤君も大分動きが良くなって来た。相手をしている大I藤君も「良くなりましたね~」と嬉しそうにしている。ま、それも先輩達が上手く練習相手になっているからとも言える。

 

 

★稽古が終わり、道場を出て直ぐ、4号線に接する烏井原の交差点で人身事故。私が通りがかったのは事故直後のようだ。

仙台市内方面へ右折しようとした車が、自転車を撥ねた事故だ。撥ねられた学生風の男は道路の真ん中に仰向けに倒れており、自転車も飛んでいる。

この交差点は、横断歩道を渡って来る歩行者・自転車が少し見えにくい上、深夜でも学生風の若者の往来が多く、私も毎回とても注意して通過する所の一つである。

・・・ところで我々運転側が益々気をつけねばならないと思う点がある。以前にも何処かで述べた気がするが、近年の若い人の中に、交差点を渡る際に右左折の車が近づいて来ていても足を止めるでもなく、注意を向けるでもなく、そのままの速度で進んで来る人達が増えた印象がある。もう少し「車が自分に気付いていないかも知れないぞ」との注意があっても良いのではなかろうか? 私が横断歩道を渡るにしたって、横断歩道を渡ろうとする時には、右左折の車がこちらに気付いて車を止めなければ足を止める。でないと危険でしょう。

車、歩行者の両者が少しずつ気をつければ防げる事故は多い、というが、全くその通りかも知れない。

歩行者・自転車に車が充分注意するのは当然の事だし、横断歩道上での事故は幾ら車側に全責任があると言っても、撥ねられたら自分がつまらないだろうにな・・・といつも思う。

交通事故は被害者も加害者も、その家族達も気の毒である。

 

 

10月14日(金)  仙台・套路(型)クラス

S島さん、K池君、若I藤君、M子さん等が参加。今夜は見学の方が来たので、幾種類かの練習を体験的にザラッと行なった。結構な量を一気に通したので、体験の方だけでなく数年習ってる生徒も混乱したかも(笑)。

①準備体操

②基本功

③基礎対錬

④太極拳の部分用法練習

⑤推手類

⑥護身術

⑦柔術

⑧套路などで2時間半の稽古。

④は套路の一動作を取り出して実際に技として効果が出せるかを練習する。相手に負荷を掛けて貰い、それに掛ける練習をする事でサラッと流してしまいそうな套路動作にも意識を伴って行なう様になるし、実際に使う際の重心や力の出し方等、自分に必要なモノも解る。“あ、私には〇〇が足りないのね”って(笑)。・・・こういった練習をしていないと、套路で踊っているだけで使えそうな錯覚を抱きがちである(笑)。“抵抗する人間にはそう簡単に掛からないぞ”と、先ずはそこに気付くのが上達への足がかりとなるものです。←これについては又同じ内容を述べます。くどいんですが各自アタマに突っ込んじゃって下さい(笑)。

 

套路を一通り覚えた方は、演武用用法とか実戦用法は無論の事、④のようなもっと基礎的な事や、推手などもドンドンやって行きましょう。

が、先ずは套路です。套路を完全に覚え切っていない人は、少し頑張って覚えてしまいましょう。中国武術も心眼流も、先ずは基本の型を覚えてから中身に入って行くのですから。

 

 

 

10月11日/久し振りの、震災後の話

5年7ヶ月です。

最近は月命日の午後2時や3時にもご祈祷や相談事といった依頼が入る様になりました。以前なら、その時間帯には多くの方が黙祷や供養をされていたからか、祈祷等は殆ど無かったのですが。

そういう意味でも、矢張りご家族を亡くされた方と、そうでない方との違いが表われて来ているのでしょうか。あ、無論、私は批判する心算なんてありませんよ。違いが有るのは当然です。でないと先に進まないでしょうから。

私の場合は(前にも書いた通りで)子供時分からお世話になった斜め向かいの豆腐屋さんも、友人も、一部の信徒さんも亡くなったので、供養は続けて行くつもりですが。ずっと。

 

 

 

今週の雑談/『他人の価値観?自分の価値観?』

私と同じ位の年齢か、もっと上になって「欲しい物が一杯ある」とおっしゃる人に会うと、余りの違いにビックリする。

色々な価値観の人がいるから世の中成り立ってるし、それで良いのは承知の上で今回のオハナシ。余計な事とは解りつつ(笑)。

 

私達は自分で気付いている以上に他人の価値観を価値観としているのです。

マイホームを持ち、収入が高く、財産を持ち・・・それが成功だ、というのは与えられた価値観なのであ~る。では、誰に与えられたのか?

・・・ね、思った以上に踊らされているのですよね。

けど、それに踊らされながら(中には見栄の為というケースもありそうだが)頑張って働くのが日本人の勤勉さでもあるのだとは思いますよ。

インド人(だったかな?)は日本人を「変だ」と言うらしいですよ。というのは、

「現金が貯まったから家を建てるというなら解るけど、借金してマイホームを買って、勤めてる会社が潰れたりリストラされたり、家族に介護の必要がある人が出て仕事を辞めたりして、家を取られてローンだけ残ったりする。なぜ、ずっと同じ会社に勤められる、同じ生活が続くと思うんですか?」

という事だそうで。全く以って仰るとおり(笑)。

とはいえ、ま、インド人の真似をしちゃうと貧しい国になるし、真面目に働くのは日本人の美徳であるから、一切を否定するつもりはないですけど。お互いに自分のことは見えていないもので、日本人はインド人的視点を持つと生き方が少ーし変わるような気がするのは、私だけかな。

 

・・・などという考えが根底にある私は、近頃どんどん世間から離れつつあって、そんな精神状態で御守り札書きなぞ一心にしていると益々浮世離れしてしまいそうな己にハッとします。

仕方がないので“せめて心を浮き立たせよう”と、久し振りに古いCDなど引っ張り出し、書き物をしながら聴いてみました。

ダイアナ・キングの『ヘイ・ジュード』と、ローリン・ヒルの『君の瞳に恋してる』はやっぱしシビレます。もうビリビリです。

良かった、まだ音楽は楽しめて。と思います(笑)。

 

 

 

10月8日(土)  仙台・拳法(打撃)基礎クラス

あの銀髪のオッサン(校長?)の「キュアップ・ラパパ」は気持ち悪いだろう。

 

さて、今夜の参加者は大・I藤君一名。

今、仙台教室は少し人数が減っている所だが、その分、来ている(通っている)者は長期間習っている熱心な人達で、毎週楽しそうに練習してくれているから私も楽しい。

 

I藤君の腰の調子がイマイチとの事もあり、「マンツーマンだし今夜は正宗太極拳の套路中心の稽古にすっか」でスタート。

基本動作の後、套路を何動作か一緒に行なってから、曖昧な箇所や不正確な動作を直して行く形で練習を進めた。彼も以前と比べて大分上手くなっているが、それでも1時間以上かかった。時には用法も含めて正しい動作の解説をした。

ついでに上歩打擠の用法を説明。以前教えた用法のおさらいをしてから、①一般的に説明されている用法(これは現代格闘技やってる人には通用しないんだ)、②①で反撃された際の動き、③かなり効果的な用法(この辺になると大分実用的になる)、④ケンカテク、等々。

休憩も兼ねて太極拳の理論面のお勉強も。これは何年か前に道場で酒を飲みながら皆に教えた内容と同じ(笑)。

地ショウ拳の套路も一動作進み、「今夜は正宗太極拳でお腹一杯っす」との事で、9時40分頃に道場を出た。

 

 

★しっかし東京も荒れてますな。

こんだけ問題が出て「豊洲の魚です」って言われたら、魚屋さんには気の毒だけど、食わない・買わないって人も多いんじゃない?

福島だって未だに売り上げは回復していないんでしょう? 放射能汚染水が海に流出しない様にする計画も軒並み失敗してるし、福島沖の海産物が売れる訳ないよね。俺なら生きても後30年って所だから、今更少々の事は気にしないけど、小さい子供や孫達には食わせられないし、食わせたくないでしょう。ホント、魚屋さん達も死活問題だよね。

建設と費用の問題っていえば、宮城でも集団移転先の手抜き工事が見つかって工事のやり直しになった。建設屋はちゃんと金は(必要以上に)貰ってるんだろうに、手抜いてるんだもんね。やり直しの方がよっぽど費用がかかるでしょうに。腐った建設屋。もしかして役所もピンハネに一枚噛んでんのか?って疑っちゃうよね、こんだけアチコチで似た様な問題が起きてるとさ(笑)。

 

 

 

 

10月7日(金)  仙台・套路(型)クラス

マイナンバー発行から1年なんですってね。届きはしましたけど、未だに開封すらしてませんよ。使う所、ありませんもの。

 

朝晩随分寒くなりました。今夜はK池君のみ稽古に参加。

太極拳や形意拳の部分を取り出し、対人で“使う為に必要な”練習(型ではなく、必要な力の具合など身につける為の)に入るつもりでしたが、K池君の套路にあやふやな所があるので、先ずは套路を覚え直す事にしました。その中で体重移動や手足の位置、角度など改めて修正してあげる切っ掛けになりました。この様な細かい注意点がそのまま、力を発揮する為に必要だったりします。私も正宗太極拳を習った頃は、その細かさや窮屈さに疑問を感じましたが、それが身体の使い方に繋がっているのは正に「先人の知恵だ!」と感心したものです。

腕立て伏せやバーベルを持ち上げてパンチ力を上げるのも一つの方法ですが、太極拳の様に無駄な力を抜いて全身を繋いで行くというのも面白い方法だと思います。・・・ま、完成が早いのは筋トレのほうですが(笑)。

そういった細かい点や、套路の順序を良く練習し、10時30分頃に今夜の稽古を終了しました。彼も疲れたんじゃないかと思います(笑)。一週間しっかり復習して欲しいものです。

 

 

陳式太極拳(あくまで私が学んだ系統)では親指を閉じる。正宗太極拳や形意拳、八卦掌は親指を開く。この違いはあれども、当会では初心者が陳式も学ぶ場合には親指を開いて行なわせる。何故かと言うと、親指を閉める事で力んでしまう人がいるからだ。脱力というのは慣れないとナカナカ難しいもので(笑)。

ところで、陳式修業者には「親指を閉めるのが正しい」と、初心者に対してうるさく言う者もいるが、その人は一体、親指を開いた時と閉じた時とは腕の力の伝わり方が変わり、それが動きの違いにもなっている、という事を体感出来て言っているのだろうか。体感すら出来ていないのに、それを口うるさく言っているのだとすれば物笑いである。私は解った上で初心者には統一させているのだ。

世には自分には解りもしないのに、ただオウム返しに下の者に言っているヒトもいる。教わる際には注意されたし(笑)。

 

 

 

今週の雑談/『入会したてで道着・道具を揃える必要はないですよ』

土曜のクラスでは空手着や柔道着等の道着を着用している生徒が多くいます。

ですが以前にも述べましたが、私の道場では入会したてですぐ道着などの購入を強制しません。

ご当人が「すぐ欲しい」というなら、購入は結構ですが。

でも、慌てる必要はないと思うのですよ。

新しい事を始めると嬉しくて、つい色々と揃えたくなるって気持ちは解るんですが、もし続かなければ、買った物が無駄になっちゃいますから(笑)。

 

実際のところ、入会者の約三分の一は半年持たないものです。

仕事や家庭事情といったやむを得ない事情もあったりしますが、毎週同じ曜日の同じ時間に道場へ通うってのは直に億劫になります。

仕事や学校の合間に家でも少しは稽古するってのも大変な事です。

・・・道場に通う事だけでも継続するのは想像するより結構大変なのです。

 

なのでせめて半年続いたら購入すれば良いのではないでしょうか?

