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第七十一講

≪教えるにも年齢≫

 

昔、3~4年ほど生涯教育の太極拳講師をやっていましたが、あの指導は本当に苦痛でした。

準備運動して休憩。また一寸動いて休憩…2時間の内、動いてるのは一時間ほど。

残りは奥様方の雑談の時間。

金額的には良いお仕事なのですが、毎週とても苦痛に感じ、

辞めたくて辞めたくて仕方ありませんでした。

 

その当時は、漠然と“嫌だなぁ”と感じていただけで、何故嫌だと感じるのか、

その理由は自分でも言語化できませんでした。

数年経ってから、あの頃どうして嫌だったのかが解りました。←ニブイ(笑)

 

生涯教育で太極拳を習いに来ている奥様方は、太極拳を学びたいというよりは、

運動不足解消と、奥様同士のコミュニケーションを取りに教室に来ています。

だから当然、熱心ではありません。

当時私は、そういう真剣味が足りない人達に教えるのが、本当に嫌だったのでした。

自分が人生かけてやってきた物を、遊び半分でテキトーにやられるのに堪えられなかったのです。

 

けれど今では、全くそんな事感じなくなりました。

その類の事でストレスを感じる事はなくなりました。

皆が半分遊んでいるようなクラスも、私自身楽しめるようになりました。

私も年を取って落ち着いたというか、柔軟性が身についたのでしょう。

あの頃より一つ大人になったんですね(笑)。

 

子供さんに指導するのも、やっぱり年齢って関係あります。

自分が年食わないと、色んな意味で子供さんには教えられないですよ。

最近、私が子供に教えてるのを見て、ある生徒が、

「先生やっぱり小さい子に教えるのが上手いっすね」

と言ってくれましたけど、この年になってやっとですよ。やっと。

2007,5,30

 

  

第七十ニ講

≪足りないからこそ・・・≫

 

私は背が小さい。

この身体で殴り合いをして来ました。

“あと20センチ欲しい”と何度思った事か。(笑)

 

まぁ、“完璧な資質”ってのは、なかなか天から与えて貰えないもんですけどね。

大きい人には大きいなりの弱点があるし、

小さい者には小さいなりの弱点があるもんですから。

小さい者は一寸ぐらい技術を磨いても、大きい人には通用しない。

だからこそ皆努力するのでしょうし。

 

うちの門下生には180センチ前後の奴らも結構いますね。

君達は俺が欲しかった“身長”を持っているんじゃないか。

でっけえってのは、それだけで武器なんだよ。それで弱いとは何事か。

でっけえくせに弱いっちゃー、どーゆうこっちゃ。

努力せえ。(笑)

2007,6,4

 

 

第七十三講

≪下手な考え休むに似たり?≫

 

第三十講とつながるんですが、

型の中には、“これって何の意味が有るんだ?”って悩む物がありますよね。

で、使えるって事がはっきりしないと、「実用的じゃない。やめよ」

って、練習するのをやめちゃう人も居るんじゃないかな?

 

でも、解らない事は解らないまま稽古を続けて行く事で、初めて解る事も有るのですよ。

その時(解った時)に“使える”ようになっているのです。

 

これはどうやって使うのか?  これは何の為に稽古しているのか?

を考える事は、とっても大事です。

そーゆう事を、考えないで稽古するのは勿体ないんです。

でも、初心者は考えたって解る訳がないってのも、また現実よね。

例えば五行刀。

わかります?

簡単に“実用的じゃない”って思う人や、すぐに飽きちゃう人も居るかな?(笑)

でも、続けていれば使い方も解る筈です。

ひょんな時に、先生が一寸使って見せれば、

稽古を積んでいる人なら、あっという間に理解できちゃう筈だし、

自分も使えるようになってる筈です。

その時、疑問も解消する筈です。

 

頭でっかちになり過ぎないようにね。

2007,6,7

 

 

第七十四講

≪まずは素手の技術を≫

 

2007年8月16日の『ひねもす~』に、

「武器なんて身体が出来れば、一寸の練習ですぐ扱えるようになる」

と書きました。

 

一つの流派で習う、素手技術も武器の技術も、大体同じ身体操作から成り立っています。

中国では昔から言います。「武器は手の延長」 と。

形意拳では、「槍と拳は相互補完的に上達する」と言います。(『武器術』の欄参照)

戦場で武術が必要とされた時代、武器術のない武術(素手だけの流派)なんて有り得なかったのでしょう。

 

昔の武術は素手の技術と武器の技術を両方学んだとはいえ、

初心者が同時進行で学んだという訳ではない筈です。

いえ、一日中練習してるってんなら、同時進行でも大丈夫でしょうけど。(笑)

まず、どちらかをある程度しっかりと身に付けてから、もう一方の稽古に入ります。

現代では、(武器術専門流儀でない限り)素手技術から入るのが一般的でしょう。

護身の観点からしても、まずは素手で相手に対処できるようになるのが良いでしょう。

 

