6月30日(金) 仙台・套路(型)クラス
第5週の金曜は『武器術を楽しむ日』。
今回はS木君(若いから記憶が良い筈)を中心にして、埼玉のY田先生から習った神道流の剣術を復習した。
参加者はS島さん、S木君、高校生I藤君、Hさんの4名と少数だったが、その分一つ一つをじっくりと練習出来た。
後は皆さん、折角なんで忘れない様にしてくれれば(それが最大の問題か?)。
★最近、市販の鉄剤服用を2倍に増やしたら、何だか調子が良い訳でして、お酒を飲みに行く元気も出たりしています(笑)。
先日、1年振り(もっとかな?)で、知っている居酒屋さんに足を延ばしました。
この居酒屋さんは仏教や哲学思想にもご興味があって、私も話していて楽しいのです。
で、「真言宗の〇〇さんは何か質問しても直ぐ『越法罪』と言って教えてくれない。忠経さんは教えてくれる」と、評してくれました。
・・・“越法罪(オッポウザイ)とは、“その資格の無い者に法を伝えた僧は地獄に堕ちる”と言われているもので、確かに
昔から我々真言宗の僧侶間では注意事項として伝わっているのです。
しかし同時に、“法(教え)を求めて来る者に惜しんではならない”とも言われているのです。
私は後者の考え方を採っています。
仏教(私は密教)は、人の人生に役立つ思想です。それを秘匿するのは、僧としては世に貢献出来ていない気がするのです。
どうしても“越法”になりそうだと思うなら、その方(質問者)を得度させるなりの方法を採用して、教えてあげれば良いだけです。
私はその様に考えています。
ま、「越法を真面目に捉えていない不真面目な坊主だ!」と言われるのであれば、私は不真面目なのだと思います(笑)。
6月26日(月) 石巻教室
7時半頃からI藤君と稽古。
前回までで正宗太極拳の套路は洗い終わったので、今回は“力の在り処”を徹底的に練習。
随分疲れた様でした(笑)。
7月の石巻教室は10日・24日になります。
春から個人的に指導を受けるようになり、彼の技量も随分上がりました。
今週の雑談 『前転・後転など、器械体操』
私の道場では、小学生以下の子供には学校で習う前・後転を始めとするマット運動系体操をさせています。
10数年前位の子供さん達から、転がったり、跳ねたりする動作の苦手度が上がっている感じがあるからです。
これが柔道・柔術・合気道の回転系の受身をさせますと、受身に慣れてしまうとマット運動の回転よりはずっと楽な為、
学校での器械体操が正しく出来なくなってしまう子が居るからです(実際にそういう子を見ました)。
さて、本題はここから(笑)。
実は、大人ほどマット運動の様な回転系運動をした方が良いと感じています。
デスクワークでいっつも同じ姿勢をしているとか、身体の片方しか使っていない、などといった理由で
骨格や筋肉が歪み、腰痛だの背中痛だのという症状が出ている人も多いですが、
前転・後転をするだけでも、随分と身体の歪みは修正されるものです。
飛び込み前転、とか、倒立後転などといった難しい動作はしなくても大丈夫です(笑)。
普通の前・後転を、フツーに(正しくね)やって貰うだけでも効果があります。
又、「真っ直ぐ回れない」などという場合は、身体の歪んだ使い方が現われていたりもするので、そんな事も自分で解ります。
ただし、全く運動をして来なかった人が60代や70代になって急に
「でんぐり返りってイイんだってよ!」と、挑戦するのはオススメできません(笑)。
骨も筋肉も、運動神経も鈍っているからです。怪我したら元も子もありません。
なので、30代後半の人から、これを勧めます。
30代後半なら、普段運動をして来なかった人でも、まだ身体は動かせます。
布団の上で結構です。“くるりんちょ、くるりんちょ”と回るだけで、色々な機能が若返って来る筈です。
医療費の増加が問題視される昨今。
医者にかかるより、先ずは自身で挑戦です。
自分でやる事をサボった者が、医者なんかにかかる事になるっちゅーワケです(笑)。
今週読みました
6月28日・プラトン著『ゴルギアス』(岩波文庫版)
「哲学は本来平易な言葉を使う。日本では訳語が難しい上に、それを有難がる傾向があって難しい物になった」
と言う人がいる。全く同感。で、この本も平易な文で解りやすい。
一々反論するから文書量も多くなってるだけで、内容は大した事は一つも言ってない。実に単純なハナシである。
・・・とか言ったら怒られたりするのかしら?(笑)
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【三節棍練習会のお報せ】
初心者向け・三節棍練習会を開催します。
指導/八大武舘長 谷田部忠経
日時/7月29日(土)、午後6時から(3時間~4時間程の予定)
会場/仙台泉教室
費用/門下生(月謝納入者)無料。準門下生・休会中の方は2千円。
持ち物/三節棍(木製でもゴム製でも可)。又、棒や木刀を用意できる方はお持ち下さい。
その他/練習後の懇親会等は未定。←遅い時間ですからね。もしも希望者がいればやります。
全くの初心者にも無理のない技術や用法からゆっくり練習するので、
「三節棍は持ってるけど使い方が分からない」との方は気楽に参加どうぞ。
但し会場スペースの都合で、希望者が一定人数を超えたら参加お断りする場合があります。
混み合ってるせいで、隣りのヒトのアタマなんか叩いたら大騒ぎですからね(笑)。
※過去に三節棍を触ってみて、「こりゃダメだ。どーにも扱えんわい」と思ってた人も、
この練習会で数時間練習してみれば、
「お、戦わなきゃならん時には、オレ、三節棍持ってっちゃおーかな。ムフフ」
みたいな(笑)、
ちょいと扱いに自信がつくと思いますよ。
※手持ちを調べてみたところ、お貸し出来るのは(ゴム巻きを含めて)4本しか有りませんでした。
ですので、お金に余裕のある方は当日までに購入しといて貰えると有難いです。
但し、三節棍を購入する際には、事前に相談して下さい。
沖縄空手の物ですと寸法が短かったりするので、間違って買うと練習になりません。
※29日(土)は第5なので本来道場休みです。
なので28日(金)の道場を休みにしてその分土曜に稽古します。
28日は折角ですし、皆さんで“夏の懇親会”でも開催しては如何でしょう?(笑)
自由にやって下さいね。
6月24日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス
本葬、予修法要、火葬、法要後の膳席などで夜までかかった一日。
道場にはS木君のみ行ったらしく、独練して9時半頃に帰宅したと言う。土曜の夜に道場に1人だったとは、気の毒した。
★さて、今回のご葬儀について。
亡くなった方のご兄弟(80代)車椅子の男性が、会席時にワザワザ車椅子から立って近づいてこられ、
「こんな読経(葬儀)は初めてです。姉の次は私(の番)です。私の葬儀は出来たらあなたにお願いしたい」
と仰られたのが、何よりも嬉しくありました。
でも、この方は仙台在住で墓所も他寺院に有る様子。
頼まれれば私は構わないけれど、さて、ご本人の希望は叶うかどうか、問題なトコロ。
一様に「丁寧だ」とご評価頂く私の葬儀も、伝授された葬儀の内容を省略せずに務めているだけで(←一部、不正確な表現ではあるが)、
略せず真剣に執行する事が、亡くなった方にも、そのご家族に対しても誠意だと考えている訳です。
ま、ご遺族の方には喜んで頂けても、葬儀社さん側にしたら“とっとと終わらせてくれよな、ウチの貰う額は同じなんだから”ってのが、
本音かも知れませんけど(笑)。中には「葬儀・回忌法要を計1時間位でやってくれ」と注文をつけて来た会社もあります。
尤も私は、「葬儀を省略する方法なんざ、私は習った事はないわよ」と突っぱねますが(笑)。
↑こういう事を書くと“自慢か?”と反感を買う可能性がありますが、事実を述べているだけです。
葬儀は、宗派・宗旨によって実は違いが有るのです。なので、
「葬式って何処も同じ事やってんだろ?」 と仰る人もいますが、それは間違いなのです。
(↑こう言う葬儀社さんも居るって事は、そう思われる様な葬儀をしている僧職が多いって事でしょうか?)
真言宗や天台宗の所謂“密教”は、本来、他の宗派より内容が多いので葬儀も長い筈です。
(だから2人以上で作法部と読経部を分担して行ない、時間短縮している密教寺院が多いのです。これは正式です)
興味がある方がいれば、その辺りの事はおいおい、ご紹介するのも良いかも知れません。
何処が違っているのかな?とか、何をしてるのかな?とか、比べる対象があるというのは悪くないかも(笑)。
・・・と「指導日記の雑談を楽しみにしてんだ」と言ってくれる一部の(一部のな)友人の為に、書いてみました。
ご興味のない方には申し訳ありませんー(笑)。
6月23日(金) 仙台・套路(型)クラス
急な葬儀の依頼で(葬儀というのは急な依頼が殆どですが)今夜は通夜が入り、道場の時間と重なって仙台へ行けず、生徒達には迷惑を掛けた。
道場を休むのは本意ではありませんが、人の生き死にに関係している事は生徒の皆さん、どうぞご容赦下さい。
K池君と高校生I君、Hさんとで対錬やヌンチャクなど、楽しく練習してくれた様で良かった。
K池君が稽古の報告をくれたので様子も分かって一安心。指導者不在の稽古を引っ張ってくれて、どうも有難う。助かりました。
今週の雑談/心眼流のこと
武器術まで教えて頂くと、
専作伝は構成がコンパクト(型が少ない)の割に重要な所はしっかり入っているな、
との印象を受けます。
昔、仙台の或る道場で習った時には、専作伝には余り良い印象を持ちませんでしたが、
それが間違いだったと気付かされます。先生の指導法によるのでしょう。
これは想像ですが、鈴木専作という方が、
「これとこれを練習すれば充分。後は口伝があればOK」と考えて、型数を減らしたのかも知れません。
なので、「専作伝は型数が少ないから中途半端な心眼流である」という意見には不賛成です。
そうおっしゃる方は、中途半端にしか習えなかったものだと思います。
この世界、なんと言っても、先生に嫌われたらオシマイですから(苦笑)。
因みに、築館の老先生が最後の出場となった演武会で言っていたので、ここで書いても良いと思いますが、
心眼流の基本21か条の、
表ヶ条は長モノ(例えば棒や薙刀)、中極は片手で扱うモノ(十手など)、落ヶ条は剣の動きと共通しています。
そしてそれらが・・・おっと、これ以上は公表できないか(笑)。←各自、先生に習って下さい。
そして専作伝でも上伝と武器術まで教わってみれば、同じ配置になっている事が解る訳です。
(尚、専作伝と登米系は“表ヶ条=上伝、中極=中伝、落=上伝”と型が共通です)
そういった所からも、本数の問題ではないな、と感じるのです。
繰り返しますが、「専作伝は22本しかないから中途半端に違いない」と言う人がいるとすれば、
恐らくその人は徒手の22本全部(私が聞いた所では他に登米系同様の応変技もある様です)と、
棒術全部、剣術全部を習えていない、というだけだと思います。
私が教えて頂いた限り、内容は近いですよ。目的とする所も。
心眼流の話をしたら興が乗ってきたので(笑)、もう一つ。
心眼流の巻物に書いてあります所の『△一、二、三』には、
(私が老先生の指導を見ていた限り)“嘘の伝”と“本当の伝”とがありました。
いや、これだけでなく、他の口伝にも嘘(というか不正確な伝)と本当の伝があるようでした。
私も、最初に習った方法と年数が経ってから(同じ事を)教わると、少しく違っているのでした。
そして新しい生徒が来ると、その者には一番最初私が教わったやり方と同じく教えていました。
最初は不正確な方法で教えているんですね(笑)。
多分、多くの弟子がいる中で“こいつには教えたくない”と感じている相手にも教えねばならない場合は、
不正確な方法を教えていたのでしょうかね。しかも、さも本当のように(笑)。
・・・歴代の先生方が“しれっ”とした顔をして嘘を教えていた姿を想像すると、笑ってしまいます、
ま、習う側にとっては迷惑千万な指導法ですけれど(笑)。
今週読みましたよっと
6月20日 『インタビュー・宗教を語る』を読む。
哲学者、宗教研究者だけでなく、俳優や音楽家、映画監督など多くの方々の意見を集めた物。
インタビュー時期は、私が高校生頃と決して新しくはないが、未だに充分通じる内容も多い。古くない。
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6月17日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス
埼玉のT沢さんが仕事や家庭の事情で疲労していると思い、「無理に道場に来なくても良いよ」とメールしたら、
「宮城に帰って来てましたが、稽古参加者が私だけなら自主錬にします」といった忖度をさせてしまい、
(↑流行の“忖度”という言葉を使ってみました)気の毒をかけた。
マンツーマンでも多人数でも、教える事・教えたい事は山ほどあるので、皆さん、
“自分一人の為に先生を石巻から来させては申し訳ない”だなんて気を回さないで下さいね(笑)。
ってなワケで、今夜の稽古は休みになってしまいました。なので先日、一見で借金をして来た店にお金を払いに行きましたとさ。
全く、店のおねーちゃんもよ、一見の客にツケさせちゃダメだろー。持ってんだから、ちゃんと取ってくれ。
(と、自分の責任を、まるで他人様のせいみたいに言ってみる)
★もう随分と前から「朝食抜きだと効率が悪い。子供の成績にも関係がある」と言われていまして、
ワタクシも誠にその通りなのだろうな、と思うのですが、
まぁ、そんなのはある程度優秀な子への問題でありまして、
ワタクシのように生まれ持ってボンクラは朝食を食べよーが抜こーが、成績なんざ変わらんのでございます。
ええ、そんなこってす。ふふふ。
6月16日(金) 仙台・套路(型)クラス
S島さん、Hさん、S木君、K池君が稽古に参加。
準備運動と基本功を行ない、皆で揃って正宗太極拳を途中まで練習。細部の注意を促しながら。
その後、各自套路や対錬を練習。
後半は実用法を幾つか。←これは書かない。
用法練習ついでに、最後にお遊びでビックリ技も練習(?)して今夜の稽古は10時半頃に終了。
稽古後もK君とS君は残って八卦64散手(対錬套路)を練習していった模様。
当会の正宗太極拳はシャープな纏まりがあります。よくいう“緊密”な套路です。
大きく展開して伸ばすとか、舞のような流れる套路、という太極拳とは異なります。
(私自身、習い始めの頃は窮屈な感じがしたものです)
でも硬直してはいません。緩んでいます。緩んでいるけれど、だらしなく緩みっぱなしではありません。
その中間、中国思想でいう所の“中庸”が当会の太極拳ですし、内家拳とは“中庸”の思想運動であると私は理解しています。
最初からシャープ(緊密に纏まっている)人ですと、関節部位に力みがあって(太極拳としては)使えないですし、
最初から緩んでいる人だと、どこにも力が無くてこれまた使えません。←ま、最初から出来る人は居ないのよ、ってコトですわ。
なのでこれ(その力の使い方を)身につけるには、矢張り時間とそれなりの努力が必要です。
だからこそ、面白いし、追求のし甲斐があるというものです。芸事。道、とはそういったものです。
6月15日(木)
朝からK池君がPCの修復に来てくれる予定日でした。
前回の『指導日記』にも述べた様に、前日(14日)勝手に更新されたお陰でサイトの更新が可能になったので、
そちらはチェックだけして貰い、機械環境の整頓や、新しいブログ(ホントにやるのでしょうか?)の設定作業などをやって頂きました。
お陰で大変快適にパソコンが使える様になりました。いつも有難うございます。
パソコン作業の合間には武器術や、太極拳用法なども教える事が出来、中でも
講習会前の予習として教えた三節棍は面白そうに取り組んでくれた。
夕方からはK池君の愛好会の稽古があるというので、太極拳用法等はそのネタにもなったんじゃないかな?
昼食は一緒に食べに行きましたが、それも笑ってばかりでした。愚にもつかない話でしたけども(笑)。
ってな感じで、楽しい一日でした。
今週の雑談
前にも何処かで述べたが、人は平等ではあっても、対等ではない。
絶対にない。
平等とは、命の価値としての事だ。対等とは違う。
が、今の若い人達と接していると、そこが解っていない感じがする。
学生などと話していると、5分に一回位、怒鳴りつけたろうか、と思う奴がいる。
しかし、そんな類いの奴も、わざとやっているのではいようだ。
幼い頃から極く自然にそういう態度で生きて来たのだろう。
“人権”などと言うのが度を過ごし、親からも世間からも甘やかされた結果がこれだ。
ところで、よく、「平成生まれは・・・」と言われるが、私はそんな年齢なんかで批評しようとしているのではない。
若者だけでなく、年配者も随分ロクデナシになっているのが現状だから(笑)。
尤も、私自身もだが。
ってな話はまた今度、改めてする。 ・・・え? 「別にんなハナシ、読みたくもない」? そうか。
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数週振りの更新です。
インターネット・エクスプローラが何やら勝手に『更新致します』なんてコトになり、
更新が終わってみたら(「終わった」というよりは中途で更新不能となった)、今までサイトの更新に使っていた機能が
使えなくなっておりまして、14日(つまり本日)又も勝手に更新が始まったと思ったら直った所でございます。
いやはや、今回ばかりは、『指導日記』をブログに変えようかと本気で考えました(笑)。
・・・といった訳でして、入院して更新が出来なかった、借金苦で外国に逃げていた、等の理由ではありません。
一部の方には大変ご心配をお掛けしました。フツーに生きております。
6月12日(月) 石巻教室
雨が降ったり止んだりの石巻でした。そろそろ梅雨時期ですしねぇ。
今夜の稽古は正宗太極拳の套路・細部復習から始まり、用法に入った。
上歩打セイの基本用法(見せ技)や実用法、応用法を数種類稽古。・・・あ、しまった。関節系変化を2種類ほど教え忘れた(笑)。
メモを取る時間を作って後、専作伝心眼流の初伝型を復習。
ここまでで時間を結構使ったので、推手は何種類かをサッと流し、自己マッサージをして今夜の稽古を終了。
7時半開始の8時50分終了でした。
今週読んだのよ
6月13日 酒井雄哉・孔健対談/『いまこの時を生きる』
酒井先生といえば比叡山千日回峰行を2度やった人。孔健さんってのは孔子の子孫らしい。このお2人の対談。
酒井先生の語り口が解りやすく、その解りやすい中に仏教がしっかり入っていて素晴らしい。
一般の方にも話をしよう、ってんならやっぱり、こうじゃなきゃならないですよね。流石ですよ。
付録?にDVDも付いてたけど、それは見てない(笑)。・・・え? 「見ろ」? う~ん一寸メンドーなのよねぇ。
あ、そうそう。ここで紹介してる本ね、「読んでみたい」って生徒がいたらどれでも貸しますよ。
遠慮せず言ってね。
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6月10日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス
今朝は近所の(ホント近所の)地鎮祭執行。依頼主は震災前まで皆さんと一緒に太極拳を練習していたH田さん。
大体の区画整理が決まったので(工事はまだ終わっていない)ようやく地鎮祭までこぎ着けた。
雨の予報だったが雨も当たらず、良い地鎮祭となった。・・・尤も、執行者の私は地鎮祭後半(終了間際)、貧血症状が出て身体との戦いだったが(苦笑)。
地鎮祭は体力の消耗が激しい祈願行事の一つだ。身体が弱ってみて、それが初めて解った(笑)。
さて、今夜の稽古は高校生I藤君のみが参加したので、先週教えそこなったコンビネーションの組み立てと、
以前教えた、打ってサイドに入る・受けてサイドに入る、の復習を中心にした。←これは八卦掌の技術を現代風の
攻防スタイルで初心者にも使いやすくしたものである。
私は貧血で余り動けなかったので、標的として動く程度になったが、I藤君も良く動いていた。
若くて憶えも早いし、素直なので、続けば将来が楽しみである。
打撃の練習の合間には大和道(柔術)も。まだ強くは技を掛けないし、強い抵抗もせず、手順をしっかりと学んで貰っている。
技に慣れたら徐々に練習の強度を上げて行く予定である。
6月9日(金) 仙台・套路(型)クラス
S木君、高校生I藤君、Hさん、Yさん、M子さんが参加。
①準備体操、基本功
②対錬。八卦掌の穿や体当り、キン拿などの基礎的な物を数種類。久々、攻防型も。
③套路。各自、練習中の套路を。専作伝の組型を行なう人も。
等で10時半に今夜の稽古は終了。
今夜も皆さん、一所懸命練習していました。
職業(私の場合は僧侶)
新卒の人達もそろそろ仕事に慣れてきた頃かいね。
幾つになっても仕事には不安があるものですし、あって当然、無ければダメだと思っています。
誰でも持つ、「やれるかなぁ?」という不安も、良く分かるつもりです。
そして、その不安故の勉強などの日々の努力、仕事への向き合いが、力になって行くのだと思います。
私も未だに不安だし、完全に自信があるか?と言われたらありません。
けれど、その分、努力したり反省したりして、一つずつ確実に成長している感じがあります。
“仕事”というのは、たかが“仕事”かも知れませんけど、
それを通じて、より人間として完成されて行く為の行為なのだと思うようになりました。
未だに小さい失敗は時々あるし、反省する点も日々ありますが、私もそれらの積み重ねで少しずつ、
やっと少し“俺はこの職業でやれる”と思えるようになりました。
言い方を変えれば、「失敗しなければ自信もつかなかったし成長もなかった」という事です。
随分と葛藤したものです。
今週の読書
6月7日 宮坂宥勝著/『講説・理趣経』
定価7000円近い本ですが、出版社から「4000円程で売ったろうが。どないじゃ」とのDMが届き、
「こりゃ有難い」と購入しました。読みごたえがありました。
密教の経典は文章がクドい上(ってな事を言うと偉い坊さんには「必要でくどいんじゃ!」と怒られそうですが)、
曼荼羅と繋がっていたり、まぁ、ややこしいったらこの上ない。
具体的には、密教に発展する以前の大乗仏教の用語・思想を押さえておかねばならぬ上に、
同じ言葉でも密教独特の意味づけが為されていたりするので、難しいのですよ(涙)。
経典も書いたり訳すんなら、最初からもう少し解り易い平易な表現も出来るだろうに、と何時も思うのですが・・・
日本には漢訳された経典が伝わったので、尚更ややこしいのかも知れませんね。
経典には、せっかく良いコト書いているんですから、もう少しだけ人口に膾炙するようなカンジでは書けなかったのでしょうか。
・・・ああ!殴らないで、重鎮達!