私はそう考えています。

 

これは套路クラスに言える事ですが、

私の道場では比較的昔風の指導をしてますから、教えた事がある程度出来なければその先へは進みません。

だから人によっては同じ事ばかりやらされてしまう事もあるでしょう。

なので余程目的意識を持っていなければ飽きてしまう人もいる筈です。

道場運営としては“飽きさせない”ってのは大切で、芸事教室では何処も苦心のようです。

だから子供中心の道場では帯の色が頻繁に変わるように、帯色の種類を増やしてあったりしますしね。

私はそんな事には無頓着ですが(笑)。所詮「上達しない」ってのは当人の責任でしかないので(笑)。

 

あ、そうそう。ついでの話でなんですが、書道の師匠に昔こう言われました。

「教室収入で食おうと思うんなら、生徒は大人じゃなく、子供対象にしなくちゃダメだ。大人は子供に対して『始めた事を途中で辞めるな!』と言って続けさせるけど、自分は簡単に辞めるからな」

と(笑)。

どーして一度始めた芸事を途中で辞めてはならないのか?を「辞めるな」と子供に言う大人が、それが何故か、解って言ってるんなら素晴らしいのですけれど。

 

ところで、続く人と長続きしない人とでは違いが有る様に感じています。

武術も芸事である以上、継続するには華道や茶道、書道と同じく向上心を持ち続けられるタイプの人でないと続きません。

ある程度短期での結果が用意されていて、やった!との満足感を感じる事が出来る・・・というのは(以前も述べた様に)スポーツ(競技)であって芸事ではないのです。

 

 

 

今週の読書/クリシュナ意識国際協会日本支部発行・『バガヴァッド・ギーター②』を読む。

インド宗教の或る派の指導者による『ギーター』の解説本。自身の解釈を述べている。この解釈による宗派を普及しようとする教団が日本にもあるみたいだ。知らなかった(笑)。そこの教団の聖書なんでしょうね、この本。

ギーターの言わんとしている事は、密教僧である私は理解しやすい。この本の中には一部“それで良いの?”と思う箇所もあるが、それが教団としてのカラーなのだろうな。

ギーターも仏教も同じインドという土壌で発生した物だから、思想に同じ所がある。仏教では“絶対主”を立てない(設定しない)、そんなモノは在っても無くてもどっちでも構わない、というのが最大の違いか。

その思想を自明の物とする為に“行”をする。アタマで理解すれば良いとするのではなく、体感し身につけるというのが哲学と宗教の違いである。宗教には実践が伴なう。

 

 

 

10月1日(土)  仙台・拳法(打撃)基礎クラス

予定通り、本日より携帯がなくなりました。宜しくお願いします。
10数年も持ちましたので、解約したら何かしら感慨深いものがあるか?と思っていたのですが、何の感慨も湧きませんでした(笑)。随分前から私の中では“不要な物”になっていたのかも知れませんね。もう若くありませんから、不要な物をドンドン手放すのが我が人生に必要だとも思います。アタシもそんな時期ね(笑)。
ま、取りあえず、「携帯電話なんちゅう、諸悪の根源とオサラバできて心地良いです」ちゅう事で。・・・尤も、携帯電話機が諸悪の根源なんではなく、それを正誤の判断も出来ない世代の人達にまで普及させようとする何の倫理観も持ち合わせていない企業や、機械を善からぬコトに利用するって大人が諸悪なんですけどね。ええ、それ位は言われなくとも解っとります。「機械が悪いんじゃないのよ」ってのは(笑)。

 

さてと、余談は兎も角(笑)、今夜の道場に来たのは大I藤君、T沢さん、S木君。今夜は定番メニューで稽古。私の仕事は指導なので、自分も動いているだけではなく、皆に修正点を説明したり、アドバイスをしながらの2時間。

①準備体操

②基本・各種

③攻防練習

④外家拳技術

⑤歩法

⑥約束組手

⑦スパーリング

⑧身体を緩める呼吸法

 

★そういや『ヌンチャク講習会』後の懇親会を「やらなくて良いんぢゃないかね?」と言ってはいましたが、先週T沢さんにヌンチャクの基礎を教えてみて、“これは若しかして稽古後に質問・感想が沢山出て来るかも知れないぞ”と感じました。稽古中は一つ一つの質問や感想にはお答え出来なかったりするので、矢張り講習会後の懇親会は必要かも知れません。・・・希望者は行きましょうか、居酒屋。講習会が終わったら、喋りたいコトが沢山出て来るかも知れませんよ(笑)。

 

 

9月30日(金)  仙台・套路(型)クラス

久し振りの晴れでしたね。昨晩から今朝にかけては寒い位でした。運動のし易い季節になりましたかね。
今年の冬は気温・雪量共に「例年通り」だそうですよ。あっという間に寒い季節になるのでしょうか。年取ったら真冬の道場の寒さが身にこたえる様になりました。ホント、老化って或る時期から目に見えて起こるものですねぇ(笑)。

 

第5週の今夜は“武器術で遊ぶ日”。遊ぶ日なんだから飴でも舐めながらやろう、と思ったら来たのがS島さんとK池君だけだったので、一袋ずつあげた(笑)。

専作伝の棒術や剣術(日本刀)も一同だいぶ慣れて来た様なので、久し振りに築館の老師匠伝の棒術や剣術を練習した。休憩時、S島さんが「武器術も楽しい」と感想してくれた。楽しんで貰えたら何よりですよ。

後半はナイフ術を、これも基礎から順を追って最後はナイフ対ナイフスパーやナイフ対素手スパーまで練習。

以前より述べている様に、利き手で扱うナイフなどの小型の武器術を学ぶと、中国武術の考え方も理解出来たりするので(勿論、戦闘方法が異なる物は別)お勧めなのである。

人数は少なかったが賑やかに稽古して、10時過ぎに今夜の稽古を終了。

 

 

★いや~先週の土日は本職で忙しく、道場がつらかったわい。が、その翌日月曜のまぁ暇なコト、暇なコト(笑)。身体の様子を見ながらですが、色々稽古できましたよ。
10月から年末に掛けて毎月のように武術関係の行事のお声がけを頂いているのですが、それらがど~しても土・日に当たっていて、なかなかスンナリ参加・開催が決定できず困っています。既にお断りした物も2つ有る状態です。
様々な行事・・・個人的な都合を言えば、平日の夜とかで開催して貰えれば有難いのですけどね・・・寺ってのも客商売なので、皆さんと休日が合わず調整が大変です。お断りする度に申し訳ない気持ちで一杯になります。

 

 

 

今週の雑談/お好きな人も多い、ブルース・リーのハナシ。

型稽古と基本を徹底的にやって強くなろうとする人に、彼は言いました。

「水に入らずに、泳ぎを覚えるのか?」

 

気功で鍛えたという人が彼に言いました。

「俺の腹を殴ってみろ!」と。

彼は即座に顔面を殴ってKOしました。

 

彼は多分、やらない人が嫌いだったのです。

私も、理屈よりは先ず泳ぐことだ、と思っています。

これを“強者の論理だ”とのたまう方もありますが、

なあに、武術は弱者が実際に泳ぐことで強くなる方法論です。

 

「スパーリングは最善最高の練習法ではありません。

しかし、スパーリングすらしないで動けると思うのは、幻想です。」

 

習っている型の動きが出ない?当然です。

先ず、動けなくては。

理想論は、それからです。

先ずは現実を見つめる事です。

動ける相手を前にして、まともに動けない自分を。

強い相手を前にして、全く無力な自分を。

幻想の中でしか、戦えない自分を。

 

それが全てのスタートです。

 

 

 

 

今週の読書

10月1日。森毅著・『数学で何を学ぶか』を読む。

すごく面白い本。

「数式が一つも出て来ない本だよ」と言ったら、文系のキミも読んでみようと思うんじゃないだろうか?

因みに、私は文系と誤解されています。が、体育会系です(笑)。

 

 

 

 9月24日(土)  仙台・拳法(打撃)基礎クラス

今夜の稽古はT沢さんとマンツーマン。私が道場に着くと既に正宗太極拳を復習中だったので、先ずはその修正から。正宗太極拳は見た目地味で簡単そうですが、本気でやったら細部の要求が細か過ぎて大変ですよ(笑)。

20時過ぎ、準備体操をしつつ“定年後の人生の送り方について”談笑。T沢さんと私はほぼ同世代なのです。

歩法を6種類ばかし練習し、約束組手の練習。

前回に引き続き、今夜も約束組手を一通り練習。マンツーマンを良い事に、途中メモを取る時間を入れたり、結構気楽な感じで練習。

初心向けの型と対錬である、単・連攻防を復習。

専作伝心眼流の一本目(型)を復習し、10時15分頃に一度稽古終了後、T沢さん持参のヌンチャクで10月末に行なわれるヌンチャク練習会の予習を何手か(笑)。「ヌンチャク楽しいね」というコトで、10時半に今夜の稽古を終了しました。

 

 

 

9月23日(金)  仙台・套路(型)クラス

T沢さん、K池君、若I藤君、M子さんが稽古に参加。

今夜の前半はY先生伝承の日本の武器術を。九鬼神流棒術、専作伝心眼棒術、同剣術、拉など。

後半は套路や対錬などを夫々に練習。いつも通り、套路の用例や力の使い方など説明しながらの練習。

K君は竜形八卦の套路を、M子さんは正宗で中身を作る套路練習を、T沢さんは形意の段階練習を中心に。段階練習に取り組んでいた今夜のT沢さんは大変良い感じ(笑)。

10時半過ぎに一度稽古終了し、その後ヌンチャク等の購入について質問を受け、10時45分に道場の明かりを消した。

今夜も楽しく練習が出来ました(笑)。

 

 

★形意拳は使いやすい拳法の一つです。

形意拳は“使い方”を習ってしまえば、使い方としては非常に使いやすい拳法なんである。

「使えない」と言っている人達は、使い方を習えていないだけだと思われる。

それと後は練習不足か(笑)。

套路をしっかり稽古しつつ、スパーや反応訓練など対人練習を重ねてさえいれば、教わらなくても使い方は見えてくる筈。

無論、相手もデクノボーではないから反撃してくる訳で、その攻防技術(対応)は教わるだけじゃだめで、訓練しなきゃ身につかないですけどね。

 

 

 

今週の雑談/『連絡』

9月一杯で携帯電話を解約します。とうとう携帯などという軽佻浮薄な道具ともおさらばです!

“なんでこの俺が携帯なんか持ってなきゃならねーんだ”と一体全体不満だったワタクシは、テレビ等で孫正義のツラを見るたんびに“こいつを儲けさせてんのか”って腹立たしかったんであります、実は(笑)。

で(こっからが本題です)、10月からは道場休みの連絡(特に土曜クラスの)は早目にメーリングリスト経由か、PCのメールアドレスに願います。

(休みの連絡は当日でなく、前日やそれより前でも全く構いませんよ。)

直接電話で用件を・・・という方は固定電話に下さればOKです。もしも留守電になっている時はメッセージ残しといてくれれば良いので。

又、私が急に道場を休むような場合はメーリングリスト経由で連絡するか、どなたか一名に電話を入れますので、その時は関係者皆さんに伝達下さい。

最初の内はやや不自由な感もあるかも知れませんが、伝達にもすぐ慣れると思いますよ。宜しくお願いしますね!