一寸余談じみますが、

素手で殴り合いできない人が、武器を持って闘うなんて無理です。

これは私の経験話で恐縮なのですが、

防具のない状態で実際に武器を持って闘うってのは、余程慣れない限り怖いです。

例え心は恐怖を感じていなくても、身体は正直です。

自分の手は棍(棒)をギッと握って動かなくなります。

いつも稽古で使っているように、スムーズに操って使えば相手を打てるのに、

両手が武器をしっかり握って離してくれないから、思うようには届きません。

全身ガチガチの状態です。スムーズに動く・スムーズに武器を使うなんて難しいです。

殴り合いに慣れている人でもこうなのです。

だからアチコチ手を出さずに、まずは素手からしっかり学びましょうね。(笑)

2007,8,23

 

 

第七十五講

≪全ては武術の為に/例えば(笑)≫

 

66・67講で述べた事について、補足です。

質問されたので、本当は答えたくなかったんですけど(?)、答えます。(笑)

 

“武術の走りかた”ってのは、ペースの事ではありません。

(走るペース云々ってのは良く言われますが、私の言ってるのはそんなんじゃ有りません。)

重心移動と足運び(歩法)の事です。

言ってみれば、套路で要求される要点と同じです。

 

例えば、走るのに頭が左右に揺れる人がいます。

ダメです。(笑)  走る時に頭を揺らさないのよ。

いや、気持ちは分かるんですけどね。わはは。

・・・『ロッキー』に扮する、スタローンは頭揺れ過ぎです。(笑)

『ロッキー』は大好きですけど。

 

左右に頭が振れるのは、無駄が多過ぎます。

一寸気を付けて走ってみれば、どんなに無駄か解るでしょう?

そりゃあ人間ですから、多少は振れるでしょう。

けれど、それを限りなくゼロに近付けるようにして下さい。

すると、変わります。

同時に、大切な事が解る筈です。

↑ すごく不親切な書き方かしらね?

 

大切な事を無視して走るのは、減量の為にしかなりません。

“全ては武術の為に”

そーいう事です。

 

どんなフォームだろうと、走るのは痩せるには最高ですけど。(笑)

2007,9,2

 

 

第七十六講

≪現実を考えるんなら・・・≫

 

なんだかんだ言っても武術やってるんなら、殴る蹴るの稽古は必須なのである。

実際にケンカしてご覧なさい。殴るだろ?

相手も殴って来るでしょ。

いつも道場で説明するように、ケンカの上手いヤツは●●して殴って来るのである。

それ(するのもされるのも)できずして「身体操作」とか言ってもしょーがないのよ(笑)。

 

「本当の意味で脱力出来なきゃ、発揮できない力がある。」

そんな事、あたりめーのこった! なのよ。(笑)

まともに武術やってるモンなら、言われなくても理解してる。

皆さんの先生も、神技揮って説明してくれてるでしょ?

 

んでもね、それとこれとは別なの。

あなたのレベルで、ストリートファイトで“脱力の技”を揮える?

相手は動いてるんだし。

しかも、こえーんだし。(笑)

経験のないヒトに、その時、力なんて抜けましょうや?

 

これは一寸極論になるけど、

師範がどんな神技を揮って見せても、

初心者にとって、そんなものは今すぐには必要のない事なのよ。

一歩間違えば、それは曲芸(宴会芸?)にしかならないのよ。(笑)

道場では、将来的にどうなれるのか、とか、

技は筋力で掛けるんじゃないのよ、とかいう説明の必要性からも、

あたしもしょっちゅうやって見せてる。

生徒たちはそれを見ると感動してる。(笑)

でもね、

実際に身を守るっていう事を考えたら、

先ずは殴る・蹴るで相手を倒せなくちゃ、どーしようもないの。

逆の言い方をすれば、

上手くなれば、それだけでも充分なの。

 

先週土曜、ある女の子弟子が蹴りを練習してたので、●の使いかたを指導。

上手くなれば無視しても(逆に無視する事で効果的な場合もある)良い要訣だけど、

初心者が効果的に蹴るにはそれが大事。基本中の基本。

でも、その基本中の基本を知らない武術指導者もいる。説明できない武術指導者もいる。

 

実際に闘う事を考えるなら、一番最初に身に付けなくちゃならない事があるのだ。

それをせずに「正しき身体の使い方」なんて言っても、

ちゃんちゃらオカシーぜ! なのよ。

 

目指す所と、現実を考えた場合に先ず身に付けなきゃいけない所。

この両者を(各自の目的に合わせて)バランス良く稽古して行きたいものですね。

2007,9,2

 

 

第七十七講

≪雑談ですけど・・・≫

 

