第171講
≪套路だけでなく基本も≫
多くの中国武術愛好者は套路ばかりやっていて
基礎的な手技(突きなど)や蹴り技の反復練習(空手で云う基本)を余りしていない様だ。
套路は身体の力の流れや動きを作る事は出来るが、矢張り実際に使う事を考えれば、基本は重要である。
それら突き蹴りを単体でしっかり練習しておかないと、
いざ自由攻防!といった時にバランスの悪いキックやパンチを繰り出して自滅する事になる。
パンチやキックのキレを良くするには、矢張りそれらの反復練習が結果が早く、効果的である。
2014,9,16
第172講
≪現代と名人・雑話≫
私の親や祖父世代に修業した武術家の話を聞くと、
「稽古場まで毎夜2時間も徒歩で行き来した人がいた」
ような話を聞く。
そしてそんな人は門内でも一目置かれるような実力者になる。
そりゃー強くなるよな(笑)。強くならない訳がない。
当時は徒歩。1時間も2時間も歩いてから稽古して、稽古後も又それだけの時間を掛けて歩いて帰るんだぞ(笑)。
意気込みが違う。
裏を返せば、車で1時間程度の道程が「遠くて通えない」と言ってる人は、最初からモノにならない、という事でもある。
が、それは時代の違いもあって、今の人達にそれは無理だろう。
何せ仕事に費やす時間が昔と違って多過ぎる。
夜遅くに仕事が終わってから1時間や2時間も掛けて稽古場に通えば、翌日の仕事は寝不足で行くしかない(笑)。
稽古に時間を掛ければ名人が輩出する、という訳ではないが、それでも矢張り上達には稽古に使える時間が必要だ。
名人(芸達者)の出にくい時代になっているであろう事は間違いないのだろう。
尤も、私の場合は案外早めに終わる仕事だから、“ここぞ”と思った教室には時間を掛けても通えたのだが。
片道1~2時間なんてのは普通だった。勿論、車だが(笑)。
2014,9,21
第173講
≪武術の利用≫
生徒に武術への考え方や取り組み方などを指導している先生もいると聞くが、私はそんな事はどうでもいいと思っている。
取り組み方や武術の利用の仕方は本人が自身の良いようにやれば良いが、
(一時期流行った様な)「武術を介護に活かす方法を教えてくれ」等と言われても、それは断るしかない。
通常の稽古を潰してそんな事を指導する気にはならないし、また最近では、
学校授業で導入された「ダンスへの活かしかた」なんて言われても私はダンスなんざ出来ないから仕方がない(笑)。
武術の要素を他の事に幾ら利用して貰っても構わないが、それはあくまでも自分でやってちょーだいよ、という事なんであります。
宜しくであります。
2014,10,7
第174講
≪武術の漢字≫
中国武術の漢字には、今の日本では余り使わない漢字ですとか、
そもそも日本語には無い漢字なんかもあったりするので、書き間違いが結構あります。
初心者の内なら漢字を間違っていても良いでしょうが、人に教える様になったら恥ずかしいですよね?(笑)
なので何かの折に再確認してみて下さい。
因みに、PCにない漢字はこのサイト上でも不正確な文字を当てていたりしますので、ご注意を。
さて。
例えば、という事で2~3つ、間違いやすい漢字を紹介してみます。これが結構、間違ってるんですよ。
八卦○
八掛×
ヒ掛掌は掛でOK
初期の拳法本にも「八掛」と間違っていたりしました(笑)。
拳○
挙×
これは良く目にする間違い。「△△挙」と書いてしまう。素人さんにはこの間違いが圧倒的に多いですね。
「太極拳」と書こうとして「太極挙」と書いてしまう。
拳はあくまでコブシです。挙手してもしょーがないんで、よろしく(笑)。
少林○
小林×
少林寺は小林さんのお宅ではありません。
武術を練習している者が間違うとあんまりにも恥ずかしいものを3つ並べてみました。