 

 

 

9月17日(土)  仙台・拳法(打撃)基礎クラス

雨。私が道場に着くと大I藤君とT沢さんが既に太極対錬の練習中。

今夜は約束組手中心の稽古をする事にした。一通りの手順は早目に憶えて貰わないと、ナカナカ細部の練習まで出来ない(笑)。

①準備体操と基本功。一部の基本功の身体の使い方と、技術への直結を説明。こういった一寸した事も説明されないと気付けない人も多いもの。

②約束組手。今夜は全種類を練習。

③最後に軽く防禦練習をし、10時15分頃に今夜の稽古を終了。

 

あ、そうそう来月末のヌンチャク練習会ですが、

近年、ヌンチャクはショー剣玉と見まごう曲芸の如くですが、練習会で教えるのはそういった芸ではなく、実用第一のものです。曲芸は曲芸師に教わってちょ-だい(笑)。

あ、それとですね、今回練習会に合わせてヌンチャクを購入するって方は、どうせだから三節棍も一緒に買っといて下さい(通販だと『1万円以上で送料無料!』ってのが結構あるでしょから、そういうバアイは尚更)。私の弟子にはこの数年中に実用・三節棍までは教えてあげたいので。

 

 

9月16日(金)  仙台・套路(型)クラス

今夜はS島さんとマンツーマンで稽古開始。第3週の前半部は中国拳法の用法練習で、今夜は形意拳と八卦掌の実用法を指導・練習。

先ずは形意拳の戦い方の基本的方法を練習し、同じ技の変化を数パターン練習。これだけでも結構実用には充分なのだが、実際には相手も攻防技術を使って自由に動くので、低い蹴りを組み合わせる事や、攻防練習の必要も説明。

五行連環拳の用法も解説。

八卦は穿と開。

S島さんも以前、ある道場で形意や八卦を学んだのだが、こういった実戦法は習わなかったとの事。・・・確かに何処ででも習える内容ではなく、先生が知らない場合も少なくない。

で、因みにこういった実用法は生徒達に“口外無用”と言っている。センスの良い人間に技を見られたら破られるものだ。折角学べたのだから無関係の他人に公開せず、いざ実際に使う時までしっかりと練り上げろ、という事である(笑)。

 

後半はM子さんとA目さんも道場に入り、それぞれ套路などを練習。A目さんは陳式を中心に動きを丁寧に行ない、M子さんは正宗太極拳を練習。套路も実際に攻防する如く相手に負荷を掛けて貰うと、正しい動きが理解出来る。M子さんは今、その辺りの練習に入った所。

その他、参考になるであろう動き方や、套路の用法などを時折解説し(ま、相変わらず脱線話も少々)、最後にA目さんとS島さんで五行拳対打を練習して、今夜の稽古は10時半頃に終了。A目さんは残って兵器套路を復習。

 

ところで、私の所の形意拳は頭突きも使います。

手で打つより早い場合があるので。

打撃格闘技をやっている人の中には「頭突きが出せない・苦手だ」って人もいますけど、使い方によっちゃ効果的ですよ。

通常の型稽古には出て来ませんが、形意拳やってると案外頭突きは簡単に出せるようになりますよ。

今夜も稽古でやってみせた通りです。

 

 

あ、そうそう。

先週ここに述べた「少林拳始めとする外家拳は対打套路は無くても良い。套路、用法(技の使い方/初級~上級へと段階的に練習)、実戦練習だけで大丈夫」について、習いたい・訓練して欲しい人は個人指導に習いに来て下さい。目的が様々な人の集まる道場で、まさかそういう練習ばかりしてる訳にもいかないもので(笑)。

 

 

今週の雑談/『左右逆・正宗太極拳?』

正宗太極拳は、慣れたら左右逆も練習してよい、と言われました。

第1十字手位までは私も逆套路を練習しました。頭の体操になります(笑)。

聞いた所によれば、弟子に「太極拳はこれ以上はないのですか?」

と聞かれたK兵衛先生が、半ば冗談で「反対も有る」と言ったのが切っ掛けとか、そうじゃないとか(笑)。

そんな訳で、一部のお弟子さんは99勢・完全左右逆の套路も練習したそうですよ。

 

「太極拳は初心者も上級者も同じ套路で稽古できるのだ」

という事を知らない。つまり、掘り下げ方を知らないと、こういう質問(↑)をしてしまうのですね。

 

あ、一寸思い出したので心眼流の事も(笑)。

実は登米の心眼流でも、南方の先生は「左右逆も練習した」と言っていました。

最初の頃にそれをやろうとすると混乱しますが、すっかり型が身についてしまえば、結構出来ます。

ま、細部はビミョーにあやふやになりますけども。

実際に(使う事が目的であれば)は左右逆は必要ないと思いますが、心眼流の場合はそういう練習方法が鍛錬として出来そう(効果ありそう)です。

左右逆の心眼流練習については、築館の老先生の所へ行った時にも“怒られそうだな”と思いつつも聞いみたところ、

「オレは“やれ”とは言わねーんだ、“やれ”とは」

という答えでした。推して察するよーに(笑)。

 

結論ですが、あくまで技術として考えれば左右逆は必要ないのです。

右で来ても左で来ても同じ動作で対処するように鍛えて行くからです。

だから、伝統的な太極拳套路には片方しかないのです。

 

 

 

今週の読書

9月12日。エリザベス・キューブラー・ロス著/『新・死ぬ瞬間』を読み終わる。『死ぬ瞬間』シリーズは何冊も読んでいるが、その都度打たれるものがある。

「人は生を受けた仕事(役割)が終わってこの世を去るものだ(死もその“仕事”の場合がある)」というのは、私も大いに同感する。

人は役割が終わっていないと自殺しようとしても死ねないし、死がその役割である時はどんなに抵抗してもこの世を去るものだ。

この身体を持って生まれて来た“生”は、本書にもある様に蛹(サナギ)や繭(マユ)みたいなもので、仕事が済めば蛹から出て次へと移行するのである。これが私の良く言う「人は来た所に帰る」という事である。

死とは何だろうと疑問を感じ、死に恐怖を抱いている人は、このシリーズどれでも良いので一読をお勧めします。

勿論、頭では信じがたかったりするでしょう。中には「オカルト」として毛嫌いする人もあるかも知れません。理解には体験、もしくは気付きが必要な事柄ですから。

ただ、この本に触れたら新たな視界を手に入れられるかも知れませんよ。

 

9月13日。植島啓司著/『宗教学講義』。著者近影を見て“うわぁ”と思う。

女学生と教授の対論で内容が進む。どうにも好きになれないのでザラッと読んだ。

私には「あっ、そ」な本。

 

9月16日。阿刀田高/『左巻きの時計』を読んだ。昭和58年1~4月まで夕刊に掲載したエッセイを一冊に纏めた物という。

一話一話が短いし余りアタマを使わず読めるので、私なんぞは息抜きに読むのだが、如何にプロとはいえ書き手からしたら大変な作業なんだろう。短いのに良く纏まってるのが流石としか言い様がない。

と、(プロと比べる心算は毛頭無いが)毎週ここで駄文をぶっ散らかしている私は感じ入るのです。

 

 

ちょっと怖いゲーム・後日談

友人にゲームを返しに行ったところ、あのゲーム、くれるそうです。でもボクはもうやりません。

だっておはなし 暗いんだもの。

ゲームとか耐性もないですし。とりあえず一生、再会シーンだけ見て生きます(笑)。

 

 

 

9月10日(土)  仙台・拳法(打撃)基礎クラス

大I藤君、S木君、若I藤君が稽古に参加。今夜はいつも通りのメニューでしっかり練習。

①準備体操

②基本・各種。これは皆の動きを見て時折、手の位置など口を出す。

③反応訓練・防禦練習。2対1で練習して貰う事も。

④外家拳技術。基礎的な攻防のテクニックを1対1で練習。慣れている人とそうでない人では、進み方に違いがある。初心者は種類を多くこなすよりも先ず動きに慣れ、正確な動作を身につける事を重視。

⑤歩法。最も基本的な4種。

⑥約束組手。今夜はこれに多く時間を割いた。

⑦スパーリング。

等で10時20分過ぎに今夜の稽古は終了。汗だくでしたね、皆さんご苦労様でした。

 

 

 

9月9日(金)  仙台・套路(型)クラス

今夜は若I藤君とマンツーマンで稽古がスタート。前半1時間は柔術を練習した。

初伝の逆取、逆投の各10本を行ない小休止。次に、専作伝心眼流の初伝7本の復習をし、直す必要のある箇所を修正。最後に合気初伝技10本を練習し、前半部を終了。

21時頃にK池君が来て、後半は対錬で練習開始。

先ずは天の型。2人組んでの型が馴染んだ所で、張り付き、流し、崩しをしっかりと練習した。天の型を外家拳の対錬のようにバチバチと練習する位なら、やらなくても良い。あくまで内家拳の理合に則った型である。・・・あくまで極論だが、少林拳等の外家拳では対打(対錬套路)は無くても良い。套路と、用法練習(段階によって変化や口伝も練習する)、実戦練習だけあれば良い。が、内家拳は力の関係など、対錬套路を通じた方が解りやすいだろう。

天の型に続いて、外家拳の基礎型の対錬(無くても良いと言っておいて何だが、これはあくまで初心者向けなので)の単・錬攻防を復習。“型だから”と手順を追うだけでなく、実際に当たる距離、速度で行なう事で実用に必要な点を身につけられる。

対錬練習の後、套路練習(I藤君は正宗太極拳、K池君は竜形八卦掌と形意拳)を稽古し、終了間際にK君の質問に答えて10時半頃に今夜の稽古を終了。

 

 

“生前戒名”というものがある。生きている内に戒名を貰うものだ。

これを貰う多くの人が「死後に子供や孫に負担を掛けないように自分でやっておこう」(中には天涯孤独で自身の死後を生前にお寺さんに頼んで行く人もある)や、「好きな文字を付けて欲しいから」といった理由のようだ。

生前戒名には“逆修”という方法がセットになっている事も多く、これは生きている内に戒名を貰って自分の初七日からの供養をして行こう、という言ってみれば“生きてる内に自分の葬式や供養をする”もので、亡くなってから葬儀・供養をして貰うよりも功徳が多いとされ、昔には流行った事もあるそうだ(墓石等に赤字で書いてある戒名はこの逆修です)。

所でこの生前戒名、殆どは当人の意思で頂くものだろうが、先日、「ウチの婆ちゃんがそろそろ年だから生前戒名を付けてやってくれねーべか?」という依頼を受けて、ちょっと驚いた。本人の意思でなく、家族の意向で生前戒名なんか付けちゃって良いのすか? そのハナシ、当の婆ちゃんが聞いたら怒り出すんじゃないのすか?である。

一般の多くの方にとって死は“不幸”で“不吉”あり、“考えるのも身震いする”ものだ。・・・勝手に生前戒名なんか付けちゃったら「オラに死ねって言うのか!」って激怒されやしないか?(笑)

尤も、我々僧侶の中には死を“不吉”だと思っている未熟者は居ないだろうが(実際残された家族にとって大いに不幸な状況もあるし、死を怖がっている一般の方の、その気持ちを理解して同調している場合は多くあるよ)。

・・・ま、それは兎も角、私も生前戒名には概ね賛成ですね。死んでから戒名を貰うよりは生きている内に戒名を貰って、残された人生を少しでも仏弟子として生きる方が意味深いだろうから。

ってなワケで、ご自身の希望であれば付けて差し上げますよ(笑)。

もっと良いのは得度を受け、正式な僧侶として実生活を生きる事だとは思いますが。

 

 

 

雑談

時々起こりますよね、少年の遊び仲間同士で殺したの殺されたの、先日もありましたよね。

事件化されていないものなら、多分もっともっと多いと思いますよ。

(学校をドロップアウトして働くような人達の間では、そういった人間や出来事も多いからやっぱり普通並の人生を通ると安心だよ、的な意見は取りあえず置いときます)

さて、私ならどーせリンチされたり殺されたりするんなら、そいつら相手にナイフ持って大暴れしますね。

・・・ただ、良く分かるんです。そういう被害にあっちゃう子って、そんなコトさえ出来ない様な気の弱さなんですよね。

イジメするとか、カツアゲした挙句、更に脅して来るって連中は、そういった気の弱さにカサにかかって来るんですよ。反撃できる心身の強さを持っている人には、奴ら梃子摺りますよ。

武術ってのはね、それを出来るようにしてくれるモノなのですよ。人の身体だけじゃなく、メンタルも変われるシステムが武術なんです。

 

あ、そうそう。暴力に対し少しでも反撃の手段を持つ人は、持たない人に比べてPTSDになり難いんだそうですよ。“何も抵抗できない”という無力感が堪えるそうです。

 

 

今週の読書

松前健著『出雲神話』を読む。自説を展開するだけでなく、他説も紹介している丁寧な本。

個人的に神話には余り興味はないが、古い物には歴史的な事実が反映されているだろうから、そこには興味をそそられる(笑)。神話というのは当時の豪族達の権力争いの結果、カミサマ序列が変化したりして今の形になっているワケですものね。

神道には・・・とか、以下、長々と書いたのですが、読まされるアナタもたまらんだろうから割愛(笑)。←「でも読んでみたい!」ってヒトが居れば別口で載せます。

 

 

9月3日(土)  仙台・拳法(打撃)基礎クラス

昨日の事故現場で今夜も自爆っぽい事故。渋滞はなかったので通行はスムーズ。

道場にはT沢さんと大・I藤君が参加。蒸し暑くて汗だくの稽古になった。

①準備運動

②基本・各種。上手く出来ていない動作をチェックしながら少し時間を掛けて練習した。少人数ならでは。

③防禦練習・反応訓練。数を減らして内容を濃く練習。

④ストッピング練習。数種類の方法を。

⑤外家拳技術の中から、幾つかをチョイスして重点的に練習。

⑥柔術。今夜は合気の初伝10本を練習。暑さで体力を奪われがちな時は柔術の稽古を入れると丁度いい。

⑦スパーリング。課題を持って取り組む。

最後にI藤君の地ショウ拳套路を数動作進み、今夜の稽古は10時20分頃に終了。

 