6月10日 松本榮一著/『聞き書き ダライ・ラマの言葉』
執筆者のチベット体験とダライ・ラマの発言とを組み合わせて一冊にした本。
ダライ・ラマ関連の本は売れるのかな? この手の本は多いですね。
筆者はダライ・ラマやチベットに憧れがあるみたいですね。でも、普通の人が住んだらキッツイと思いますよ(笑)。
ある程度個人に自由もあって、衛生環境が整い、気候も穏やかな日本が住み易いですよ。
さて、チベットといえば“チベット密教”なワケです。
チベットの密教は、日本に伝わったモノより後期段階にあり、日本密教には含まれていないスタイルがあります。
なので日本の密教家もチベット密教に憧れたりするワケで、私も随分と書籍に当たったものです。
が、今の私は行法としては優劣はないと思うに至りました。日本で習う行法をしっかり実践していれば、応用も利きます。
(それだけ行に有り難味や重要性を感じる様になった、って事です)
日本の密教家は、自分が本山で学んだ行法、中でも金剛界と胎蔵会をしっかとやる事に尽きます。
武術も同じです。自分は既に良いモノを学んでいるのに余所見をしてしまう。知らないコトは魅力的です。
知識が増え過ぎると振り回されます。
真言宗の修行である四度加行では十八道、金剛界、胎蔵会、護摩を学びますが、
残念ながら、私の寺は護摩は焚けません。
寺と仏像、仏具の再建が手一杯で、護摩堂や護摩壇までは到底手が回りませんからね。
なので行は金剛界と胎蔵会を中心にしています(が、他伝のモノもたまにやります。楽しいですよ)。
その上、祈願寺院の当院では人の出入りが多いので、一座の行房をするにも、何度も中断する事があります。
が最近は年を取って気楽にもなったのか(笑)、来客で中断されたら翌日そこからやれば良い、と思うようになりました。
若い頃なら“一座の修行は一座である”と思い込んでいましたが、途中で区切ったりすると、もう毎日が行の途中であります。
かえって精神的に行を離れる事がなくて良い様な気すらして来ます。
とまぁ、相変わらずの余談でしたが(笑)。
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6月3日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス
埼玉T沢さん、S木君が稽古に参加した。
T沢さんは殆ど金曜クラスに参加出来ないので、今夜は套路や対錬の復習中心に進める事にした。
先ずは正宗太極拳の幾つかの動作を修正し、套路の要求(求められる動き)をキチンと守り、身につける事で出る力と、
それが用法(技)に直結する事を体験し、練習して貰った。何に、どの様に活きるかを知れば、套路の細部までしっかり
守って意識的に練習する様になるものである。
対錬は太極拳対錬と截脚。何とか再確認し、憶え直す事が出来た様だ。
10時過ぎに今夜の稽古は終了。
お疲れ様でした。では、また来週。
6月2日(金) 仙台・套路(型)クラス
昨日から降った雨も午後には徐々に止み、道場の時間帯は濡れずに済んだ。
Y田さん、S木君、K池君、Hさんが稽古に参加。
Y田さんが稽古開始から道場に居るのは久し振り。何でも4~5月は動物病院というのは忙しいそうな。理由を聞いて「なるほど納得」な、知らない世界の話(笑)。
という訳なので、準備体操と基本功から丁寧に開始。
①準備体操と基本功
②対錬(截脚)
③套路
④どんな三節棍を買ったら良いか(休憩中の話題)。
⑤套路
⑦専作伝・心眼流の組取
など、今夜は套路を主に練習した。
10時40分頃に私は道場を出たが、YさんとK君は残ってもう少し練習して帰った模様。
来月の講習会前に三節棍を購入する人も居るかと思い、実物を道場に持参して見て貰った。
【お報せ】で述べた様に、寸法の違いもあるけれど、接合部(つまり鎖)の違いで多少扱いの良さが違ったりするので、
その辺りを、実際に手にして感じて貰った。
今はネット通販で何でも安価で手に入る。が、その分、到底使い物にならない様な駄物もあったりするので、
先ずはちゃんとした物に、実際に触れてみる事が大切だろうから。
雑談/朱印
近年では『ご朱印ガール』などというヒトタチも出現中とかで、朱印が若い人達の間でもひそかに浸透しているとか。
していないとか。←どっちなんだよ。
朱印、余程大きな観光寺社以外では、寺社にとって大した収入にもなりませんよね。
中には「数百円でそんな面倒な事はやってられん」とはっきり断わる坊さんも居るだに聞きます(←お名前は申し上げられませんが)
でも、私は、朱印は集めておられる人の気持ちですし、寺社側にとっても、朱印目当ての人の出入りが増えれば
境内も賑やかになるので、気持ち良く書いてあげたらいいんじゃないかな?と感じています。
朱印は儲けにはなりませんが、人が寺に出入りする機会が作れて良いんじゃないかしら。
ま、私の所は宣伝不足か、はたまた住職がそういった活動は殆どして来なかったからか?
周知されてなくて、朱印の依頼も少ないのですが・・・
当寺院では本尊大日如来だけでなく、不動明王の朱印もお書きしております!(笑)
一箇所で2つの朱印が貰える、おお、なんて素敵なカンジぢゃありませんか!?
と、最後は宣伝で〆てみました。
慣れない宣伝なんかしたもんだから、はぁ、疲れた(笑)。
今週読んでみた
5月30日/加地伸行編・『孫子の世界』
孫子の兵法の中国での利用、日本での影響、など孫子兵法の内容そのものよりも、
周辺事情にも焦点を当てて多数の執筆者が書いており、面白く読みました。
『孫子』、高校頃にハマって読んだっけなぁ。戦う事に関係する知識は何でも入れようと、読んだんだけど、
本によって訳が違っていたりして、少しばかり混乱したりもした。良い思い出ね(笑)。
え? 「そういう時は原典に当たれ」・・・? アホ言いないな、そんな学力あるかい!
ま、孫子よりは墨子が思想としては好きだけど。
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5月29日(月) 石巻・2つの指導
午前10時~
仙台からK池君と、K池君に教わっているS谷さんが習いに来た。
先ず、正宗太極拳の幾つかの動作の使用法を見せて試して貰い、それを套路に還元して貰う事にした。
実際に技が通用するか否かを経験する事で、套路の練習(中味の追求)が変わるものである。
次に、正宗太極拳の基本的な身体の動かし方を練習。
形意拳や八卦掌の使い方と、その為の套路の注意点。
正面突破の方法。
太極拳の対錬を一種類練習し、2時間ほどの稽古は終了。
今回習った内容で暫くの間は充分復習が出来る筈(笑)。少し詰め込みすぎたでしょうか?(笑)
午後7時半~
石巻のI藤君の稽古。先ずは正宗太極拳の套路を確認し、
昼間K君とS谷さんに教えた内容をI藤君にも指導。・・・教えた心算で教えてなかった、ってなポカが時々あるので確認の為(笑)。
その後、套路である程度身体が出来ていないと出来ない技を幾つか練習。
推手も行ない、マッサージをして今夜の稽古は締め。
I藤君位の年数・レベルになれば個人指導の方が学びを深められる。が、対打やスパーなどは色々な相手と組んだ方が良いので、
道場での集団練習というのは必要なのである。
今日は詳しく述べたくない技術や練習方法が多かったので、いつも以上にザラッと記しました。
5月28日
午後、日曜の割りに時間が出来たので、大崎市ふるさと博物館に行ってみた。
ある寺院の本尊さんだった千手観音像が公開されていて、中尊寺の仏像と作風に共通性があるとされる。
東北の仏像は優美さ、繊細さには欠ける。そこが地元の息吹、として好む人もいるだろう。
写真で見るのと実物に対面するのとでは矢張り全く違う。実物を見てこそ、仏像の持つ雰囲気が分かる。
いつも寺と道場の往復だけしている私には、久々のお出かけで、ちょっと楽しかった(笑)。
今週読んでみたのよん
5月28日 ローラ・デイ著/『人生は直感力で決まる』
“ど~してこんな本がアタシの書棚に有るの?”な本、第3弾(笑)。
この手の本としては真面目ですよ。著者がしっかりした人なのでしょうね。
直観力を磨こう、というのがこの書の内容なんですが、ただ、こういった事には向き不向きがあります。
実際、直感を大事にする、というのは時によってとても大切だと思います。
人の相談を聞く機会の多い私も、そのように感じるのは事実だし。
ところで。
何でも同じですけど、インスタントで身につく能力なんてないなぁ、というのが読後感。
何事にも長期の訓練とそれを支える真剣さが必要ですね。著者はそれも良く解ってて好感が持てました。
(誰にでもある生まれ持った能力を開発するなんてーのだってそうだ)
我々真言密教の坊主も(現代では)四度加行と伝法灌頂を受けて、数年の修行期間で
「一通り出来上がった僧」となるけれど、そこからが一生をかけての修行・研鑽が始まるのであって、
でなきゃホンモノ(真に力を有する僧)になんか到底ならない。
・・・ってな訳でして、こういった本を読んでその気になるのは良いけれど、
インスタントで人さまの相談なんか聞く人がいたらそれは大間違いだし、
(そんな人もいそうな気がするなぁ・・・笑)そんなのは人に害を与える危険度が高いので、ご注意ご注意。
内容を“自己の楽しみとして”研鑽する分には趣味の世界だし、楽しみも増えて良いと思いますけど。
研鑽の上で自分には合うか合わないか(有用か否か)が解れば、それも面白くはあるでしょうね。
ボカァ、やらないけど。
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5月27日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス
生徒さん達が全員今夜は都合が悪く、稽古は休みに。折角なので家で一杯やりました。
「今夜の稽古、実はI藤(高校生)君とマンツーマンなら、コンビネーションの練習をしようと考えていました。
試合やスパーリング(自由組手)ではフェイントやコンビネーションが大きなウエイトを占めます。
私が高校生頃は教わるでもなく、自身の工夫として身についたものですが、今は教えないと技術化が難しいみたいです。
・・・当時はグローブさえなく素拳で打ち合った分、誰もが必死で工夫して身につけたのかも知れません(笑)。」
と、昔から付き合いのある人に話したら、
「君を見てたら分かる。お茶を飲んでても、本を読んでても、それらが全てが武術に繋がってる。
それが多分、才能だと言われるものだ。
殆どの人は、その才能がない。だから、君は“そこから”教えなきゃならない。“普通の”人は、いつでも武術が頭にある訳じゃない。
武術をやるときだけ武術をしていては、プロにはなれないだろう。」
と。
ま、必要と思われる事は教えるので、楽しくやって貰えたら(*'-^)-☆
5月26日(金) 仙台・套路(型)クラス
S島さんと稽古スタート。先ずは一緒に準備体操と基本功から。
一緒に正宗太極拳の套路を行なっている時間帯から、Yさん、H君、M子さん達も道場に着いて稽古開始。
9時半頃までは夫々、套路や推手、太極拳対錬の練習をし、
半過ぎから楼膝ヨウ歩の演武用用法を3種類、変化も含めて練習。演武用用法、つまり“見せ型”とは言え、
実際にも充分使用できるし太極拳の運用を身につける事も出来る。
9時15分頃に稽古を終了し、H君と少し話をして10時半頃に道場の明りを消した。
昼間送信した“門下用メール”に
「ワインが飲みたい。ちょっと良いワインが飲みたい。
誰か「家にあるけど誰も飲まないんだよね」という人がいたら私に下さい。今夜道場にコップを持って行くので(笑)」
と書いたら、S島さんとM子さんがホントにワインを持って来てくれた(笑)。
M子さん曰く、「メールが面白かったので、乗っかろうと思って買って来ました」。
いやはや、すみません、お二人ともm(__)m
けど、ウチの道場って面白過ぎる。
★近頃、「痴漢と疑われて線路上を逃げた」といった話を良く聞くよね。
実際、痴漢だ、と女性から指されたら冤罪であっても晴らすのが難しいんですってね。
容疑者になった時点で仕事も家庭も失うんだとか。確かにそうだろうなぁ。
僕は電車やバスを利用する職種じゃなくって良かったですよ。全く以って。
“女性専用車両”ってのが有るんでしょ? 全部の電車を男女に分ける事って出来ないの?
絶対に乗れないようにしちゃえば、そんな問題おきないじゃない。
冤罪で指された男も、本当に痴漢された女も、迷惑千万だものさ。
今週読んでみた
5月22日 加島祥造著/『タオ~老子』
簡単で解りやすい文章で、とても読みやすい本だけど、ボクにはかえってこの文体が障る所があったりして、
良い本なんだけど読むのに時間がかかってしまったわ。
タオの思想は仏教と似てると言われて、確かにそういうトコロ、あるのです。中国に仏教が伝わった折、
中国人に解り易いよう、タオの言葉を利用して翻訳したとも言われてますし、中には、
「老子がインドに渡って釈迦になった」というブッ飛び説も有ったに聞きます(笑)。
ま、そんな細々した雑ネタがどーでも良いとして(なら書くなよな)、一度も老荘を読んでない人は
“東洋人の教養”として、読んで(触れて)みるのも悪くないと思いますよ。
今の私達は漢文になれていないから、やたらと難しい本から挑戦するよりは、こういう解り易い本から入るのが得策かも。
大概、本格的な本から入ると用語や文体が難しくて挫折した、って聞きますしね。
「漢文で難しいから読まない」ってのは、一寸勿体ないと思うのよ、先人の人生哲学だもの。
同じ人間としての悩み。これに数千年前の東洋人が、どんな答えを見つけたのか、に親近感も沸くかもですよ。
・・・あ、そういや『老荘』の漫画もありました。あれも良いかもです。
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5月20日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス
今日は暑かったですね~。お守り札を書くにも汗がにじむので、シャツ一枚でした。
石巻の小学校では運動会が多かったみたいですが、急に暑いから子供達も大変でしたかね。
ま、我らオッサンと違って子供達は元気ですけどねー。私にもあんな元気な頃が有ったのよねぇ(笑)。
閑話休題。
今夜はS木君、埼玉T沢さん、高校生I藤君、石巻I藤君が稽古に参加。
T沢さんと若いI藤君が9時~9時半迄しか道場に居られない、との事なので多少メニュー変更で稽古。
①準備体操。体操しながらの雑談で楽しんだ。
②防禦練習。基本の練習も兼ねて。
③反応訓練。
④スパーリング。
ここまでで前半1時間。
⑤外家拳テクニック
⑥約束組手。基本通りの技を数種類練習の後、組み合わせ変化技を一つ。
⑦八卦64散手の復習。
で10時に稽古を終了。
今夜も楽しく稽古出来ました。
5月19日(金) 仙台・套路(型)クラス
全国的に気温が高くなりました。とはいえ、石巻はまだ涼しいですし、仙台も夜は運動するのに丁度良い気温です。
さて、今夜の稽古に参加したのはS木君、高校生I藤君、Hさん、K池君、Yさん。
準備体操をし、先ずは基礎的な対錬類を数種類、9時過ぎまで練習。
後半は套路。HさんとY田さんは太極拳套路。S君、K池君、I藤君は大和道(柔術)の初伝を練習。
九鬼神流棒術の型(一人型と対剣型)を復習し、整理体操をして10時10分過ぎに稽古を終了。
その後、S君とK君は残って64散手を練習してから帰った模様。
帰路、松島→鳴瀬線の追い越し禁止の国道で、凄まじく蛇行運転している車の後ろに付いてしまい、
事故にまき込まれやしないかとハラハラして走る。
その車、蛇行運転をし道路の真ん中を走ってみたり、反対車線に入ってみたりするのだが、対向車が来ると何とか車線に戻る感じ。
追い越し禁止区間だから追い越せないけど、追い越してる間にぶつけられるのも危険だから、大人しく後ろを走ってみたが、
“こりゃーだいぶ飲んでるなぁ”と一目で分かる感じ。
仙台道場は金・土なので帰宅時は時々、“酔ってるんじゃないか?”という車に遭う事はあるけれど、
あれだけ蛇行してる車は久し振りに見たなぁ(苦笑)。
5月18日(木) 石巻教室
15日(月)予定だった今月の石巻(套路)クラス。仕事の都合で今夜に延期して貰いました。
すみませんね、I藤君。
↑と、こういった変更がありますので、見学希望は事前に連絡してね。
稽古を始めてみると今夜のI君は仕事の影響で套路も推手も気の毒な程。
なので、余り無理はさせず、自己マッサージをして稽古時間を短めに切り上げた。
今週の雑談/『水泳やってるヒトに・・・』
もしも、武術・武道と縁の遠い一般の方から、
「武道の魅力は?」だとか、「ど~してそんなモンやってるんです?」
ってな質問を受けたら、
「強者を倒す嬉しさ、効率良く人を壊せる技の魅力、そして暴力衝動の昇華。人を殴るのは気持ちいいぜ~」
などと、マチガッテも口走ってはいけない(笑)。
「身体を動かす爽快さ、出来なかった事が出来る様になる嬉しさや達成感、技を掘り下げる追及、知らなかった奥深い技を知る興味深さ、現代失われつつある作法や文化が残っている知的刺激、精神集中・身心一如で初めて使える技を学ぶ事でヨーガや瞑想に繋がる精神文化」
等といったような、キレイゴトをのたまわねばならないのだ。ウム。
何より、「どーして武道なんかやってんの」
なんちゅう質問を持つヒトは趣味のないヒトだ。そんな相手に何か言っても始まらんです。
だから、奇麗事でも言っておくのが善哉善哉。←ええ!?そんなのってアリ?