他にも現代中国では漢字が簡略化されていて、解りにくいものとかあります。
これは(その気のある人は)調べてみると面白いですよ。
2016,8.6
第175講
≪こうしましょう≫
当会は練習する拳種が多いのが特徴です。
これは元々内家三拳・柔術併学道場の支部時代だった頃の名残であり、又、私自身が“真実”を追究して来た結果でもあります。
しかし、これらを一気に、同時進行で覚えるというのは余程記憶力の良い人か、充分な練習時間を捻出できる人です。
私自身、若い頃は(若い頃は、ね)物覚えも早い方でしたし、自主練習の時間も多い方でしたから、道場の掛け持ちが出来ましたし、学んだ事の復習が出来ました。
でも。普通の人はそんなに練習時間を捻出できません。一辺にいろいろ習っても覚えられないものです。
そこで学ぶ(教える)順番の必要性を感じる様になりました。
まず、正宗太極拳、形意拳、八卦掌、少林拳の基本的な套路を覚えて頂きます。
套路を覚えたら、対錬套路や推手などを練習して頂きます。
この辺りに来ますと、内家三拳の套路を先に進まない時期がやって来ます。
そう、習った事がある程度身につかないと先に進めないのです。
この間に、柔術やその武器術などを学んで頂く事にします。
(内家拳の用法練習などは時々皆で揃って行なっていますから安心して下さい)
柔術が一区切りつく頃には、内家拳などの套路も先に進める段階になっていると思われます。
※希望によっては最初に拳法からではなく、柔術からスタートという変更は可能ですね。
・・・こういった具合で進んで行く事を徹底したいと思います。
勿論、基本的には学ぶ側、つまり生徒個人の希望は聞くつもりですが、私の経験では、「〇〇拳を学びたい」とか「〇〇武術は学びたくない」と言う者ほど短期間で辞めるものです。
「〇〇拳を中心に学びたい」と言う者ほど、不思議と学びたがっていた拳種すら基礎套路を覚え切る前に道場に来なくなるものです。
2016,12,10
第176講
≪同じことだけ3年?≫
中国の名人伝に
「走圏を3年やった」とか「劈拳のみ3年やった」という話がある。
で、これが事実か?という事なのだが、正直、実話とは思えない。
中国人の言う事を「全て嘘だ」とは言わないが、「大袈裟」なのは否定出来ない。
そこから考えても「3年は嘘だろう」と判断するぞ、俺は(笑)。
「3ヶ月~半年、同じ事をやらされた」というなら充分考えられる。
走圏を毎回ちょこちょこ直されながら3ヶ月やらされる。劈拳を3ヶ月や半年やらされる。
で、「よし、少しは上手くなった(身体が馴染んだ)ようだから、次に進もう」
ってな指導方法は、普通にあるだろう。
勿論、良く言われるように、この時期に根気(と真面目さや熱意)を見たりしているのもあるだろう。
飽きる奴はどうせ飽きる(笑)。どんな事を教えたって飽きるんだから。
とはいえ、今の世の中では教え方ももう少し一般的になっていて、
五行拳を一通り覚えたら、それを時間をかけて良く(本物に)して行く、という指導方法の道場が多いだろう。
ま、それでも飽きる奴は飽きるんだから、昔風の教え方でも結局は同じ気もするなぁ(笑)。
つまりこの類いの話は「基礎作りが如何に大切か」を説いた話であり、「飽きずにやりなさい」という説話でもある。
「ひとつの事をあんだけ熱心に追求したからこそ名人になったんだよ」と。
・・・実を言ってしまえば、ヘキ拳だけ3年でも大丈夫なんですよ。戦闘法(使い方)さえキチンと習えれば。
威力の養成は3年間ひたすらのヘキ拳練習で培えてるんだし。
その上で残り4拳を習えば、先に習った戦闘方法と相まって、変化が効くって事だから。