★T沢さんが毎年受けている人間ドックで、今年は肝臓に異常なしと言われたそうで喜んでいた。突き蹴りの練習をすると内臓脂肪は落ちますからね。効果的です。・・・ま、稽古した以上に飲み食いしちゃあ、ダメですが(笑)。

そのT沢さんも随分動ける身体になって来た事が、足を見れば分かる。動ける人とそうでない人は、足を見ると大体分かるものですよ。ええ、大体ですが。

 

 

9月2日(金)  仙台・套路(型)クラス

利府で事故渋滞があり、到着が8時ギリギリになった。事故現場は7~8年前に私が追突された場所(笑)。事故の起きやすい信号なのでしょうかね。

今夜の参加者はS島さん、H君、M子さん。

先ずは準備体操と基本功を行なって、基礎的な対錬類を練習。

後半は夫々套路や対錬を。S島さんは老八掌、H君とM子さんは太極拳対錬を中心に練習。

稽古は10時10分頃に終了。

 

★震災後、次第や経本、解説書など失った物を回復しようとする中で、それまで存在を知らなかったそれらの物(例えば同系異種の物であるとか)も随分と入手し、以前より実践に詳しくなった。これらの多くはインターネットで見つけたのだが、震災前なら己の持っている物(知識・物品・技術)に満足していて他を知ろうとはしなかった。進歩するのに逆境が切っ掛けになる、との古人の言葉には真実があるようだ。・・・って、あれだけの逆境だ。何とかプラスに変えなきゃあ、どーしようもないんだけども(笑)。

 

 

 

 

今週の雑談/『反対派が怒るのを覚悟で(笑)』

私の生徒の中にも、そろそろ生徒をとって教え始めている者が出ているので、今日は注意点を一つ。

「気」という言葉は可能な限り、使わないで下さい。

K君が他派出身者の方に教えてみて解った様に、「気」という言葉は観念に走りやすかったり、

細部を教えないために誤魔化す便利な言葉でもあったりするので、私の弟子は極力使わないで下さい。

武術の技、身体使いは全て技術ですから、理屈で説明できます。

例えば“相手の打ち気を感じて先に打つ”といったものでも、それは技術です。

「気」というコトバを使ったら、負けです(笑)。

何故負けか?というと、それは(この場合)相手との関係を“言語化できていない”という事だからです。

 

確かに、「気」というコトバを使った方が解りやすい感覚というのはあります。

しかし、気功治療などを生業にしている人なら仕方ありませんが、武術を教える中では

「気」という言葉は使わないようにして下さい。

 

 

ちょっと大人の冗談

友人から「暇つぶしに」って『肢体を洗う』ってゲームを渡されまして、それが何と“死体洗い”がベースになっているストーリーで、18禁で、正気を失っていったりして一寸怖いんです。

で、時間のある時に少~しずつやってたんですよ。

ですが、とうとうマトモなエンディングに到達しまして。いや~、主人公とミドーさんの(6年越し)の再会には、泣いちゃったですよ。“若しかして病院にミドーさんがいるの!?”って思った時に、顔まで鳥肌立ったもん。

他にも幾つかのエンディングが用意されてるみたいなんですが、あんまり感激しちゃって、他のはもう観なくていいや、と思ってます。

・・・というワケで、このゲーム11日夜に返しに行くから。

と、個人的な伝言にココを使いました(笑)。

 

 

8月27日(土)  仙台・拳法(打撃)基礎クラス

今夜はS木君とマンツーマンの稽古になったので、自由に練習をして質問があればするように、というスタイルにした。

7時45分頃から準備体操に入り、稽古の終了は9時45分頃。最後に形意拳についての質問を受け、一番直さねばならない箇所を説明した。

S木君は(私見では)内家拳よりも日本武術向きなので、現在は心眼流メンバーとして南方で預かって貰っており、又、彼自身も職場の知人道場で居合も学んでいたりと忙しいので(笑)、彼の套路を見てやるのは久方振りである。日本武術の邪魔にならない程度に内家拳のアドバイスをした。

 

 

★ところで、土曜メニューの約束組手は生徒さんが慣れて来ると、「本当はこうした方が更に効果的だ」という感じで変化もして行きます。

え?なら最初っからそう教えろ?(笑) いえね、これはイジワルで隠しているのではなく(笑)、理由があるんですよ。

一つは危険過ぎる技を最初から練習させない為。自分の突きや蹴りがキチンとセーブ出来ないレベルの初心者に、危険な技を練習させて万が一があったら困るでしょう?

もう一つは、わざと難易度の高い動作で練習させておく事で、効果的な技をもっと容易に使う事が出来る様になるからなんですよ。

 

 

 

8月26日(金)  仙台・套路(型)クラス

K池君、A目さん、若・I藤君、M子さんが稽古に参加。

前半部は日本の武器術を練習。九鬼神流棒術(刀とも合わせて)、専作伝棒術、拉術など。拉術は数が多くて記憶し難いので、自分なりにメモを取って貰う時間を取った。

休憩時の雑話では、暴漢から身を守る為の身近にある物や、椅子の利用の仕方なども解説。こういう脱線も楽しいもの(笑)。

A目さんの刀の振りがどーしても足と合わないので、どうしたら良いか一寸考えた末にある練習方法を今夜発見し、練習して貰った。無論、日本刀専門家ではない私が工夫した練習法だから、専門家が見て正しいかなんて知らない。あくまで中国武術専門家が日本刀を扱う為に(それも即興で)作った方法である。が、実用的には悪くない上、形意拳にも還元できて動作チェックにもなる方法だ。うむ、我ながら悪くない。←と、誰も褒めて呉れないので自分で褒めてみた。「オレっち、すげー」みたいな(笑)。

 

後半は套路練習。今夜は雨予報のせいか途中で早退する人も多く、K池君とM子さんがそれぞれ八卦掌と正宗太極拳を練習。M個さんも夏の審査会で太極拳の級を取得したので、一段階上の中身を作って行く為の練習を開始。

最後は2人しか残らなかったので、太極拳の上歩打擠の実戦用法(これが事実、激しくケンカテクである)や、比較の為の八卦用法も解説。又、投げのコツも。

等々で稽古は少し長引き、10時45分頃に道場を閉めた。

帰りは覚悟したより雨は降らなかった。今夜は荷物が多かったので助かった。道具とか濡らしたくないものね(笑)。

 

 

先週の稽古会で形意拳の剣、棍、刀、槍の套路は教え終わった事になる訳だ。これまでに用法(型の動作の実用法)も基礎的な物はサラッと練習しても貰ったし、今回も必要な説明はした。

しかし、同じ動きのラインで何処にどう入り、どう決めるのかは余り教えていない。套路を憶えている真っ最中の人には煩雑になるので割愛したという理由が一つ。実際に使われると危険だからという理由も一つ。

手加減のきかない性質の人や、教わると使ってみたくて仕方がないタイプの人に教えて、万が一そこらで(そこらって何処ら?)使われたら大変な事になるので、(素手の危険な用法と同様)これは人を見て教えて行くって事になるのでしょう。

そういった内容の指導は当然、道場で一斉には教えられないので、稽古後に残るか、または個人的に習いに来て下さい。・・・え?「石巻まで遠い」? う、う~む・・・そういう人は諦めて頂くしかないかなぁ(笑)。

 

 

 

今週の雑談

何年も前の事。心眼流の(食堂をやってる)師匠が、一緒に飲んだ後で厨房へ消えたと思ったら、

「何にもねーぞー」

と言いながら、焼きそばを出してくれた。

それはラーメンの麺を使った、麺だけの焼きそばだった。

具は何も入っていない。が、これが何とも美味いのだ。

麺だけの焼きそばでもこれほど美味いのか!と、余りにその美味さに驚いて、その後何度となく真似してみたが、全然違う。

これでも工夫はしたのだが(笑)。

私が作るのは「タダだったら何とか食べてやる」レベルだ(笑)。

師匠のは「金払っても食べたい麺だけの焼きそば」なのだ。

後日、師匠にこの焼きそばの話をしたら、イマイチ覚えて居なかった。酔っ払って作ったのだろう。酔っていても、その美味さ。驚きである。

「腕の良い料理人はシンプルなパスタを出しても上手い。それは、それしか知らないのではなく、他に多くの料理を知っているからだ」

と、ある本で読んだ。なるほど、だ。

以前、師匠の店で食べた何でもない鳥鍋が驚く程美味く、その理由を聞いた所、仕込み方を話してくれた後で師匠はこう言った。

「料理も、心眼流と同じだって(笑)」

その後しばらく経ってようやく、その意味する所が解ったかも。…例えその理解は、あの日師が言った意味と同じではなくとも。

そして、これを読む貴方はまた異なる解釈をするだろうけれども。

 

 

 

8月21日(日)  形意拳四大兵器復習会&夏の飲み会

午後1時から稽古開始。私は用事先から会場へ直行。

今回、参加者は一通り復習できた筈。型の用法(使い方)も必要に応じて説明。技の使い方を知ると、武器や手足の角度などもしっかりして来るものである。

大変気温の高い日だったが、I藤君が押さえてくれた会場がエアコンバッチリだったので、快適に練習できた。

練習しながら雑談なども色々と。N武会(若い人は知らないかなぁ)関係のネタは笑った。

 

今回もN原君が仙台駅近くの宿を取ってくれたので、稽古の終了後は一度チェックインしてから懇親会へ。

翌日の仕事事情で短時間だけ飲み会参加予定だったT沢さんも、思わず最後まで居てしまった(笑)。懇親会にはA目さんも合流して賑やかに。

 

これで形意拳の武器術の復習も済んだので、今後は生徒の皆さん同士で自主的に練習を重ねて行くという事に決まった。何より何より。

 

さて、参加した皆さんのお陰で今回もつつがなく終了しました。

指導料代わりに会場費や懇親会費、タクシー代の果てまで生徒さんが出してくれました。宿代も殆どN原君が持ってくれました。皆さん、お気遣い有難うございました。

次回(いつになるかは未定ですが)は『ヌンチャクで遊ぶ会』も構想だけは温めています(笑)。また楽しくやりましょう。

参加した皆さん、お疲れ様でした。取りあえず今週の道場でお会いしましょう!

 

 

 
 

8月20日(土)  仙台・拳法(打撃)基礎クラス

今夜の道場には用事で出られなかったので、生徒の皆さんに稽古をお願いした。

S木君、T沢さん、高校生I藤君等が道場に来たとの事。S木君からの報告に高校生I藤君を「小I藤くん」と呼んでいる箇所があり、アイディアに感心した(笑)。これからオッチャンI藤君を“大・I藤君”、若いI藤君を“小・I藤君”と表記する(サイトではね)のも良いかも。

・・・とこれだけでは文章が寂しいので(?)、以下、どーでも良いハナシを一つしてスペースを稼ぐコトにする。

 

 
★昔の住宅と違い、今の住宅は何かとお金が掛かるように出来ている。策略だよなぁ。

例えばお風呂。経年劣化で、風呂の何処かが壊れたとする。が、今はその部品だけを交換する事は難しい。ユニットバスになっちゃってて、不具合があるのは一部でも、風呂を丸ごと取り替えなくちゃならなくなっている。

これは、風呂屋が儲ける為の方法なんだよね。ううむ。

私の住宅もユニットバスになってはいるけど、いずれ修復する時には床を塗って、風呂桶(浴槽)を設置するタイプのお風呂に改造しようかな。

そしたら修理も簡単だし。いずれは井戸を掘って温泉!という野望も持っているので(笑)。
住宅屋の言うとおりに造っていたら、後々までお金が掛かってしょーがないよ、ふんとに。
 

 

 
8月19日(金)  仙台・套路(型)クラス

S島さん、K池君、高校生I藤君、A目さんが稽古に参加。

前半1時間は正宗太極拳・楼膝ヨウ歩の演武用用法を7種ほど練習した。変化も交えれば一つの技でもそれこそ用法は数え切れない位になるが、取りあえず7手程に分類した。同じ技がどの様に使えるのか、演武用(人に見せても良い用法)とはいえ、かなりのヒントになる筈である。

後半は推手と套路を。推手では自身でしっかりと感じる事が必要である。が、つい筋力に頼ってしまい、そこがナカナカ解り難いので交手式からの攻撃を読む練習もして貰った。ま、ゲームみたいで楽しくもある(笑)。

途中、今夜は(今夜は?)雑談も多く、楽しく稽古をし、10時30過ぎに稽古を終了した。尤も、A目さんはその後も残って武器術の復習をしてから帰った様子。

 

 

 
 

今週の雑談/『良くない、カウンセラー』(鬱病について・続き)

カウンセラーやセラピストを名乗る人の中には、精神的に自分の問題点を解決できていない人もいたりして、そういう人の中には「自分が問題を抱えているからこそセラピー(カウンセラー)がやれるんだ」と言う人もいるのです。

なるほど、そういう傾向が無いと確かに人の心や弱さに同調できないかもしれない。心理とその問題に興味も持たないかも知れない。

・・・けれど一寸厳しい言い方をさせて貰うと、「自分が問題を抱えているからカウンセリングが出来る」なんて、それは嘘なんである。

問題点が“あった”のは良いと思います。例えば過去に欝だったりしても良い。それは良いカウンセラーの“元”かも知れない。“解決できた”なら、それは素晴らしいカウンセラーになれるかも知れない。経験があるだけに。

が、自分の問題点を解決できていない、問題だらけの精神状態でカウンセラーなんてしたら、どうなると思います?