武術を習った事があるという人でも、
「体力向上と礼儀の為だと親に言われて習った」とか、
「一時興味を持って習ったが飽きた」というのが普通の常識人であって、
長年武術なんかやっている者はみんなどっかビョーキなんである。
掛けられた技が強烈だったりすると、怪我をしながら「こいつは良い技だ!」とか思ったりするぐらい、ビョーキなんだ(笑)。
で。自分はビョーキだって事に気付いたら、治そうとはしない事さね。無理は疲れるから。ビョーキと一生付き合って行くんだわ。
そんな我々みたいな"病人”に対し「何故武術なんてやるの?」と質問するのは、
水泳をやっている人に対し、
「何でやってるの?泳ぎが得意だと何か良い事がありますか?津波が来たら泳力とは無関係ですよ」
などと言う、愚者と同じなのである(笑)。
↑冗談で書いてんだから、イチイチ真に受けないよーに。
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5月13日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス
門下生H君の紹介で急遽、相談を受ける事になった方がおり、稽古開始前に、仙台道場で相談を聞く事になった。
・・・とうとう道場にも“本職”が食い込んで来た(笑)。
とはいえ、どっちにしろ仙台へは行ってるんだから、道場で僧侶の仕事をするのは全く構わないんですけれどね。
さて、今夜の稽古参加者はS木君のみ。なので、彼の希望を聞いて教える事に。
先ず五行拳・2段階目の練習(彼にはまだ教えてなかったそうだ。そりゃスマン。笑)
次に定式八掌。これはML掲示板に述べた通り。
で、9時半頃に今夜の稽古を終了。
今日は大雨でした。
5月12日(金) 仙台・套路(型)クラス
高校生I藤君とHさんとが稽古に参加。
少人数だけにじっくり套路など練習出来たと思う。
I藤君は形意拳(2段階目練法と連環拳)、専作伝を。
Hさんは形意(ヘキ)拳と正宗太極拳を中心に練習。
最後にちょっと『自分で行なうマッサージ』をし、10時過ぎに今夜は終了。
★坊主が頭を剃るのは“身を飾る事に執着がなくなるから”である、という事は、随分前にもどっかで書いた通りです。
で、“身を飾ること”に興味が無くなれば、服飾は当然、車も、家も、(俗に言う)イイ暮らしにも興味が無くなるものです。他人からどう見えるか?もどーでも良くなります。
そーすると、世間のカラクリと、それに踊らされている我々がよ~く見えて来るものです。
そして、いかに“踊らされているか”が解る事が、坊さんとしては大事です。
でないと、世の中にどっぷりハマっていて冷静な視点を持てず、周りが見えていない人の相談は聞く事が出来ないものです。
お互いにどっぷり世俗にハマっていては、ハマったままの両者が互いに額をつき合わせて相談するだけになっちゃうでしょ(笑)。あがくだけですよ、ズルい事考えたりするだけで。
どちらかが世俗を突き抜けた位置から“どうすれば良いか?”を考えるのが必要な状況、ってのもタマにはあると思うのです。
因みに、この「僧侶は何故頭髪を短くするのか」は、私自身は納得の行く答えを人から貰った事がありません。
なので多くの坊さんは“そうするもんだ”と習慣でやっていると思われます。
ですので、上記の“理由”はあくまで私の経験によるものです。異なる“理由”もあって良いだろうとは思います。
今週の雑談・『厳しさが親切だったと思うこの頃』
私に正宗太極拳を教えてくれた先生は、
脱力、体重の在りか、足裏の使い方、足首、背骨の位置など、色んな事に細かい方でした。
その上、多くの説明はしない。「こうしろ」と言うだけ(笑)。
そんな先生は良く、
「太極拳は最初の起式だけ見れば、その人がどの位出来ているか解る。それ以上見る必要は無い」
と言っていました。
そして現に、道場の鏡の前に生徒を並ばせて太極拳をやらせ、起勢だけで、
「もういい」とか、
「〇〇君は外れていい」
と言ったものでした。起勢の手を上げただけで、外されたものです。
多分そこには、
「説明もしているし教えている。なのに出来ていないのは真面目にやろうとしていないからだ」
との気持ちがあったのでしょう。
実際、私も教える立場になって、生徒の良くない(出来ていない)動作を直すのですが、
(しかもただ直すだけでなく、私の場合は力の運用や用法等による“理由”もキチンと説明しています)
その時は直そうとしたり、(ぎこちなくても)直ったというのに、
次週道場に来た時には、元の良くない形に戻っていると、
“こいつ、人の指導を本気で聞いてねぇのか?”と思う時があります。
余りに酷いと、教える事に時間の無駄を感じる事もあるもんですよ。←最近の生徒にはありません。
厳しい言い方ですが、「出来ない」のと
「やらない」、「やる気がない」のは全く別の話ですからね。
おっと、思うまま書く内に『初心門下生178講』と同様の内容に行き着いてしまいました。
おんなし話をしているようじゃ、こりゃボケて来ましたかな。
・・・え? 「テメェのボケは今始まったこっちゃねえ」ですか? 全く反論も出来ません。すみません。
今週読んだ
5月9日/斎藤昭俊著・『インドの神々』
インドにある宗教、ヒンドゥー、仏教、ジャイナ、イスラーム、ゾロアスター、シク、等の神を扱った内容。
ちょっと読みにくいのでオススメできない。って、こんな本を読む人はいないか(笑)。
にしても神話や神の役割変遷ってのには、民衆の逞しさを感じるなぁ。
因みに仏教的には、神という存在は(それが絶対神であれ低俗神であれ)そんなモノが
あってもなくても(居ても居なくても)どっちでも良いし、気にしないというスタンス。
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5月6日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス
T沢さん、石巻I藤君、高校生I藤君が今夜の稽古に参加。
①準備体操
②基本・各種
③反応訓練・防禦練習
④外家拳テクニック・約束組手
⑤スパーリング
稽古開始前に来ていたTさんと石巻I君と套路の練習。地堂拳の復習なども。
稽古開始前に地ショウ拳を練習したせいか、攻防練習時には面白い技も出たりして、大笑いしたりの練習。
準備体操代わりにも良いね、地ショウ拳。・・・稽古開始前に疲れるけど(笑)。
約束組手でも裏をかいたり(約束稽古で裏をかくなっつの)な笑いの絶えない練習は、10時10分頃に終了。
今夜も良い練習になりましたね。
★「ライバルを作ると伸びる」と良く言われるし、その通りだとは思うが、
自分に正直であれば、ライバルは要らない。
5月5日(金) 仙台・套路(型)クラス
「今夜は皆さん自由に練習して下さい。皆さんが夫々練習している姿を見て、進んだり、直したりします」
と気楽な感じで始めた、今夜の稽古。連休中ですしね、気楽な感じが良いぢゃありませんか。
私も少しばかり疲れていましたし(←★印参)。
という訳で、①先ずは各々套路の練習を。形意拳をやる人、八卦の人、外家拳の人など皆、自分のペースで様々。
皆がひとしきり練習した所を見計らい、「全員で正宗太極拳、第一十字手までやってみて下さい」と告げて、やって貰う。
数名の套路を直しながら、技の使い方(インチキなモノとそうでないモノと・笑)をちょいと説明。
②掴まれた手を解き、太極拳、形意拳、八卦の動きに繋ぐ練習。←これはY先生から教えて頂いた物。
ついでに同じ状況からの変化を幾つか。
③正宗太極拳の推手からの投げ。相手と自分の動きを上手に使う。←これもY先生伝。
④、③の投げとは反対向きに相手を投げ崩す技を練習。相手は反対向きに倒れるが、自分の動きは同じ。
投げとしては④よりも③の方が巧妙だが、これも
“相手が投げられまいと踏ん張った際、彼は自分の足で踏ん張っているだけでなく、こちらの足でもバランスを取っている”
といった事を学ぶ(気付く)のに良い技である。
この技は土曜クラスの“約束組手”内の一本だが、套路クラスで練習すると丁寧に行なうので、土曜クラスの生徒にも発見が有るかも知れない。
⑤ついでにトドメの刺し方なども(笑)。相手の弱い所(例えば頭部の)なども、夫々実際に体験して理解して貰う。
又、型通り(技通り)に最後までやってしまうと、相手を殺してしまいかねないので(笑)、実際に使う場合の狙い位置などにも言及。
⑥拳の当て位置と簡単な鍛錬法。(初心者は尚更)これを守らないとダメ。
といった感じの稽古は10時15分頃に終了。笑いの絶えない稽古でした(笑)。
因みに今夜は埼玉T沢さん、高校生I藤君、Yさん、M子さん、K池君、Hさん(仕事都合でひと月振り!)が稽古に来ました。
★葬儀社さん経由で、
「葬儀はせず戒名も要らない。通夜・本葬・百か日法要・出棺・火葬の読経のみして欲しい」
との依頼を受けたのが、昨日(木曜)朝。
そんな依頼は初めてなので、一瞬迷った上で、「では」と、お引き受けしたが、ご遺族には一応、
「葬儀は読経がメインではなく、亡き方を悪い世界に行かせない為の作法が重要です」と説明をし、
「なので、最低限の作法はしますね」とお伝えした。
これは金額(お布施)の問題ではなく、あくまで私の信念による所。つまりサービス。
(金曜朝は外回りのお祓い予約が入っていたので、住職と分担し、私は葬儀場へ)
この後、今夜の道場だったので、ちょっとだけ疲れました(笑)。
依頼者の方々はお喋りしてとても感じの良い方々だったので、私には良い出会いでした。
それに、作法部を抜いた読経中心の葬儀(葬儀と言えるのか?)というのは、私には初めての事だっただけに、
多少の工夫が必要で、勉強になりました。依頼内容はどうあれ、完全に通常の供養と同じじゃ、ねぇ(笑)。
亡くなった方のご遺体が、そこに有るんですから。
ま、額の割には頑張り過ぎましたけど、喜んで頂けたみたいで良かった良かった。
・・・え?「葬式って読経してるだけじゃないのか?」ですか? 宗派にもよりますが、私の所(高野山真言宗)では違いますね。
万が一、「その辺、興味がある」という方がいれば、近日中の『雑談』で触れますよ(笑)。
『武術のハナシだと思って読んでると、仏教にも少しは詳しくなる』、←って、なるかな?(笑)
そんな『指導日記』。お嫌な方は読み飛ばすのよ。
今週の雑談/『イイカゲンな事を言ってるよなぁ・・・』
先日、ご家族を亡くした方が、
「院居士(又は大姉)の付きの戒名と、(信士など)院居士なし戒名を貰った者とでは、
あの世で逝く場所が違うから、親族同士でも会えないと〇〇寺の先代住職に言われた」
と言うのです。
「私が掴んでいる範囲では、そんな事はない筈です。それに、そんな事は経典の何処にも書いていません。」
と言うと、
「それなら良かった・・・もしもあの世で会えるんなら親に会いたいんだ」
と、安心した、と涙ぐんでおられた。
私は、元来、迷信を排斥するのが僧侶だと思う。
迷信を取り去って人の不安を取り除くのが仕事だと思っている。
(勿論、不思議な事は有る事は有るので、そこを全否定は出来ないが、少なくとも迷信を助長するような言動は慎むべきだ)
・・・にしても、その先代住職のその論は何なのだろう?
ううむ・・・戒名料でも別設定で高く取るつもりだったのだろうか?
それとも、そんな世迷言が普及した事が有ったのだろうか?
僧侶は単なる拝み屋や霊能者ではない。真剣な学究者であるべきだ、と思っている。
何が目的か知らんが、そんな、見る事も出来ない・だから証明が出来ない“あの世”
の事をテキトーに話して、人の不安を煽るような発言をする坊主は存在価値がないのではなかろうか?
私は、そう思うんだが、皆さんはどうだろうか。
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※連休中も道場は通常の時間・場所で行なっちょります。
4月29日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス
稽古に来たのはS木君のみ。
昨夜、“飲みながら稽古しよう”と思い、ビール持参で道場に行ったは良いけれど、
前半は高校生I藤君とマンツーマンだったので、まさか未成年を前に飲んでるワケにも行かず、
そのままビールを持ち帰りました(笑)。←同じ事を前にもやった気がする。
で。今夜も一応、そのままビール持参した。前夜から車に積みっ放しだったんで、ぬるくてしょーがなく、
「冷てぇビールを飲むのは日本人だけだ」などと嘯(うそぶ)こうと思っていたけれど、結局は近所のマルマツに行きましたとさ。
ま、世間はGWだってんで、たまにはこんな日があっても良いでしょう(笑)。
あ、稽古は一応(?)40分位やりましたよ。老八掌をキッチリ見てあげました。
★先日の『初心門下生』で蹴りについてお話ししたのですが、
中国武術の多くの派の蹴りは手と上手く連動させて使います。
↑連動が上手いので、大した事のない蹴りでも当たり易いってワケです(そんなコト言うな/笑)。
この方法は蹴りの得意な人、例えば現代武道の練習者なら、習えば簡単に出来ます。
(「踏ん張って蹴る!」と云うのとは一寸違うので、中には苦戦する人も居るかも知れませんが)
問題は中国武術、特に太極拳の愛好者です。蹴りが下手過ぎて教えても「全くダメ」と言う方もいます。
矢張り、武術ですから、基本の突き(手の技)や蹴り技の練習は不可欠です。
と、これを読んで発奮した方は(そんな奇特な方が居られませば)、
先ずは前蹴り(分、トウ)、横蹴り(タン)、後ろ蹴り、回し蹴り、里合、ハイ蓮の練習を始めましょう。
1日、各10回位ずつで構いませんから。
4月28日(金) 仙台・套路(型)クラス
昼間はだいぶ暖かくなりました。朝晩との気温差が激しいので、油断大敵ですね(笑)。
明日から連休に入るせいか、今夜は高校生I藤君とM子さんのみ稽古に参加。
先ずは準備体操と基本功を行ない、I藤君は五行連環拳と老八掌の練習。M子さんは単・連攻防と五行拳(2段階目)を練習。
I君は明日から部活の合宿で出発が朝早いという事で、早目に稽古上がり。今夜の稽古で八卦の細部は随分良くなった。
M子さんは単・連攻防の練習でパンチが良くなって来た。
10時15分過ぎ迄練習をして、今夜の稽古はおしまい。お疲れ様でした。
★以前ちょっと触れた、“左右逆の正宗太極拳”ですが、あれね、健康目的のおばちゃん達にやらせると、混乱して皆さんとっても楽しそうになりますよ(笑)。
武術的な意味は余り無いとはいえ、一通り套路を覚えて余裕が出て来た頃に「はい、それでは左右反対」ってやると、飽きずに楽しめると思います。
4月24日(月) 石巻教室
先ず、前回直した正宗太極拳の套路部分をチェックしてから、次のパートへ進んで修正。
I君の太極拳は随分安定して来た感じだ。気をつけて練習しているのが見て取れる。
そして型をもう一つ。「忘れちゃってるかも知れません」と言うので、心眼流の1本目を復習。確かに、見事に忘れていた(笑)。
イカンぞ、I君!(笑)
次は推手。何種類かの推手をじっくり行なう。推手をやると、己の力みや、自分勝手さが良く解るというもの。
推手も今取り組んでいる物に慣れたらもう少し種類を増やし、且つ交手式からの攻防練習にもつなげて行く。
最後に“自分で出来るマッサージ”を行ない(これをやるとツボも自動的に覚える)、今夜の稽古を終了した。
※5月は15日と29日に練習予定。←変更される場合があるので、見学は事前に連絡下さいね。
★推手といえば太極拳の練習法として有名ですが、推手的な練習法のある流派は少なくないのです。
しかし、そのやり方は夫々異なっていて、形意拳でのやり方、八極拳のやり方、詠春拳のやり方・・・と、
その流派の戦闘方法によってやり方(内容・その練習に何を求めるか?)が異なって来る訳です。
例えば、陳式の推手を多く練習した私には、正宗太極拳の推手のやり方は“推手”とは言えないのです。
正宗の推手は、それはそれで大変興味深いのですが。
といった風に、同じ“太極拳”でも違っているのです。流派が違えば尚更です。
・・・あ、一応断わっときますが、これは「優劣・良否」を言ってるのではありませんよ(笑)。
今週の雑談/『煩悩=魔』
魔(悪魔)、自分を滅ぼす悪魔は、とても魅力的だ。
そんなコトが“実感”を持って解る程度には経験を積んだし、覚りにも近づいた様だ。
だからこそ、己の心に「悪魔よ去れ」と言える様になった。
「悪魔は魅力的だ」。「魅力的」だなんて聞くと、異性を想像するかも知れないが、
その悪魔は異性を想像してばかりではいけない。
例えば宝石や服飾。
「宝石をほしがったって、所有したっていいじゃない。誰にも迷惑掛けないわ」
とおっしゃる気持ちは解る。解るけれど、自心の見つめ方が足りない。
“宝石を欲しい”と思う心は、どこからか? 何故欲しいのか?
“欲しい”と思う心が、自心を捕らえ、雁字搦めにしている。
そして所有すれば、“所有した”心が、更に自心を絡める。
そこに貴方本人の心の自由は失われている。捕らえられている。
これが恐ろしいコトだ、と解る。解る事、それが自由への第一歩。
「だけど、仕事柄、ある程度は必要だわ」
解りながら扱う。それ以上の価値を置かない・価値を見ない。
それがモノに使われない、方法の一つ。
「悪魔」は外にいない。自心にいる。←これが西洋の宗教と最も違う所。
・・・と、たまには冗談ばかりでなく、坊さんらしいオハナシも(笑)。
今週読みました
4月27日/山口淑子・藤原作弥著『李香蘭 私の半生』
“時代の証人”の本だな、こりゃ凄い。
しかし“時代”とはいえ、すさまじい人生だ。これと比べたら、私の人生なんか、ただボサ~っと生きて来ただけだな(笑)。
4月28日/石井普雄(カタオと読むそうな)著・『最後の超念力②』。
何故こんな本が私の本棚にあるの?な本の第二弾(笑)。
「私の宇宙パワーは農業にも商売繁盛にも病気にも効く!」という宣伝本。
後半はどこまでホントか分からない体験談ばかりなので、飽きましたが頑張って最後まで読みました。
これを仕事にして食べている人も居ると思うので、余り批判的な意見は避けますが、
100歩譲って、例えばこの本の中に書いてある治療談が全て本当だったとしても、
(自己暗示や会場の熱気で治ったり快方に向かう事は有り得るので全否定はしない)
成功談の陰には必ず「効果がなかった」という人もいるものです。
昔、ある手かざし系宗教の信徒さんから聞いたのですが、「効果がなかった」ケースは
(宣伝にならんので当然)それは掲載しないそうですよ。
ま、施療者には「効果がなかった」という話は届きにくいとは思います。効かなかった人は黙って離れて行くだけですからね。
その辺を割引いて読めない(ま、素直な)人は騙されてしまいやすいものですが、実際に
困っている人は、こんな本を読んだら一縷の望みをかけてすがるかも知れないですね。
どーせ同じ騙されるなら、思いっ切り信じてみて、そのイキオイで効いた方が良いかも?ですよね(笑)。
と、何事にも懐疑的な私が言ってみる(笑)。
ところで話は変わりますが、(以下はクドイのでお好きなヒト向きで)
武術であれば、素人には解らない技術を揮って「気」だと言ったり、「常人には出来ない」と神格化してみたり、
本職であれば、法則で解る事を以って「私は神の使いだ」「私は何でも解る」などと言ったりして、
信じやすい人を集め、狂信的なグループを作り、カネ儲けをする事は、しようと思えば私にも出来る。
何故なら、“キチンとした技術”として武術を教えてきた私、“真っ当な坊主”として活動して来た私には、
反対に“そのやり方”を知っているからだ。
だが、そんな事をしたら、今まで築いて来た人間関係をすっかり失う事になるだろう。
何十年も付き合って来てくれた人達、私を信用してくれている人達を裏切る事になるのは、人として耐え難い。
人間関係こそ、宝なのだ。目先のカネなんかの為に、長年の信頼を失ってどうするのか。
・・・といった話をしたら、長年の友人が
「だな、お前は絶対そんなコトはしないな。だからこそ安心して人を紹介も出来る」
と言ってくれた。
これが信頼関係ですよ。
という訳で、君だ。大局を見落として、大事な人間関係を失いかけてはいないか?(笑)
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4月22日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス
今夜はT沢さんとマンツーマンの稽古。
Tさんはなかなか道場に来られないので、今夜は幾つかの套路を中心に練習した。套路は一人でも練習できるからだ。
①私が道場に着くと既に太極拳を自習中だったので、早速、太極拳から復習する事にし、先ずは一緒に套路を一通り通してみた。
その後、曖昧な箇所を教える、という感じの練習。
②形意拳。12形拳の復習と、新しい型を数手。用法(使い方)も説明しながら、正しい角度や動作などを出来るだけ掴んで貰う様にした。
③武術の古い技。②の解説ついでに、幾つかの古伝の技の紹介・解説。これらは秘密なので、ここでは述べない。
④形意槍術の用法。徒手(素手)套路と関連して、激しい使い方を。これは洗練されているとは言い難い使い方だが、それだけに説得力がある筈だ。
⑤心眼流についての話題。専作伝と築館伝との共通。←これに関してはいずれ簡単に書くかも知れない。
等で、10時過ぎに今夜の稽古は終了。
埼玉に転勤したT沢さんが(ご家族はこちらに居るとは云え)こうして道場に足を運んでくれるのは本当に嬉しい事だ。
★昔から“キャラクター”というのは有るものですが、最近では“ゆるキャラ”なんてのもアチコチにいて、
まさに百花繚乱、毎日なにかキャラクターが生まれているのではないでしょうか?
もう、オッサンとなったボクの頭ではついて行けないのです。
ところで。
ボクが小さい頃、“カッパのカーたん”というキャラクターがいました。
生まれて初めて「タータンチェック」という言葉を聞いた時、小さなボクの頭では、
「カータン」と「タータン」が交じり合ったようで、“タータン”と“カーたん”はボクの中で一緒になってしまいました。
実は今でも、「タータンチェック」という言葉を聞くと、一瞬、ボクの脳内に「カーたん」の映像がよぎります。
三つ子の魂百まで、とは良く言ったものです。
でも。カーたんとタータンは別のものですよね?