だけど、こんな風に教えられる先生が、もう殆ど居ない。多くの形意練習者はそこに気付いてもいない。
型(套路)だけやってれば何とかなる、と勘違いしてる。
“使い方”ってのを教わらなければ、余程の天才以外は使える様になれないんだけどね。
ところで、中国では「3」という数がお好きなようだ(笑)。
武術套路の繰り返しも3度が多い。これは儒教の影響らしい(うろ覚えなので間違ってたらスマン)。
全く無関係のハナシだが、関西の一部では「嘘のサンパチ」という言葉もあった。
「嘘の数を言う時は3と8が出て来やすい」との事らしい(笑)。
しまった、オチがなし。
2016,12,10
第177講
≪師弟の関係について≫
“自分勝手”に陥らない為にも、師は必要です。
漬物石のように、自分の頭上に乗っかっている重石があるのが良い。
これは何も武術の事でなく、私の場合は宗教者としての経験でもあるのだが、
師と弟子は“距離が離れていては関係を維持できない”というモノでもない。
師に教わった事を常に練習する事、
解らない事があったら実際師に尋ねる事、
たまには直接師に会って教わったり話をする事、
これだけやってさえいれば、師との縁が遠くなって切れてしまう事はないし、少しずつでも上達する。
2017.1.7
第178講
≪出来ないの?やらないの?≫
「出来ない」ってのは、私にも経験があるから解るつもりだ。
35歳になって登米の心眼流を習いに行った時は、それこそ出来ない(要求を体現できない)事が多かった。
“これまでやって来た事がジャマになっている”と感じたものだ。
「出来ない、が当人は努力している」というのは指導者なら解るし、何年か経つ内に出来る様にもなるものだ。
だから「出来ない」のは仕方ない、が、「やらない」のはどーしようもない。
出来ない事を(何か理由をつけて)出来るべく努力しないのは論外だ。
「直したくない」「変えたくない」「変わりたくない」・・・その類いの人は、自分一人でやっていれば良いのである。
習おうとするのが大間違いなのだから(笑)。
2017,2,14
第179講
≪高く蹴る、蹴りのこと≫
若い人には「出来るだけ高く蹴るように」と指導しています。
高い蹴りが出せれば技が広がるだけでなく、バランスも筋力も、スタミナにも効果があるからです。
同じ蹴りでも上中下と蹴り分けられたら良いのは皆さんご承知の通りですし(笑)。
ですが、40代も過ぎてから武術を始める人には無理は言いません。
勿論、幾つになっても目標を定めて努力するのは大切な事ですが、年を取れば身体の固さや柔らかさ、
又、体力の有る無しなどは個人差が大きくなりますし、無理をすると身体を痛めてしまう事もあります。
元々、太極拳や形意拳は余り高い蹴りを用いないので、戦闘方法としても高い蹴りが放てなくても問題はありません。
「太極拳は腰より高く蹴らない。形意拳は膝より高く蹴らない」とも言われます。
中でも形意拳では「十脚九危」といって、「10回蹴る内の9回は危ない」とします。
高い蹴りを出すと蹴り足を捕られてしまったり、軸足を狙われるなどして危険だ、という事です。
私の経験でも、打撃系の練習者は余り蹴りを掴んだりしませんが、防御が出来ない素人ほど、
“もう蹴られたくない”と思うのか、胴体辺りに来る蹴りは必死で掴んで抱えようとします。
といったワケで、中年を越えた人は(笑)、無理せず身体に聞きながら、少しずつ蹴りも身につけて頂けたら、と思っています。
時間をかけて足が高く上がる様になれば、それはそれで良いですし、時間をかけても足が上がらない様であれば、
それはそれで一向に構いません。
中年は仕事場では第一線ですからね。怪我でもして仕事に影響が出たら元も子もないので(笑)。
2017,3,27