自分と同じ病状の人を作ってしまう危険性には気付いた事はないのだろうか?

人を、自分の悩みの土俵に引き入れてしまう危険性はないのだろうか?

それはまるで、精神分裂症状で拝み屋をやってしまう人が、相談者をおかしな世界に巻き込んでしまうのと同じではないか。

 

実に、図々しいとは思わないだろうか。資格を持っているカウンセラーは、キチンとした学府で師に就き、自分もカウンセリングを受けながら学ぶという“苦しみ”を経て初めてカウンセラーとして認められている訳で、そういう人達からしたら「インチキも甚だしい。図々しい」って言われるに決まってないか。

狂人は狂人を作る危険性がある。精神状態に問題がある人がカウンセリングに就いたとして、それは似たような問題を持つ人達の“サル山のボス”になる危険性だってある。その上、似たような人達の集まりだから、直ぐに分裂し、誤解を蔓延する事になる。

前回も述べた様に、こういう人は問題を抱えているだけに、興味を持っていて色々な手段(解決方法)を知っている、が、それらを“知っている”というだけで実際に取り組んではいない人も多い。

真剣に取り組めば、治るかも知れないのだが・・・。

こういう人は自覚がないだけに、怖いのだ。

皆さんは、酷いカウンセラーに左右されませんように。

 

あ、蛇足ですが精神的にトラブルを抱えている人は過剰反応する場合があるので(笑)一応断わっておきますが、私は鬱や精神的トラブルを批判しているのではありません。自覚のない事に注意しなさい、と言っているだけですよ。

 

ところで。

蛇足ではありますが、私は僧侶というのも芸事の専門家みたいなもんだと思っています。仏教という芸の専門家です。

その私から言えば、幼少の頃から霊が見えるだのと言う拝み屋や、専門的な訓練を受けていないカウンセラーなどは、厳しい修行(訓練)をこなせない心の弱い人だから、中途半端な位置にいるのだと見えます。

・・・私が僧侶に向かないと思うタイプは幾つかあります。

向上心のない人。仏教には8万4千の法門があるとされます。悟りには到達できずとも、知らないことを学び、深める努力は必要です。又、幾つになっても他の僧侶に学ぶ機会があれば、その弟子と同じ位置に立って学ばせて頂く気持ちが必要です。「俺は偉い、これで良いのだ」では直ぐに時代にも現実にも付いていけなくなるでしょう。

オカルト傾向が強かったり、迷信深い人。これがダメな理由は以前、既に述べました。

つまり、冷静な意識を持った人でないとどうもいかんなぁ、と思いますね。

 

 
 

 

今週の本

8月15日/藤原英司著・『世界の自然を守る』。
WWF関係者の書いた自然保護活動の内容。自然保護活動について具体的な苦労が興味深い。
自然保護は立派な活動とは思うが、個人的には誰も環境に手を掛けていない“自然”の流れの中で絶滅して行く動植物を、人為的に環境をいじってまで行なう事には疑問はあるが、自然破壊や毛皮など人間の欲得による絶滅は矢張り厳しく規制さるべきだろう。尤も、後者はその殆どが西洋人による環境破壊や絶滅みたいだが。
ありていに言ってしまえば、私は毛皮だの皮革製品だのを好んで身につける人の精神を疑うのである。第一、皮のジャンパーだの、あんな臭いモノを着ている奴の気が知れない(笑)。

 

8月17日/鳥山喜一著・『中国小史・黄河の水』。
最近どうも刊行の古い本ばかり読んでいる(笑)。何も狙ってる訳じゃないんだけど。
中国文明の曙から、大戦後、中国共産党が成立するまで。その長い歴史を良くこの一冊に纏めたものだわ。
この本は『少年少女向け』として書かれたらしいが、それだけに解りやすいし、とても面白い。・・・ま、私には少年向けの内容位で丁度(脳ミソに)合ってるのかも知れません(笑)。

 

 

【形意四大兵器・練習会】

会場手配で手間取った様でギリギリになりましたが、予定通り、8月21日、仙台で“形意4大兵器・復習会”を行ないます。

練習会場/宮城野区コミュニティー・センター(大広間) 宮城野区萩野町2-13-10 午後1~5時

稽古後、場所を移動して懇親会。

費用/実費(経費を参加者で割る感じ)。但し休会中の方や準門下生の方、門下生以外の方は別途参加費が必要です。

持ち物/棍、中国刀(無ければ木刀で代用可)、槍(棒で代用可)、中国剣など。

 

この類のサイトをご覧の型ならご存知の通り、中国武術の4大兵器とは棍(棒)、刀、槍、剣の4種類を指します。

この4種の武器の型(套路)を特に形意拳の物に絞って憶えちゃおう、という練習会です。

今回は約4時間の練習時間で4種類を一気に行ないますが、一種類に絞って学ぶのも可です。

初めて武器術を経験する方には少し慌ただしい感じがするかと思いますが、興味があれば気軽にご参加下さい。

 

 

 

 8月13日(土)  仙台・拳法(打撃)基礎クラス

I藤君、T沢さん、T沢ジュニア君、高校生I藤君が稽古に参加した。

私が道場に着いたのは7時40分頃。既に到着していた人達は套路を復習しており、折角なので細かい動作等を指導した。

8時、稽古開始。

①準備体操
②基本各種。防禦、手技、蹴り技などいつも通り揃って行ない、その中でも皆が上手く出来ていない物は標的を利用して正確に身につける練習を。“何処で、何処に当てるのか”を意識して行なわないと、悪い癖は直りませんから意識的に行ないましょう。

 ③防禦練習・反応訓練。いつもの練習+私が子供の頃にやらされた防禦練習を。昔の練習法ってのもナカナカ上手く出来ている。現代の理論に基づいた練習ではないけれど、一つの練習で幾つもの要素を身につける事が出来たりする。・・・一見、非合理で「もっと簡便な練習法が有るじゃないか!」と思ってしまいやすいが。

④外家拳テクニック。②の練習で多目に時間を使ったので、基礎的な数種とその変化、又、感覚を高めて内容を深める事なども稽古。ついでにファーストアタックでの目突きの練習も数種類。

⑤スパーリング。いつもの何でも有りスパーを総当りでやった後、顔面・金的・掴み・投げ無しルールのスパーを軽く行なって、10時過ぎに今夜の稽古を終了。

 

 
 
★さて、今日からお盆です。

お盆に有縁・無縁の精霊を供養する事は自分のルーツに感謝する事でもあり、その功徳は不思議と自身にも還って来るものです。

皆さん、盆休みだからと遊んでばかりいないで、供養もするんですよ(笑)。

自分は何処から来て何処へ往くのか、死なねばならぬ生き物なのにわざわざ生を受けたのは何故なのか? 生きるとは?死ぬとは? を静かに見つめる機会でもあります。

「供養はしたいが寺と付き合いが無くて」という人は、真心を込めれば自分でもある程度は出来るものです。

どうせならプロにちゃんとやって貰いたい、という方は私で良ければやってあげますよ(笑)。・・・あ、供養の証が欲しい、と希望する方は(遠方の方には全部終わってからになるので)郵送するので月末位まで待ってて下さいな。

 

 

 

8月12日(金)  仙台・套路(型)クラス

先週までと比べて、急に日暮れが早くなった感じがした道中。

第2金曜の今夜は前半の1時間、やはら(柔術)を練習。S島さん、高校生I藤君、社会人I藤君が稽古に参加。

 

①大和道(柔術)

基本。

手解き(時間の都合で応用迄は練習せずに基礎を)

初伝・逆投10本と同じく合気技を5本。

ここで前半部終了。

 

②型(套路)練習
後半。S島さんと若いI藤君は専作伝心眼流(初伝7本)の組取を練習。心眼流に慣れている社会人I藤君を相手にムクリ(回転)を数度練習してから、改めて組み練習。楽しかったみたい(?)で、稽古時間のほぼ最後まで組取を練習。

社会人I藤君は築館心眼流の他に八卦掌(老八掌)を練習し、套路の細部を少しずつ修正し、その後、地ショウ拳を復習。

等々で今夜の稽古は10時10分位に終了。雑談をしながら着替えをし、20分頃に道場を出た。今夜も楽しい稽古でした。

 

★S々木さんが国家試験に備え休会する事になったが、実に丁寧な休会届けが届き、忙しくて来られなかった月分の「月謝は現金書留で送る」というので、とても感じ入った。なかなかここ迄出来る人は少ない。
こういうキチンとした人が復会する時には、再入会費なんかは不要にしてあげよう、と思うだけでなく、休会中でも必要であれば細かいコツも教えて上げよう、と思うものですよ(笑)。

 

 

 

今週の雑談
先週A子さんに心配されました、身体についてです。一部の方にご心配お掛けしていますが、体調が良くないのは事実です。

ただ、理由のハッキリしている不調ですし、近しい人達には事情も話してありますので、私の周囲では余り心配している人はないんじゃないでしょうか(笑)。

しかし、ご心配を掛けているのは事実ですので、ちょっと説明させて頂こうと思います。

結論から言えば、肉食をしなくなって少し酷い貧血に陥った様です。ただそれだけですので、ご心配ご無用です。

 

以下は余談を含めて。

日本の僧侶は余り戒を守りませんが(これは日本特有の仏教歴史が関係していると睨んでいます)、同じ大乗仏教国の中国では結構厳しく(少なくとも人前では)戒を守っているそうです。
が、その戒に厳しい中国でも、武術を稽古する僧侶は肉食をすると聞いています。

 

私も去年1月から肉食をしなくなったのですが、それは戒を遵守しようとの思いというよりは、自然と肉が気持ち悪くなって口にしたくなくなった感じです。

で、その後10ヶ月程経つと、爪がスプーン状に反ったり、耳鳴りがしたり、一寸動くと胸が痛んで呼吸が荒れたり・・・と貧血の症状が酷く出るようになりました。無論、体力もなくなりました。

身体を動かさない坊さんであれば完全菜食でも大丈夫なのかも知れませんが、武術を稽古してもいる私の身体は維持できないようです。勿論、体質的なタチもあるのでしょう。

な訳で、中国でも武術修行をする坊さんが肉食する理由が分かった気がしています(笑)。

 

さて、理由が解ったのですから、肉を食べるようにすれば良いのでしょうが、やはり抵抗感があります。

しかし、余りに症状の酷くなったこの数ヶ月は、ギョーザや、ラーメン位は何とか口にするよう、努めるようにし始めました。

ですが、その程度では不足のようです。何か良い方法はないでしょうか?(プロテインとか矢鱈とお金のかかる方法ではなく)
 