「タータンチェック」って、なんですか? 普通の「チェック」と違うのですか? 誰か教えて下さい。
4月21日(金) 仙台・套路(型)クラス
S木君、Yさん、K池君が稽古に参加。
①準備体操、基本功。
②対錬。八卦掌の短い物と截脚。ここ迄で前半1時間。
③套路。各自、型の練習。
④S木君とK池君は64散手の練習。Y田さんは正宗太極拳の練習。
途中、雑談なども挿んだ稽古は10時半頃に終了。
★ちょっと(かなり?)我田引水的だが、
守りたい人がいるなら、武道や格闘技をやらなくちゃダメだ。
素人は自分や他人を守ろうと夢中で暴れると、その場にある石やら何やらで殴ったり、
もし持っていれば刃物で刺したりして殺してしまう。
武術を年数習っていれば、そんな時でも何処か冷静であるものだ。
「手加減する事も出来るし、必要なら殺す事も出来る。」
その“余裕”が何よりなのだ。
毎度の雑談/『季節の影響』
春も順調に進みつつあり、そろそろ少し落ち着いて来る(かな?)な時期ですが、
つい先頃まで、皆さんの周囲で葬儀の案内板を見かける事が増えませんでした?
(あ、これは宮城の話であって気候的に南はもう少し時期がずれているかも)
私の実感として、春頃の季節と秋位に亡くなる方が増える気がしています。
身体が弱っている方は寒暖差に身体がついて来ないのかも知れません。
又、精神的トラブルを抱えている方も、その頃の時期に落ちたりします。
その手の相談事が増えるのも、やはりその頃の時期なのです。
しばらく顔を見てなかったなぁ、と思うと、どーしようもない状態になってすがる様に来る方がいます。
中には冬位の時期から上調子になり、色々な事に手を出したり、計画を立てて邁進するのですが、
その反動が今位に出るのか、スコーンと落っこちる人がいます。
何事も“バランス”が大切だと思うのですが、この手の人は上り調子になるとそのセーブが効かず、
その反動が凄い感じがします。こういう事を繰り返す人を見ると、それが病気とはいえ、
“もう少し自分との付き合い方を知る事が出来ないものかなぁ”と気の毒に思います。
余りにもスコーンと落っこちる場合、実は他の要因もある事が多いのですが、それは又、別の話なので、
ここでは触れませんが。
今週の読書
4月17日/魚川祐司著・『仏教思想のゼロポイント』
石巻の門下生N君からお借りした本。
主に古書店で本を購入する私は、“仏教書は今も新しい物が刊行され続けているのねぇ”と、
改めて気付かされました(笑)。
さて。
無駄がなくて良い本だと思います。でも、“こんなに気取って書かなくたっていーぢゃん”って感想も持った(笑)。
で、従来の仏教解釈(というか学会に?)に多少、挑戦的な感じもしますが、このヒト、なにか有ったのでしょうか?(笑)
あ、もしかして若いから、なのかな? 若い内は尖っちゃうからね(笑)。
ま、そこも含めてこの本に問題として提起されているコトは、長く仏教と向き合っている人なら各々解決出来ているだろうとは感じます。
でも、よくシンプルに纏まっているものです。面白かったですよ。
そういう意味で、仏教を学び始めた人の混乱を解く本、と位置付けて良いのかも知れません。
4月21日/小林祥晃著・『Drコパの神さまを味方につける本』
“何故、こんな本が私の本棚にあるの?”と首を傾げました(笑)。
以前、知り合いから沢山の本を貰った事があるので、きっとその中に入っていたのでしょう。
で、“処分するにも一度は読んでから”と思って読んでみました。
結局は巷に良くある自己啓発の類書(笑)。
著者は占い師だとばかり思っていたけれど、神職でもあったんですね。
内容には「失われつつある日本人としての考え方ガイド」的な面もあって良さそうですが、
すぐ真に受ける人や、オカルト傾向の人、「こうしなくっちゃならないのか」と思う人は雁字搦めになって
更に“不自由”になるかも知れないので、眉に唾つけながら読めないタイプの人にはオススメしません(笑)。
そういう人には、この手の本は害がある(笑)。
著者の手前勝手な理屈で内容が進んで行くなぁ・・・って読後感でした。
あ、そうそう。(この本とは直接関係ないですが)
因みに、一昔前のテレビでは「霊能者」って輩が出て来て、色んな事をいってましたでしょ、
あれ、批判が多くてやめたそうですが、世間にはあーゆう事が好きな人がいて、やれば視聴率が取れるんだそうですよ。
で、出てきたのが「スピリチュアル」って連中。で、やってる事は大差ない、と(笑)。
我々からしたら、勝手にやっとれ、って感じです。騙す方も騙される方も好きでやってるんでしょうからね。
あ、ひと~つ言っておきますけど、新興宗教(みたいな)の教祖や中心人物ほど、自分は信じていないものだそうですよ。
金になるから言ってるだけで、信じてるのは末端の信徒(みたいな位置の人達)だけ。
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4月15日(土) 仙台教室・拳法(打撃)基礎クラス
昨日で熊本地震から1年ですか・・・。
津波や火災で壊滅はしなかったとはいえ、1年位で何とかなる訳でもないだろう。まだまだこれから大変な時だ。
こっちでも6年過ぎても建築の許可が下りない、復帰の道筋が立たない、もう諦めてしまった人などもいるものなぁ。
昨夜と同じメンバー、S木君と高校生I藤君が稽古に来た。
①準備体操
②基本・各種
③防禦練習・反応訓練
④外家拳技術
⑤歩法
⑥約束組手
⑦スパーリング
の手抜きのない標準メニューで2時間の稽古。
★型は形式である。数学でいえば数式とも言える。
故・森先生の言葉を引用すれば、「形式というものは、それに形骸化された権威を見出したり、その逆に反発するのはつまりませんが、『形式が力である』という教訓を忘れるわけにいきません」
ってな話を思い出したので、ちょいと紹介しました(笑)。
4月14日(金) 仙台教室・套路(型)クラス
楽しみにしている遅咲きの桜が、今日は匂った。いよいよ、石巻にも春がくるなぁ。
今夜はS木君と高校生I藤君のみ稽古に参加。
準備体操と基本功の後、柔術(やはら)の初伝技を中心に稽古をした。
やはらの稽古は地味だが(笑)、何となく楽しそうにやっていたので先ずはOK。
やはらも少し身につくと応用が利きやすいので、頑張って頂きたい。
形意五行拳・第2段階の練習は、力み、手足のタイミング、重心の位置、足の使い方などの身体の感覚に耳を澄ませながら
大切に行なって下さい。
ここで或る程度要求を満たせないと、3段階目に入ってから少々苦戦する事になり兼ねません。
「打つ練習」というよりは「打てる様になる為の、その前段階の練習」だと心得て取り組んで頂けると良いのかも知れません。
功を焦ってガンガンやっては意味がありません。
“功”は気長に、です。焦らないほうが、かえって短時間で掴めるかも知れませんよ(笑)。
★「武器は手入れを欠かさずにいて抜かず、なんだよ」
もう何十年も前の話だ。
私が尊敬する、武道の先輩が言った。
「刀は磨いて磨いて抜かない事だ」と。
当時の私はかなり喧嘩っ早かったから、注意してくれたのだ(苦笑)。
その言に一寸疑問を持ったので(若かったからね)
「では何故、武術を学ぶのでしょうか?」と質問を返すと、
「それは自分で見つけるんだ」と叱られた。
確かに、人様から頂いた答えは真の答えではない。
今の私の答えはこうだ、
「その理由は、
・・・と書こうと思ったのだが(いや、実際書いたのだが)、
やはりこれも、夫々が自分で出すべきだ。のぅ。
4月10日(月) 石巻教室
夜7時半過ぎから、当寺院本堂で稽古開始。
生徒のI君の希望で、先ずは正宗太極拳の套路に少しずつ修正を加える事にした。
套路を復習してから、推手。
套路内の動作(左右搬欄・提手上勢)の実戦使用法。
自分で出来るマッサージ
で9時過ぎに稽古を終了。最後にざっと掃除機をかけて解散(笑)。
I君と推手をしてみて、“お、これは一寸上手くなるかもよ”な印象。
推手に慣れたら(推手練習で必要とされる要求が身につけば)、彼の欠点が一つ
クリア出来そうな予感がする。
次回は24日(月)の予定。
今週の読書
4月12日・『宗教法人法』(大空社)を読む。
平成8年の刊行。付録として『破壊活動防止法』もあるのが、当時のご時勢を表わしている感じがする。
こんな本、100円でないと買いませんけどね(笑)。
4月9日・『法華経㊦』(岩波文庫版)
読んで色々な意味でショックを受けたのが『法華経』でした(笑)。
本中の漢訳読み下し文は法華経に対する信仰心をお持ちの先生が、
梵文からの日本語訳者は全く法華経への信奉を持ち得ない先生が書いた様で、
解説文の熱量の違いが面白かった(笑)。
↓又も以下、お好きな方にだけ(笑)。
法華経は「法華経信仰の功徳ばかり述べられていて教えの部分が少ない経だ」と言われる事があります。
読んでみた感じ、私もその様な印象を受けるのは事実です。
この経中に「法華経(やその布教者)を批判する者は地獄に落ちる」とか、
「この経を布教しようとする者は法難に遭う」、に類する記述があるのは、
「この経を作ったグループは当時異端視されていたからではないか?」との意見もあります。
(実際に読んでみて、私もその感を強くしました)
法華経中の「この経は釈尊が説いた最後の最善の最優秀の経である」との記述を読んで、
日蓮上人はじめとする法華経信奉グループが大いに力を得たのだと思われます。
(けれどその理論根拠の『五時八教』は既に仏教学会で破棄されている“遥か古来の試論”に過ぎません)
「法華経を他に薦め、広めるのは大きな功徳が有る」といった記述もあるので、法華経信奉グループ、
特に新宗教団はやや強引な布教活動もしたのでしょう。
しかし「法華経を広める際のお約束」も経内には述べてあります。4つの安楽行というそうですね。
(ひろさちや氏が纏めた物でご紹介します)
①交際相手を選ぶ。間違った宗教を唱える者や書物には触れない
②法を説く時に他の経典や人の悪口を言わない。褒めちぎるのも良くない
③論争を避けて一切の生き物に深い慈悲心を持ち、誰にも平等に法を説く
④煩悩の迷いにある人々を哀れみと慈悲心で悟りの境地に導き救う
ですよね。
さて、布教(勧誘?)の際にこれらを守る事が出来ていますか? 特に②はどうでしょう。
それと、密教僧の私は法華経信徒の方から見れば①の範疇の者ですね(笑)。
ワタシは『法華経』が良くないお経だとは決して言いませんが(大冊の割には内容が薄いかな?との気はしますけど)、
さて、そのお経を信奉する人達が、法華経の評判を落としてはいないでしょうか。
・・・え?「阿弥陀経典も釈尊の説法というコトになっている。そっちはどうなんだ?」ですか?
う~んと、そうですねぇ(笑)、浄土教の根底になっている『阿弥陀如来』系の経典も、
最初読んだ時には衝撃を受けました。これを釈尊の説法と仮託するの?って。
だけど、浄土系経典には“やさしさ”を感じました。
自力で悟る事が出来ない。修行なんて出来ない。
救いから漏れてしまう一般の人達。
自分の罪を認めながら、救われないと知りながら、生きなければならない。
これまでの自力の仏教では救われなかった人達。諦めていた人たち。
こういった人達を“阿弥陀如来”という悟りの仏、が救ってくれる。
これは、慈悲ですよ。仏教の慈悲の部分が、優しさが、阿弥陀経典となって現われた、
と私は思うのです。
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4月8日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス
日付部の色を変えてみました。見えにくいですか?(笑)
今夜は道場が休みになりました。
尚、告知していた石巻教室は、10日(月)の夜7時半頃からスタート予定です。
取りあえずは月2回行ないます。
興味ある方は事前連絡の上、見学にどうぞ。
★今回始まったNHK連ドラは茨城県の谷田部さんが主人公ですね。とうとう来ましたか(笑)。
以前『ひねもす』で述べたのですが、私の祖父が茨城の谷田部村(今は町らしいですが)の出です。
私の祖父が幼少の頃、家に自転車があったそうです。
尤も、子供達で悪戯してからは、その自転車は天井に吊るされる様になったそうですが(笑)。
4月7日(金) 仙台・套路(型)クラス
M子さんも五行拳を一通り覚えたので、第2段階目の練習法に入る事にした。
彼女の太極拳や八卦掌はキャリアが長いので、無駄な力みは結構抜けている。
ついでに、既に2段階目の練法以上に進んでいる生徒達も復習を兼ねて学び直して貰う事にした。
練法が求めている内容と、各自が“この練法は〇〇が目的だろう”と理解している内容に誤解が無いとは云えない(笑)。
何度でも最初に戻る、これが重要である。
Sさんは他道場で長く内家拳を学んで来られたので、套路を直されるのはストレスだろうと思い、これまで直して来なかったが、
「直して頂きたい」との希望で、こちらも一緒に始める事に。
・・・という予定の稽古の今夜だったが、残念ながらM子さんは仕事で来られず(笑)。しかし、S島さん、K池君、S木君とで
毎度の冗談なぞも交えながらの楽しい稽古。
五行拳の対錬も練習。何処の形意拳教室でも学ぶであろう、基礎的な対錬だが、
当会のこの対錬套路は遠・中・近の種類があり、3種を学んで応変等、実用し易くなっている。
全国展開している中国武術道場の出身の方が総じて「こちらの内容の方が深いと感じる」と感想して頂けるのは、有難い。
私の場合は先生が良かったのでしょう。
必要最低限の指導と説明のみで、後は放って置く先生。
身体の細かい使い方や息の吸い方にまで細かかった先生。色々なタイプの先生にお世話になりましたから(笑)。
今週の雑談/『誰にも奪われる事のないモノを』
「身についた技術は逃げて行かない。例え会社を首になっても、その技術は自分の物だ」。
これは、会社を経営していたある信徒さんの言葉だ。
「会社にいる時に、そういった“逃げて行かない”モノを身につける事だ」。
例えば(私事で申し訳ない)、私なら例え裸にされても、何処でも拝む(僧としての仕事)が出来るし、
戦う事(その武術の指導)が出来る。
これらの技術は私から、誰も奪う事が出来ない。
若い人達には是非、そういった“逃げない技術”を身につけて頂きたく思う。
“技術”を身につける間は辛い事が多くても、つけてしまえば、こっちのものだ。
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今週も楽しく稽古しました。では、そんな指導日記の始まり。
金土の道場明けて忙しい日曜も終わり、今は飲みながらアップします。
4月1日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス
私が道場に着くとT沢さんが正宗太極拳の練習中。折角なので、気になった動作を3つ程修正。微妙な力の使い方を覚える必要があるのですな(笑)。
高校生I藤君も来たので、20時過ぎから今夜の稽古を開始。準備体操は各自で行なって貰った。
①基本的な防禦練習。相手の攻撃をしっかりガードする練習だが、今夜はいつもは練習しないモノも数種。
又、一寸した腕や手首等の角度で受けが悪くなったりするので、そこを重点的に練習。ついでに、初心者の拳の作りと当て位置。
何事にも上級者になればどーやっても構わないが、初学の内はしっかりと守らねばならない物、がある。そこはご注意ご注意。
②外家拳技術の中から、鞭手系のものを変化や応用まで、歩法と合わせて練習。
③約束組手内から数本を練習し、技を失敗した場合の変化も。
④正宗太極拳の提手上勢の実戦用法。色々な用法はあるが、その一つでナカナカハードな物を(笑)。
最初の仕掛けは失敗しても成功しても可、という用法を。荒いだけに実用度は高い(笑)。
ここ迄で約1時間40分の練習。・・・常に行なっている基本的な技を、少し変えるだけで与えるダメージが大きくなったり、反撃されにくくなったりする事を
改めて理解して貰えたのではないかと思う。
⑤スパーリングを軽く。
⑥柔術の初伝・合気を10本練習し、今夜の稽古は10時半頃に終了。
人数が少ない上、荒い技の練習が多いクラスなので、解説や変化も時折(え?しょっちゅう?)かなり物騒な物になったりし、
その都度、大笑いしながらの稽古。
T沢さんが埼玉へ転勤になった。道場としては残念だが、彼にとっては更なる一歩である。大いに応援したい。
3月31日(金) 仙台・套路(型)クラス
第5金曜は“武器で遊ぶ日”。
日中から石巻では時折雨がパラついたので、必要最低限の武器だけ道場に持参。雨に濡らすと手入れが厄介ですから(笑)。
前半1時間は棒術と剣(日本刀)術。後半はナイフ術。
この内容はこれまでと同じだけれど、今夜の棒と刀は専作伝の型を復習。(前回まで前半は築館の老先生伝の武器術を練習していたので)
そんな今夜の参加者はS島さん、高校生I藤君、Yさんの3名。欲を言えば、もう1~2名いるともっと賑やかで楽しいのだが(笑)、
年度末最後の金曜で職場の集いも多い様なので、ま、こんなもんでしょう。
専作伝の棒・刀についてはS島さんとI藤君は既に一通りやっているので、復習の感じ。Yさんは今夜が初めてなので一つをじっくりと。
ナイフ術は、扱い方から基本のテクニック、ナイフ対素手、ナイフ対ナイフのスパーなどで楽しく練習。
ナイフなどの片手で扱う武器を知ると、中国拳法の素手技術も良く理解出来たりするのは、毎度言う通り。
古い武術は素手と武器が同じ原理で出来ており、素手でも武器を練習し、武器でも素手技術を練習している様なもの。
今道場に来ている皆が一通り基礎的なナイフの技術に慣れたら、別の武器をやろうと思っていますので、早く身につけられるよう、良く練習して下さい。
10時10分頃に今夜の稽古は終了。
★先日、又も子供さんが遺体で発見されましたな。
子供に手をかける奴なんてのはな、死刑にするべきだ。
地獄に落ちやがれ。
今週の雑談/『気について』の続きね。
私は頭ごなしに“気”を否定しているのではありません。
武術を学ぶ者が、安易に“気”という物に流れる事を嫌うのです。
“気の太極拳”を修業する人達と会ってみると惨憺たるレベルだったりするものです。
又、気功も学んでいるという現代武道家は筋骨隆々、「どっせい!」とパンチ打ったりするものです。
あの人達に“気”なんて概念いりませんよ、地力がすっごい強いんだから(笑)。
気功なら「貴方には効かなかった」で済みますが、武術は相手があって戦うものです。
気なんてモノに頼るのは、危険なんですよ(笑)。
必要な物は修業の中で自然と解って来るものです。本当に必要な“気の感覚”であれば、修業の中で解って来ます。
武術家は武術の修業をする事です(笑)。
そして、出来るようになれば、それは“気”という言葉を使わなくても説明できるようになります。
説明出来ないという事は、キチンと体得出来ていない・理解出来ていないという証拠です。
以前から言っているように“気”という言葉は人によってイメージが異なります。
全てを気という言葉で説明しては、人に教える者としては失格です。
たとえその当人は良いレベルでも、下を育てる事は出来ません。
“気”の感覚では、書道にも気はあります。
しかし、字の書き方や筆の使い方、筆致、風格など、理論で教えられない先生は愚物でしょう?
そんな先生に就いて、誰が名人になれますか? 余程感性が先生と近い者だけしか残りません。
人にモノを教える、人を導く、という事はキチンと理論だった技術でないと勘違いが起こります。
良い先生は感覚や経験をある程度、誰にでも解る言葉で、言語化できています。
もしくは方法論がしっかりしています。
「説明出来ないから、正しいのだ」とか、「解らないから・不思議だから有難いのであーる」
と言うとしたら、その人は教える側としては無能です。
私も最初から理屈で説明できた訳ではありません。感覚的なモノとして捉えていたモノは多いのです。
でも。人に武術を教える際に、その“感覚的なもの”はテキトーな説明をしない様に気をつけました。
感覚は人によって異なるからです。(そんな時は実演するのみ、が最善かも知れませんね)
それを言語化できる様になったのも、武術と付き合って長い年数を経験して来たからです。
ところで。
以前聞いた所では、『気』とか『秘伝の身体操作』とか、
少し不思議なネタを持ち込まないと武術系の雑誌は売れないそうです。
「武術マニアとオカルトマニアってのは重なりがある」って聞いた事もあるので、そーゆう興味の方向性になるのかな?