今回はアドバイスというよりは雑談ですが、読んだ方に何か得る所があれば良いと思います。

 

私は、自分の生徒達が道場の外でも個人的に付き合ったり、

互いに練習してくれたりすれば、とても嬉しく思います。

 

 

私の柔術の先生は、とても秘密主義でした。

生徒達が道場以外で集まって練習する事だけでなく、

個人的な付き合いをする事すら嫌がりました。

 

その理由を、先生が話した事などから推察すると、

「生徒に教えた事(学んだ事)を交換しあって欲しくない」

という事だったようでした。

 

その先生は、自分が気に入っている生徒とそうでない生徒への、教え方や、

教える内容などを明らかに分けていました。

自分が気に入った生徒に教えた技のコツを、

自分の気に入らない生徒へ、横の繋がりから流布するのを警戒したのでしょう。

要するに、気に入らない生徒には知って欲しくない事が沢山あったので、

各々に違って教えていた技を比較・研究されるのを嫌ったようです。

そういうタイプの先生だったから、他派を研修する人に対してもとても警戒していました。

「技を盗みに来ているだけかも知れないだろう?」

と言って、大事な点を隠して教えていた事が傍目にも解りました。

 

気に入られた者は、

「これは他の者に教えないように。

もしも、このコツを使わなければ後輩に技が掛からないような場合は、技が掛からなくても良い。

“かからないなぁ”位の顔をしてシレッとしていなさい。

技を掛けて、他の生徒にコツを盗まれる事の無いように」

と注意を受けながら、そのコツを習ったものでした。

だから、その先生に嫌われると、後は大切な事は何も習えなくなったのです。

 

実際、その先生の柔術の腕は大したものでした。

一言で言えば、「凄かった」です。

私は柔術(関節技)はその先生にしか習った事は有りませんが、

後年、色々な人と交流して行く中で、その先生のレベルが「高かったんだなぁ」と知りました。

 

私が直接見た訳ではなく、聞いた話ですが、

ある日、道場に白人が来たそうです。

その外人がそりゃあもう力自慢で、古い弟子が肘固めに掛けた所、

物凄い力で振りほどかれてしまったそうです。

先生が同じ技を掛けた所、外人は全く歯が立たず、

「オー、モンスター!」

とか何とか、素っ頓狂な声を上げたそうです。

・・・外人って変だな。(笑)

 

先生が良く言っていました。

「力なら君達の方がある。だが、君達は技を知らない」

何年か経って、その意味する所が解りましたが、解るまで結構時間が掛かりましたよ。

 

私が習った柔術では、ある意味、効率的でない技の掛け方をします。

例えば、ある関節技を掛ける時に、手首も極めれば簡単にかかるのに、

わざわざ、手首を極めずに技を掛ける練習をさせられました。

・・・これがクセモノなのです。(笑)

一見、非効率な掛け方をするものだから、

「もっと掛け易い方法があるのに」

とばかり他派に移ったり、

自分で妙な工夫をして型を変えてしまう生徒も少なくなかったのです。

 

しかし、そのように余所見をしてしまっては、

その一見非効率な技の掛け方が、何を言わんとしているのか、

そこから何を学ばせようとしているのか、などの

大切な部分が見えなくなってしまうのです。

実際、先生は同じやり方(その非効率なやり方)で、強烈に技を掛ける事が出来るのです。

出来る人がいるのに、数年練習してみた位で、

「このやり方じゃ掛からない。掛かりにくい」

と、違う方法を導入するのは間違っていると思いました。

 

私の場合は、先にも述べたように、

関節技はその先生のものしか知りませんでしたから、

他の何かと比較のしようもなく、言われた通り、見た通りに稽古していました。

そのお陰で、一見非効率の中に何が隠されているのか、

そこからどんな事を学ばせたいのか、

それが出来るようになると何が出来るようになるのか、が解りました。

勿論、より効果的な方法を初心者に秘密にしておくという意味もあったようですが、

そういう場合は年数が経てば、技の形が変わるのでした。

 

最初、私はその道場には内家拳を習いたくて入門したのでした。

が、妙な縁で、そこで柔術も学ぶ事になりました。(笑)

それまでの拙い経験から、“実戦で関節技は役に立たない”

と感じていた私は、お世辞にも柔術の熱心な生徒とは言えませんでした。

先生にも、「拳法はすぐ憶えるのに、ヤワラはどうして憶えられないんだ?」

と言われたので、「ヤワラは難しいです」 と答えると、

「違う。“これは自分にとって必要ない”と思っているから憶えられないんだ」

と激怒されました。

・・・当たってましたけど。(笑)

 

最初はそんな感じで、不熱心に学び始めた柔術でしたが、

しかし、その柔術を学んだからこそ、解った事は沢山あったのです。

あの道場で約8年間、柔術と内家拳を学んだからこそ、今の私があるのです。

 