で、薬局で鉄剤を購入して飲み始めてみました。調べてみると、効果が出るまでは結構長い期間かかるようですが、継続し、試してみようと思っています。

「病院に行かないの?」と何人かに言われましたが、貧血だとしたら結局鉄剤を処方されるだけですし、病院で薬を処方して貰って医者にマージンが入るのも嫌なので、これで暫く様子をみてみます(笑)。

(「大きな病気だったらどーすんの?」とも言われますが、病院に掛かった所で見逃されてしまう病気も少なくないですし、そりゃしょうがないですよ)

皆さんご心配をおかけしていますが、そんな感じなので余り心配しないで下さい。心配するだけバカバカしいですよ。
 

それ以上の症状が出ている訳ではないので、皆さんは気にせず稽古に取り組んで下さい。しんどい時には無理せず練習の輪から外れますから。

スパーリングも前のようにやりたいのですが・・・やっていないと急な動きの時に足がもつれたり、動きが崩れたりするものなので(笑)。ただ、スパーの様な、早い展開の中で何分間も動き続ける、ってのは無理そうです。・・・最初の2~3合で倒しちゃうってんならこの身体の状態でも問題なくやれますが、それじゃースパーリングでなくケンカですからね(笑)。

 

ま、その様な訳で、体力の落ちている今、“出来るだけ早くハードな拳法は教えてしまおう”と考えまして、弟子の中で希望者には地堂拳(転がったり跳ねたりして戦う拳法。酔っ払い動作のない酔拳みたいなモノ)なども教え始めています。

一気に教えてしまうとどーしても不正確な憶え方になるので、正確さを期す為に、機会ある毎に少しずつ套路を教えているのですが、どうも弟子も1週経つと動作が不正確になっちまったり、細部が上手く出来なかったりしてナカナカ予定通りに進む事が出来ずにいます。・・・酔拳だの地堂拳だのといった地面を転がるモノは、どーしても外では練習し辛い上に、屋内でも広いスペースがないと思うように出来ないので、復習し辛いというのも分からなくはないのですが(笑)。

ええ、私も若い頃、河川敷で酔拳を練習したら、犬のクソまみれになった、ってな余りにも悲痛な出来事がありましたから。
 

以上、報告でした。

 

 

 
 
今週の読書

『日本仏教の再生を求めて』。本書は末期ガン患者で闘病中の高瀬広居という人が書いた本。以前『ブッダの泉』という本も読んだが、正直余り関心はしなかった。

さて、この本は世の中の狂乱振りへの批判から入るのだが、これが“ガンである自分が世間を恨んでいる”様に感じられてしまった。自身が末期の身になって初めて、そんな視点を得たのだとしたら(真宗寺院の生まれとしては)、気の毒ながら遅過ぎる気もする。尤も、病身の身になってこそ、遠慮せずに世を批判できる立ち位置になった、のなら別だが。

全体に極論で、片一方からの見方しかしていない感じもする。いや、その極論っぷりが面白いのかも。なので、それはそれで良しとして、こんな感情的(としか思えない)本を出して良いのかしらん?(笑) 又、少々記述に不正確さもある気がするのですが、もしかして意図的?(笑) 

この本は結局の所、執筆者が個人的に気に入らない事を書き散らしただけの印象を受けます。「提言」とか名をつけて(笑)。だからこそ面白いっちゃ、面白いのかも。

この方、真宗寺院の生まれとは云えどマスコミの中で人生を送っただけありますね、批判するだけで、さてご自身は?

全体的に少しだけ考えが足りないと思う・・・ったなコトを、このサイトで散々っぱら駄文を書き散らして来たワタクシが語る資格は、ないのであります。どう?オチついた?(笑)
 
以前にも述べましたけど、出来上がっているものには先人達の苦労があるんですよ。批判なら私みたいなバカにも出来ますもん。
 

 

 

8月6日(土)  仙台・拳法(打撃)基礎クラス

広島原爆の日なんだなぁ・・・日常にかまけてつい忘れてしまっている。大切な大切な日だよな。

 

今夜はオッチャンI藤君と高校生I藤君とが稽古に参加。

私が道場に入った時にオッチャンI君は形意拳を自習していたので、拳の当て位置と作りを指導した。早く身につけてくれると嬉しいんだが、力加減に少しコツが要るので結局は自得するしかなく、一寸ばかし時間はかかる人が多い。

 8時からクラス開始。

①準備体操 ②基本・各種 ③防禦練習 ④外家拳テクニック類 ⑤柔術 ⑥スパーリング。

入会して1年が過ぎる高校生I君だが、慣れて来た様で③④⑥の練習時に横からアドバイスすると、なかなか良い動きが出来る様になって来た。素直な所が良いのだろう。・・・後はそれをしっかり頭に入れて身につけられるかが問題であるが(笑)。

オッチャンI藤君が、若いI藤君の相手をしていて楽しそうになったのも、若者I藤君が上手くなったからこそ。

ってな感じの稽古で、10時頃に終了。お疲れ様でした。又来週。

 

あ、そうそう。久々に『初心門下生』を追記してみました。半分冗談みたいなネタですけどね。

 

 

★小中の義務教育で2020年(?)から更に英語教育が盛んになるそうですな。これで又、伝統的な日本語が通じなくなる若者が増えるって事ですわな。ご苦労なこっちゃ。

素朴な疑問なんだけどもよ、俺、修行山から帰って以来、国内で英語を喋る機会なんてなかったぞ。これからも無いだろ。

台湾やミャンマーの下町では英語は通じなかったぞ。かえって日本語のほうが通じたもんだ。

英語、そんなに全日本国民に必要なんか? これを読んでる皆はどうなん? 国内におって英語喋れんと物凄く難儀した事、あるかい?

 

 

 

8月5日(金)  仙台・套路(型)クラス

今夜はS島さん、高校生I君が稽古に参加した。参加者がやけに少なかったのは、もしかして『もののけ姫』観てたからぢゃねーだろーなぁ、オメーら?(笑)

 

今夜の前半は中国武術の基本的な対錬を練習。

基本功の後、相手の突き蹴り足払いを捌く対錬。穿掌の対錬。攻防型。截脚などを練習(他にも練習しているが大っぴらにしたくない物=つまりそれを書くと詳しい説明をしなきゃならないので省略です)した。

 

後半は套路。S島さんは老八掌を、I君は正宗太極拳を練習した。

S島さんの老八掌は細部も少しずつ修正を入れ始めた。竜形と混ざるので、区別して練習出来る様に。…例えば陳式太極拳でも系統により違いがあるのと同じなので、そこは混雑の無いように気を付けて身に付けねばならないのです。

I君の太極拳は套路を何動作か進んだ。

 

套路練習の途中、久々にA子さんがジュースとビールの差し入れを持って顔を出してくれた。彼女も正宗太極拳をちょっと復習したりしながら、雑談も。

A子さんには身体を心配されました。機会あれば次週以降の『雑談』にでも書いておきます。所詮は“酷い貧血”というだけの話でして、余り気遣われても困るので(笑)。

 

そんなこんなで10時に今夜は稽古を終了。

昨日位から宮城も気温が上がり、一同汗だくの稽古でした。

 

 

★ところで。東京五輪の追加種目も決まったんですね。「楽しみが増えたわい」って方も居られるでしょうね。

ところで(あ、「ところで」が重なっちゃった)、空手っていつからあんなにギャーギャー叫ぶようになってるんでしょうか? 無理に“気迫”を“作っている”感じがしてしまいます。

昔の空手家は風格があった気がします。その人物が有している“人としての迫力”があった感があるのですが、今の人はその“人間の迫力”がないから無理に作らなくちゃならない、って事なのでしょうか。全体にアッピールが行き過ぎている感じがするのは、私だけでしょうか? 少し疑問です。

因みに一般の方からすれば、どの武道も格闘技も同じでしょうが、私ン所の拳法はヤーヤー言って見栄は切りませんので、ご安心下さい。

・・・あ、心眼流は日本武道ですから多少の気合(掛け声)は必要ですけども(笑)。

 

 

 

今週の雑談・『他派出身者の型は変えないんですよ』

当会の(あくまで「当会の」でっせ)正宗太極拳は“流さず”練習します。

なので一般的に“太極拳”をやっている方々からしたら、硬いとか、止まっているという感じに見えるかも知れません。

ですが、太極拳の套路(型)は一通り流してOK!のモノではないのです。

一つ一つの動作で、力みや、使っている筋肉、重心の在りかなどのチェックが必要です。でないと武術的に意味のある太極拳にはなりにくいのです。

正宗太極拳でも「一つの動作の終わりが次の動作の始まり」とは言われますが、私の考え方では、それは年期を積んでそうなるという事で、初心の段階から踊りの様な套路を目指すという意味ではないのです。

 

ついでに申し上げておくと、私は、他教室で学んで来た人の套路(型)はいじりません(当会の型に修正しない)。

例えば、“正宗太極拳”といっても、幾つもの教室があり、同系統の教室(例えば支部)であっても型が異なる訳です。

で、当道場にも現在、他教室で正宗太極拳を学んで来た方が数名いますが、以前習った型は変えなくて良いと言っています。

何故か? 幾つか理由はありますが、先ず、憶え直すのは結構大変な作業なんである。特に太極拳は套路が長いので、折角憶えたものを変えるのは大変です(笑)。

なので、既に他会で練習してきた方の場合は(極端なハナシ、それがどんなに劣化した型でも)型をいじるのではなく、対錬や推手、用法練習などで“核となる部分”を身につけて貰う方向で教えているのです。

変える必要のある箇所は、そういった核を身につける中で自然に変わっていくものですよ。

何でも“型をいじれば良い”ってものではない、ってワケっしゃ(笑)。

(尤も、道場で習った時だけでなく、普段から練習して頂かないと身につきませんけども)

 

それと、これはその人のタイプにもよりますが、上達する手段の一つとして、全く別の身体の使い方をする拳法を教えるのも、比較の中で前に学んだ套路(拳法)の理解が深まったりの効果があったりしますよ(これは夫々の能力やタイプによるので誰にでも勧める訳ではないですけども)。

 

ただ、並習が難しい物もあります。よほど注意してやらないと、混乱してしまう物が。

例えば、長く柔道をおやりになられた方は(よほど切り替えの上手い方でない限り)中国拳法的打が出来ないようです。

柔道の身体(筋肉)の使い方は、矢張り同じ日本武道である空手とは親和性があるように思われます。

登米系の心眼流でも、築館心眼流の動き(身体使い)は空手と別(異なる)でしたが、師範が若い頃に空手や柔道もやっていた南方心眼流では矢張り空手と親和性があるようです。

 

ま、そんなワケでして、私はその辺りを踏まえて、その方のタイプに応じて、別の武術や道場を勧める事もあります。

といった理由ですんで、別に“その方の人物が嫌いだから他所を紹介した”というのではなく、親切でそうしているのですから、安心してアドバイスを聞いて下さい(笑)。

 

 

 

今週の本

詫摩武俊著・『性格はいかにつくられるか』という、1967年初版の古い本を読む(笑)。

性格の作られ方には遺伝的要素と環境的要素が考えられるが、双子(一卵性・二卵性)の研究などが興味深い。

 

 

 

7月29日(金) 仙台・套路(型)クラス

今夜の稽古にはS島さん、K池君、M子さん、A目さんが参加。

いつもなら築館心眼流の棒術や剣術(型ではない)を練習し、後半はナイフ術で遊ぶ第5金曜だが、今夜のメンバーの中には九鬼神流棒術や専作伝武器術の型を覚え切っていない人もいるので、そちらを練習する事にした。同時進行でアレもコレも手を付けますと混乱して、虻蜂取らずになってしまいますからね(笑)。

という訳で、10時まで棒術を中心に稽古。参加した皆さんは一通り、型の手順は記憶出来た(かな?)様子。

 

10時からはM子さん、K池君の昇級審査を実施。

いつもの審査通り、修正点や今後の課題等の講評をし、10時40分頃に道場の明かりを消しました。

皆さん、今夜も遅くまでお疲れ様でした。また来週。

 

 

 

今週の雑談 『葬儀社も大変だねぇ』

 葬儀社がしている“工夫”を聞いて驚いた。所によっては香(焼香・線香)の匂いが外に漏れない様な器具を設置したり、葬儀車が外から見えないように駐車場を地下室にしたり、建物の外観をお洒落な感じに工夫したり・・・と地域住民に異様に配慮して造っている所もあるそうな。

建築場所にも難しさがあるようで、地域住民と揉めるらしい。確かに「病院の真ん前に葬儀社が建つ」となれば反対する人の気持ちは解らないでもない。ま、私なら気にしないけどな。

「不吉だ」という事なんだろうな。

(石巻はまだそんな事が少ないのかな? 病院と葬儀社は近くに建ってるぞ。って、震災後土地が減ったから背に腹は変えられず、って感じかも知らんが(笑)

それにしても・・・そんなに死を自分と離しておきたいのだろうか。自分とは無関係のものとしておきたいのだろうか。

自分は牛やら豚やら殺して「美味い美味い」と食っているくせに、自分は死なないとでも思っているのだろうか?(笑)

いっそ指差して言ってやりたいね、「そう遠くない未来にお前も死ぬんだ」ってさ。

 

ま、保育所を建設するにも地域住民が反対するご時勢だ。葬儀社はおろか、何でも嫌がるだろう。

(公園を潰して保育所建設すると他の子供が困るといった難しい問題を抱えている場合の意見対立は止むを得ないとして、「ここに建設されたら子供の声でうるさい」等といった意見を「てめぇ勝手な」と私は言ってるんである)

葬儀社はどうあれ、子供は宝じゃないか。保育所や幼稚園の建設は我慢したれよ、長年生きてんだからよ、少しぐれぇは“我慢”、”人の利益の為に譲る”って事も出来るんぢゃねぇのか?