だとしたら、私の嫌いな方向だ(笑)。
「不思議なモノがウケる」。
だとしたら、私ん道場は失格になりますね(笑)。
「それを知れば昨日の自分と違って途端に強くなるぞよ」
ってな、怪しい秘伝なんてーのは言いません。←いや、技術的な“秘伝”はありますがね。
「それを知ればアナタは人を越える!?」とかね、
人と違うもの、楽して実力の上がるもの、なんて追っかけてる人には哀れも感じますよ。
秘伝なんてーのは、習ったら練習しなくちゃ身に着かんもんですよ。教わっただけじゃ身につかんもんです。
そういう意味では苦錬あるのみだし、
だからこそ勘違いを与えない様に『気』なんちゅう、目に見えない物を指す言葉は極力使わず教えるのが親切だと思っています。
少なくとも私が師事した先生方も、(中国人以外は)そんな怪しい事は言わなかったですよ。
「練習あるのみ。練習量の多いモンが最後に強い」
って先生ばかりだったからね。
それが現実。現実なんだけど、現実を言うと本も売れない、人気も出ないってのが面白いよね(笑)。
「私が弱いのは気が足りないからだ!」といったような理屈。
そんなバカな。君が弱いのは打ち合い(といった実戦的練習)をしていないからです(笑)。
そんな事にも気付けない。気への信奉、いや、信仰か(笑)。それを危惧するのです。
と、いう訳でして、武術家は武術の練習をちゃんとやりましょ。
長くなりましたが、私が言いたいのは“気”(や感覚)という言葉を使わなくても説明できるモノ・コトを
ワザワザ「気」だの、「説明不可能な感覚」などと言って、初心者や素人をダマす者は嫌いだ、という事です。
「説明できるように努力すべきだ」と言ってるワケです。
そういった言葉を使って誤魔化したり、己を権威付けするのではなく、理屈でキチンと説明した上で尚、
弟子や一般人にはそう簡単に真似できない、というのが本物だと私は思うのです。
感覚であれなんであれ、理で説明されれば、又、理で説明しにくいものは、そこに至る方法論を
しっかり提示できれば、いずれ弟子もそれを自分の物と出来るでしょう。
今週の読書
3月29日・『密教の禁断秘術・秘法』ってな興味本位の本(笑)。
読んでみたい方がいればお貸ししますので、言ってね。
3月27日・『法華経㊥』(岩波文庫版)
『法華経』のダイジェストや解説書は何冊か読みましたが、全文に当たっているのは今回が初めて(だと思う)です。
今まで数多い経典を読んだし、それらの解説書も随分読んだものです。
が、素直な印象として、この経典には色々と違和感を感じます。これまで読んだ中ではかなり、違和感を感じる経典です。
↓以下、くどいのでお好きな方にだけ(笑)。
実は、ご存じない方の為に基礎的な話をしておくと、
大乗仏教の経典は、お釈迦さんが実際に喋った(教えた)内容ではありません。
どれもお釈迦さんが亡くなって遥かな時間が経ってから、「釈尊の真意はこうだったに違いない」と、
修行を積んだ人達が、新たな解釈を打ち立てて経典を作ったものです。
なので、『大乗非仏説』という説は、その「仏」が歴史的実在のお釈迦さんを指している場合は、尤もなのです。
ただ、「仏」を、お釈迦さんに限らず「悟りを開いた人」が説いたのよ、という意味では「仏説」でOKな訳です。
しかし、なのです。『法華経』は全く創作であるにも関わらず、文中で「釈迦が死ぬ間際の最後の教え」と言い切ってしまったり、
『経』そのものを信奉しろ、と述べたり、
他にも“それは釈尊の真意としても違うのではないか?”と感じられてしまう箇所が多々あります。
ちょっと暴走気味?(笑)
これらは小乗や他との差を出す為に、つまり法華経(とそれを作成したグループ)の優位を打ち出す為に、
権威付けの為に、大袈裟な場面設定を創作したのが原因でしょう。
そんな事をする位なら、密教のように「大日如来の教説」とまで言い切ってしまう方が、悟りの内容として余程真実に近いし、
お釈迦様が嫌った『嘘』にならないだろうに、と思います。
この経に書いてある事を信じられない者には、この経は余り意味がない気さえします。
なのできっと、この経を読んだ時に、この経を信奉する気持ちになれた人は、精神的に素直なタイプではないでしょうか。
でなくば、思い込みの強いタイプの人かな。きっと真面目な方。
あ、あれれ? ボクは熱心な仏教徒のハズなのに、なんか今回の感想は批判的な内容になってるぞ。
否定する心算は皆無ですよ。どの経典も必要とする人があったから、現代に残っている筈ですからね。
「宗論はどちらが勝っても釈迦の恥」。
なんと恐ろしーコトをしてしまったのかしら、ボクは(笑)。
ま、『法華経』も残り一冊。今後の人生の中で何度か『法華経』も読み返してみたいと思っています。
その内に、衝撃的な目覚めも私の中に出て来る日があるかも知れませんから。(笑)
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3月25日(土) 仙台・拳法(打撃)クラス
本日、四九日と納骨の法要。
納骨・法要後の席に出席してお酒を頂いたので道場に出られず。
当寺院の住職は何があっても昼酒は飲まない上、然程親しくない人がいる場では滅多な話もしないので、自然、こういう席は私の出番になる。
ええ、私は誰とでも平気でお喋りしますからね(笑)。こういう席は全て昔からアタシの仕事。
というワケで、昼間っからご馳走になった私は、今夜の運転は無理なので、道場は師範助手I藤君に一任。
私の弟子達は、よくやってくれる。ありがたい。
※本日の予定だった審査会は、そんな事情で延期しました。
3月24日(金) 仙台・套路(型)クラス
高校生I藤君、M子さん、K池君、Yさん、H君が稽古に参加。
①準備運動をし、②基本功
③皆で揃って正宗太極拳を行ない、各々の不正確な動作を直す。
④その他の套路を練習。内家拳や少林拳、柔術や対錬をやったりと、各自練習。
10時半に今夜の稽古は終了。
途中、「太極拳を動禅にする為の方法」を雑談的に解説。
お彼岸も過ぎ、もう春ですねぇ。・・・でも、まだちょっと寒い。早い年なら、もう道場の暖房は使っていないのですが(^^)
稽古が終わって外に出ると、泉は雪がチラついていました。
ところで、私事なのですが、
今年の冬は一度も風邪をひきませんでした。“ちょっと風邪っぽいかな?”という事もありませんでした。
この冬は外で飲酒する事が殆どありませんでしたし(よって車中泊もなく)、外出はお祓いや葬儀、道場といった“仕事”だけで、
それ以外はず~~っと引きこもって読書と稽古で過ごしてましたから、風邪を貰う、という事が無かったのかも知れません。
引きこもってるのも悪くないものですね。ますます寺から出ないヒトになりそうです(笑)。
今週の雑談/『インチキ野郎め、またかい』
いやはや、又も先日、自称カウンセラーだか祈祷師だかが捕まりましたな。
事件自体は何年も前のようですが、小さい子供さんが犠牲になったというのは痛ましいものです。
“自称”なんてーヤツは基本、無資格です。無資格って事は正しい勉強もしていないし、修練も積んでいない訳です。
それでなんぞやるたぁ、無責任も甚だしいったらねえ。
カウンセリングでも、メンタル改造法でも、座禅でも、瞑想法でも、なんであれ、自分の精神にアタックするものは
キチンと経験をつんだ(要はちゃんと師に就いて教わった)人に教えて貰うのが無難です。危ないですよ。
精神的なアタックは相手(教える、導く側)に悪意があると危険です。ちゃんと訓練をつんだ人なら、変な事はしませんし、限界もわかります。
しかし、世間には独学でやっちゃっている人も多いようです。
スピリチュアルな世界には、如何にもご立派そうな事を言っているけど、自分自身が精神のバランスを欠いてたりする人がいます。
良くその人の話を聞き、もし、その人のブログ等があればそれをしっかりと読むことです。インチキはバランスを欠いています。
現実世界とのバランスが悪いというのは、あっち側に行ったままになってる(笑)というコトです。
校正が入る書籍と違い、今時は『ブログ』といった“書き散らす”物があり、それを丁寧に読むと
その人物が少しは解るので(というか本格的に狂ってる人は直ぐ解るか)、しっかり確かめる事が出来る、良い時代ではあります。
でも一見、“普通の顔をしている”変な人、もいます。接近する前にしっかり調べると良いですよ。
「どんな資格を持っているのか」を尋ねるのも一つの手です。ちゃんと免状を見せて貰いましょう。
(その免許を発行している団体がマトモな団体であれば、資格の良否を調べるのも容易でしょうし)
・・・ま、正式な資格を持っていても変な人は居るものですが、無資格の人よりは変な人の確立は低い筈ですから(笑)。
今週の読書
3月20日/『法華経㊤(岩波文庫版)』を読む。
岩波文庫の経典シリーズは漢訳文、読み下し文、サンスクリットやパーリ文からの直の和訳などが対照できる様に載っていて、
内容と比べたら実に安価である。学生時代からお世話になっております(笑)。
絶版になった物の再版と、今後益々の刊行を希望するところ。
さて。
実はこの『法華経』、経の護持・布教の功徳が述べてあるだけで中味がない、と言われる事がある。
中国の優秀な坊さんが若い頃に『法華経』を読んで、「クソじゃ」と評した話も伝わる(苦笑)。
個人的にも、本文(経)よりも註や解説文の方が読み応えがありました(笑)。
以下、関連余談。お好きな方だけどうぞ。
『法華経』といえば狂信的な信者がいる事で有名だが、果たしてその新興宗教の信徒さん達は
一体、原典(経典)を自分でちゃんと読んでいるのだろうか。
キリスト教系新宗教も仏教系のそれも、その教団教祖の解説(思想)や書籍だけをテキストとしていて、どうも基準の経典を読んでいないようだ。
例えば、前にキリスト教系新宗教の方に『旧約』と『新約』の質問をしたら、全く解らなかった。読んでないそうだ。←この人達は人間性が良いので許すけど(笑)。
・・・冷静に己が頭で、自分の教派の教えとモノホン(標準ね)とを比較する事が大切なのだが。
だから若し、私の所に新宗教の信徒さんが折伏に来ても、
「貴方はその経典に当たりましたか?自分で読みましたか?岩波文庫版で良いので、一度キチンと読んでから、又お話しましょう」と追い返すよ。
一つの見方しか持っていないトーシロなんかと教義論を交わす心算は到底ないもの(笑)。
だって、不毛なんだよ、ホントに。
「いいか、他宗他派の批判がしたけりゃ、相手の寄って立つ経典も読み込んでからやりやがれ」って、言われて当然だと私は思う。
素人ほど議論したがりやがるのは、武術も同じだわい。
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【連絡】 石巻教室・再開
震災後はずっと個人指導でやって来た石巻道場ですが、4月頃から曜日を決めて稽古を再開する事になりました。
(時間が合わない方は個人指導の形で継続します)
ついては練習生を若干名、募集します。
練習場所が当寺院・本堂なので、余り暴れるような練習は出来ません。套路、対錬、推手、用法などの型稽古が中心になる予定です。
気候の良い時には、庭で武器術などを行なう日もあります。
基本的な套路(太極拳等の拳法の型)練習には、余り時間を割きません。(無論その日の参加者次第では套路を中心に練習する場合もあります)
套路は皆で揃って通しますが、基本的には2人組等で行なう練習が中心となります。
仙台道場は初級~中級の練習が混在していますが、石巻道場は中級の練習になる、とも言えます。
なので、全く初めての方で、套路を一から憶えたいという方は、練習の中で憶えるか、兄弟子に習うか、又は別の時間帯に習って頂くか・・・と努力して(頑張って)頂く事になります。
※万が一、震災前のように人数が多くなれば、初心クラスと中級クラスとを分けるかも知れませんが、今の石巻の状況から考えると、そう人数が集まる可能性も低いと思われます。
一例を挙げれば、一回の稽古は以下のような感じで考えております。
①套路を皆で揃って通す。(日によって中心になる套路が変わる可能性があります)
②対錬、推手、用法など。(これが中心となります)
③整理体操。自分で出来るマッサージを毎回しっかり行ないます。
※準備体操はしませんので、必要な方は各自やって下さい。
※中級以上の套路については必要に応じて指導します。
3月18日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス
S木君、高校生I藤君が今夜の稽古に参加。
若いI藤君の基礎力が全体に甘いので、標準メニューで2時間しっかりと稽古。
①準備体操
②基本各種
③防禦・反応訓練
④外家拳テクニック
⑤歩法
⑥約束組手
⑦スパーリング
若いI君の基礎力が弱いというのは、ひとり彼のせいではない。若者に限らず、昨今はヒトが脆くなっているので、稽古をつける先輩達も加減が多くなる為だ。
私が石巻で教え始めた20年前は、今よりハードな稽古にも小中高生がついて来たし、脱落者も少なかった。1年半や2年も道場に通うと、
「手足がぶつかって痛い」と言う事はなかったし、眼つきもイイカンジになったものだ(笑)。
年々ヒトが脆くなるのは、文明国の宿命なんだろうかな。「牙や爪などの武器を持たなくなったからこそ、人間は集団生活を営める様になった」
と唱える人もいるし、脆弱な位で皆が安心して暮らせるのかもな。・・・俺は絶対にイヤだけど(笑)。
★震災後、被災地に移住してきた人というのは時に美談として取り上げられたりもしますが、そこには嘘もありまっせ(笑)。
被災地の状況を商売や仕事に活用しようという人。
元々居場所のなかった人が被災地で居場所を見つけた。
ってのが大半です。
3月17日(金) 仙台・套路(型)クラス
S木君、高校生I藤君、Yさん、M子さんが稽古に参加。
いやはや、出発前にちょいと足止めを食い“遅刻確実か?”の時間になったが、結果間に合って良かった(笑)。
ま、私が居なければ生徒達で稽古を始めているだろうから、安心はしているのだけど。
前半はS君とI君のみだったので、形意拳や八卦掌、少林拳や専作伝心眼流など、これまで習った套路の復習。
型の手順だけでなく、正確に動ける様に直すべき所は修正。型は正しい動き(力の出し方など)のテキストである。
テキストであるからには正しく読み込まねばならず、その「正しい読み方」を手解きしてくれるのが先生である。
なにせ『その道に先に生きてる』のが『先生』なのだからな(笑)。←うむ、自分でハードルを上げてしまった気がするな。
套路の復習に続いて、八卦掌(截脚)や天型等の対錬の復習。
対錬は相手が居ないとナカナカ練習しづらいので、忘れて終いがちである。完全に憶える迄は道場に来る度に先輩を捉まえて相手をして貰うと良い。
後はシャドーで行なったり、イメージで繰り返して憶えるしかない。
後半はYさんやM子さんも参加。遅れても来るのは大切な心構えである。“仕事で遅れたから今日はいいや”としてしまうと、
現代人には芸事を身につけるヒマがない(笑)。
Yさんは主に正宗太極拳を、M子さんは単攻防を中心に練習し、九鬼神流棒術(東京版)などの練習も。
M子さんに身体の使い方の説明ついでに足指の使い方なども解説をし、「遅れても来て良かった!」と喜んで貰った(笑)。
熱心な人が多くて10時40分頃に今夜は稽古を終了。
今日は夜になって久々に纏まった雨が降った。
今週の雑話/『お行儀のいい時代?』
数年前のこと。
入会したばかりの生徒から、
「先生は不良だったんですか?」
と質問されてビックリした事がありました。私自身としては不良とか非行といったモノとは全く別世界の人間だと思っているので。
理由を聞くと、
「ケンカとか、そういう事があったようだから・・・」
と言うので、少し納得しました。
私が若い頃は、ちょっと街に出ているとカツアゲに遭ったり、突然からまれて暴力を振るわれたりしましたし、
学校でも「武道をやっている」と噂になると、腕自慢に、「オメエ、強ぇんだって?ちょっとやってみっぺや」
と挑戦されたりしました。私はバンカラ高校出身でしたので尚更でした。挑発されっるのはしょっちゅうでした。
そういう事です。不良なんかじゃなくても、そんな経験は多少ならず誰でも持っている世代なのです。
今は、そういった事が珍しくなったみたいですね。学校でも殴り合いのケンカなんてのは殆ど無いとか。
なので外で一方的に絡まれて暴れてみたり、というのは昭和40年代生まれの私等が最後の世代なのかも知れませんね。
だから今の若い人には珍らしいのでしょうね。
今は飲み屋でケンカになると直ぐ警察を呼ばれるそうですが、昔は店のおばちゃんに、
「あんた達、外でやりな!」と出されるような時代でしたし、学校でもケンカになりそうな生徒同士がいると教師が、
「よし、俺が審判してやるから思いっきりやれ」と言われるような時代だったのです。
親にも「噛み付きと髪を掴む事、引っかく事以外はOKだ。勝つまで家に入るな」などと檄を飛ばされたりしましたよ。
ま、そんなんが良いか悪いかは解りませんけどね(笑)。
それだけの事ですよ。当時は普通の事でした。
今は“実際に戦いたい”と思ったら試合しかないですものね。
私等の頃は、試合目指して武道やってる奴は“おぼっちゃん”でした。
(と言ったら「そりゃーおめえ、石巻がイナカだからだよ」と指摘されましたが。それは兎も角)
殆どの連中は学校や街のケンカで勝つ為、であって、試合なんかには見向きもしてなかったですよ。
そういう連中が試合に出ても勝てなかったですが、試合で好成績取る奴がケンカだと手もなくやられたりしたもんです。
ま、例外もいましたけどね。
あ、題の『お行儀のいい時代』ですけど、昔のほうが人々の行儀は今より遥かに良かったですね、そういえば。
「行儀が悪い!」なんて言葉自体が、今はもう死語な感じがしますものね。
と、“今世紀最大の不行儀”で知られるワタシが言ってみました。
今週の本
セネカ/『わが死生観』(草柳大蔵訳)を読む。
紀元前の昔から、人間なんつー生き物はナニヒトツ変わってない、っちゅう事だね。
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3月12日(日) 道場とは全く関係ないんだけれど・・・
昨日、竹内由恵アナウンサーが石巻の日和山に来てたのね。日和山っていったらウチの対岸ぢゃないの。
私、あのアナウンサーちゃん、“あらあらまあまあ、かわいいわねぇ”ってニュース見てるのよ(笑)。
先日なんか夕方のニュースでお寿司屋さんのコスプレしてた時なんて、おじさん、めろめろんちょになっちゃたわのよ。
“もう一回ケッコンするならあんな可愛らしい子が良いわねぇ”とか、ま、性格は知りませんけども。←この世の中に私より性格が悪いヤツなんて、いないのよね。
・・・ってなオバカなネタも導入部にいれとかないと、今週の話題はやっぱり暗くなっちゃうからね。
では、震災6年の『指導日記』始まり。
3月11日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス
週間予報では、この金土辺りから気温が上がるとの話だったので期待していたんだが、昨日も寒く、今日も雪が舞った。
6年前のあの日も寒かった。避難した小学校の3階の窓から、真っ暗闇な外の全域に広がった水と瓦礫、対岸の炎、降る雪を見ていた。
あの日から毎年、雪がチラついて寒い気がするのは気のせいだろうかな。
この私がこんなコト言っちゃあナンだが、震災の日に遠方から来る宗教関係者の気持ちは確かに尊い。
尊いけれど、この被災地で毎日生きている連中の方が遥かに尊い。
さて、今夜の道場のハナシ。
参加者はT沢さん、S木君、高校生I藤君。
今夜は事情でメニューを少し変更した稽古。
①外家拳テクニック
②約束組手
③スパーリング
で1時間半ほど打撃系の練習をしてから、套路。全員で揃って正宗太極拳を一度通した後、各自の質問を受けたり、曖昧な部分を直したり。
で10時過ぎに一度稽古終了。「有難うございました」の挨拶。
④形意12形拳の練習。TさんとS君が残って練習。コウ(サル・漢字出ない)形の用法など、知るととても楽しい筈。
10時35分頃、今夜の稽古はすっかり終了。お疲れ様でした。
3月10日(金) 仙台・套路(型)クラス
雪がチラついて寒い中、道場に来たのはS島さん、S木君、高校生I藤君、Yさん、K池君、Hさん。
8時前には結構人数が集まったので、少し早めに稽古を始める事に。「もうやっちゃうか」ってな事で(笑)。
準備体操は端折り、套路から。各自、練習中の套路に取り組んで貰う。
後半は対錬を行なう者、棒術を練習する者など、別れて練習し、最後に攻防型(2)を復習して10時20分頃に今夜の稽古は終了。
入会間もない人は基礎的な型ばかり練習させられてツマラナイかも知れませんが、そこを過ぎないと何をやってもダメなので、頑張って基本を通して“正しい動きを身につける時期”を越えて下さいよ(笑)。
定歩での練習などで大事に稽古する事を重ねていると、タントウの際に足裏(当然指を使います)から背、手先へと力が繋がっている感覚があります。
これを中国人は“足裏から地の気を吸い上げる”と表現したのだろうな、と思います。私は“気”という言葉を極力使いませんが、気感で説明する人ならそうするでしょう。
ですが、最初から気の感覚という物を追うのは間違っています。勘違いの思い込みになってしまう事が良くあります。