・・・前にも何処かで述べたように、私は生き方が滅茶苦茶な人間なので、

未だに友人にも、妹にも、弟子にも、師匠にもしょっちゅう注意されます。

この柔術の先生にはホントに良く叱られました。

「お前は酒に気をつけろ。

俺の兄弟子は天才肌の上、ケンカも強くて尊敬していたのに、酒が原因の病気で早死にした。

丸太みたいに太かった腕が、こんなに細くなって死んだ。

お前はまだ二十代なのに、顔が焼けるほど酒飲んで。

早死にするかも知れないヤツに、秘伝は教えられないんだぞ」 と。

・・・すみません、先生。未だその注意は全然守れていません。

 

残念ながら、その当時まだ若かった私は、

その先生の持つ武術感や、指導論になかなか納得できず、門を去る事になりました。

最後の数年間は先生と一緒に酒を飲んでは口論になるという、

生徒として、あってはならない酷い状況でした。

それでも先生は、私の話を丁寧に聞こうと努力し、懸命に耳を傾けてくれました。

誠に生徒思いの良い先生であり、良く生徒の悩み事にも耳を傾けていました。

中には、「個人的な事にまで口出しされたくないよ」 と、

思っていた生徒もいたかもしれないけれど、

それ程に生徒の事を考えていた人なのです。

 

 

これを読んで思い当たるフシのある人、先生を大事にして下さいね。

それが出来なかった、私の分まで。

2007,9,4

 

 

第七十八講

≪とっても不親切な書き方ですが・・・≫

 

今回のお話は初心者向きではないので、『指導日記』の方に述べようかと思ったのですが、

何となくこっちに書く事にしました。(笑)

 

 

古い武術の流儀によっては何故顔面部への拳による攻撃(パンチ)がない(少ない)のか、

それを知る事は真に効果的な攻撃(と省エネ)を知る事になる。

それが“武術”である。

 

以前述べた、パンチと突きは違うという事とも相まって。

2007,9,5

 

 

第七十九講

≪いつか、道場を持ちたい人に・・・≫

 

 

前にも述べた事がありますが、

あなたのレベルが上がって来ると、自然と「教えて欲しい」という人が現われます。

その時期を待って下さい。

「習いたい」という人が一人も居ないのに、施設を借りて、

門下生を募集するのは失敗する可能性大です。

なので、焦って指導者になろうとする必要はないものです。

 

教えてくれと言う人が集まれば、そして、あなたがやりたいと思えば、

(最初は愛好会程度から)ドンドンやって下さい。

もし私の門下生で、「支部(又は愛好会)を作りたい」という人がいれば、ダメとは言いません。

そして、やるからには、失敗しない為のノウハウというか、アドバイス点は幾つかあります。

が、あくまでそれは私の方法であって、全ての環境で通ずる訳ではないでしょう。

ですから、私からのアドバイスを聞いたら、それは一つのヒント程度に捉えて下さいね。

 

余談ですけど、ある先生が生徒3人に三箇所の支部を開かせました。

その先生に言われた通りの方法でやった2人は、結局道場を閉鎖する事になりました。

もう一人は、「状況が違うので」と言って、先生から勧められた方法を採用しませんでした。

最初からその方法には無理があるのが解っていたからです。

その一人だけが、今でも道場を維持しています。

先生が提示する道場の運営方法を無視した事で、その結果、

上手くいった事も沢山あるのですね。

 

 

ちょっとイヤな言い方になりますが、

道場も経営です。

失敗しない為には、才覚が必要です。

鼻のきく奴でないと上手く行きません。

 

 

・・・いや、でも儲かりませんよ!

あくまで趣味の範囲でやるのが賢明です。(笑)

2007.9.12

 

 

第八十講

≪どうして? って・・・(笑)≫

 

「あなたが武術を学ぶ理由は何ですか?」と問われれば、

単純に楽しいからとか、好きだから、などの理由で良いでしょう。

細かい事を説明するのは面倒なので、私もそう答える事にしています。

第一、そういう質問する人は真剣に質問している訳でもないですし。

ま、お茶を濁す程度の答え方で。(笑)

 

でも真剣に、「なぜ強くなりたいのですか?」

と問われれば、私はこう答えます。

「男は、強くなければ大切なものを守れない時が有るからだ」

と。 ←ちょっとカッコつけ過ぎかしらん?

だからこそ、幾つになってもより強さを目指すのです。

その為に、

套路や基本で身体を練り上げ、

対錬で技を覚え、

スパーリングで感覚を研ぎ澄まし、

走って調整するのです。

 

解らない人には、どんなに説明しても理解して貰えないでしょう。

それ故に、“価値観”なのですから。ね。

 

 

「男ってバカねぇ」。…大事なものの順番が違うのさぁ。(笑)

2007,9,13

 

 

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