でなきゃ年だけ食ってて、せっかく生きて来た学びがないんじゃねーのか?

 

おっと、アタクシとした事が言葉が荒れちゃったわ。ええ、これはオフレコで。(笑)

 

 

今週の読書
ダニエル・ゴールマン著/『EQ~こころの知能指数』ってのを読む。これ、確か一昔前に日本でも話題にならなかった?
色々な本で読める内容を纏めた・・・って印象でしたが、後半の方、特に子供と教育について等は興味深く読みました。ま、「EQ」だなんて名前をつけて構えなくてもいいんぢゃない?とも思いますが、これは訳者さん側で付けた書名なんですって。なるほど。
書いてある事は人間として実に当たり前の事なんですよね。だけど、この“人として極く当たり前”の事ってのが、ナカナカ難しい。特にアタシの様にゴーマンで我侭自分勝手に生きてる者には反省しきりです(笑)。

 

 

 

7月23日(土)  仙台・夏の審査会

審査会開催日。受験する生徒中の3名が道場に来た。仕事等の理由で今夜道場に来られなかった人は後日、別口で開催の予定。

何時もだと受験しない人も道場に来て審査と同時進行で稽古はしているのだが、今夜は受験希望者のみだったので静かな雰囲気で審査。皆、いつもより緊張したんじゃなかろうか?(笑)

受験終了後は各自好きな事を練習(復習)した。

1度に3拳種も受験したA目さんは緊張で消耗したようで、顔色が悪くなっていたので、無理に稽古せず身体を休めて貰った。

T沢さんは昨夜練習したヒシギが予想以上に興味深かったのか、I藤君を相手にして復習をしていた。

今夜の審査会に参加した皆さん、お疲れ様でした。

 

次週、29日(金)の道場は通常通り行ないますが、30日(土)は道場休みになります。お間違えないようお願いします。

 

 

★ポケモンのゲーム、実際にやっているらしき若い人達を見て、“ホントにやってる人がいるのね!テレビだけのハナシぢゃないのねぇ”と思いました(笑)。

テレビでも「気をつけなさい」と言いつつも、これがどんなに楽しいかと如何にも強調でもする様に取り上げていますもんね。あれじゃ完全に宣伝ですよね。そんなに危険なら、そんなゲームの存在なんて無視すれば良いのに。・・・あ、もしやスポンサーだから?無視できないってコトかしら。

お金の論理? ・・・金の亡者、嗚呼、くわばらくわばら(笑)。

 

 

 

7月22日(金)  仙台・套路(型)クラス

今夜は大和道関連の武器術の練習日。私より先に来ていたT沢父さんと先ずは九鬼神流棒術から復習開始。

K池君が来たので2人で組んで貰って専作伝心眼流の棒術と剣術(刀)の型を復習。このクラスに出るのが久し振りだったT沢さんは少々苦戦していたようだが、それでも最後にはカッコウがついた。頑張りましたね。

この辺りで今夜から稽古参加のSさんが到着。

ヒシギ術の練習を。基本的な扱いと、技を練習。最初は2~3本の技だけにしようと思っていたのだが、皆さん余りに楽しそうにやっていたのでもう少し本数を足して練習した。

後半は素手(徒手)の型を練習し、10時20分頃に今夜の稽古を終了。

 

先々週見学に来たSさんが今日から一緒に稽古する事になりました。聞けばSさん、数年前に短期間ではあるけれど駅近くの道場で大和道を学んだ経験があるそう。仙台には私の知らない同系の道場があるんだねぇ・・・と感慨が深いですね(笑)。

という訳で、今夜道場に来られなかった皆さん、これから宜しくです。

 

専作伝心眼流の棒術・剣術(刀)を練習している訳ですから、皆さん専作伝の素手型も学び身につけて行きましょう。

専作伝は登米系の心眼流と違って本数(技数)も少ない上、中国拳法とも比較的並習可能です。

登米の心眼流では、先ず一気に21~28本の技(型)を憶え、その上で次の技に進んで行きますから、いきなりハードルが高いのですが(笑)、専作伝では7本ずつ進んで行けるので少しの努力で無理なく憶えられる筈です。(無論、築館や南方の心眼流を好んで稽古している人には無理強いしません)

先ず初伝技の7本の型を憶えたら、2人組みで行なう組取も良く練習して行きましょう。

 

 

今週の雑談・『坊主らしくない?』

「今の坊主は坊主らしくない、昔の坊主を見習え」とのハナシは人々のクチから時々出るけれど、現代日本で、野山や草庵に住んで托鉢とパトロンに頼って生きるなんて出来っこないっつうの(笑)。

坊主だって各種の税金を払わなきゃならんし(坊さんが無税ってのは嘘ですよ)、勝手に山や河川敷に掘っ立て小屋建てて住む訳にはイカン(そこが個人所有地で地主が許可してくれる場合は可能だろうが、市有地だの国有地で許可が降りる訳がねーだろうが)。

やれるんならそういう生き方したい坊主ってのは沢山いますよ、実は。私だってそうだ。だが、結局何だかんだ言っても、規制だらけで、坊主だって結局は自営業的な生活にならざるを得ないってのが現実なんだから。

坊主の保険証を見てみろ、国民健康保険なんだから。

とか書いてる内に段々腹が立って来たぞ(笑)、知りもしねぇクセに言ってんじゃねえよ。ボンクラがっ!こんチクショー!(笑)

よし、むかっ腹ついでに、もう少し言ってやろう(笑)。

 

「(仏教の)僧侶は無一物で生産・売買に一切関わらず、托鉢のみで生きるのが本当だ。なのに日本や中国の坊主は祈祷をしたり、占いをしたり、葬儀をしたりする。これは仏教の弟子として間違いである。それに、禅宗では自分で野菜を作っているのは大誤りだ」という人もいる。うむ、確かに間違いなくお釈迦さんが説いた仏教の原点的にはそうである。

が、この日本で、いたずらに徒食している者の存在を許すか?

もともと日本人は勤勉な性質で「働かざるもの食うべからず」と言って来た。例え、親の金で働かなくとも食えるニートだって、「無職」と指差されて世間からは許されないだろう?

僧侶も食わずに餓死する訳には行かない。僧侶は生活の糧を得る方法として祈願、供養、相談、占いなどに携わる文化を築き上げて来たのだ。それが“僧侶の仕事”となり、世間に受け入れられて来たのだ。

 

国家に食わせて貰う引き換えに国家安泰を祈り、天皇の健康長寿を祈願し、経典を学習した。それが日本最初期の僧侶である。だから僧侶になれる人数も国家から決められていた。

明治期、寺院から荘園を取り上げた(その代わりに宗教法人法が出来たのだ)。では、僧侶たちは食い扶持を失い飢えねばなかったのか? やはり僧侶は“僧侶らしい範疇での仕事”をせねばならなかっただろう?

その国ごとに文化がある。インドのやり方がそのまま他国で通用するとは限らんのだ。そこまで理解して発言しているのか?おう、どーなんだよ、テメーら。

何事も、出来上がっているものを批判するのは簡単だ、という事だぞ。

 

おやおや、私とした事が一寸愚痴っぽくなっちまったか。失敬。・・・いや、謝らんぞ!(笑)

 

 

今週の読書
7月22日(金) 亀村五郎・『子どもの読書』を読む。
出版の古い本だが、今の時代にも示唆に富むのではないか?と感じる本。本書後半の『子供にすすめたい100冊の本』は執筆年代が古いだけに昔の本が多いが、良い本は何世代経っても良い本なんであろうから(笑)。

 

 

 

7月16日(土)  仙台・拳法(打撃)基礎クラス
今夜は事情で道場を休ませて貰ったが、I藤君やS木君、T沢さんなどが中心になって稽古をしてくれるので本当に有難い。
昇級審査会の一週前なので、審査に備えた練習をしたいとの事だった。審査に向けた練習であれば尚更、私が指導するよりも先輩後輩で教え合って準備をするのが適当だろう。うむ、素晴らしい事である。私がとある道場で習っていた頃、そこの先生が門下生同士の個人的交流を好まなかったので、その道場で一緒に稽古した仲間とは一切交流がない。それは少し寂しいと思っているので、私の生徒達が仲良くやってくれるのは事実嬉しいものがある。
同じ事の繰り返しになるが、同じ趣味で知り合った人達とは年齢、職業を超えて助け合える良い関係が出来るものだ。大切にして欲しいものである。

 

★入会した方から「月謝はいつ払えば良いですか?」と聞かれる事が多いので、ここで書いておきます。
月初めでも、月中でも、月末でも、いつでも結構です。給料日等の各自の都合があるでしょうから(笑)、そこは楽なようにやって下さい。
中には2~3ヶ月分、まとめて持ってくる人もいますから。ただ、まとめ払いは構いませんが、たまり過ぎて自身が大変でない様にご注意を(笑)。
ま、たかだか月5000円程の月謝です。負担のないよう各自遣り繰りして下さい。
「月額5000円は払えない。高い」というタイプの人は、芸事よりも先ずは生活を確立させる事が必要です。

 

 

 

7月15日(金)  仙台・套路(型)クラス
今夜の道場にはS島さん、H君、M子さん、A目さんが参加した。
基本功、幾つかの套路を皆で行ない、九鬼神流の棒術も稽古し、後半は各自中国拳法や棒術などを練習した。
久し振りに皆とビールなぞ飲みながら練習し、A目さんとは遅くまで飲んでしまった(笑)。A目さんには飲みながら、喧嘩で一発で倒すコツや、専作伝心眼流の1本目を教えたり、寝技合戦をやってみたりした。

 

★たまーに居るんだが、“武術とワタシ”だとか、“武術への取り組み方”だとか、“私のとっての上達論”だとか、そんなコトをゴタゴタ考えて行き詰まっている人ほど、稽古量が足りない。
そういった悩みには「武術が武術を悩むか?」といった一寸ヒネッた答え方(指導方法)もあって、私個人的にはそんな回答方式は好きなんだが(笑)、実はそんな事すら(そんな迷ってる様な低レベルで)考えるのは無駄なんである。そういうタイプの人には言ったって理解できないのだから(笑)。答えが出るまで稽古する。出来るようになったら、理屈や理論も解り出す。
“上達の魔法”なんてーものは無いのだ。
稽古する。これが「解答」である。

 

 

7月10日
今日は選挙年齢が引き下げられて初めての参院選でした。
未成年が選挙に興味がないのは当たり前。
自分で働くからこそ“税金ってこんなに取られんのか”、“生きてるだけでこんなに金がかかるのか”…って実感するもんだし、“こんな思いして払ってる税金の使われ方に意見を言わねば!”と感じなきゃ、選挙なんか興味ないのが当たり前だよ(笑)。
親に食わせてもらっている者に選挙権を与えたって、多くが“遊びの延長”でしかねえさぁ(笑)。それを「選挙に行かないのはアホだ」とか言う方がアホだ(笑)。
あ、勿論私は行ったよ(笑)。