気の専門練習者であれば、あら気のせい、勘違いだわ、でも良いかも知れませんが、武術ではそれはダメです。
丁寧な練習を重ねる事です。多くの事はその過程で解って来ます。
大袈裟な言葉に惑わされない事です。そんな事も、キチンと稽古してさえいれば自ずと解って来ます。
(“気”については又改めて話をします)
今週の雑談。『あれから6年ですか・・・』
うちの寺は、父が古い小さな借家を借りてスタートした。
余りにも小さな建物なので、寺院としての活動・出来る事に限界も多かった。それもあって、どちらかと言えば拝み屋的な活動を中心にした。
(こういった活動をしている寺院を祈願寺といいます)
お祓いや相談の金額は決めず、あくまでお布施として払う人の側に任せた。良く聞くような“脅して大金を支払わせる”ようなズルは一度もしなかった。
だから、その小さな借り寺を出るまでには随分時間がかかった。30年。
30年かけてやっと移転をした。これからは活動の幅も広がる、これから、だった。
そこにあの津波だった。新築後4年しか経ってなかった。津波の翌日、寺に行ってみると建物の土台しかなかった。何もかも、全て失っていた。
どうしたら良いのか、全く先も見えなかった。
死にたい、と思った。
でも、生きてしまったからには、真っ暗な中でも足を前に進めるしかない。やれる事を一つずつ、やるしかなかった。
「頑張れ」、「明日は来る」と言われても、
先なんかまるで見えないんだよ!真っ暗なんだよ!明日なんて何処にあるってんだよ!との思いは拭えたものじゃなかった。
しかし、仮の本堂に入っても、そのような態度は出来るだけ出さず、以前とスタイルは変えず、
これまで通り、普通の態度で仕事をして来た。歯を食いしばって生きてきた。
6年。
この頃、ようやく明かりが見えて来た気がする。
人生、本当に山があり谷もある。
予想以上の重いパンチも浴びる。絶望だってする。自暴自棄にもなる。
でも、底の次は上りも来る。底まで落ちたら、後は上がるしかない。
あの経験をした。そして今、なんとか乗り越えつつある。
例えこれから、運営での失敗があったとしても、人との別れにも、そんな事では、もう多少の事では、越えられる。
小さな事の一つ一つにはビクともしない。
これからも、一つずつ生きて行く。毎日毎日、一つずつ生きたら、何とかなる。
そんな勉強をさせて頂いた。
私はまだ恵まれている。
仮設を出る当てすらない人達も多い。
あ、そうそう。震災時、そして震災後は色々な人達が被災地に出入りし、色々な事がありました。
これって地元の人は見聞きしてますが、他所の人は余り知らないのではないでしょうか。
良い話もあれば、そうでない話も当然あります。人間のやる事ですからね。
ここでは書けない話もありますが、折角の機会ですし、そういった物を少しぼかして、後程MLに載せてみようと思います。
当会の人々の何か考える参考になれば、との一心であり、暴露話が嬉しい訳ではないのですが。
今週の読書(今週は余談が長いです。スミマセン)
3月6日/田上太秀著・『ブッダが語る人間関係の智慧』を読む。『六方礼経』というお経の解説本。
この『六方礼経』という経、私は3年位前までその存在も知らなかった。いやはや、仏教にはまだまだ知らない経典があります。ま、「八万四千の法門」がある、と言われる位ですから、知らない経の方が多いって事でしょう(笑)。
この経は、夫婦や親子、上司部下の関係などでどの様に付き合うべきか、を述べた(在家者向けの)物ですが、この内容を本当にお釈迦さんが語ったのかは解りません。ま、仏典は殆ど全てが「私は(お釈迦さまの言葉を)こう聞きましたよ」と、あくまで「聞いた話」として書いてあるので、どれも書き手の意向などが混入しやすいと思われます。
仏教は出家者と在家者とにでは教える内容が異なっていたりしますが、これもそういう良いテキストの一つです。
以前にも述べた様に「出来上がっている物に文句を言うのは簡単」なので気が引けるのですが(笑)、もう少し良い解説がなかったものでしょうか? 勿論意図してるのでしょうが、解説をつけるのが若しも私なら、もう少し違った説明をするなぁ・・・と正直思いました。いっそ解説は余りつけず、原典を忠実に訳して一冊にしてはならなかったのでしょうか、という読後感でございました。生意気を言ってスミマセンm(__)m
3月7日/新居祐政著・『般若心経の救い』を読む。この新居先生は私の大学で『布教』の教授だった人。
震災後、仏教出版(旧・四季社)の本を購入した際、この本がサービスとして同封されていたのでした。ありがたや。
密教の視点から心経を解説した本。“信仰”にも重きを置いているのが、解説本としては珍しい感じがする。同内容の繰り返しがあるのと、文章に少し読みにくい所もあるのが難かな。
ところで、この仏教出版から、今年に入って声明(しょうみょう)の、ある伝承者のCD(24枚組)を購入した訳です。
で、聴いてみました所、そのご老僧が余りに自由過ぎて、声を出しながら咳払いしてみたり、余りに自由闊達すぎて逆に参考にならなかったりしちゃう訳です。
声明の中には私なんか知らない・聞いた事もない物もある訳ですが、知らない物ですと、もうその音程で正しいのか、そこで息継ぎして良いのか、ホントはダメなのか、がサッパリ解らな過ぎたりしちゃう訳です。
もう、これを聴いて学び直そうとか、勉強しようというレベルを超えて、聴いてるだけで楽しかったりしちゃう訳です。
“ああ、偉い老僧になり過ぎちゃって、録音途中で咳払いなんかしちゃっても、誰も「録り直し!」なんて言えなかったのかもなぁ”なんて、勝手に想像しちゃってたりする訳です。
≪声明について・もう少し≫←興味のある人にだけ
我が高野山真言宗には、声明という“歌の様に節がついた経”があるのだが、これにも“伝承者”という存在がいる。
(因みに私は声明を一通り、法会や日常の読経で困らない範囲を学んだ(覚えた)程度だが、その程度の練習から拝察しても、声明の伝承者になるという事がどんなに難しく、修練と才能が必要かは想像がつく。とても伝承者を目指そうなどというガッツは持ち得ない。伝承者とは実に凄い人達だと思う)
聞いた話では、伝承者になるような人は師匠に個人的に習いに通うそうで、あるレベル(段階)を卒業し、次のレベルの学びに入る前には師匠からお膳を出されてお祝いされるそうだ。
「いつも褒められた事がなく厳しい指導で、泣く事もあるだけに、その瞬間はとても嬉しい」と聞く。個人指導による伝授ならではの、実に美しい、昔ながらの世界である。
・・・さて私も、もう少し年を取って道場に教えに行くのがキツくなって来たら、個人指導形式で伝授をする形になれたら嬉しいと思う。いや、“嬉しい”とかでなく、芸事の伝承にはその方法が必要だと思うのである(笑)。
武術も結局、最終的な伝授は個人的な“面伝口授”しかないだろう。大勢のいる中でやってみせられる、教えられる物は高が知れている。
無論、集団指導には互いに切磋琢磨する良さがあるので、そこは会で練習して貰い、ある程度以上のレベルになった者は個人的に習いに来て貰えれば良い。ってな“サボりジジイ”になる事を目論んでいたりするんである。
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【連絡】 審査会
今月末土曜(3月25日)に春の昇級審査会を行ないます。受検希望者は申し込み用紙を受け取って下さい。詳細質問のある方は遠慮なくどうぞ。
3月4日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス
毎月初めは忙しい事が多いが、昨日も今日も仕事びっちりで疲労。明日も朝からびっちり予約。“目の下に隈も出てるし明日に備えて今夜は道場休ませて貰おうか”との怠け心を叱咤して道場へ(笑)。
今夜はS木君のみ稽古に参加。マンツーマンなのでメニューを変えて套路を復習する事に。
先ずは準備体操。体操をしながら雑談を。今夜は主に心眼流の話。
一緒に正宗太極拳を通して後、彼の套路の細部を修正。
細かい箇所を結構直したので、少し早めに9時半頃に今夜は稽古を終了した。
「套路など、同門でも違っている時がある。その様な場合、“どうして違うのか”、“違っていると技の使い方や身体(力)の使い方がどう変わるのか”、又、上手く見える人は“どこがどうなっているから上手く見えるのか”、余り上手く見えない人は“どこが理由で上手く見えないのか”などといった事を理論で考える事が、上達の助けになる」ってな事なども。
★とうとう買ってしまった! 薬師丸ひろ子のDVD2枚とCD。思わず。
誰だ、誰だっ、笑ったヤツはッ。
良いんだよ、完全に趣味なんだから。俺ぁ昨日今日のファンじゃねーんだ。中学の頃からファンなんだから、ほっといてくれ。
・・・嗚呼、なんて心地良い歌声。(笑)
3月3日(金) 仙台・套路(型)クラス
※仙台教室の駐車場所に変更が出ましたので、ご注意下さい。詳しくはMLで流しますので宜しく願います。
今夜の稽古には高校生I藤君、Yさん、M子さんが参加。
前半30分程はI君とマンツーマンだったので、準備体操や基本功のチェックをした。その後はこれまでに教えた套路の復習も一通り。
Yさんは五行拳の復習をし、正宗太極拳に入ったところ。
M子さんは主に五行拳の練習。
後半は(以前石巻の日曜クラスでやっていた)反応訓練類を皆で体験的に練習。このクラスの人には初めての練習なので、要領を掴むまでに時間が掛かったりもしたが、楽しそうに練習した。こういう練習も“戦う事”を考えたらやった方が良いんですよ。やれば如実に結果の出るモノですから。
ってな楽しい練習(?)は10時10分頃に終了。今夜もお疲れ様でした。
★たまに生徒に酒席など、ご馳走になる時がある(←生徒とは云え負担させるのは好まないので、基本的には割り勘にしている。私の方が多く出す場合も少なくない)。
この様な場合、以前は後日お金で返していたのだが、最近は武術的な資料などで御礼をする様にしてみた。
数千円のお金を返すより、この方が遥かに喜ばれる事が多いのである(笑)。
今週の雑談/お葬式について
先日、ある生徒に「家族に何かあったら先生に葬式をお願いできますか?」と尋ねられました。
「俺がその時に生きていればな」と返して笑いましたが、勿論、頼まれればやりますよ。少し位遠方でも、君達は弟子だもの、いつでも行ってあげます。
金額についても尋ねられたので、「そうだな、●円でも●円でもしてやるよ」(具体的な金額を述べるとヤヤコシイ事になり兼ねないので秘密・笑)
と返事をすると、「そんなんで良いんですか!?」と喜んでいました。良いんです、生徒は長年月謝を払ってくれているのですから。
「先生、もし私の時もお願いできますか?」と言うので、「お前より俺の方が先だってんだ、バカもん」と大笑いしました。
とまぁ、こんな事がありましたので言っておきますが、門下の皆さんに頼まれれば私がしますよ。長年付き合いのある生徒の親族だもの、私が丁寧に執行してあげます。
ただ、ちょっとだけ注意があります。
・他のお寺さんの寺社内に墓地がない事。←公営の墓地だとか、自分の代で別の霊園に作るとかならOKです。
・金額(お布施)を安価にしてあげられるのは、葬儀の執行が私一名で良い場合です。私一人なら、私の一存でやってあげられますが、
箔をつける為に当寺院の住職にも参加して欲しいとか、派手な葬儀をしたいので僧侶の数を増やして貰いたい、という事になると、当然、別の料金が掛かってしまいますからね(笑)。
そこんとこだけ、宜しくです。
ま、詳しい事は実際にそんな時があったら相談して下さい。
所で、(上記の生徒とは別に)「お葬式って何をしているの?」と質問されましたので、内容を答えますと、「それは大仕事だ。値切ろうなんてダメだ」と言った方がおりました(笑)。
(↑葬儀の内容については『真言宗の葬儀』かなんかで検索すれば出て来るかも知れませんよ)
ま、私は頼まれれば安くしてあげますからご心配なく(笑)。
2月28日の雑談
★本日、満47歳になりました。また1年、何とか無事に生きました。息つぎ息つぎしながら、ですが(笑)。
土日の忙しさが嘘みたいに静かな今日です。ゆっくり過ごさせて頂いております。
★震災からもうすぐ丸6年です。私の寺のすぐ傍にも災害公営住宅が完成しましたし、寺院裏の堤防も工事は進んでいる様です。
あの日、マイナスからのスタートとなった私の寺も、少しずつ僧衣や道具なども揃いつつあります。“一般の方における寺社の存在意義”という点から考えれば、決して将来の展望は明るいという訳ではないけれど、一つ一つ、地道に歩んでいます。
(↑一気になんて回復出来ないのよ。だって袈裟一枚だって数十万するのよ。一寸良い物にでもなれば数百万よ。道具だってその通りなんだから)
私ももう40代後半となり、同時に信徒さん達も年をとっておられ、近年は葬儀の依頼が増えてもいます。
そんな中で、信徒さん達が葬儀をもっと安価に出来るように、ちょっとした会館を建てる計画も(私と父の間では)出ています。区画整理で没収された分、少しですが近所に土地が戻って来る予定で、そこに葬儀、法要、会食、信徒さんの宿泊などが可能な建物を建てれば、信徒さんが葬儀社に支払う高額な代金もだいぶ浮かす事が出来るのではなかろうか、と。
皆さんご存知の通り、私の寺は宗教法人に加盟していないのです。例えば末寺になろうと思えば土地も建物も資格もあり、容易な事ではあります。しかし、法人になって檀・信徒から高額な布施を取って会館を建立してみたり、法人の力で借金をし、それをさも自身の力や功力のようにふんぞり返っている坊主にだけはならんぞ、との矜持がありますもの。
・・・あとは計画倒れにならん様にだけ、です(笑)。
★貧血は相変わらずです。友人達にはそろそろ「貧血だけが原因なのか?ホントに」と言われています。
血の巡りや身体のバランスを修正するのは、武術をやっていれば可能です。しかし、足りない血を作るというのは武術では補えない訳です、当然。動けば逆に減る一方で(笑)。
先日門下のI君と飲んだ折、「この1年、何をやっても調子が戻らんから諦めた。もう前と同じ生活をするぞ」と言うと、
「たった1年で何を言ってるんですか。こっちは幼少時から喘息と戦って来てるっていうのに」
と言われました(笑)。ちょっと教えられた気がしています。
★「貧血に良いらしい」と、サジーというジュースを友人女性がくれました。3ヶ月ほど飲んでみましたが、「俺には効かないみたいだ。定期購入してくれるお金も勿体ないし、終わりにしてくれていいよ」と中止して貰いました。最後の1本を受け取った数日後、ある弟子が「これ、効くんだそうですよ」と全く同じジュースを定期購入し始めた、と渡してくれました。
本当にありがたいです。皆さんの気持ちは、本当に有難いです。
・・・弟子に直接言えないので、ここで言いました(笑)。
★もうすぐ、3月11日です。
家族を亡くし、それでもそれを感じさせぬ姿で働いている人を見ると、その後姿に思わず合掌する時があります。本当に。
★拳法は年々、色々な事が解って来ています。進歩は続くものです。
体調は決して万全とは言えませんが、日々様子を見ながら稽古は重ねていますからね。続けれさえいれば、そして本物さえやっていれば、継続さえしていれば、人は進歩します。
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2月26日(日)
今日もハードな一日でした。
先々週、「これでもう激烈に忙しい日はない筈だ」、なんて書かなきゃよかった、と思っております。
2月25日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス
この頃、門下生達の間で武術・武道系の本が回し読みされています。そんな事も楽しくて良いですね(^^)
T沢さん、S木君、高校生I藤君、石巻I藤君が稽古に参加。
①先ずは準備体操。
②無駄な力が抜けると形が強くなる、実証練習。基本功中のある動きは肩や胸といった力みを取る方法の一つである。幾つかの実験(試し)を入れながら自覚的に練習させてみた。実際、それが上手く出来なくとも、自分が力んでいる事を感じるだけでも取り合えずOKである。・・・ま、一同それぞれ上手く行ったみたいで良かったが(笑)。
③基本。防禦、手技、足技の練習
④防禦・反応訓練
⑤基本的防禦の練習。「これが出来るようになると、こういうコトも出来るようになるよ」と実演もいくつか。
⑥幾つかのビックリ技や対処法を練習。これは半分遊びで(笑)。でもやっておくと技が間違いなく広がる。
⑦約束組手。
⑧スパーリング
で2時間の稽古。
★実は正月から(何年か振りで)頭を剃っています。頭を剃り始めると、結構小まめに剃らなきゃなりません。肌の弱い私は、それで血だらけになったりするので、余り剃って来ませんでした。←誰だ?「肌?・・・弱いのはアタマだろ?」とか言ったヤツは!
親族が「ニベア、効くと思うよ」と言うので、“ホンマかいな”と疑いつつも剃り後に塗ってみると、あ~ら不思議、思った以上に肌が良いじゃありませんか。
という訳で、今年のワタクシ、ニベア頼みで剃髪しているのです(笑)。って、ホントにど~でも良い話題でスミマセン。
2月24日(金) 仙台・套路(型)クラス
Yさん、高校生I君、S木君、K池君、H君が稽古に参加。
準備体操は少な目に行ない、前半部は基本的な対錬を中心に練習。
後半は套路。まだ基礎的な套路を憶え切っていない人は形意拳や正宗太極拳を、套路を憶えている人達は対錬(64散手)を練習。
10時20分頃に稽古は終了。今夜も楽しく稽古が出来ました。
★中国武術は靴を履いて練習する事が多いですが、仙台教室は畳敷きなので靴は履けません(余程底の柔らかい布靴なら構いませんが)。
そんなこともあり、冬は防寒で靴下を履いている人が多いのですが(日本武道ではないので練習時の服装にはうるさく言いません)、靴下は消耗品です(笑)。稽古すれば直に穴が開きますので、立派な靴下を履く必要はありません。既に破れている物や、古い物でOKです。物は大切に!
私なんざ、今夜も穴の開いた靴下でしたよ。って、自慢にも何にもなりゃしませんけど(笑)。
今週の雑談・『寄付』
私が学生の頃、家に「ボランティアで・・・寄付を願います」と訪ねて来る連中を父は、
「自分のカネでやれ。馬鹿者!」
と怒鳴りつけて帰していた。
私も、何度か訪問ボランティアに来られた事がある。しかし、“これも幾許か人の為になるなら良いか”と思っていた。
が、後年、詳しい人に聞いた話で
「ボランティアって言うだろ?だけど奴等の弁当代や会社の運営資金なんかも集めた金から出てんのさ。その上で余った分だけボランティアに使われるのさな」
・・・やはりか。そんなハナシは耳にしているが、ホントにそんなモンなのか。
いや、全部が全部とは思わないし、言わない。中には全額が届くような組織もあるのだろう。
しかし。私ももし寄付金集めが着たら、こう言わせて貰う。
「テメーのカネでやれ!」
寄付は本来、自分でやるものだ。人の金(善意)をあてにして、集めている奴らに何がある? 集金して回ってなんかいないで自分が懸命に働いて、その給料から出せば良い。
その方が遥かに尊い。
「自身が痛みを感じるほど、寄付して下さい。それ以外は要りません」
↑これはマザー・テレサの言葉。
今週の読書
2月20日、なだいなだ著・『民族という名の宗教』を読む。宗教を扱った本ではない(笑)。「人をまとめる原理・排除する原理」との副題が表わしているが、“この様に考えた事はなかったなぁ”と成程~な読書となった。
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2月18日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス
ラーメンに入ってる分にはさほど気にならんかと、肉入りラーメン食べてみた。寺の為や、誰かの為、皆の為にでなく、自分だけの為にお金を使ったのは久し振りだ。といってもラーメン代は650円(笑)。
今夜の道場には私以外来なかった。明日19日は(イヒョーをついて)想像以上に予約が入って忙しいので、誰も来ないなら9時頃には帰ろうと思ったが、調子を見ながら何だかんだ練習している内に9時半になってしまった(笑)。で、いそいそと帰宅。
・・・オイ、土曜クラス休むんならメール一通入れろよ。メール送れねえんなら電話入れやがれ。誰も来ねえんならハナから仙台まで行かねえんだからよ。
★所で、今まで練習会で練習したヌンチャクだの四大兵器だの、練習してないと忘れますから、皆さんちゃーんと練習するんですよ。「練習場所がないわ。まさか公園で振り回せないし~」ってヒトは道場でおやりなさい(笑)。
2月17日(金) 仙台・套路(型)クラス
M子さん、Hさん、高校生I藤君、Yさんが今夜の稽古に参加。先週見学に来たYさんが今夜から道場の仲間になりましたので、皆さん宜しくお願いします。
「仕事でなかなか来られない」と言うS島さんも道場に顔を出して、わざわざ月謝とお土産を届けて下さった。申し訳ない限り。
①準備体操・基本功。今夜入会のYさんの仕事が獣医師というので興味深く雑談もしながら(笑)。
②対錬。先週の復習として、2人組で行なうシンプルな対錬を数種類。
③套路。形意拳や太極拳など、各々練習。用法(使い方)なども解説しながら動きを憶えて貰う。途中、五行思想と技の話なども。また、雑談も少々(少々?)
④形意拳の歩法の注意点を。一寸した点に留意するだけで歩の力も変わり、急所も守れる。「足なんて動けばいーべ」ってんでは無いのです(笑)。
女性2人は最後に九鬼神流棒術の復習をして、10時40分頃に今夜は稽古終了。今夜も楽しく稽古出来ました。
★少し前の事ですが、武術の套路や対錬を記憶するのに、「俺は寝る前に頭の中で手順を追ってから寝た。翌朝、目が覚めたらもう一度それを思い出してみると、それで大体記憶が出来ていた」という話をした所、H君(教員)が「寝る前のモノが記憶に残る。勉強をしたらそのまま寝た方が良い。勉強した後で漫画とか読んで寝ると、漫画の方が記憶に残る」(大意)と補足してくれました。成程です。
皆さんも参考にどうぞ(笑)。
今週の雑談・『学生が「忙しい」?冗談言っちゃいけねえ』
今回は少し毒を吐きましょうかね(笑)。
「芸事、続く人自体が少数ですよ」という話をしました。実際、そうなんですよ。
「半年続くのは入会者の3分の1」との話をしました。その上、入会者の4分の3は、2年持ちません。
これは(大人対象の芸事教室では)何処も同じ様ですよ。
週1回道場に通って、家でも少し頑張って練習さえしていれば、5年ほどで初心者に手解きする位は出来るレベルになるんですけどね、そこまで続く人が少ないですね。
因みに、私の経験では最も続かないのが大学生です。
彼等に多いのですが、夏休み(長期休暇)で「実家に帰省するから」と道場を休み、「ゼミの懇親会だから」と道場を休み、「レポート書かねばならんから」と道場を休むようでは、芸事なんか身につきませんよ。なら最初っから習いになんか来なければいいのになぁ。←もしかして始めるまでは“やれるわ”とでも思うのかな、自分で。だとしたらアタマ悪いわな(笑)。
初心者が入ると稽古の水準を落とさなならん部分があるから、続かない人の為に先輩等を犠牲にしてるかな、と考えると“入会を最初から断わればよかったな”と思うもんです。
入会しても一年のうちに2~3ヶ月しか来ないのですから。それでも道場で学んだ事を家で復習しているのなら未だ見込みありますが、大半はそうではないのでどーしようもないです。
「忙しい」と言いますが、論文時期の追い込みならまだ理解できるとして、私も大学生だった時は大学に通いながら修行僧生活をして、その中で趣味も(寺に怒られない程度に)自分で追求して・・・とやっていましたよ。今の学生、時間の使い方が下手だって事はないのか?
大学生で「忙しい・時間がない」なんて言ってたらね、社会人になったら時間なんて全く作れないぞ。
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2月11日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス
今夜はS木君とマンツーマン。なので基本を洗い直す事にした。まさか基本を軽視している人は居ないと思うが、基本を無視して実用ばかり追いかけていると、必ず頭打ちが来る。書画で活躍している或る人が、全くの独学で基礎が出来ていないので、真面目な字を書かせると酷過ぎるとの同じである(←う~む、我ながら喩えが悪いな)。そういう人はセンスが良いのでしょうが、“センス”を弟子に伝えるというのは難しいですよ。
後輩に教えるにしても“基本技”をテキストにしてしっかり教えられなければ良い指導者にはなれない。基本に含まれている内容は実に豊富なのである。そこが解れば、先ずは指導する資格が出て来た、という事か。
S君も基本の受け、手技、蹴り技については一通り大丈夫そう(やっと憶えたかい)であり、苦手としていた一部の蹴りも良くなっていた。
後半は武器套路を再確認し、9時10分頃に今夜の稽古は終了。
昔、私もマンツーマンで習っていた時、前回までの復習+新しい技を10本も習うと、必ず記憶漏れが出て来たものだ(笑)。習った直後、帰宅の車中で信号待ちの時などにメモを取るのだが、その時点で幾つかのモノが思い出せない、という事は多々あった。
新しい技や、細部の復習などは一回に2~3個程度が良いのかも知れない。それ以上はやっても“かろうじて記憶できている”というだけになる。という訳で、マンツーマン稽古は早目に終了する場合が多いってコトだ(笑)。
★今日も強烈(否、激烈)な忙しさだった。仙台で4件のお祓い、亡くなった信徒さんの初七日のご供養(これはどちらも変更できないので住職と分担した)。午後は祈願者の多い事で、毎月11日の大震災月命日供養が夕方の勤行時にずれ込んでしまった位だ。しかし、明日12日(これ又、激烈な予約数)でとりあえず“凄まじく”忙しい所は過ぎる予定。後は強烈に忙しく仕事が立て込んでる日は暫くなさそうだ(←希望も多少含まれてはいる)。
・・・もう少し落ち着いたら、久々に温泉に行きたいものだ。どの温泉場の、どの宿に泊まるかプランだけは立てておこうっと(笑)。それを励み(楽しみ)に、もう少しの間、頑張るべぇか。
2月10日(金) 仙台・套路(型)クラス
少し気温が低かった道場。今夜はK池君、Hさん、見学の方とで練習。
①先ずは準備体操。身体の動かし方なども。
②基本功類
③対錬。見学の方に内家拳の特徴を少し知って貰うべく、基礎的な対錬を。
④套路。皆それぞれに套路を練習。
10時15分頃に今夜の稽古は終了。
★毎年新年に祈願に来る友人(高校からの付き合い)が今年も7日に来、祈願の後で近況報告など楽しくお喋りした。
余り酒を飲まなかった彼だが、最近は日本酒を覚えて蔵元を訪ねては買っていると言う。2人して「日本酒の味を覚えちゃったらこんなに美味い物はないよね~」と笑う。
限定発売される生しぼりを一本、「長持ちしないから直ぐ飲んで」と置いて行ってくれた。嬉しいわぁ(笑)。
今週の雑談(僧侶としての話題なのでご注意)
6日~9日に亘り、信徒さんのご葬儀を頼まれました。が、その信徒さんの上代は他の寺院に墓地があり、そちらの檀家にも名を連ねているそうでした。
だからといって私なら、「あら、そうですか。頼まれましたからね、おほほほほ」で済ませるんですが、葬儀社さんは“万が一、お寺さんにねじ込まれたら大変”とばかりに焦った様子。
葬儀社さんが言うには「〇宗ではそういうのでねじ込んだりするんですよ・・・」だそうで、流石に驚きました。ま、その宗は寺院活動が葬儀中心だから、一回葬儀が減れば死活問題なのかも知れません。
矢張りもっと努力して、檀・信徒に選んで貰える寺院・坊主にならねばならないし、葬儀が唯一の収入源という寺の在り方も考えねばなりませんよね。
結局、今回は相手側のお寺さんに葬儀社が(親族には内緒で)連絡を取り、「檀家とはいえ当人の希望だしお任せする」とあっさり決まったようでした。相手方のお寺さんも、当方の住職のようにサッパリした方なのかも知れません。何処にでも“細かい事は気にしない”人はいるものです(笑)。
ま、もっとも私は“知らん振り大作戦(詳細は秘密!)”で良いじゃないか、と思っているし、いざとなったらこっちが責任を持つ気持ちではいましたけれど。
・・・当寺院の信徒さん達の希望を聞くにつれ、今後こういう事は増えそうな予感です。“信徒さんが困らんようにしたらんとな”と改めて具体的方法を考える機会にもなりました。しかし、他宗の坊さんに正面切って「ウチの檀家を奪うな!」と言えるのが、実際には何人居ますかね? 言ったら恥ずかしいよなぁ(笑)。
ところで。
近頃の葬儀では、「葬儀(本葬)の後に続けて百か日(又は49日)までの法要も済ませてしまう」事が多いのですが、先日のご葬儀の際、葬儀は難なくこなしたのですが、続く法要の時に急に貧血の症状が出て、危険な状態に陥りました。“もう少しで気を失う”というのは、この調子ではないか?と感じました。ご葬儀の時に行なう百か日までの法要とは別に、毎週お宅にお邪魔してご供養はするという約束になっていましたので、申し訳ないながらも法要を短縮いたしました。倒れでもしたら、かえって皆さんにご迷惑をお掛けするので。いやはや、私、今世紀最大の失敗でございました(苦笑)。
以来、もう少し注意して備えるようにしました。同じ失敗は出来ないので。これまでが頑健だっただけに、病気との付き合い方をうっかりしてしまう事があるようです。
葬儀の時の説法(法話ですね)は余程頼まれない限りはやりません。みんな疲れている事を考えて、今はやらない和尚さんも増えているんじゃないか?と思います。
初七日や四十九日の供養の席での法話というのは(時間があれば)しますが、個人的には余り好みません。上座に座ってものを話すと、私が一方的に話すだけになってしまう事が多いからです。あたしゃーヒトサマに一方的に教えを垂れる様なエライ坊主じゃありません(笑)。疑問や質問が自由に飛び交う感じが好みです。多くの方が生や死について疑問を抱いています。しかし、遠慮してなかなか聞く事が出来ないようですから。
なので、終了後にお茶でも飲みながらお喋りをし、質問されればそれに答える、そこから話が深くも浅くも広がって行く・・・というスタイルの方が好きです。先日の初七日では、その様な感じで話が出来て素敵でした。
今週の読書 2月10日。
H君から「酒のおともに」と借りた、津本陽・『剣豪夜話』を読み終わる。
ご自分のオハナシが多いが(笑)、やはり青春を戦時期に送った方の回想には力がある。
本書で取り上げられる剣豪についての内容が、どの程度まで真実なのかは解る術もないが、江戸~明治に生きた人々の本を読むと、自身の脆弱さにいつも直面させられる。今の我々は身体が弱い。身体が弱いから精神も弱い。そんな所だろう。
2月11日。嵯峨井建・『日吉大社と山王権現』を読む。日吉神社に関する研究書。比叡山の焼き討ち、神仏習合や神社における死穢、差別にも言及。だが、素人には全く面白くもない。勿論、私にも殆ど面白くはない(笑)。論文を並べて出版するのは分かりますけど、一冊にするに当たってもっと纏めてくれたら、ボクのようなオバカさんにも分かりやすそうなのに(笑)。
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2月4日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス
立春。今期暖房費の納入が未だの方、春になっちゃうので、そろそろお願いしますね!(笑)
私が道場に着くと何時も大体T沢さんが既に練習中で、冬でも額に汗をかいている。その情熱はこちらとしてはもう買うしかないのである(笑)。
T沢さんの他に高校生I藤君、オッチャン改め石巻I藤君が稽古に参加した。オッチャンI藤君が石巻から来るのは初めてなので、所要時間など今後慣れていくのではなかろうか。とはいえ彼は共用の自動車を利用しているので、車が使える時でないとナカナカ来られないだろうけれど。
①準備体操
②基本・各種。今夜は主にT沢さんに音頭を取って貰った。何事も上達への経験。
③外家拳テクニック
④歩法。最も基本の足運びを。
⑤約束組手
⑥スパーリング
稽古途中、“おや、誰か来たぞ?”と思ったら顔を出したのはT村君。「頂き物で悪いけど、私は飲まないので」とお酒を持って来てくれた。その後、稽古後まで近況報告などを。・・・酒も勿論嬉しいが、こうして訪ねて来てくれるのが何より嬉しい。仕事も忙しいだろうけど、ちょくちょくお出でわ、T村君。
★S木君の弟が働いている亘理のイチゴ農場製のイチゴワインを2本頂戴したので、ご馳走になった。イチゴワイン自体は初めてではないが、これは丁寧に造ってある印象。甘さ抑え目で自然な味がする物1本と、「これぞイチゴ」って感じのもの1本。イチゴ好きな女性なら尚更良いかもですよ。
それにしてもS木君の弟が「農業をやりたい」とイチゴ農場に就職した時は感心したものだ。大半の人は“やりたい事”がなく就職し、“俺にこれは合っているのか?もっと向いている仕事があるんじゃないか?”などとはっきりしない思いを抱いて生きる(笑)。中には50歳になっても“自分探し”しているヒトもいる。S君の弟、若いのになかなか大したものだ。
★T沢さんが昔から習っている別流派の太極拳で「師範免状を取りました」と報告があった。
こういう人も“より良いものを”との思いで当会に学びに来ているから、並学の志ある人はどうぞ。・・・ただし何年教えても他派の動きの影響から離れられなければ、退会を勧告しますが(笑)。
2月3日(金) 仙台・套路(型)クラス
毎年日にちの決まった(新年の)お祓いがあるのだが、今朝の会社もその一つ。
昨夜からの雪で渋滞を見越し、朝5時前に出発。通常なら仙台の方が雪は多いのだが、今回は石巻側の方が多く、案外にすんなり太白区に到着。
会社2棟と従業員さん達のお祓いを終えて石巻に帰り、“今夜また仙台まで行くのかぁ”と思うと、流石に一寸ゲンナリ。いや、もう、考えない事にする(笑)。
・・・アル中が禁酒を続けるには、「空腹になり過ぎない・疲れ過ぎない」といった注意があるが、いや、確かに疲れると“もういいやコンチクショー!!”とばかりに飲みたくなっちゃうよな。第一、「疲れ過ぎるな」と言ったって、働いてりゃあ無理な時だってあろーがよ、なあ(笑)。ってなコトで、今夜は(今朝のお祓いで頂戴した日本酒・久保田で)指導しながら飲む事に決定。その位の楽しみがなくちゃ、毎日毎日、今日も明日も明後日もハードな仕事が入ってる中、道場まで行けねえっつの。もう若くねーんだからよ。
(↑疲労が脳にでも来たか?発言がおかしいぞ。)
と、道場に酒を持って行ったものの、今夜の参加者は高校生のI藤君のみ。・・・まさか高校生にマンツーマンで稽古つけながら飲む訳にはいかず、結局はいつも通りの稽古。ま、オチなんてこんなもんだ(笑)。
9時15分頃にM子さんも道場に来て一緒に練習。
今夜は基本功を少し丁寧に洗い直し、それから正宗太極拳(套路)を中心に練習。後半は形意拳も行ない、10時過ぎ位に解散。
★節分
毎年書いてる気がしますが(笑)、恵方巻き、私は食べません。ええもう意地でも食べないんです。あれは関西の風習ですからね、東北人の私はぜってぇ真似しないって決めてるんです。
私が関西で修行した1年目、恵方巻きを丸かじりさせられましたよ、“ヘンなことする人達だなぁ”と思ったものです(笑)。
石巻に帰郷後、30代前半でコンビニ店員やった時辺りから恵方巻きを売る様になりまして、その当時一緒に働いていた人達は「これってナニ?」と言ってたもんでした。嗚呼、懐かしい。
まぁ商売やってる人なら、こういうイベントに乗らない訳には行かないでしょうから、随分とこの辺でも恵方巻きも普通になりまた。が、私は今年も「俺は絶対食わねえんだ」と頑固親父炸裂!させているのです。
ええ、多分来年の節分時期にも、同じネタ、載せると思いますね(←進歩ねーなぁ。笑)
ところで、先日のワイドショーで「コンビニバイトの恵方巻き販売ノルマ」が問題じゃないか?とやってましたが、確かに私が勤めたコンビニでも『誰が何本売った』みたいな一覧表がありましたね。それほど強制の強い店ではなかったので、余り負担にはなってませんでしたが。
私?私は勿論、一本も予約なんか取りませんでしたよ。「んなもな、知ったことか」ですから。世のバイト諸君、君達が自腹を切って買う事はない!オーナーや店長のノルマなんか知らん振りせよ!(笑)
今週の雑談・『本業は治療家』
武術や格闘技を教えている人には「本業は鍼灸師や整体師」といった治療家も結構な割合でいます。
何故多いのか?その理由は(多分)大きく分けて3つです。
①武道系やスポーツを本気でやっていれば怪我も多い。そこで治療の方向へ興味が向かう。
②指導者になる位の人は、練習時間を減らしたくない。練習できる環境は維持したい。となれば時間を拘束される仕事はちょっとイヤ。自分でペース配分できる仕事を・・・となれば、治療院や自営業になりやすい。
③武道系やスポーツ指導者は我が強くて人と上手くやれない。そんなオレサマ主義者に勤め人は無理。イキオイ治療者か自営業。(誤解なきよう断わっときますが、当会門下で整体・整骨師をしているA目君やS々木さんは他人と大変上手く付き合える人なのでご安心を)
といった事情。
こんなコトを書かれても、きっと気を悪くする人はいない。何故なら“うん、その通りだ”って思う人が殆どな筈だから(笑)。
今週の読書
スティーヴンソン著/『ブッシュベイビー』を読む。『世界名作劇場』でアニメ化された本だが、そのアニメを見なかったので読んでみた。子供向きの本だけれど、後半(火事の辺りから)は素直に面白かったですよ。・・・因みに、私の『世界名作劇場』は『若草物語』で終わっているのだ(笑)。
アフリカの抱える問題やジャングルでの動物の事など、成程と感じたり。
ま、尤も動物に興味のない私にとっては「動物キチの小娘の迷惑千万物語」であって、ついて行けんわい(笑)。
1月29日(日) 何でもない日常。
以前どこかで問われた
「何曜日が好き?」。
そんな質問をふと思い出し、
“そうだなぁ日曜の夜が好きかもな”
と思った。
金・土の道場も済み、日曜の終日の忙しさも終わった、その晩。ゆっくり飲む時間が一番ホッとしているかも知れない。
もう少し若い頃は、そんな事は全く考えもしなかったが、日曜の晩にホッとする位には年をとったのだろうな(笑)。
ひと月後。47歳になる。
1月28日(土) 仙台・拳法(打撃)基礎クラス
今日は一日中、厄払いや新年祈祷でかなり忙しかった。明日の日曜も予約は多目だ。今日が旧正月という事もあるのだろうな。本来の正月だから(笑)。
そんな昼頃、直接会うのは7~8年振りにはなろうか?という高校からの友人がプラリと訪ねて来た。奴は当時の拳法仲間で、未だに続けているのは私と奴の2人だけだ(笑)。丁度、昼時には身体が空いていたので、ゆっくり話をする事も出来た。
曰く、「女川出身だから震災後、石巻や女川の仕事はさせられなかった。気持ちが入り過ぎるだろうとの理由で」とか、
「子供達に『父さんは18歳で一人で関東に出て働き始めた。お前達も18とは言わん、大学を出たら絶対に一人で生活しろ。家は出すと言ってある』」とか、味のある話を聞いた(笑)。
奴の親族の「半数がニートだ」と言うので、「それで生きられてるってコトなんだから良いじゃねーか」と返すと、「その分、誰かが負担してるって事だぞ」との謂いで、先週の『雑談』と重なって大笑いした。←我々世代はやっぱりそう考えるのだろうかな(笑)。
さて。今夜はT沢さんのみ稽古に参加した。マンツーマンなので色々な話をしたが、他流派の方にもヒントになりそうな内容も有るので、ここには書かない(笑)。
実技は正宗太極拳の足回り(下半身)と、専作伝心眼流の型。
稽古時間の大半が話になっちゃった今夜は(笑)10時10分頃に終了。 これなら何処かで飲みながらでも良かったかしらね。
★「鍛える為に」といって、身体に無理が掛かる事は控えるべきです。
私もフルコンをかじった時に“ローキックを足を踏ん張って耐える”というのをやったのですが、こういうのはその時は良くても後で膝などに故障が出ます。
もしも、こういう訓練をするのであれば、ローを喰らったら転倒する位の足の立ち方でやるべきです。といって、思い切り転んで頭を打ってしまうのでは危険です(笑)。
という事は、この鍛錬は害の方が多いという事になります。避けたほうが無難な稽古の一つです。
基本は「丈夫で長持ち」ですからね(笑)。
・・・とはいうものの、痛みだとか身体の荒使いに対して余りに神経質すぎる人は、武術でもスポーツでも大成出来ませんけどね。
何でも匙加減です(笑)。
1月27日(金) 仙台・套路(型)クラス
インフルエンザ警報が発令(なんか大袈裟な書き方だなぁ)された宮城。当会のM子さんも「人生初のインフルエンザ罹患して」お休み。人ごみに出る仕事の皆さんもお気をつけて。
K池君、S木君、H君が稽古に参加。
①準備体操
②基本功
・先ずはこの二つを丁寧に。中には「あ、こりゃあ簡単」と早合点してしまう動作もあるが、決して簡単ではない。良く聞いて、良く見れば分かる筈。昔は分からないと後は無視された。私は親切だから忘れた頃に何度か説明する(笑)。
③対錬。年明けの復習も兼ね、シンプルな対錬を数種類。身体も温まる。
④柔術。逆取りの1本目のみをY先生伝授のやり方で練習。