 

私の友人で、全く仏教や哲学的思考に興味が持てず、説明しても全く理解できないのが一人いた(断っておくけど押し付けたりはしていないぞ。あくまで聞かれるから説明するんだから)が、親族の死に接してから「死後ってどうなるのか?」「仏前にある物の意味は何なのか?」など初めて興味を持ったようで色々と本気で質問してくる様になった。
が、「初七日には不動明王に会って二七日には釈迦如来に会って…」という真偽の定かでない俗信めいた物に一番興味を持っているのが、もう少しな感じだが(笑)。思想よりも信仰から入れるタイプの人だったのかも知れない。
そんな彼女は今、手塚治虫の『ブッダ』を読んでいる(笑)。

 

 

今週の雑談・『套路の多少』
今回は久々、武術の話題。

いきなり個人的な事だが(笑)、私も昔は様々な套路を学べる機会が楽しくて仕方なかったのだが、今では套路数は少なくて良い、と感じる様になった。
例えば1つか2つの套路が有ったとして、それをやり込めば、その派の動きは身に付ける事が出来る。←勿論、指導者が良くて学生にも才能があれば、だが。

しかし実際には、「甲という套路でAという技を、乙という套路でBという技を学ぶ・・・」といった伝承方法もある事だし、その場合、その套路を作った先人は、
「これ迄当流に伝わっている套路の中には○○という技や動作が無かったから、それを含んだ套路を新たに作ってやるべ!」
と善意でこしらえたのだろうが(笑)、もしもそれが私だったとしたなら、套路を増やさずに、その技は単式で学ばせる。
套路数を多くするよりも、套路数は少なく、実戦用法を多く稽古させるのが結果が早いからだ。

因みに古い武術には套路は無く、単式だけだったと聞いた事がある。正誤は解らないが確かに、そう考えるのが妥当だろう。
「数多い套路を教えていれば、それだけ長年月弟子にしておく事が出来る上、実戦法を教えて弟子に実力的に追い越されるという事も無い。套路数が多いというのは師匠の生計の為の方策である」
というクチの悪い意見を昔どこかで読んだ(?)記憶があって、それは流石に言い過ぎだろうが(笑)、“効率的な指導とは何か”という観点から見れば、あながち違ってはいないとも思う。

一寸思い出した話があるので脱線するが(笑)、ヨーガも元来は悟りを開く為の行法(日本風に云えば座禅)であって、本来的な意味であればアクロバティックな姿勢は必要ないと言える。
だのに多種多様の姿勢や高難度のポーズが有るのは、師匠が弟子をいつまでも弟子のままで居させておく為だ、とハッキリ言うヨーガ指導者もいる。
難易度の高いヨーガのポーズや武術の套路には、それなりの得る物があるので全く不要物だとは言わないが、真の目的は何か?という事は問うべきである。

という訳で、套路は少な目に最低限の物だけやり込めば良いし、後は実用の為の練習を多く積む事である。
・・・とは言え、何事にも飽き易いタイプの人は数多い套路を次々教わるという方法が良いかも知れない。・・・って、元来飽き易い人は芸事なんかやるべきでは無いのだが。
とか言っちゃったら身も蓋もありませんかね?(笑)

 

 

7月9日(土)  仙台・拳法(打撃)基礎クラス

S木君、高校生I藤君、オッチャンI藤君(笑)が今夜の道場に参加した。

今、「I藤君」が2人いるので、どっちか呼び方を変えないとヤヤコシいか? 「I藤君」と声を掛けると2人共、「はい?」とこっちを向くからね(笑)。

 

さて冗談は兎も角、今夜の稽古も規定のメニューで2時間の稽古。

①準備体操 ②基本・各種 ③防禦練習 ④外家拳技術 ⑤歩法 ⑥約束組手 ⑦スパーリング

高校生I君も先輩相手のスパーリングで色々な事を学んでいる最中。

稽古開始前の時間帯にはI藤君(オッサンの)から希望があった地ショウ拳の套路を教え始めた。結構細かい所がややこしいので、一気に進まず少しずつ。でないと雑になってしまいやすいからね。

 

★午前、何気なく見ていたNHK教育で子供向け(?)のダンスレッスン番組が始まった。番組内で、ラジオ体操のお姉さんに椅子用のダンスを相談しながら作り上げるコーナーがあり、ラジオ体操のお姉さんがやるヒップホップは美し過ぎて感激した。対してヒップホップダンサーのやるラジオ体操は「だらしない」としか感じられないものだった。専門が異なるとそれだけ動きが違うのだろう。
私は身体を動かす事には興味があるのでダンスも好きなのだが(自分ではやらないよ)、実はヒップホップというダンスには意義を見い出せない。勿論、音楽に合わせて身体を動かす楽しさや運動不足解消には効果があるだろうが、それ以上の意義を見付けられないのだ。

 

 

 

7月8日(金)  仙台・套路(型)クラス

高校生I藤君、K池君、見学の方が今夜の道場に参加。

前半約1時間は柔術の稽古。手解き、手解き変化、手解き攻防、体捌き、体捌き技、初伝逆取を3本。

途中、小休止時には柔術関連の雑談なども。

 

後半は中国武術の套路。

見学の方はK池君について貰い、八卦掌(老八掌)の1掌や基本、少林拳の基礎套路(連環拳)、形意拳(ヘキ拳)などを体験して頂いた。

高校生I君は主に正宗太極拳を練習。前回まで覚えた所を復習し、数手進んだ。

10時頃に今夜の道場を終了。

 

先週知人に不幸があって道場を休んで渡せなかった(ヒシギ用の)ハンマーの柄を、K池君にも渡す事が出来た。ヒシギって武器は最も安価で手にする事が出来、稽古さえすれば実に信頼度の高い技術でもあるので、良いかも知れないぞ!とこの頃思っている(笑)。

 

今夜も道場、お疲れ様でした。

 

 

★前谷地駅の近く、線路沿いの墓碑集合地を見つけた。人の墓碑かと思っていたが馬の供養碑などで馬頭観音さんの碑など多く、中央の石碑は『出征馬』の無事を祈る物だったりした。
育てた人にとって馬の命も人と同じように感じられるのだろう。徴収された馬の戦地無事を祈る、当時の人達の気持ちを考えると感慨深い。
ただその碑、今は恐らく拝まれてはいないのだろう、寂れている気配が残念である。

 

 

今週の雑談・『葬儀不要論?』

「葬儀が不要」という意見をだいぶ耳にするようになりました。

これは個人の選択肢が増えた、という事なので良いと思います。

葬儀をしたい人はすれば良いし、不要だと思う人はしなきゃ良い、というだけですから。

選ぶ自由がある、というのは良い事だと思いますよ。

 

ま、以前にも述べました様に、「葬儀は不要」と言う人は葬儀一切にかかる高額の費用に不満がある、納得出来ないという事のようですね。

安ければやって欲しい、というのが本音の様で。本音を言えば、死とはどういったものか?死後どうなるか?は怖いのでしょうからね。

悟っていて「葬儀不要」と言えている人には(今のところ)お会いした事がありませんから。

 

私も、高額のかかる葬儀には反対です。

第一、仏法のブの字も知らない素人に長いご立派な戒名なんて不要です。ご立派過ぎる名前なんか貰っちゃあ、荷が重いんじゃありません?(笑)

 

でもね、私のしがない経験からだけでも、葬儀自体が不要とは思えません。

世の中、ちょっと不思議な事、人間の理解の範囲を超えた事ってありますよ、間違いなく。

葬儀はやった方が良い。やれるなら。

 

葬儀のスタイルが現在の様になったのは別としても、葬儀そのものは遥か昔から行なわれて来たものです。

遥か古来から現代まで続いて来た、という事は、「これはやった方が良い」と感じて来た人達が沢山いたという事です。

不要な事であれば、現代まで続いて来て残っている訳がないのです。とっくに淘汰・消滅しています。人は無意味な事をずっと続けて行くほど愚かではないものです。

 

武術の稽古と同じですよ。役に立たない練習方法が残って来る訳がないのです。実際に戦うのが武術なのですから、効果の無い・無意味な練習方法は淘汰されます。

生き死にに直接関わって来るんですからね、不要な練習に時間を割いてる暇なんてないですから。

それと同じです。葬儀も供養も、「こりゃーやった方が良いや」と思うから、ずっーと続いて来た訳です。

 

あ、そうだ。「葬儀はお金が掛かる」って言いますけどね、実は、葬儀社を頼まなければ葬儀は随分安価で出来るんです。

勿論、祭壇の設置、火葬場の手配、役所への届けなど、自分達でやる事になるので大変ではありますけどね。

やってみれば「葬儀社が随分お金を取ってるんだ」って事が解る筈ですよ。坊さんなんてそれ程頂いてないもんです(笑)。

だのに憎まれるのは坊主。ああナントも。ま、中にはとんでもない坊さんもいるからね。しゃーないかぁ(苦笑)。

 

 

 

7月2日(土)  仙台教室・拳法(打撃)基礎クラス

今夜はT沢(父)さん、高校生I藤君、オッサンのI藤君(笑)が道場に来た。

準備体操、各種基本、防禦練習、外家権技術、約束組手、スパーリングで二時間の稽古。防禦練習を3名(2対1)で行なったのが楽しかった様子。一対一ばかりで稽古しているのとは別の目や意識の使い方を学ぶ事が出来るので、一対一の練習に慣れたらお勧めします。

10時の稽古終了後、T沢さんはオッサンI藤君に単・連攻防を教わり、復習してから帰宅。

お疲れ様でした。

 

今月23日(土)に“夏の昇級審査会”を開催します。受験希望者には申し込み用紙を渡しますので、早目に申し出て下さい。

当日、審査を受けない人は通常通り土曜クラスの稽古を行ないます。

又、31日の第5土曜は道場休みの予定です。

 

 

 

7月1日(金)  仙台教室・套路(型)クラス

友人のご尊父が亡くなり、そのご供養に伺ったついでに葬儀の事など色々とご相談を受けたので、道場に行けなかった。

K池君に連絡を入れて、彼に今夜の道場をお願いした。

彼の報告によると、参加したのはS島さん、高校生I藤君、A目さん、M子さんとK池君で、対錬や套路を練習してくれた様子。

私が不在でもキチンと稽古をしてくれる人達が多いので、安心出来る。

実際、套路や対錬といった型の手順を学ぶのであれば、生徒達同士で大丈夫である。

 

 

 

今週の雑談

「昔は悪かった」、今の若者言葉でいう「やんちゃしてた」ってタイプの人で武術・武道の名人クラスになる人はそう多くない。少なくとも私の周囲にはいない。何故かいな?

実は根性がないから不良になるのであって、根性がない者に芸事が続く訳がないからだ。根性がなくては“学ぶ事”に耐えられる筈がない(笑)。

自暴自棄でヤケクソが出来るのと、根性が有るのは全く違う。根性がある者は、耐える事が出来る、という事なのだ。

という訳で、不良上がりの名人というのは少ないのだろうな。と私は考えているんだが、君はどう思う?(笑)

 

 

 

今週の読書

6月26日 中村元・『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』を読む。
昭和33年初版発行の古い本も読めばやっぱり発見がある。良い本だからこそ、時代を超えて残るのだろうな。

 

6月30日 渋沢栄一・『孔子 人間、一生の心得』という本を読む。著者は超のつく有名人だそうだが、政治経済に疎い私は存じ上げずお恥ずかしい次第(笑)。
論語の解説書かと思ったら、人生指南の本。ううむ。昔の人は論語だの徹底的に勉強して、自身の生活に活かそうとしたから一本筋が通ってるんだ、と聞いた事がありますが、まさにその世代の方なのでしょう。
論語解説ついでに有名著名人の話題やらご立派なご自分のお話が多い所が、名を成した年寄りのお話を聞いているみたいで微笑ましく味がある(笑)。イマドキ、こういう内容の本はウケないかな。装丁は今風だが、読み出せば直ぐに解る古い本。『解説』によると大正14年発行の本だという。それが形を変えて再版されるってのが凄い。
著者は徳川慶喜に仕えたそうで、近藤勇なんかにも会ってたりするご様子で人物評なんかもしています・・・と聞いたら読んでみたくなるヒトも居たりして?って、私は興味ないんですけどね。

 

 


 

 

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