・仙台で習った柔術はどちらかと云えば固い稽古が多く、「本気で掴まれた腕を本気で返す」といった類いの練習が多かった。当時から「実用を考えるのであれば変化が必要な筈」と考えていたので、Y先生に教えて頂いてからは逆取1本目だけでも感激した(笑)。固い稽古も必要なのだが、それに固執する事は、打撃で言えば一種類の攻撃だけを繰り返す事に似ている。例えば、相手に右ストレートを打つ。相手はかわした。しかしこちらは右ストレートのみを執拗に打つ・・・そんな事してたら直ぐにカウンター食らうよね、と極端な例を引いてみたり(笑)。
⑤落ちている武器(棍・中国刀)を足で拾う練習。「練習」というより、これは遊び。武器を足で拾い上げるのは、皆さんもカンフー映画等で見た事があるでしょう。あれを日本武術をやっている人の中には嫌う人も多いのだが、戦場(混戦)の場でもしも落ちている武器(落としてしまった・落ちている武器を得物にする)を拾う際、屈んで取ってたら危ないでしょうが。なのであれは「武器の扱いにより慣れる為」とか「見た目が派手だから」といった理由だけでなく、案外とバカにしたものでもないのです(笑)。
⑥「残り時間は好きな練習をしなー」と声をかけたら、資料を見ながら3人で八卦64散手の復習を始めた。資料が雑なので、戸惑っていそうな物には私も口を出した。ま、この辺りの事はMLででも。
ってな内容で、今夜の稽古は10時30分に終了。久々に来たH君に「楽しかったかい?」と尋ねると、「楽しかった」との返事。K君やS君も楽しそうに練習していたので、万事OK!(笑)
★時々「覚えが悪くって・・・すみません」と気にする人がいる。が、んなもの気にしなくて構わない。
例えばだけども、覚えが早いが自己流になってしまうより、覚えに時間はかかっても正確な方がよっぽど良い(笑)。
今週の雑話
前にも述べたように、迷信深いのと信心深いのとは全く異なるワケです。
「石巻ではアチコチの拝み屋や祈祷師の所をとっかえひっかえして彷徨っている人がいる」
と言われておりまして、そーゆう人も事実いるのですが、その人達は決して信心深いワケではなく、迷信深いのですよ。
“本当の信心#なんてーのは、寺や拝み屋だとかに通わなくたって出来るのですから。って、寺院の私がこんな風に言っちゃあ、商売上がったりか?(笑)
日の吉凶や日々の祈り方、といった“外側のコト”ばかり気にして、自身の考え方や生き方が影響してる、というコトには気付きもしない。
そんなこっちゃあ、どんなに日の良し悪しだの方角だの、年回りだの気にしたって良くなんかなりませんよ。
・・・と偉そうに言う私は、決して立派な生き方をしているワケではなく、どんな事が有っても
“あぁ、俺の生き方が悪いからな、仕方ねーさぁ”
と受け入れている、という事です。って、それぢゃーダメか(笑)。
今週の読書
1月25日 ひろさちや著/『生きるって、すばらしい!』を読む。
“子供も読めるような感じだな”と思って読んでいると、『あとがき』に、毎日小学生新聞に連載した物を一冊に纏めたとあった。子供向け、とはいえ読んで感激した箇所も2~3。
最終章の「人は何の為に生きるのか?」は「人によって違う」、「自分で出す」というのは全くその通りだと思う。・・・私自身、その解答は持っているが、それはあくまでも私の答えであって、やはり答えはそれぞれ自分で出さねばならないものだろう。だからこそ誰かに生の意味を尋ねられた時に「それを知る為に生きる(人生を歩む)のですよ」と私は答えている。この答えは何処かで聞いた様かもしれないし、鼻で笑う人もあろうが、それは本当に生の意味を考えた事のない人だろう。人それぞれ違うものを、それぞれで出さなければならないのだから、最終的にはこういう回答になるしかないのだから。
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1月21日(土) 仙台教室・拳法(打撃)基礎クラス
事情で今夜はS木君に道場をお願いした。どうも有難うS君、とても助かりました。
S君も皆の前に出て準備運動から行なう機会を増やして行かないとナカナカ慣れない様ですからね(笑)。
★数年前に短期間拳法の手解きをした生徒が病気で大変な状態にあると連絡が来た。仕事どころか動くこともままならない様子だ。
何十人もに教えてくれば、その内の何人かは大きな病気と戦う人生を歩んだりする。それでも頑張って働き、身体の様子を見ながらでも稽古をし、生きている姿を見る。
そういう懸命に生きている人を見ると、健康な身体を持っているにも関わらず、何か理由をつけて働かなかったり、趣味程度の仕事をして他人にタカって生きていたりする者を見ると、残念を通り越して腹立たしくもなる。様々な状況は考慮しても、尚。
上記に関連して、もう一つ。
状況は様々あるので一概に言えないが、他人に援助して貰うというのはダメなものだな・・・と“援助して貰っている数名”を見ていて、感じる。
例えばだが、「この仕事では食えない(生活できない)」となれば、必死で転職先を探すなどするだろうに、親や誰かにお金を貰ってて何とか食えたりすると、その努力もしないで甘えてしまっている様にしか見えない人がいる。
まぁ、他人に迷惑を掛けないのならどんな生き方をしても構わないだろうが、この類いの多くが周囲の人に何かしら負担をかけている。
ヒトって本当にダメなものだ。他人に援助して貰うというのは(余程意識の高い人が一時的にであれば別として)、一歩間違うとダメ人間を作ってしまう。本当に人ってのは何処までもダメになれるものだ。
『生活保護を受けている方が喫煙率や肥満率が高い』というのも、似た理屈なのだろうか?(断わっておくが私は“本当に補助が必要な人”にまで保護を反対している訳ではない)
・・・援助するのが公共機関であればその出元は皆が一所懸命働いた税金だし、援助しているのが個人ならその者の為に昼夜必死で働いてるってのになぁ。
1月20日(金) 仙台教室・套路(型)クラス
大寒の今日、覚悟した程の寒さではなかった。道場へ向かう途中の温度計では4℃。先週の金土は-4℃で余程寒かった。
7時40分頃に道場に着き、8時近くなっても生徒が来ないので、今週も適当に自主練習を開始。9時過ぎにHさんが来たので、今週も形意拳に絞って練習したが、先週よりも確実に套路を憶えていた。「練習を始めてから身体の調子が良い」とも。何より。
誰も来なくても広い場所だから出来る練習をして帰るので構わないのだが、やはり折角仙台まで行っているのだし、誰か一人でも来てくれれば楽しい(笑)。
マンツーマンの稽古は、今夜も10時10分頃に終了。お疲れ様でした。
★どんな犯罪を犯しても『発達障害の影響』じゃ、普通に暮らす発達障害の人達が気の毒だろうが。
何をしたって『発達障害で責任能力なし』ってんなら、俺もスピード違反で捕まっても「いやぁワタクシ、発達障害で」。満員電車で女性のお尻を触っといて「いや~参ったな、ワタクシ発達障害でございまして」って言うぞ、いいのか?それで。けっ。
ま、そんな弁護が通じる程、まだ甘くはないだろ。多分。と期待する。
今週の雑談
収入不足による寺院の荒廃が言われて久しいが、神社さんも運営が厳しいようだ。実際、私の知る限りでも兼業している神社さんも少なくない。
寺院の『離檀料』が取り沙汰される事も増えた。寺も檀家が一件抜ければそれだけ収入減だから、「離檀させない」とか「高額な離檀料を請求した」などといったトラブルが起こるのだろう。だが、私は(その意味では)寺院ではなく、檀家側の味方だ。当然。
『埋葬許可証』を寺でなく役所などで発行するようにすれば、離檀する際もっと簡単だろうし、寺や住職を自分の意思で選択できて良いに違いない。
坊主も「大変だ」ばかり言ってないで努力してみたら良いのだ。例えば葬儀社に「イザという時に私は葬儀も担当できますよ」という事を武器に“就職”するとか。←実際、震災後どーしようもなくなったら私はそうしようと考えていたけど、何とかなったから試していない(笑)。僧侶は葬儀や法要のプロだから即戦力になろう、きっとね(笑)。
葬儀も供養も祈祷も、修行を積んでいないと出来る訳がない特殊技能だ。素人には出来ない(稀に素人で悪霊祓いが出来るという人もいるが、それは悪霊が憑くような人は影響を受けやすかったりするので、イキオイで正気に還る時があるからで、僥倖である。なので他の祓いや供養は出来ないものだ)事が出来、知識もある本職(僧侶)が正しい知識を持って世で働く、という事が自坊(自分の寺)の収入面だけでなく、一般の方々の助けになれる事もあるに相違ない。
などと「神社さんの困窮」から、勢いで考えてみた。
今週の読書
1月20日『詩を読む人のために』。著者(詩の解説)が三好達治であり、興味が沸いて買ってみた。
結論。
詩なんざ、さっぱり解らんわい。
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1月14日(土) 仙台教室・拳法(打撃)基礎クラス
昨日よりは冷えましたね。S木君とT沢さんが稽古に参加。年末道場休みで久し振りの稽古なので、今夜は目慣らし・動き慣らし的に練習。
①準備体操
②基本各種
③防禦練習・反応訓練
④外家拳技術(攻防練習)
⑤護身技
⑥スパーリング
今夜は特に④を変化や実用(応用)法まで、時間を割いて練習した。応用法までやると、普段の稽古でも“何故ここに手が無くちゃならないのか?”だとか、すべてが必要あっての事である、というのが理解できる。
最後にスパー上での防禦を数点行ない、10時過ぎに稽古を終了。寒い中お疲れ様でした。
★昼間、頂いた回転焼き(大判焼きっていうのか?)が、どう贔屓目に見ても形がヘン。崩れている上に小さい。「きっと初心者の方が焼いたんだろうね。修業中だ」と言って楽しく食べた。何にでも修業中はあるよ、誰だって最初は初心者だものね。頑張れ!(←と勝手に初心者が焼いたモノってコトに決めちゃったが)
1月13日(金) 仙台教室・套路(型)クラス
「強烈な寒気襲来!」との事で大分覚悟をして行ったのだが、道場も震えるほどの寒さではなく本音言うとホッとした(笑)。
8時近くなっても誰も来ない感じだったので、徒手や兵器(武器)など套路の自主練習をして待つ。“9時半過ぎても誰も来なかったら帰るか”と、ストーブに当たって小休止のところに、Hさんが登場。
なので形意(五行)拳の復習をして、10時10分頃に今年一回目の道場は終了。・・・良かった、帰る前に来てくれて。折角来てくれたのに誰も居なくちゃ気の毒だから(笑)。
外に出ると薄っすら雪が積もっていたけれど、それも泉だけ(←私の帰路範囲ではね。山沿い他は知らんよ。笑)。
★私は武術でも仏教でも“師”という存在を持つ人生を生きているが、この年齢になると“師”という存在が如何に重要かを実感する。いやーホント、実感する。師のいない人間は、ダメになってしまう場合がある。
技術でも、生き方でも“自分勝手”というのが人をダメにしやすい。若い頃はどうしようもない者でも、長期間師についている内にキチンとした人間になっているのを見ると感慨深い。これは良例。
“師”と物理的な距離が離れると、師弟関係も切れてしまいがちだが、心がけ一つでそうでもない。無論、“師匠との付き合いなんてクソくだらねぇ”と考える人には無縁の話だ。
師との縁を保っておく方法を簡単に『初心門下生』に書いておいた。必要と思われる方は参考にされたい。
1月10日 今週の読書
年始で忙しく、難しい本はアタマに入りそうもないのでカート・ヴォネガット・ジュニアという小説家の『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』を読んでみた。とても風刺の効いた本。
こういう本もあるのねぇ。
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生徒の皆様、武術関係の皆様、読者の皆様、明けましておめでとうございます。以下、新年早々四方山(ヨモヤマ)話ですが、本年も何卒宜しくお付き合い下さい。
多分、正月早々うっとーしい内容なので、お好きな方だけお読み頂ければれば。
◆今年の三が日は1日の忙しさが凄まじかったです。3日から仕事始めの人も多かったからかも知れませんね。2日は仏滅でしたし(笑)。やはりカレンダーの赤い日・黒い日の配置には影響されます。
3日の晩、久し振りにパソコンを開いたらネットに繋がりません。サーバー変更の影響だろう、との事でカスタマーサービスに電話をして長い時間がかかって修正。きつい三が日の後で、大変疲れを感じました(笑)。・・・何故、長い時間がかかったのか?というと、最終的には私のパスワードミスというポカでした(←こういう初歩的なミスはよくやる)。それにしても、あのお姉ちゃん達、電話のやり取りで解決しちゃうんですもんね。本当に凄いもんです。機械オンチの私には感心しきりです。
◆近年はコンビニ弁当の毒性だとか、身体に悪い物が簡単に解る様になって便利ですね。聞いた話で間違いもあるかも知れませんが、コンビニ弁当を毎日飼い豚に与えていたら子供が産まれにくくなったそうです。産まれても奇形児だったりし、羊水が濁っていたりするって話ですね。
実は私も、コンビニの弁当など一切口にしなくなりました。それは今更“身体に有害な物は食べたくない”といった理由ではなく、有害であるという事を解っていて尚、それが売れるからと売り続ける企業の体質を心から軽蔑する為です。と、元コンビニ店員の私が言ってみます。
◆昨年末の仙台教室で“胸倉を掴まれた際の対処法”を練習した訳です。こういった“護身術”的な技術を成功させるには幾つもの要点を満足させる必要があるので、自分にそれが身についているか、いないかが一目瞭然なので練習するのです。
ま、技はどんな技でもそうだけれど、体がデカい人の方が掛けやすい技があったりするから、注意する必要があります。
例えば、胸倉掴まれて殴られる・・・という対処の時、自分の先生が上手く処理するからといって、それと全く同じ方法で自分も処理できるとは限らないのです。
掴む自分が小さくて、先生が遥かに長身の場合などは、掛け方を変える必要がある技もありますからね。
って、第一、身体の小さい者が自分より遥かにデカい相手の“胸倉”なんか掴むかよ(笑)。突きと蹴りで瞬時に倒すに決まってんだろ。
それはさて置いても、上に述べた様に胸倉を掴まれての練習というのは技術的に必要なので、練習する事には重要な意味があります。
◆私が陳式を習って間もない頃、ある先生(名前を出せば誰でも知ってる方なので敢えて名前は出さずにおきます)が、
「こんな事を言うと偉い先生には怒られるかも知れないけど、ここはこういう風にやって下さい」
と言って教わりました。成程、確かにそのやり方だと緊張と弛緩、緩みが解りやすいのですよ。当時は私も“肩の力を抜け・・・と言われてもどうすりゃ良いんだ?”と思っていた頃で、その先生が言うやり方だと、それが解りやすいのでした。
なので私も、武術を教えるに当たり、「先ずはこうやってね」と教える事があります。完成形を真似するよりも、その方がご自分のレベルの身体感覚で掴みやすい場合や動作があるからです。
しかし、残念な事には、そう教えられて真面目にやる人が本当に少ないという事です。当人の責任とはいえ、残念ですね(笑)。
◆「現在は芸事に費やす時間がナカナカ取れません。朝は1時間以上かけて出勤し、帰宅は遅い・・・こんな世の中では“名人”なんてそう出る訳がないのです。だからと言って諦める必要もありません。少しずつでも上達しようと思ったら、“何があってもこれだけは練習する”という物を決めると良いでしょう。夜、風呂に入る前でも、朝少し早く起きてでも構わないので、毎日行なうのです。それだけでも違うものですよ。
◆私の寺では代々、家相なども診るのです。“家相”等というと、「そんなの迷信だっちゃ」とおっしゃる方が大半でしょう。
しかしですね、建築物として合理的な部分も結構含まれていたりするものなのです。←建築関係者の著書にそうありました。
古来より人々が経験の中から積み上げて来た知識が家相ですから、そう無意味な教えだって事もないのです。
ただ、昔と今では建材が違いますから、今の世では“それは余り気にしなくて良さそうだ”という物もあります。そういう箇所は割引いています(私は)。
家の場合は日々そこに住んで心身を養う場でありますから、どうしても家の造り、土地の良し悪しの影響を受けるものです。
◆上に関連してもう一つ。
物事には時期というものがあり、転職や引越し、結婚や家屋の新築など、人生に影響する大きな変化は“適切な時期”に行なう事が安心です。
例えば、住宅の新築時に家長の年回りが悪い、家相が悪い・・・など幾つかの悪い要素が重なったりしますと、
数年内に、家庭内が落ち着かなくなったり、病弱さが出たり・・・と色々なトラブルが出始めます。なので、相談にお出でになる人の状態を聞くと、そこから逆算的に解る事があったりするのです。ですので、何かを新たに始める時ですとか、変化する時は良い時期を診て行動する事が大切です。
又、人の人生と言うものは色々な要素が集まっておりますから、名前(画数)が全てだとは言いませんが、やはり人生の転換期などには名前の持つ要素というものが影響を及ぼすものです。「悪いよりは良いほうがいい」のは、何事にも言える事ではありますが、個人の名前や会社の名前など、良いに越した事はありません。
なんでも悪いよりは良いほうがいいっちゃ?(笑)
◆大人に許されて、子供に許されないもの。酒や性など、色々とある訳です。
何故子供には許されないのか? それは責任が自分で取れるか、という事なんである。
例えば、夜遊びをして何かしらトラブルに巻き込まれてしまったとして、子供は自分で責任をとれないだろ?
だからダメなんである。お子ちゃま達、了解?(笑)
年末に読んだ本
12月31日(土)
『アドヴェント・カレンダー』という小説。『ソフィーの世界』のヨースタイン・ゴルデル著。
何処かで読んだ気もする“不思議なお話”。小説の批評をする力量は僕にはないけれど、アイディアは良いと思う。
この本で初めて『アドヴェント・カレンダー』の存在を知りました。ちょっと調べてみたら、色々と種類があるんですね! ・・・でも僕はチョコレートが入ってるのは要らない。この本みたいな“不思議な紙切れ”が入ってるんなら、欲しいけど(笑)。
12月26日(月)
苫米地英人・『お釈迦さまの脳科学』ってのを読む。
「とまべち」だなんて苗字、ホントかしら?と疑いつつ入力してみたら、すんなり漢字変換なされてビックリ。いや~世の中、まだまだ知らない苗字がありますあります(笑)。
さて、この本。一歩間違えたら俗に言う“トンデモ本”(一歩間違えたんじゃねーか?)。
ご著者は日本の仏教の在り方が大分お嫌いな様ですが、ご高説を読んで(聞いて)くれる人が居るのは、ご自身が天台宗僧侶の肩書きを持ってるからではないでしょうか。
そんな日本仏教への批判部分も、又「釈尊の提示した正しい仏教のありかたとは」も、一般の人にも読んで解り易いと思います。その反面、細部には疑問があります。例えば諸説ある論の一つを「さも事実」として扱っていたり。
感じますのは、ご自身の立場は「間違いがない」と言いたそうってコト。この方、気功と初期仏教と後期密教がお好きな様です。「間違っていないのは俺様が関わっている物」というのが俗物っぽくて面白い。「遠隔でも気功は効く。多分量子が作用して・・・」という、推論が語られますが、ご自身が関係していない物には「理論的でない」と一蹴するのが素敵。我田引水な本、と評させて頂きます。こんなの素人だって“どっか胡散クセーぞ”と感じますよ、絶対。
「空」や「執着」といった仏教思想にも説明をしており、ご自身の悟りに自負もお持ちの様ですが、『著者経歴』に、まぁ肩書きの並ぶ事並ぶ事、残念無念(笑)。
ところで。「加持祈祷が効くか?」についてです。この方は「なモナきかねえよ」とのお立場の様ですが、私は経験からそれは違うと思います。尤も、「何故祈祷が効くのか?」という理由については昔から私もずっと考えて来た事でありますが(「神に作用する」などという考えは私も採りません)、近年その結論は出ました。←まぁ現時点での結論なので、将来的には少し変化するかもです。大枠は変わらないと思いますが。